その九十四(朝日俳壇平成27年11月23日から)
◆種採つて夫との月日遺しゆく (高松市)白根純子
金子兜太の選である。「夫」なる存在の現在の状況が今一つ不透明であるが、ご夫妻の軌跡を「遺しゆく」行為に勤しんでおられる事は判明する。その手段として上五の「種採つて」があるのだ。季節の循環と共に植物の生命を次年に受け継ぐ行為だが、作者はそこに新たな意味を見出している。
◆どんぐりを等身大に描ける子よ (米子市)中村襄介
長谷川櫂の選である。評には「一席。好きなものは大きく描く。自由自在の子どもの世界。」と記されている。評にある「自由自在の子どもの世界」に同意する。ピカソは、「ゲルニカ」を描いて、ものの大小、配置の不確実性に一石を投じた。それは子どもの世界では当たり前のことであり、恐怖や怒りのみならず、加えて歓喜や楽しみの展開される世界観である。自由自在の子どもの表現の世界である。子供は「金持ち」ならぬ「時持ち」だ。時間をたくさん持っている人間は、自由になれる。
◆アーサーにエクスカリバー大根引 (香芝市)土井岳毅
長谷川櫂の選である。評には「四句目。エクスカリバーはアーサー王の剣。」と記されている。彼アーサー王はブリテン島の英雄だ。英雄には古来名馬と名剣(名刀)が付きものである。エクスカリバーは最近ではゲームのアイテムとしてお馴染みである。作者にとっての名刀は、どろ大根といったところか?大根を掲げて「名月赤城山」の一節を唸ってみせているのだろう。
◆狭庭にも小さき未来図種を採る (東京都)長谷川弥生
稲畑汀子の選である。評には「三句目。狭い庭にある作者の夢と心積もりが楽しい。」と記されている。こう詠まれると季題「種を採る」は何とポジティヴな意味を含有していることか!、判る。「狭庭」の謙遜も、「狭庭」と「小さき」の重複も、僅かだが作句の狙いを剥き出しにしている感がある。
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