小諸の二泊三日
本井英が発起人となってはじめた「こもろ・日盛俳句祭」が今年で第八回目を迎えた。
いつのころからか「俳句の林間学校」と愛称をつけているが、まさに俳壇の恒例行事となってきた。きっかけは、高浜虚子が子規の没後碧梧桐と競い合ったとき、碧梧桐が俳三昧という鍛錬会を開いた(明治三七年秋)のに対し、これに対立して俳諧散心という勉強会を開いた(明治三九年三月から四〇年一月まで毎週月曜)。特に第二回目のそれは八月中に連日開いたことから日盛会と呼ばれた。本井の初めの企画は逗子の本井宅で連日行われたが、その後三日に限り、特に高浜虚子が戦中戦後疎開した小諸に場所を移して行っているものだ。小諸市の全面的な支援を受けて町おこしの行事となっている。もうすぐ一〇回目を迎えるわけで、地方の俳句事業として全く定着したのは立派である。
超結社の参加が特色で、本井の人柄もあり、きっかけは虚子であっても伝統・前衛に関係なく参加者がふえている。いくつもの句会場に分かれ句会・吟行が行われており、追加の企画として、著名俳人・文化人の講演とシンポジウム、懇親会が開かれる。今年は日本文学の研究家の久保田淳氏の講演と、「俳句と地名」のテーマで中堅作家によるシンポジウムが行われた。
今年は七月二九日から三一日まで開催された。特色はシンポジウムで、藺草慶子・窪田英治・高田正子・行方克己がパネラーとなったが、パネラーがしゃべりまくるシンポジウムを反省し、会場の参加者が発言して盛り上がりを見せた。多分、それまでの、季語や字余りなどはパネラーの強い思い入れがいい方にも悪い方にも働き、聞き手が承るシンポジウムになってしまったのが、今回のテーマはそれが少なかったようだ。
地名俳句と言っても、芭蕉や虚子の地名俳句ではなく、各パネラー・発言者の地名俳句を掲げ、自身の問題として語らせた。文末に各人の掲げた地名俳句を載せてみたが、各人難渋したようである。自分の代表句や季語に関わる句を求められれば簡単にあげられても、地名俳句はなかなか出てこないというのも意外であった。
とつぜん言われても困ると司会者は厳しく叱責を受けていたし、正直な横澤放川は地名の名句があると言いながら結局最後まで思い出せなかったようだ。また、高田正子のように長い俳人生活の中である時点から急に地名俳句が多くなった作家もいるし、島田牙城のように地名俳句はないと言いながら句集を点検したらざくざくと地名俳句が出てきたりしたという人もいた。
また、地名を略称することはどこまで許されるか(以下の例で言えば、窪田の「千曲川(ちくま)」のような例)のような議論も起こった。
シナリオを予想したシンポジウムとは違って、今回は予想のつかないところが面白かった。
藺草慶子
叡山やみるみる上がる盆の月
貴船口まで冬山の芳しく
窪田英治
木曽道の石みな仏夏深む
青胡桃千曲川(ちくま)十里は雨の中
高田正子
禅寺丸柿の原木の木守柿
狐火や王子二丁目の角曲り
行方克己
ふるさとは道の八街麦の秋
権之助坂の往き来に柳散る
本井英
小田急が湯元出てゆく秋の暮
中西夕紀
東京は地下も秋澄む人の声
新宿や重層の囲を蜘蛛たちも
島田牙城
浅間山いな初秋の妻の膝
仲寒蝉
熱帯魚サマルカンドを悠々と
二百十日山の裏にて東京都
伊藤伊那男
京の路地一つ魔界へ夕薄暑
長峰千晶
逞しき炎暑の雲を浅間山
冬ざるる人間くさきパリの壁
(以下略)
※詳しくは「俳句四季」10月号をお読み下さい。
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