○平成を回顧する
新年の新聞によると、天皇の退位の意向と政府の検討を踏まえて、平成三一年一月一日に改元されるらしいという。現在平成二九年だが、残すは平成三〇年しかないのである。さすれば、「平成俳壇」「平成俳句」という言葉が妙に差し迫って感じられる。
時代を振り返ってみよう。「明治俳壇」(子規・碧梧桐・虚子)・「大正俳壇」(蛇笏・石鼎・水巴・普羅)・「昭和俳壇」(前半の4S・新興俳句・人間探求派の時代と、後半の社会性俳句・前衛俳句・伝統俳句の時代)とはっきり我々の目にはその俳句シーンが浮かび上がる。それぞれの時代を感じさせる句があるが、しばらく昭和俳壇の句から例を掲げてみよう。
降る雪や明治は遠くなりにけり 草田男
死ねば野分け生きてゐしかば争へり 楸邨
六月の女すわれる荒莚 波郷
おそるべき君等の乳房夏来る 三鬼
水脈の果炎天の墓碑置きて去る 兜太
紺絣春月重く出でしかな 龍太
しかし平成俳壇はそれらと比べて、どれほど印象深いものとなるだろうか。我々には、平成俳壇卒業までにあと一年しか余裕がない、卒業試験を控えた学生の心境が浮かび上がってくる。あと一年余で、どれほど立派な成果が上がるというのだろうか。
例えば平成の風景メニューを並べてみよう。湾岸戦争、オウムサリン事件、9・11テロ、IT革命、政権交代、東日本大震災、孤老死、少子高齢化、等々であるが、これらの時代の匂いを残した俳句はちょっと思い浮かばない。総じて、昭和以上に暗いイメージが漂ってしまう気がする。
○宗教の時代
我々は、三〇年前を思い出すと、昭和天皇の崩御とそれに伴う即位のためのさまざまな儀式を思い出す。もちろん今回は崩御とは違うからその儀式の内容も違うが、あの時代のことを思い出すと、歌舞音曲禁止など非日常的な禁制が東京を覆っていた。今の若い人たちには予想もつかない時代だ。あのとき以来宗教の時代が訪れたような気がする。
実は、昭和はそれなりに合理性の時代であった。それに対し、平成に入ってからはスピリッチャリズムとかパワースポットとか都市伝説とか、少しずつ不可解な時代となっているようである。これこそが平成の特色だ。
アニミズムの流行もそうしたことに関係なくはなくはないようだ。アニミズムを非合理というと批判を受けそうだが、かつて古代日本全体がそういう時代を持っていたことは否定できない。シャーマンやイタコが跋扈していた時代だ。ならば平成俳壇はアニミズムの時代といってもよいかも知れない。
(中略)
小澤と中沢は、特に蛇笏にアニミズムの代表を見ているようだが、私は、数多くいる俳人の中では、原石鼎こそが最もそれにふさわしい作家ではないかと考えている。若くして吉野に隠棲して、神秘的体験を重ねつつ(自然に神を見ていた)、初期のホトトギスを代表する作家となったが、昭和となってからは精神を病み、最後は自ら神を名乗っている。一見、アニミズムは幸せな信仰のように思えるが、石鼎は決して幸福な作家でなかった。壁に向かって独語独白している老後の石鼎を描いた岩淵喜代子の著作(俳人協会評論賞受賞)は鬼気迫るものがある。神に囲まれた石鼎がなぜ不幸だったかはわからない。
一方アニミズムに一番遠いのは、合理主義に徹した鷹羽狩行ではないかと思う。その師の山口誓子も知性的であったが、『星恋』という星の句集を持っており、どこか神秘主義的な色彩もなくはない。鷹羽狩行こそアニミズムから最も遠いところにいる現代作家だと思う。そしてまた、数いる俳人の中でも最も幸福そうな作家(幸福そうな俳句を詠む作家)に見えるのである。
※詳しくは「俳句四季」4月号を
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