霜はしづかに土塊をいたぶりぬ
谷崎の片袖机寒椿
歳晩や軽トラックに竹の束
水涸れて青き硝子の嵌め殺し
寒中お見舞いりりりりと猫の鈴
・・・
『九十二』という句集がある。著者は祐乗坊美子さん。2009年、著者92歳の時の出版である。
九十にふたつ増やして年の豆 美子
集名ともなった1句で掉尾に置かれている。
「まあ、フケさんって仰るの? ずいぶん珍しいお名前ね」
祐乗坊美子さんに初めてお目にかかったときにそう言われた。
「ええ、はい……、あの…」もごもご言いながら(あの、ユージョーボーさんってお名前もも十分珍しくはありませんか)胸の内で呟いていた。
私と祐乗坊美子さんとはかつて「カリヨン」で同門であった。つまり馬酔木系の俳人、市村究一郎門下。年に一度の大会が究一郎の地元の「府中の森芸術劇場」で行われて、私も事情が許す時には上京していた。そこでお会いしたのであった。
美子さんは嵐山光三郎氏のお母様である。だから嵐山氏も本名は祐乗坊さんなのである。氏のエッセイに登場する「ヨシ子さん」がこの美子さんである。『悪党芭蕉』は買って読んだけれど、ヨシ子さんが描かれているエッセイ集は買っておらず、申し訳なくも、週刊誌に連載されていたのを時々拾い読みしていただけである。
『九十二』より
朝顔の買はれうき世の花となる 美子
朝顔市での作のようである。朝顔は芽生えた時から浮世に存在していたはずだが、こう言われると、お金のやり取りがそれを決めたということのように思われて、少し切なくなる。
朝顔の遊びの蔓と遊びけり 美子
こちらの朝顔は庭に植えられているように思える。朝顔は自立できない。他の物へ蔓で巻きつきながら成長する。人は勝手にその蔓の先を遊んでいると見るのだが、当の朝顔は巻き付けそうな、つまり寄る辺を探して必死なのである。しかし下五の方は完全に人の遊び。見ているだけかもしれないし、蔓を巻かせるべく誘引しようとしているのかも知れないが、二つの異なる遊びが読む方へ伝わって遊び心がさらに膨らんでくる。
探しものばかりで灯火親しめず
「この頃一日中探し物しているみたいで厭になるのよ」と誰かが言っていた。〈見えてゐて見えぬ師走の探し物〉というどなたかの句をみかけたこともある。私もしばしばこういう事態に陥っているのだが。「灯火親し」が否定形として遣われているのも「あらまあ、美子さんったら」と笑いかけたくなる。このような遣い方もあるのだ。
私が俳句を始めたのが41歳。遅かったといつも思っているのだが、この美子さんの出発は62歳である。「俳句を始めるのはいつからでもいいのよ、その人その人の適齢期があるのだから……」始めてからしばらく経ち、面白くなり始めた頃になって「もっと早く始めておけばよかった」とはよく聞くことである。そんな時、私は自分を慰める意味もあって「始めようと思ったその時があなたの適齢期だったのよ」と言うことにしている。
美子さんも嵐山氏に『ローボ百歳の日々』と書かれてから数年が経っている。ローボとは老母のことだが今も俳句を作っておいでだったらそれは素晴らしい。アマゾンででも買って読んでみようかしら。
(2022・1)
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