震災を詠む
東日本大震災から九年目の三月十一日を迎えようとしている。東北の復興は未だ遅々として進まないうちに、オリンピックという饗宴で日本中が浮かれ上がっている。ここでいったん立ち止まり考えてみることとしたい。
震災後、俳句総合誌は幾つかの企画を行った。
①俳句界23・5「大震災を詠む」、
②俳句23・5「励ましの一句」
③俳壇23・6「絆!がんばろう日本」
④俳句研究23・夏「東日本大震災に思う」
⑤俳句年鑑2012 23・12「東日本大震災、その時俳句は」
⑥俳壇24・5「特集・震災俳句を考える」
(中略)
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こうした蓄積の中で、震災俳句に対する思索が始る。その中で一番厳しい批判であったのが同人誌「オルガン」第四号(二〇一六年二月)の「震災と俳句」という特集である。「あなたは震災俳句についてどう思いますか。」に対し次のように答える。
○「震災や時事を取り扱った俳句について、感想を求められたときに何も言えなくなってしまう。ある意味暴力的だと思う。」(宮本佳世乃)
○「(〈双子なら同じ死に顔桃の花 照井翠〉等の句を挙げて)といった句は僕には受け入れがたいものです。それはこれらの句が、震災と同様に、かけがえのないもののかけがえのなさを脅かすものであるように思われるからです。」(福田若之)
○「〈読者として「俳句という形式は「震災俳句」に適していない〉〈作者として《以前と以後とで、私は確実に変わった。言葉を発する私自身が変わったのであるから、発せられる言葉も当然変わるに違いない。》《私は「震災を」詠むのではなく、震災を蒙った私が「何かを」詠むのである。》〉」(鴇田智哉)
若い作家たちの意見には共感するところが多い。しかし、震災俳句が直ちに問題であると言うよりは、震災俳句としてメッセージを盛りこもうとしたジャーナリズムや結社の姿勢・在り方が問題であるのであり、その俳句そのものが問題というわけではないだろう。
震災を蒙った私が詠む
こんなところから、前述の俳句総合誌の特集の中で、〈瓦礫みな人間のもの犬ふぐり 高野ムツオ〉〈津波のあとに老女生きてあり死なぬ 金子兜太〉〈なぜ生きるこれだけ神に叱られて 照井翠〉のようなメッセージ性ある俳句を除外し、それ以外の震災俳句を眺めてみることとする。そこから鴇田のいう《「震災を」詠むのではなく、震災を蒙った私が「何かを」詠む》にかかわった作品を見つけることができるだろう。震災俳句といわなければそれらは日常詠としか見えないのである。
それも夢安達太良山の春霞 今井杏太郎
憤ろしくかなしき春の行方かな 青柳志解樹
祈りとは心のことば花の下 稲畑汀子
春寒の灯を消す思ってます思ってます 池田澄子
雉子啼くやみちのくに暾のあまねくて 上谷昌憲
言の葉の非力なれども花便り 西村和子
にはとりの怒りて花をふぶかせり 和田耕三郎
かいつぶり岸に寄るさへあたたかし 対中いづみ
みちのくのみなとのさくら咲きぬべし 小澤實
磯城島に未来は確と物芽出づ 稲畑廣太郎
啼きにくるさだかに春の鳥として 山西雅子
空高くから雨つぶよあたたかし 小川軽舟
かりそめの春の焚火もなかりけり 伊藤通明
いのち惜しめとゴッホの黄花菜の黄 加藤耕子
方円に水従はず冴へ返る 倉田紘文
春は名ばかり何もできないもどかしさ 橋爪鶴麿
春暁の弥勒の指の震へかな 花森こま
東国をおもんばかれど春の闇 福本弘明
春北斗恨みの柄杓逆立てり 松倉ゆづる
三月の飛雪われらの顔を消す 菅原鬨也
たんぽぽや失語症にはあらねども ふけとしこ
みちのくの風花微量にて無量 高野ムツオ
しずけさは死者のものなり稲の花 渡辺誠一郎
春寒くくづるるものを立てむとす 嶋田麻紀
片蔭を失ひ町は丸裸 白濱一羊
百年は一瞬記紀の梅真白 佐藤成之
蘆の角金剛力と人は言ふ 上野まさい
青麦は怖れるもののなきかたち 秋元幸治
真つ白な心に染井吉野かな 関根かな
生き残りたる火蛾として地べた這ふ 斎藤俊次
ありしことみな陽炎のうへのこと 照井翠
フクシマのもぐらはうづらになり得たか はるのみなと
初夏のテレビ画面にない腐臭 依田しず子
満開の桜からだのゆれてゐる 太田土男
龍天に登るにんげん火を焚けり 小島健
火を創るは神の領域萬愚節 八牧美喜子
水恐し水の貴し春に哭く 手嶋真津子(朝日俳壇金子兜太選)
夏雲や生き残るとは生きること 佐々木達也(黒沢尻北高校・俳句甲子園)
(参考)阪神淡路大震災の句
義援の荷獺の祭のごと並べ 千原叡子
ほんたうは拝まれてゐる寒さかな 落合水尾
寒塵のきらきら立てり死者運び 友岡子郷
節分の鬼も小犬もいる神戸 秦夕美
今回震災に関する少し変わった考え方を取り上げたのは、二十五年目を迎えた阪神大震災と東日本大震災では微妙に違いがあると思われるからだ。それはメッセージ性のある俳句では比較が難しいが、こうした〈震災を蒙った私が詠む〉俳句では相違がはっきりする。阪神の「苦痛」に対し東日本の「不条理」と言っても良い。各自感じ取ってほしい。
※詳しくは「俳句四季」2月号をお読み下さい。
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