5.筑紫磐井から仮屋賢一へ(仮屋賢一←筑紫磐井)
the letter rom Bansei Tsukushi to Kenichi Kariya
お久しぶりです。
既に先行した堀下⇔筑紫対談で、「俳句は文学か否か」の議論があるのでそれと対比しながら考えてみたいと思います。仮屋さんの発言「藝術と呼べるものの範疇は大きいでしょう。こういう意味で、俳句もまた、藝術なのです。」は芸術の範囲を最大限に拡大しているので、おそらく「俳句は文学か否か」の議論と違って真正面からぶつかり合うことはないと思います。ただそれだけでは面白くないので、俳句は文学でないというような主張(第二芸術論)が出た背景を併せて考えてみたいと思います――文字にしてみたらこの主張は二つ意味があることに気付きました。俳句を芸術に入れてあげないといういじめっ子の論理と、俳句は芸術に入って上げないという芸術を見下すお金持ちの論理とですが、今は前者の論理と解釈しておきましょう――。
文学も芸術も、それが近代(啓蒙主義時代といった方が正確でしょうか)になって議論されるようになった頃には、分析的な議論が行われているようです。文学や芸術とは何かという理念の議論もさることながら、文学や芸術を構成する要素ジャンルが列挙され、それを念頭に入れて議論が行われているようです。百科全書派などがその代表でしょう、具体性のない理念の議論はあまり行われていないようです。問題は理念の違いもさることながら、その時代時代の要素ジャンルが異なっていることでしょう。カントやヘーゲルの時代の芸術のジャンルと、現代の芸術のジャンルが異なっていることです。構成するジャンルが異なってくれば、当然のことながら理念も変わります。私は、芸術観・文学観の違いは、ジャンルの違いではないかと思います。
東洋の場合はましてその違いが大きいでしょう。堀下さんの対談で取り上げた『文心彫龍』などになると、詩、楽府、賦、頌ぐらいまではいいですが、銘、誄、哀、史伝、諸子、論説、から始まり、詔、檄、表、奏に至ると芸術・文学の価値観がずいぶん違ってくることが分かります。ただそれが文学観(当時は個別ジャンルの名称はあったようですがそれを取りまとめる「文学」と言う概念は確立していなかったように思えます。おそらくそれは西欧においても同様でしょう。詩・悲劇は古く、文学・芸術は新しいのです)として正しいのかどうかは、よく分かりません。相対的なものだからです。
桑原武夫の「第二芸術」は、桑原武夫の考えていた具体的な芸術・文学ジャンルに俳句は入らないという説であり、当時の西洋近代芸術のジャンルと俳句というジャンルに共通性が少ないというものだったのでしょう。それはそれでが正しいものだろうと思います。問題は、芸術の範囲を広げて俳句が入るようにするのか、芸術を近代の理念で限定し俳句を排斥するかと言う態度であります。とはいえ明らかにどちらが間違っているというものでもないように思えます。
そうなると、問題は、いずれにしろ芸術や文学の側の問題と言うことになり、俳句の問題ではないということになります(ただ誰が芸術や文学の範囲を決めるのかよく分かりませんが。俳人もこの問題に投票権はあるのでしょうか)。確かにそうでしょう、芸術や文学が寛容になりさえすれば済むように思われます。
しかしここに一つ問題があります。芸術や文学が寛容になることがあっても、俳句が寛容になることがなければ一方通行になってしまうということです。現代俳句はどんどん不寛容になっているような気がします。俳句は有季定型であり、自由律俳句、無季俳句、川柳とはっきり異なると考える以上、芸術や文学がいかに寛容になっても、俳句が現に芸術や文学になっていく道は閉ざされているような気がしてなりません。伝統だから不寛容でよいというわけではないでしょう。むしろ伝統こそ、それが豊かになるためには寛容である必要があると思います。ですから仮屋さんの言説に、たった一言付け加えるとすれば、「こういう意味で、「寛容であれば」俳句もまた、藝術なのです。」となるのではないかと思えます。
話はやや飛躍しますが、常にそうした図式の中で考えて見る必要がありそうです。私は、俳句はダブルスタンダードが必要だと思います。選択肢が一つになった途端に衰退を始めるからです。前衛と伝統はともども競い合った時代が美しかったと思います。少なくともいろいろな個性が生まれたように思います。現代の俳句が(ジャンルとして)美しくないのはそうした不寛容にあると思います。
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ご説の「作者不在の藝術は存在し得ず、藝術は必ず作者の存在する作品でなければならないのです。」は堀下さんの投げかけた問いの一つですが、今回論ずるのは大変なので次に回すことといたしましょう。
6.仮屋賢一から筑紫磐井へ(筑紫磐井←仮屋賢一)
