2017年10月6日金曜日

【西村麒麟・北斗賞受賞作を読む12】金沢のこと菊のこと  福田若之



バフィ: あんたはうちらが置かれている状況を何だと思ってるの、ホラー映画にでも出てるつもり?
一同: アハハハ……!
シンディ: マジそれ。で、もしそうだったらさ、あたしの役にはジェニファー・ラブ・「デカパイHuge-tits」みたいなバカがキャスティングされるんだろうねきっと。
グレッグ: そうそう。俺たちの役はみんな、二十代後半とか、三十代前半の奴らが演らされる。 一同: アハハハハハ……!
(キーネン・アイヴォリー・ウェイアンズ監督、『最終絶叫計画』、アメリカ、2000年。文中の「デカパイHuge-tits」は、1997年に28歳で『ラストサマー』の主役の女子高生を演じたジェニファー・ラブ・ヒューイットJennifer Love Hewittのファミリー・ネームのもじり)

と、まあ、こんなふうにホラー映画のパロディ映画の主人公である彼らは笑ってみせるけれど、実際、二十代の後半から三十代の前半にあたるひとびとにあっては、自らの学生時代の思い出の情景が、若づくりした自分たちのいまさらの演技を撮った映画のようにして思い出されてしまうことがないだろうか。

西村麒麟『思ひ出帳』は、そのタイトルどおり、ひとつの思い出から始まる。

月下美人学生服のまま見たり

学生服という記号は、「たり」という過去の助動詞のはたらきによって、即座に思い出として理解される。見たことの思い出。「学生服のまま」という表現には、まるで、もはや学生ではなくなってしまった自分が、そのままの身体で学生時代の思い出のなかへ入ってその当時の自分を演じているかのような不思議さがある。あのころ、自分はまだ学生服を着ていた。学生服のままだった。いま、自分はそれを思い返して、あのころの学生服のまま、いまのこの身体で、もういちどあの月下美人を見てしまったかのようだ。自分は過去の自分を見ている。と同時に、過去の自分として、見られている。こうして、はじまりの一句が作品全体のテーマを導き出す。この作品においては、見ることや見られることがくりかえし意識されるのだ。そのこと自体は、すでに大塚凱「北斗賞 150句」久留島元「麒麟の目」において指摘されていることではあるが、後述するように、僕としては、これを時間の問題に結びつけて考えてみたいと思うのである。

それに先立って、まずは、見られるほうの側からいくつかの句を見ておこう。

喘息の我を見てゐる竹夫人

文鳥に覗かれてゐる花疲れ

こんなふうに、「我」は竹夫人に見られたり、文鳥に覗かれたりする。あらぬものに見られるという感じが、思い出の印象を鮮明なものにしているのだろう。だが、見られるということがはっきりと言われるのは、実のところ、「我」についてではない。

角隠し松の手入に見られつつ

角隠しということは、婚姻の場面だろう。式が執りおこなわれているその神社の境内で、庭師が、松の手入れの仕事のさなかに、自分とは縁のない花嫁のことを見ているのだろうか。すでに引用した「思ひ出帳」のはじまりの句で、見られていたのは月下美人の花だった。その名は、やはり女性を思わせる。男性的な主体が女性的な客体に一方的な視線を注ぐという典型的な構図は、この「思ひ出帳」においてもやはりある程度まで機能しているといわざるをえない。だが、この典型的な構図に混乱を引き起こす一句が、すでに引用した竹夫人の句なのだった。そこでは、ひとがものを見るという構図が転覆されると同時に、視線をめぐる男性と女性の典型的な主客関係が逆転されているのである。

それでは、見ることに話を移そう。しかし、見ることは、すでに大塚凱がそのことを指摘しているとおり、この「思ひ出帳」にあっては必ずしも意図的なことではない。

日射病畝だけ見えてゐたりけり

冬の日や東寺がいつも端に見え

火が見えてそこに主や花の寺

これらの句において起こっていること、それは、見えてから、自分がそれを見ていたことに気づくということだ。要するに、ここには見えることに対する気づくことの遅れがある。だから、見ることは時間的なことがらなのだ。したがって、それは同時に暇というものにも関わっている。

盆棚の桃をうすうす見てゐたり

帰省先の盆棚だろうか、そこに供えられた桃を、うすうす見ている。この暇そのものに、見ることは関わっているのである。

あやめ咲く和服の人と沼を見て

秋風や一日湖を好きに見て

和服の人と見る沼と、ひとりで見る湖との違いは、結局のところ、それを「好きに」見ることができるかどうかなのだろう。視覚の自由は、一日という時間をどうするかの自由にそのまま関わっているのだ。次の句において春の日が詠嘆されるのは、鯉を見ることによってそれが謳歌されているからなのだろう。

