トーキョー・ストーリー
英国で知り合ったイギリス人の友人が小津安二郎のファンで、大学教員の彼は、講義で小津の『東京物語』を何度も題材にしたという。また、僕がロンドンで在籍した美術大学では毎月、映画上映会をやっていて、そこで小津の『お早よう』が上映されたことがある。誰もが知る代表作、というわけでもない喜劇作品なので、「ずいぶん通好みだなあ」と思った。
英国映画協会(British Film Institute)では、十年に一度、世界中の映画監督や批評家の投票で「映画史上もっとも偉大な映画」を選ぶ。2012年の投票で、名だたる映画監督たちから一位に推されたのが、小津の『東京物語(Tokyo Story)』だった。二位以下には『2001年宇宙の旅』『市民ケーン』など、錚々たる歴史的作品が並ぶ。戦後まもない頃に制作された『東京物語』は、当時は「日本的すぎる」と見られたようで海外での上映や評価も広がらなかった。小津作品は、何十年もの時間をかけてじわじわと評価を高めてきた。
海外の人が小津作品について語る言葉は、「シンプル」「不在」「沈黙」などで、それは「禅」など日本文化全般への海外からの視線と類似する。実際、小津の作品をそんな文脈から「俳句」的だと評した西洋の識者も過去にいたし、それに対して、あまりにも「紋切り型」の見方だとの反論もあった。
どちらの論が正解にせよ、実は、小津は二十代から晩年まで生涯を通じて熱心に俳句を作った。彼は「塘眠堂」なる俳号まで持ち、松竹の撮影所では俳句の会を作って句会や連句に熱を入れた。例えばこんな句が残る。
口づけも夢のなかなり春の雨
未だ生きてゐる目に菜の花の眩しさ
葩や仏の膝に吹きだまる
彼はこうも語る(*1)。「連句の構成は映画のモンタージュと共通するものがある。われわれには、とても勉強になりました。」小津の映画に俳句的な何かがあるなら、それは西洋人からは安易に神秘化して見られがちな、禅的な「空」や「無」だとか季語的な日本的情緒ではない、と僕も思う。小津の映画には、フランソワ・トリュフォーが「不思議な空間の感覚」と呼んだ独特の空間構成があって、それは俳句や連句の斡旋の感覚から培われた美学では、と感じる。その空間感覚は、西東三鬼などの新興俳句のモダニズムに通じるものがある。小津と三鬼はほぼ同世代で、両者ともシンガポールで生涯の一時期を過ごした経験があることもなにやら偶然とは思えない。
前述のイギリス人の友人にネットで連絡を取ってみた。小津への見方を訊ねると、小津作品の語り口のシンプルさは俳句的と感じる、と彼も言う。そして彼は、『東京物語』の原節子の会話に触発されたという、自作の英語俳句を僕に披露してくれた。『東京物語』の物悲しさを彷彿とさせる、いい句だった。
*1 『キネマ旬報』1947年4月1日号
(『海原』2021年9月号より転載)
0 件のコメント:
コメントを投稿