the Letter from Kenichi Kariya to Bansei Tsukushi
筑紫さまいまの俳句が寛容でない、ということ、そしてジャンルとして美しくないということ、とても興味深いお話です。直感的な意見を述べてゆくので、論の欠陥を指摘すればキリが無いとは思いますが、考えてみたいと思います。
現状の俳句の界隈に目を向けると、新たな俳句というものを模索し世に出そうとしている人はいますし、俳句は今でもますます多様になっていこうとしているようにも見えます。もちろん、多様性の成長のスピードは決して速いものではありませんが。しかしやはり、そう見えるだけなのでしょう。よく考えてみれば、却って俳句というジャンルは多様性を失い、幅の狭いものになっている。それは、ジャンルとしての俳句が、多様性を形成していた様々な要素を締め出しにかかっているから、というような印象を受けます。極論(というより暴言)にはなりますが、今でいうところの伝統俳句、自由律俳句、無季俳句、社会性俳句、その他様々なものを含んで、一つの「俳句」というジャンルを形成していたのが、いつの間にか伝統俳句以外が俳句というジャンルから締め出されてしまった。そんなイメージです。現実はそこまで極端ではないとは思いますが、新たに「◯◯俳句」と作り上げられたジャンルがあったとしたら、そのほとんどは、最初から自ら「俳句」と似て非なるものであると自負している嫌いがあるのかもしれません。
話が見えづらくなってきてしまいました。まとめれば、「俳句」というジャンルは自らどんどん狭くなってきていて、一方で「俳句」に近いところであらたにジャンルが立ち上がったとしても、はじめから「俳句」というジャンルの外での動きでしかないという傾向があるのではないかということです。「俳句」がますます不寛容になってゆくことで、「俳句」を寛容なものにできる可能性を持っている人ほど「俳句」の外に出てしまうという悪循環が出来上がっているような気さえいたします。
ジャンルとしての美しさはどこにあるのでしょうか。そのジャンルが今より広く成長する可能性と今より深く成長する可能性のどちらをも十分に秘めていることは、そのジャンルが美しいものであるための必要条件であると思います。そう考えれば、寛容でないことは、広さを制限してしまうことに直結しかねません。だから「俳句」はジャンルとして美しさを欠くことになってしまうのでしょう。
初回の喩え話を持ち出してくることにはなりますが、社会性俳句をヒップホップに喩えるものがありました。この喩えだと、「社会性俳句は俳句か」という問いと「ヒップホップは音楽か」という問いは(このような問いがどのくらい重要な問いであるのかどうかはさておき)お互い対応するでしょう。では果たして、俳句にとっての「社会性俳句は俳句か」と、音楽にとっての「ヒップホップは音楽か」とは、本当に同じようなものなのでしょうか。
音楽にとっての「ヒップホップは音楽か」という問い、個人個人が考えることについてはとても意味があることだとは思いますが、音楽というジャンルからしたら、この問いはどうでもよいものなのかもしれません。ヒップホップが音楽であろうがなかろうが、どっちでもいいのです。個人がそれぞれ、自分の考えに基づいて、好きに扱えばいいのであって、「音楽」というジャンルの立場からはこの問いに積極的に結論を打ち出そうとはしないでしょう。
俳句にとっても、「社会性俳句は俳句か」なんてどうでもいいはずなのです。個人個人が考えを持てばいいだけで、それを俳句だと思って追究してもいいし、俳句だと思えないから無視してもいい、あるいは俳句にしようと腐心してもよい。それくらいでいいはずなのです。この問いに対する議論をするのは、あくまで個人同士でよいはず。しかし現状は、もっと大きな単位でこの問いに対して議論をしている、そんな気がします。どこからどこまでが俳句なのか、という線引きを積極的にしようとしているのです。結局、筑紫さんの「俳句は有季定型であり、自由律俳句、無季俳句、川柳とはっきり異なると考える」というところでしょう。俳句は今でも、可能性を模索することよりも、自分の領分を確定させることのほうに目が向いているのでしょう。だから、寛容にもなれない。
アイデンティティの確立、という面で音楽と俳句を並べてしまうと、俳句にはだいぶハンディキャップがあるとは思うのですが、それでも、俳句はそんなに頑張らなくてもいいのにな、なんて思ってしまいます。もっとぐちゃぐちゃになって、それを俳句というジャンルは憂うことなく楽しんで見守ればよいのです。ジャンルとしての美しさは、そういったところ泥臭さや混沌といった、美しくないものを内包しているといったところから生まれてくるのではないでしょうか。
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