2017年10月27日金曜日

【抜粋】〈「俳句四季」11月号〉俳壇観測178/二十四節気が世界遺産になった! ――「俳句」に先がけて「二十四節気」が無形文化遺産に登録/筑紫磐井



世界遺産とは何か
 俳人にとって重要であるが、余り知られていないニュースを紹介しよう。
 旧暦の時代から使われ、季語としても俳人に馴染みの深い「二十四節気」(「立春」や「啓蟄」、「秋分」など)がUNESCOの世界遺産となった。二十四節気は伝統的な歳時記の基準となっているものであり、これがなければ歳時記は成り立たない。春は、「立春」から始まり、秋は「立秋」から始まるのだ。こうしたローカルと思っていたものが世界遺産となるのだから一寸した驚きだ。
 もちろん世界遺産といっても幾つか種類があり、「世界の文化遺産および自然遺産の保護に関する条約」(世界遺産条約)に基づく世界遺産(world heritage)と、「無形文化遺産の保護に関する条約」に基づく無形文化遺産(Intangible Cultural Heritage)であるが、今回の場合は後者に当たる。これは、民族文化財、フォークロア、口承伝統などの無形文化財を保護対象とした事業の一つである。有馬朗人氏が熱心に推進している「俳句を世界遺産に」もこれに当たる(これについては、「鬣」八月号、「俳句界」九月号が特集を行っているので参照されたい)。
 そもそも「二十四節気」が最近話題となったのは、二〇一一年に日本気象協会小林堅吾理事長が「二十四節気は、古代中国で成立したものであり、現代の日本の季節感に合致しない」という理由で新しい二十四節気を協会が制定したいという意向を表明したことによる。協会はこのため「日本版二十四節気委員会」(暦の会会長岡田芳朗、俳人長谷川櫂氏らが委員)を設置し、検討準備したが、片山由美子、本井英、櫂未知子、筑紫らによる反対が唱えられ、毎日新聞によれば、「一般からも電話がかかるなど批判が殺到」(二〇一二年九月二七日)した結果、この提案は撤回された(経緯は拙著『季語は生きている』第三部「二十四節気論争」に詳しい)。
 もし、日本気象協会の「日本版二十四節気」ができあがっていたら、いまごろ国際的にも日本はかなり恥ずかしい思いをしたのではないかと思われる。

無形文化遺産・二十四節気の思想
 どのような経緯で、二十四節気が世界遺産になったのだろうか。この登録の主体は中華人民共和国である。これは致し方ないかもしれない。永年にわたる準備行為があったらしいが、政府間委員会決定(二〇一六年一一月二八日~一二月二日会合11.COM 10.B.6。)で「二十四節気:太陽の年間活動の観測により開発された時間と実践に関する中国の知識(The Twenty-Four Solar Terms, knowledge in China of time and practices developed through observation of the sun’s annual motion)」が登録となった(すべてを含め「代表一覧表」と呼ぶ)。
 何分詳細は分からないが、「日本版二十四節気」に反対した俳人側として、この経緯を眺めてみると、反省すべき点もいくつかある。
 一つは彼らの主張に、「グレゴリオ暦に統合されたことで、それはコミュニティによって広く使われ、中国の多くの民族によって共有されている」「様々な機能は、無形文化遺産の一形態としての生存能力を高め、コミュニティの文化的アイデンティティーへの貢献を維持している。これら知識は、公式および非公式の教育手段を通じて伝えられる」と述べていることである。単に古いから残すというものでなくて、近・現代の技術と融合させ、それが国民に浸透して行く必要があるというのは、「伝統」が生き残る必須要件であるように思う。さらにこの登録は、「日本版二十四節気」の主張が一財団法人である日本気象協会が提案したのと違い、中華人民共和国文化省、中国無形文化遺産保護センター、中国農業博物館の支援があった。特に農業部門の存在が大きいようだ。
 また、その歴史的・思想的な扱いについても配慮が払われ、「人々の思考や行動規範に深く影響を与え、中国の文化的アイデンティティと結束の重要な担い手である伝統的な中国の暦の一部である。中国社会の持続可能な農業発展と調和のとれた全体的な成長を保証するために、日常生活と共同祝賀行事の時間枠を提供するため、中国人の社会的文化的生活に欠かせない役割を果たす。」と述べているのは深く考えさせられる。反対の運動をしていたときも、ここまでの文化的浸透度を考えていたかどうかはやや心許ない。
 (下略)

※詳しくは「俳句四季」11月号をご覧ください。


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