2016年5月6日金曜日

抜粋「俳句四季」5月号 <座談会・最近の名句集を探る>より  ①稲畑廣太郎句集『玉箒』



5月号は、齋藤愼爾×浅沼璞×大高翔×(司会)筑紫磐井による座談会である。この座談会で取り上げられた作品を一部抄録する。


<稲畑廣太郎句集『玉箒』>


筑紫:(中略)この句集を読んで思ったことは、第一句集に比べて格段に進化したな、ということです。思うに、俳句にはだめになる才能はあるけれど、良くなる才能って滅多にない。廣太郎さんはそのめったにないタイプではないかと思います。俳句には環境が一番大事なのかもしれないと今回の句集を読んで思いました。

特徴的な事から言うと、遊んでいる句が多いですね。これは「ホトトギス」共通の特徴かもしれませんが、例えば「馬券飛ぶとぶ春雨を纏ひつつ」「アニミズムには朧夜がよく似合ふ」「秋の蚊を払ふ越後美人の所作」。

ただ「紅葉して京はんなりとしてきはる」。ここまでいくとちょっとやり過ぎのような気がします。特にどうかなと思ったのは、帯の句、

身に入みて未来を拓く覚悟かな

浅沼 標語みたいですよね。

筑紫 この句、「ホトトギス」の主宰承継のお祝いとしてお弟子さんたちに配る分にはいいけれど句集に入れるのはどうかと思います。

ただこの句集全体としては、俳諧らしいシニカルな句も見られました。例えば「その日よりアメリカは友花水木」なんて時勢を詠んだ句もあり、「蟬鳴いてないて余生を減らしゆく」は高齢化社会を思わせる句です。「蔦の下選手うなだれファン罵声」。如何にも甲子園球場でありそうな風景ですね。
「子規虚子といふ冷やかな師弟かな」。これは私がイメージする子規、虚子と非常に通うところがありました。「ホトトギス」主宰がこう言う句を詠むのかと意外に思いました。時代に即した句で、「冴返る別人といふ作曲家」。

その他の句で「赤く白く青く消えゆく雪女」こういう詠み方は面白いですね。やや月並風ですが「駅で買ひ宿に失せたる時雨傘」。

私自身が以前詠んだことがないかしらと思うような句がいくつかありました。「買初に君の性格見てしまふ」。意地の悪い見方が私の句みたいです。「芋を食ひ短詩型文学を詠む」もそうですね。

最初に、第一句集の時から格段に進化したといいましたが、俳句がよくなる絶対条件として、乱作、多作があるのではないかと思いました。それからあらゆる批判を無視する心の強さ、このしたたかさが俳句を向上させることにつながるのではないかと言う気がしました。通俗的な俳句は一般によくないと思われているけれども、通俗的な俳句もたくさん詠んでいるうちに光り出す事もある。さっきあげた句の中にはそういう句がいくつかあったと思います。

虚子と言う曾祖父がいて、先代、先々代の「ホトトギス」の主宰がいて、息詰まような環境にいながらけなげに育っている人ではないかなと思います。





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