107. 花火嗅ぎ父を嗅ぎ勝つ今夜かな
<花火>が登場するにもかかわらず、暗く重い。
暗く暑く大群衆と花火待つ 三鬼
花火の夜暗くやさしき肌つかひ 敏雄 (56)
しらじらと消ゆ大いなる花火の血 (57)
三鬼の花火の暗さにも通じるものがあるが、不気味な印象が残る。
<嗅ぎ勝つ>がなんとも生々しい。「花火」のきな臭さを「嗅ぐ」という行為で表現し、夜と相場が決まっている「花火」をあえて「今夜」とし、それによって決行を暗示する気配を増長させ事件性を思わせわせる。さらにその「今夜」を詠嘆の「かな」で詠いあげる…俳句という短詩で何ができるかという思案の決行を思わせる一句なのか。母を抱いた男、父の存在に対する決戦の花火…次々に打ち揚げられる花火を背景にドラマを想像する。
「父」という血族の家長の存在、あるいは、偉大なる存在の総称、その父を嗅ぐ。「父」、および隠喩ともとれる<父>という気配を嗅ぎ、そして、それに「勝つ」。青年から大人になる自己形成、いわば精神的割礼儀式が、「今夜」という確定された夜に決行される自己の感慨を思わせる。
父殺しの物語としてギリシャの有名な古代劇『オイディプス王』がある。男児が、母親を確保しようと強い感情を抱き、父親に対して強い対抗心を抱く心理状態を指すフロイトが提唱したエディプス・コンプレックス(女児に対してはユングがエクストラコンプレックスを提唱)の語源ともなる物語。あまりにもこの句に背景となるものが近い。
『オイディプス王』に則して句を読み進めてみると、その先には、アリストテレスの『詩学』、そしてギリシャ哲学の崇高な謎解き、暗示に辿り着く。読解のひとつの手がかりとしてそれに準えて読むことができる。
掲句が『オイディプス王』に準えた作りというのならば、敏雄は、悲劇という劇場を俳句に持ち込んだことになる。運命に抗することをせず、その運命に立ち向かうこと、それを「崇高」だと歴史が証明するのであれば、「俳句」という一行詩が、歴史に証明された読み継がれる詩になるということでもある。
敏雄は新興俳句弾圧により多くの先師が拘束された現場を目の当りにした。そして、戦場での多くの人の死により世の不条理を見て来た。戦争を挟み、前妻との別離、数々の運命の不条理に翻弄されてきたことだろう。『オイディプス王』イオカステのセリフ「恐れてみたとて人間の身に、何をどうすることができましょう。人間には、運命の支配がすべて。(岩波版『オイディプス王』)」この物語には、運命には逆らえないという一つの結論がある。それでも日々は刻々と過ぎてゆく。その日常を淡々と生きる敏雄自身の姿勢とだぶって見えて来る。<日にいちど入る日は沈み信天翁>に見るように、人生哲学的な句としてみることができる。 崇高さがみえる父の句が『真神』に収録されていることも確かだ。
上掲句は『真神』に登場する父の句の最後にあたる。
野を蹴って三尺高し父の琵琶歌 (48>読む)
水赤き捨井を父を継ぎ絶やす (50>読む)
父はひとり麓の水に湯をうめる (80>読む)
父はまた雪より早く出立ちぬ (86>読む)
馬強き野山のむかし散る父ら (87>読む)
さし湯して永久(とは)に父なる肉醤 (95>読む)
少年老い諸手ざはりに夜の父 (104>読む)
花火嗅ぎ父を嗅ぎ勝つ今夜かな
続けざまに花火の打ちあがる音と火薬の匂い、花火という球体に自己の感情の核があり、それが火薬とともに爆破し、その匂いが暗がりに広がる。父という存在は青年にとって越えられない高見の存在であることが現れている。ただしそれは昭和の終わりごろまでで、あったように思う。
『真神』1974年(昭和49年)刊行の六年後、父親像の崩壊として記憶に残る事件<金属バット殺人事件>は1980(昭和55)年に起きているので、この句は社会への暗示とも言えることができるのだ。
一連の父の句、それは重信の父の句とともに、昭和の終わりを<近代の終わり>とする暗示の句と思えてくる。それが敏雄の詩学であるかのように。冒頭の<昭和衰え馬の音する夕かな>に戻り、近代は、この句のように「今夜」で終わった、という暗示であるかのようにどこまでも不気味なスパイラルが起こる句である。
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