相馬遷子――明治41年10月15日長野県佐久市野沢生れ、昭和51年1月19日没。本名富雄。東大医学部在学中に水原秋櫻子に指導を受けて「馬酔木」に投句、戦後、故郷佐久市にて医院開業、佐久の自然と医師としての身辺を多く詠んだ。昭和44年に俳人協会賞を受賞、句集に『草枕』『山国』『雪嶺』『山河』がある。
筑紫:この会は、現代俳句史の中で、没後論じられる機会が少なくなっている相馬遷子を再評価し、その作品を研究しようということで発足しました。相馬遷子の一句一句の作品鑑賞を中心に、いろいろな視点から相互批評を進めたいと思います。
研究会は、いろいろなおりに相馬遷子への関心を表明した、中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井をメンバーとしてとりあえずスタートすることとします。本研究会にご関心のある方は筑紫と相談していただければ幸いです。
本来は一堂に会して語り合うことが望ましいのですが、メンバーが遠隔地に居住し、多忙であるのと、記録を文字の形で残す必要があるためにメール等でやりとりし、記録は適宜ブログの「―俳句空間―豈weekly」に連載することとしたいと思います。
第1回はメンバーの簡単な略歴紹介と、相馬遷子との関係などを語っていただこうと思います。また、巻末には、各人がこれから取り上げてゆく各人の遷子十句選を掲げておきました、ご参考にしてください。それでは、中西さんから自己紹介をお願いします。
中西:馬酔木系の「鷹」に長くおりましたので、相馬遷子は「馬酔木」の次代を嘱望されていたのに、早く亡くなってしまった人ということを聞いておりました。しかし、今まで作品に会うこともなく来てしまいました。筑紫磐井さんの講演を聴きに行って、相馬遷子の俳句と俳句への姿勢など伺い興味を持ちました。高い精神性と風土を描いている作品に出会い、「馬酔木」の相馬遷子という枠を離れて、見て行きたいと思いました。そこで相馬遷子の地元の俳人、鷹新人会で一緒だった窪田英治さんに資料の提供を受けて読み始めようとした、ちょうどその時、この研究会のお話が舞い込んできました。メンバーのなかで一番相馬遷子を知らない者で、ついていけるのか心配ですが、長い間、どんな人だろうと思っていた相馬遷子という人にじっくり向かい合う機会をいただけて嬉しく思います。
筑紫:中西さんは、昨年創刊されたばかりの新雑誌「都市」の主宰でもあります。お忙しい中の参加をありがとうございます。「岳」にもおられ、長野県松本市に一時期住まれたということで、遷子の住んだ(佐久の)環境にもご理解が深いのではないかと思います。
原:私の俳句の出発は加藤楸邨の「寒雷」からで、現在は矢島渚男主宰「梟」に所属しています。ご承知のように楸邨の出自は「馬酔木」ですが、当時すでに独自の作風によって一家をなしていましたので、「馬酔木」につながる作家たちをあまり意識せずに過ごしてしまいました。
遷子との出会いは、一気にのめり込むというようなことではなく、作品を断片的に眼にしているうち次第に気になってきたというものです。相馬遷子が亡くなったのは私が俳句を始めて数年経った頃のことでした。人からの口伝えで「冬麗の微塵となりて去らんとす」の句を覚えています。
最近になって、少しまとめて読んでみようという気になったのは、風土との関わりが表現上にどのように現れているかに興味を持ったことが大きいのですが、まず第一に、遷子の清潔な作風に惹かれています。
筑紫:原さんは、皆さんご存知のとおり第51回角川俳句賞(平成17年)を受賞されています。先生の矢島渚男氏は、ご自身が大学のころから交流され、相馬遷子の句集にも協力、最期を看取った遷子の最大の理解者ですから縁が深いことはいうまでもありません。
