少し遅くなってしまったが、「円錐」と「街」がそれぞれ創刊二五周年、二〇周年を迎えている。全く対照的な思想で編集されている雑誌だ。今回はお祝いではなくて、これらの雑誌にふさわしい刺激的な記事を紹介したい。
●「街」(二〇一六年一〇月号)
今井聖の主宰する「街」が隔月ながら二〇周年を迎えた。特集「師系の内側と外側」を組み、鼎談「師匠の条件・弟子の条件・仲間の条件、あなたはどこにいる」:大串章・正木ゆう子・今井聖と評論(太田うさぎ・藤井あかり・堀田季何・北大路翼・黒岩徳将・西村麒麟・上田信治・阪西敦子・西原天気・高瀬祥子)が目玉である。
面白いのは、今井が評論執筆者に長文の依頼状を執筆し、記念号にそれを四頁にわたり併載していることだ。依頼された人たちの評論以上に「街」の渾身の主張となっている。ただその内容が問題である。今井は師選びへの関心を述べるが、師に対する若手の甘えた発言に疑問を呈している(ように見える)。そして、執筆依頼の5つのテーマを掲げる。
①効率的に俳人として立つ方法(今井はこれは皮肉だといっているが、眼光紙背に徹して読むと実は本気であることが分かる)
②あなたが師を見きる限界とは?
③師に求めるもの
④狡猾青年VS純粋老人(狡猾老人VS純粋青年でないところがシニカルである)
⑤結社否定の果てに見えるもの
③以外は逆説的な結社論であるが、一筋縄でいかないのは、執筆者は一応若い世代の人が多いが、今井の文章には若手に対する批判が溢れていることだ。「あざとい若手」「狡猾青年」「特急列車に乗りたい青年」等の片言隻句からもそれが受取れる。
これに対し評論執筆者も余り結社に忠実そうでない人が多く適材とは思えない回答もある(私や今井、正木のように結社の毒を身に沁みて知っている世代はいないようだから)が、「②あなたが師を見きる限界とは?」に答を寄せた今井の弟子であり俳壇期待の若手北大路翼が師(今井)を見切る理由を掲げているのが見物である。彼の言う師今井を見切る理由は、
①作句信条の宣言と自作との乖離
②行き過ぎた拡大解釈
③権威に阿ること
特に北大路は③で今井の俳人協会理事就任を嫌悪しているようだ。「アンタは今でも胸を張って体制に迎合していないといえるかい」と厳しい。しかし、それでも自分は今井を見切ることはないだろうという。それは言っているようにややヤクザの論理に似ているし、敗北の美学に酔っているところもあるようだ。
この師弟のやりとりは誠に見応えがあるが、師弟ともども俳壇に通用する平均的師弟ではないから余り参考にはならないかも知れない。それにしてもこうした特集を組む今井聖の脳構造に興味がある。嘗て「俳句総合誌8誌編集長に七つの質問」という特集を組み(二〇〇四年)編集長たちから総顰蹙を買ったことがある。今回の師系特集も良識ある主宰者たちから顰蹙を買いそうだ。しかし面白い。
(以下略)
※詳しくは「俳句四季」2月号をお読み下さい。
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