2018年9月28日金曜日

【抜粋】〈「俳句四季」10月号〉俳壇観測189 盛夏の語り部たち――大久保白村と江里昭彦 筑紫磐井


(前略)
●江里昭彦氏の「ジャム・セッション」
 戦争とは関係ない、戦後の事件である。
 平成一一年に起こったオウムサリン事件は一三人の死刑が確定し、この七月六日に七人の、二六日に六人の死刑が執行された。このうち最初に死刑執行された七人の中の一人、中川智正死刑囚は、江里昭彦氏の刊行する雑誌「ジャム・セッション」に俳句作品や文章を発表していた。
 七月三一日に刊行された第一三号には、恐らく中川最後と思われる作品と文章が掲載されている。編集作業が終了した段階では中川の死刑が執行されていなかったので、この雑誌も通常号として編集されている。
 この雑誌で驚くのは、「私をとりまく世界について」という中川の連載で、身辺記事から始まり、事件の経緯まで驚くほど詳細に語られている点である。本号では麻原の生活が余すことなく描かれている。また、前の号では毒ガスを使った経験者として、金正男VXガス暗殺事件のためにマレーシア警察から意見聴取を受けているがその詳細についても書かれている。刑務所の、特に死刑囚の管理の厳しさを予想されている向きには驚く程自由な書きぶりに驚かされるのである。事件の異常さに加えて、それに対する当事者の考えが伺えるという意味で、この雑誌は稀な雑誌と言うことができるだろう。
 ちなみに、この号に掲げてある中川の作品は次のような句である。

      金子兜太氏の逝去に二句
春荒の秩父や今日は花買う日
おほかみは兜太の森に眠りけり
広島や蛇の蛻の目のドーム
沈みつつまた獄窓の春の月


 冒頭の二句にあるように中川は兜太に大きな関心を持っていた。
 本号後書きで江里昭彦氏は(ちょうど二月になくなった)兜太追悼記事を書いているが、その末尾に「ジャム・セッション」が新聞に紹介されたときに兜太が中川の句を評してくれた顛末を記している。兜太は、中川の句を、青年期を詠んだ句は澄み、柔軟な感性を感じるが、事件後の自分を読んだ句は硬い、と述べている。概ね的確な評であろう。それを中川は非常に喜んでいたという。
 雑誌「ジャム・セッション」に同封した別紙で江里氏は、本号は通常号であり、今後二号(なぜなら本誌は年二回刊)出した後の来年七月六日の中川の祥月命日を以て「ジャム・セッション」を終刊(一五号)すると宣言している。まさに中川とともにあった雑誌として歴史に残るであろう。

※詳しくは「俳句四季」10月号をお読み下さい。

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