深谷:「天爲」の深谷義紀です。俳句を始めて二十年ほど経ちますが、専ら「天爲」の中だけで活動してきましたので、今回のお誘いは大変嬉しく、思い切って参加させていただきました。
相馬遷子との出会いは二年ほど前になります。「天爲」の発刊200号記念特別号で「検証・戦後俳句」と題して、これまであまり注目されてこなかった俳人12人を採り上げることになり、小生に相馬遷子の担当が回ってきました(ちなみに、その際には筑紫さんから貴重な資料のご提供を受け、大いに助けられました)。
そこで初めて相馬遷子という俳人に正面から向き合うことになったわけですので、そういう意味では全くの偶然、強いて言えば有馬朗人主宰と対馬康子編集長の思し召しによるものなのですが、この出会いは小生の句作スタンスを抜本的に変えてしまうことになります。それまで気の向くままに句を作り続けてきたのですが、やや大袈裟に言えば、それ以降、自分自身の心の持ち様あるいは生き方を写すような句を書きたいと思うようになっていきました。それは、意識的にそうしたというわけではないのですが、そういう句でないと自分自身で満足できないようになってしまったわけです。
筑紫:深谷さんの「相馬遷子論」は近年まれに見る優れた遷子論と言えます。インターネットでごらんになれますので是非お読みください。
→http://haikunet.info/soumasennsironn.html
窪田:窪田英治です。現在宮坂静生先生の俳誌「岳」で勉強させて頂いています。少し前から、中西夕紀さんと相馬遷子の句を読んでみようかという話をしていました。僕は、遷子の地元にいながらあまりよく知りませんでしたので、勉強になるなと気楽に考えてのことです。それに「高原派」という言葉に何となく憧れてもいましたので。
そんな時、夕紀さんからこの会にお誘いを受けました。メンバーのお名前を聞いて、正直尻込みをしました。幸い、句集『雪嶺』に深く関わった矢島渚男さんの直ぐ近くに住んでいますし、他に地元の遷子と直接交渉のあった方々にもお会いできる機会も作りやすいので、少しは皆さんのお役に立てるのではないかと、お仲間にいれて頂くことにしました。足手纏いになるかも知れませんがよろしくお願いします。
筑紫:窪田さんはたったひとりの地元の方です。最後に自己紹介を。私が「馬酔木」で俳句を始めた頃、遷子は元気に活動していましたが、当時それ程深い関心を持っていたわけではありません。その後、「沖」に移り、福永耕二から色々な話を聞くに及び、次第に関心が深くなってきました。耕二の一代の名品と言うべき評論「俳句は姿勢」は、もちろん耕二自身の俳句の思想を語っていますが、そこに登場する俳人は相馬遷子であり、「俳句は姿勢」を具現化する作家は相馬遷子であったのです。
昨年6月、現代俳句協会の「現代俳句講座」を担当したとき福永耕二について語らせていただいたのですが、調べるにおよび、水原秋桜子と相馬遷子が耕二にいかに決定的な影響を持っていたかということを痛切に感じました。
もっともそれに先だって、(深谷さんが触れられているように)「天為」200号記念のシンポジウム(平成19年5月)に小澤實氏と一緒に出させていただき、忘れ難い俳人と言うことで私は遷子と耕二をあげていますから、私の遷子贔屓はだいぶ以前からのことになるのですが・・・。
私は、今までどちらかというと、龍太とか虚子の研究をすることが多かったのですが、こうした「芸」とか「俳句性」に強い関心を持ちつつ、俳句でひたむきに人生や自然と向き合う作家たちも決して嫌いではありませんでした。実は正直言って、俳句とはダブルスタンダードであり、2つの基準の間を行ったり来たりすることで初めて力を得ているのではないかという気がしてならないのです。もちろんそうした作家として、加藤楸邨や社会性俳句を取り上げてもよかったのですが、定説のできあがった作家や運動よりは、数少ない仲間で、忘れられかけた作家をじっくりと研究してみたいという気が起こってきて、この会の呼びかけをした次第です。地道に長く続けたいと思いますのでよろしくお願いします。
