7年ぶりに攝津幸彦賞を募集したところ、所定期間内に17点の俳句作品、1点の短歌作品、1点の評論が応募された。「豈」誌上以外ではブログやインターネットに頼って必ずしも十分な告知が出来たとは言えないにもかかわらず、短期間に、俳句であれば50句という大量の作品に応募していただき、まず感謝申し上げる。
私としては、①「獣の尾」(佐藤成之)、②「乖離集(原典)」(花尻万博)、③「無題」(鈴木瑞恵)④「出アバラヤ記」(小津夜景)の4作品を優秀作品候補に推した。
①は詠むべき内容を持つとともにそれにふさわしい表現が選ばれている点をかった。ただし難を言えば、この作者にしてみれば平均点的な作品といえなくもないところがある。②は各章各章が極めて構成力に富んでいる。誰でも出来る事というかも知れないが、まだやっていないことはそれだけで貴重だ。その若々しい意欲を買った。③は少し穏やかすぎて不満もあるが、口語俳句をよく咀嚼していて嫌味がない。④は前書きが傑出している、前書きも文学である。前書きに俳句が追いつかない点も見受けたが、②以上に全体の構想力に感心した。
結果的には、選考委員全員の合意で花尻万博②が正賞に、鈴木瑞恵③・小津夜景④が準賞に選ばれた。佳作も発表されるが、見て分かる通り相当の水準の作品が寄せられたと言うことであり喜ばしい。またこれが俳句だという常識を裏切る作品が多数応募されたことも攝津幸彦記念賞という賞を設けた甲斐がある。
なお入賞は逸したものの、佐藤の他に、しなだしん「薄明の海」、山田露結「アラッバプー族の場合」、望月士郎の「海市元町3-1」、山本敏倖の「一瞬記」、夏木久「脳裏に抽斗を落とすこと、など」には高点が集まった。
* *
以下、入選作品について私の感想を述べたい。
○準賞の「無題」(鈴木瑞恵)は上の総評で述べた通りであるが、
一月一日原発の風下に入る
地面がゆれた日のゆれた水をのむ
哲学に似てまっしろな鳥の気持ち
手を振って曲がってゆく六月は水
にその特徴が出ているだろう。
○同じく準賞の「出アバラヤ記」(小津夜景)は作品については様々な傾向が混じっており、
一夜官女の柩をまたぎ淋(そそ)ぐ尿(しと)
閑居初夏開魂匣愛撫哉(かんきょしょかたまばこひらくあいぶかな)
などを面白く感じたが、何と言っても前書きで、
霞の中のこの庭は、決して混沌の空間ではない。だがそこはいまだ、純白であるべき天がほの暗い精神でしかなく、漆黒であるべき地がうす明るい現象にすぎない。また霞の裏に棲むそれ(傍点付き)はといへば、私の視線をすりぬけるばかりの、さう、まるで幽霊のやうな人非人(ひとでなし)。などまことに快調であり、俳句前書き史上傑作と言うに恥じない。それに引き替えこの前書きのついた句、
《アウロラよあらむとすらむ遠(をち)の地を烽火(のろし)の果てに見棄てたまへよ》
おぼろづきゝらめく笑ひゝとでなし
のしりとり型は悪くはないが前書きに比して少し懲りすぎて大人しいようだ。
○正賞の「乖離集(原典)」(花尻万博)は
一、未番抄(筑紫注:三行書き俳句を前書きとして)
二、概言抄(筑紫注:抽象的概念を「として」で結ぶ前書き)
三、異聞抄(筑紫注:攝津幸彦句を前書きとして)
四、略標抄(筑紫注:熊野の道標を前書きとして)
五、戯波抄(筑紫注:攝津幸彦の鯨の二句に捕鯨関係の古文書を分解した前書きを付する鯨作品)
から構成され、注目した作品は、
備長炭密かに熟るる 有音なり(未番抄)
磯菊の喃語輝く祝ひかな(概言抄)
愛語とは共鳴(ひび)き始めの狂ひ花(異聞抄)
桶倦みて小さき鯨棲ますかな(戯波抄)
鯨召し上がりし漫ろ言とか空酔とか(戯波抄)
で、比較的穏やかな句だが、前書きと共鳴しあって全体が有機的作品として生きている。特に圧巻は「戯波抄」で、「慶長十一年和田忠兵衛頼元が泉州堺の浪人伊右衛門と尾州知多郡師埼の伝次二人をかたらひて太地村(今の和歌山県太地町)にて鯨突きを始める」という文書を分解して前書きに配し、不即不離の作品世界を展開しているのはみごとだ。再度言うが、前書き(前書き付き俳句ではない)は文学なのである。
以上登場された作家、あるいは、惜しくも佳作にとどまった作家、また今回応募していただいた作家の新たな展開を期待して結びとしたい。
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