2017年7月7日金曜日

【平成俳壇アンケート 第12回】堀本 吟

■堀本 吟

1.回答者のお名前(堀本 吟

2.平成俳句について

①平成を代表する1句をお示しください

被災地とおなじ春寒いや違ふ 仲 寒蟬
         『巨石文明』角川21世紀俳句叢書・平成26年1月15日
 
②平成を代表する俳人をお書きください。判断が難しいので2つに分けて結構です。

➊大家・中堅
故和田悟朗 今いる場所を「地球」とみなし、そこから宇宙へと想像力の振幅たしかめている。そのような思考を俳句表現の領域とした。
➋新人(関悦史—言葉が世界を創ることを信じ、あらかじめ想像上の無国籍の壁をたてて、そこを往還する。間取りが広いゆえに上記の大家と同様必ずしも上手くない。が、それで良い。

③平成を代表する句集・著作をお書きください。

関悦史評論集『俳句という他界』邑書林

④平成を代表する雑誌をお示しください。(「俳句空間—豈」と「俳句新空間」

⑤平成俳句のいちばん記憶に残る事件を示してください。

攝津幸彦の死—非政治の位置から今日的課題を詠い上げることに絶妙な技術を見せた

⑥比較のために、俳句と関係のない大事件を示してください。

 (天災と人災の避けがたい交通を示した、津波およびそれを原因とする福島原発事故

3.俳句一般

①時代を問わず最も好きな俳人を上げてください。(故津田清子

②時代を問わず最も好きな俳句を示してください。

砂漠の木百里四方に友はなし 津田清子『無方』

4.その他(自由に、平成俳壇について感想をお書きください)

一挙にあげるわけにはゆかないので、一項目だけ書く事にする。

★ 短詩型文学にあっても、国境、時間、季節 言語の世界のバリアフリーを想像力によって実現し、その位置から「固有」の大事さをしめす、往還自在の道を開いて欲しい。

   昭和衰へ馬の音する夕べかな      三橋敏雄
     『真神』 昭和48年 端渓社
   湯豆腐よ昭和もすでに過去のごと
   長き昭和にあきて又もやぞうに喰ふ
   高価数の子長き昭和にあきあきす   波止影夫
     『波止影夫全句集』昭和57年6月15日、文琳社

 三橋敏雄とっては、昭和という時代は、自分の作家成立の起点、青春の昂揚感の時代として受け止められたのではないだろうか。多くの場合おめでたいハレの意味を含む漢字が使われるので、掲出の句のように、内容とのギャップが逆に成功している、このように日本人には元号的発想が染み付いてきている。
 波止影夫の掲出句は、昭和五十二。三、四、五年のいずれかの正月の句、我々が戦後七十年というときに同じような「飽き飽きした」感想を持つと同様に、昭和五十年代に早くもこのような感想を述べた俳人もいた。これらの俳句は、西暦年ではなく元号思考法が生理のように染み付いた者にしか絶対に書けない。
 「昭和」という不可思議な年号が戦後もつづいていて、途中から神が人になったことに日本国民として納得を迫られる。新興俳句のパイオニアであり京大俳句事件をくぐったこの俳人は、その問題を昭和後半(一九七〇年代後半)の四十年閒に突きつけられてきたのである。このような傾向はきっと波止影夫のみではないだろう。

★ だから、いま、磐井さんが「西暦年号」ではなく「平成」「昭和」という「元号」、そして「俳句空間」とか、「俳句世界」ではなく「俳壇」・・、とくくったことについても、便宜的な意味としては、わかるのである。私だって、その瞬間に、この言い方のほうがいいのではないか、というような追認をしたくなるぐらいだ。
 しかし、この時代の途中から、神から人への役割の変質をきたした昭和の天皇の複雑な役割とは違う意味の厄介さがともなうのが、最初から「象徴」であった平成の天皇の元号である。「象徴」という地位は神よりももっと抽象的な理解のむづかしい概念だ、どのようにして平成という時代の文化的な本質に迫りうるのだろうか?そういう位置を得て、役割を課せられた。「平成」が、生理とならないうえに、まだ本体が亡くならないうちに、変わるというのは、やっぱりなにか落ち着かない。ましてそれを俳句史の時代区分の原理に考えてしまうことは、俳句論や俳句史に関する大事な視点を落としてしまうようにも思う。
 俳句人があえて言う時には、歳時記が与える固定観念と同様に、こういうナショナルな元号のくくりかたが俳句史の区分に影響することにもなるので、ここで、早くも伝統の継承、世代交代のスタイルが出来てしまうのである。無批判追随であるとともに、思考内部に撞着を引き起こす。この辺の思考法の固定化は、俳句史の方法を考える場合には、かなり怖いところである。

★ 今一句、元号を使用して、私にはさもあるべし、と納得できる俳句を挙げておく。

  阿部定に時雨はなやぐ昭和かな  筑紫磐井

 この句は、「昭和」という時代とその時期の一事件(昭和十一年)を、風俗であるとともに当時の集合的な時代精神のブラックホールを象徴的に捉えたものである。これは、戦前の「昭和」について「平成」に詠んだからこそ成立した俳句である。
 懐古的な詩として美しく、また、一種の美として現代に引っ張ってき言葉の牽引力を見せる。この句が象徴的だという意味は、阿部定は、まさに、権力(男性)の喩であるところの根源的な一本を切り取って、微笑して逮捕されたからである。
 同時代の歌人が、既に、この事件に目を止めている。

  阿部定の切り取りしものの調書をば見るべくもなし常の市民我は
  おこなひの変態を知らぬげに彼女静かにわらひて立てり   齋藤茂吉『朝の蛍』
   (るび、変態→ ヘルベルヂオ)

 記憶が薄れて、間違っているかもしれないが、だいたいこういう茂吉の短歌である。
 大正後半から昭和初期へわたる文化風潮がいわゆる「モダニズム」のそれであった。時代の不調和を予感して、暗く派手派手しくひらいた世相の内実を、汲み取っている。

★ 等々、私にとっては「俳句の時空間」は「俳壇」のことではない。また、「明治、大正、昭和、平成」、そして来るべき「新元号」は決して、自分の創作の存念を投じる時代的な規定ではない。区分は重要な精神的転換をすくい上げる言葉でなければならない。
 このへんのズレをするどく意識させてくれる議論と実作品が欲しいものである。
 また、こういうふうに、定形の呪縛を無化してゆく言葉の流れを期待したい。
 その結節点をどのようにしめすのか?私は、一度、「列島大災害起源元年」というように考えたことがある。とくにつよく主張しようとも思わぬが、「災害」を中心に見るのもひとつの尺度ではあろう。
 今回、予測される天皇退位と改元こそは、「平成」という歴史的元号が、この間におきた事件を絡み合って、反語として詠まれ読まれる、そういう俳句の時代をも予測させる。(吟)


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