読者もごらんいただいてお分かりのように、それぞれ独自の観点から遷子への関心を持つメンバーです。私は「関心を持つ」ことほど重要なことはないと思います。関心いない事柄は存在しないも同じことだからです。この会をご期待にこたえられるものとしたいと思います。
あっ、言い忘れましたが私は現在「豈」の同人です。
筑紫:今回(第32回)から新しいメンバーに入っていてだきました。仲寒蝉さんです。角川俳句賞を受賞してらっしゃいますし、遷子ミステリーツアーでお世話になった島田牙城氏が宗匠をしている「里」の編集長をされている方ですからご存知の方も多いでしょう。医師であり、佐久に住まわれているということで参加をお願いしたものです。
仲:寒蝉です。櫂未知子さんに憧れてこの道(俳句)に入り『港』という結社に所属しています。もともとは大阪出身ですが、信州大学医学部を出てそのまま地元の佐久市立国保浅間総合病院というところに就職しました。そんな訳で相馬遷子と同じ佐久の地に住んでいます。ここには同じ関西から来た、しかも同じ昭和32年生まれの島田牙城という変な男が邑書林という出版社をやっていて、数年前から一緒に『里』という同人誌を立ち上げ今はそこの編集長ということになっております。遷子という人については馬酔木の高原派というくらいの知識しかなかったのでこの機会に郷土の先輩(俳人としても医師としても)のことをもっと勉強したいと思い参加させていただきます。よろしくお願いします。
相馬遷子十句選(第1回) ○印は重複選
中西夕紀選
元日や部屋に浮く塵うつくしき 『山国』
街中の溝川ながら雪解水
ほとゝぎす緑のほかの色を見ず
昼寝覚祭の音となりゆくも
墾道の深き轍や秋の蝶
往診の夜となり戻る野火の中
戻り来しわが家も黴のにほふなり
山国や年逝く星の充満す
農夫病む雲雀の籠に鳴かしめて
春の町他郷のごとしわが病めば
原雅子選
梅雨めくや人に真青き旅路あり 『草枕』
昼の虫しづかに雲の動きをり
あをあをと星が炎えたり鬼やらひ 『山国』
畦塗りにどこかの町の昼花火
山の虫なべて出て舞ふ秋日和 『雪嶺』
ストーヴや革命を怖れ保守を憎み
萬象に影をゆるさず日の盛
晩霜におびえて星の瞬けり 『山河』
雛の眼のいづこを見つつ流さるる
冷え冷えとわがゐぬわが家思ふかな
深谷義紀選
栓取れば水筒に鳴る秋の風 『草枕』
忽ちに雜言飛ぶや冷奴 『草枕』
山河また一年經たり田を植うる 『雪嶺』
梅雨晴るる家畜のにほひ土に染み 『雪嶺』
農婦病むまはり夏蠶が桑はむも 『山國』
銀婚を忘ぜし夫婦葡萄食ふ 『雪嶺』
寒うらら税を納めて何殘りし 『山國』
春の服買ふや餘命を意識して 『雪嶺』
わが山河まだ見尽くさず花辛夷○ 『山河』
かく多き人の情に泣く師走 『山河』
窪田英治選
渓とざす霧にたゞよひ朴咲けり 『草枕』
雉鳴いて新樹一齊に雫せり
熊野川筏をとゞめ春深し
晝寝覺萬尺の嶺にわがゐたる(白馬岳にて 五句)
四十雀花咲く松に鳴き交す
語りゐし望に照らされ兵ねむる
くろぐろと雪片ひと日空埋む
うらぶれし冬にも心遺すなり 『山國』
山國の霞つめたし朝さくら
しづけさに山蟻われを噛みにけり
筑紫磐井選
汗の往診幾千なさば業果てむ 『雪嶺』
ころころと老婆生きたり光る風
筒鳥に涙あふれて失語症
ちかぢかと命を燃やす寒の星
隙間風殺さぬのみの老婆あり
ただひとつ待つことありて暑に堪ふる
病者とわれ悩みを異にして暑し
薫風に人死す忘れらるるため 『山河』
わが山河まだ見尽さず花辛夷○
冬麗の微塵となりて去らんとす
(―俳句空間―豈weekly転載)
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