春の日や古木の如き鯉を見て

見られるものとしての鯉は、この一句のなかで、古木のように年老いる。それは、次の句に描かれているように、見る主体にあっても同じことだ。

蟷螂枯る草木の露を見上げつつ

草木の露を見上げながら、蟷螂はそのうちに枯れてしまう。露というモチーフが伝統的なものとして想起させるはかなさもまた、この枯れのイメージと無縁ではないのだろう。この「思ひ出帳」において、見ることは、はかないもののはかなさを見てしまうことであり、そのはかなさのなかで自ら衰えていくことでもあるのだ。ふたたび月下美人の花を思い起こそう。それは、夕暮れにひらき、夜明けにはしぼんでしまうはかない花である。書き手は、そうした花のはかなさを、「学生服のまま」というあの回想のさなかにおいて、自らのものとして引き受ける。竹夫人の句における見る主体と見られる客体の反転によって引き起こされた混乱は、実に、このことに関わっている。そのようにして、見ることは、自らの過去がすでに過去であるということの確認に、そのまま通じているのである。

だが、それだけだろうか。違うのだ。「思ひ出帳」において、見ることの時間的なひろがりは、はかなさの自覚とともに、ある不気味な錯覚をもたらすものとして捉えられている。たとえば、次の二句を見てみよう。

秋の昼石が山河に見えるまで

天牛の巨大に見えてきて離す

そう、見ることは対象が巨大化する錯覚を引き起こすのだ。そして、大きすぎる対象は、目によってはもはや捉えることが不可能になる。

目が回るほどに大きな黄菊かな

大きすぎる対象には、目が回ってしまう。だから、そのあふれんばかりの大きさと色彩をもってそれを捉え、かつ捉えそこねながら、あとは詠嘆するほかはないのである。

それにしても、ここで視覚を超越するものとして、なぜ菊のことが語られるのだろうか。麒麟は、彼がウェブマガジン『スピカ』誌上に連載している「きりんのへや」の三百回記念の際に、「好きな百句」のうちの一句として、田中裕明の《渚にて金沢のこと菊のこと》を挙げている。金沢という地名は、「思ひ出帳」のなかに二度書きこまれているのだが、それはいずれも、見ることに関わってのことである。

金沢の雪解け水を見て帰る

金沢の見るべきは見て燗熱し

「思ひ出帳」における金沢は、このとおり、実に視覚的な対象として捉えられている。地名に言及しながら見ることを語っている句としては、ほかにも《栃木かな春の焚火を七つ見て》があるが、栃木の名が書かれるのが一度だけであるのに対して金沢は繰り返し言及されており、さらに、「見るべきは見て」という視覚による全容の把握を思わせる叙述があることからも、やはり特別に視覚的な対象として語られていると考えてよいだろう。裕明の句の渚で語られたふたつのことがらが、「思ひ出帳」においては、見ることの可能性とその限界として立ち現れているのである。

ところで、「金」の一字は、この「思ひ出帳」にあって、「金沢」のほかにはある一語を記すためにしか用いられていない。その一語というのは、「金魚」である。金魚は、まず、次のとおり、見られる対象として立ち現れる。

妻留守の半日ほどや金魚玉

ここでも暇が見ることに関わっている。金魚は、まるで妻の不在を埋め合わせるかのように、見られる対象としてそこにいる。

秋の金魚秋の目高とゐたりけり

金魚は目高とともにある。目高。その目。見るもの。見られるものと見るものは、ひとつの水のなかで暮らしているのである。

そして、「思ひ出帳」は次の三句をもって結びとしている。

少しづつ人を愛する金魚かな

墓石は金魚の墓に重からん

金魚死後だらだらとある暑さかな

いまや、なぜ「思ひ出帳」の結末部分が金魚の死の描写にあてられたのかは明らかだろう。金沢と同様に見られる対象であったはずの金魚は、書き手の見る行為の果てに、少しずつ人を愛するようになって、見る主体と見られる客体の混乱を引き起こすようになる。それと同時に、金魚は、石の山河化や菊の巨大化によって暗示されていた、見ることの限界に到達してしまう。それこそが、膨れあがるはかなさの極限としての計り知れないもの、すなわち、死だったのだ。重たげな墓石は、芭蕉が『おくのほそ道』の旅の途中に金沢で詠んだ《塚も動け我泣声ハ秋の風》を思わせるものでもあるが、それがいまや金魚の姿を隠してしまう。

こうして、あとには暑さが残るばかりなのだ。見ることの喪のために。したがって、この暑さをただひたすらに詠嘆しつくしながら、言葉をかぎりなく失いながら、ここで「思ひ出帳」は閉じられなければならない。西村麒麟という書き手は、きっと、ここから、この思い出を越えてゆくのだろう。

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