角川『俳句』2015年1月号に「俳人230名が選ぶ! 注目の若手俳人21」という企画が出ている。40歳以下の作家21人がそれぞれ7句を寄せている。その中で昨年津川絵理子とともに「南風」の主宰となった村上鞆彦の一句が気になった。「枯野の木」と題された七句中の表題句である。
枯野の木寄れば桜でありにけり 村上鞆彦
「枯野の木」が「枯木」「寒木」のようなものと同一であるか、といった疑問からこの句は始まる。あるいは「桜」はいわゆる「寒桜」と呼ばれるもののように花をつけているのか、という点でもよい。どちらにせよ疑問を持つことからしか始まらないこの句は、つまり、ひどく逡巡しているのだと思う。「寄れば桜でありにけり」という構造自体が作者に依存している。「桜であると分かった」という事実は「桜であった」へと置換される。寄る前の木は作者にとって桜ではない、という危うさがここにはある。已然形+「ば」の形で叙されるこの句は、もちろん単純接続として、シンプルに視点が接近するショットでありつつ、一方でまた、寄ったので桜であった、という順接の確定条件として受け取られうるのだ。寄る前から桜だったよ、それは。殺伐とした土地で殺伐とした桜に出会ったことに対する困惑は、一句を立ち上げる言葉そのものの逡巡によって体現されている。
一番の問題は、でありにけり、だ。「である」という断定は古語でいう「なり」に相当するものである。あくまで文語脈に忠実であるのであれば、「なり」の連用形「に」に「あり」「に」「けり」を接続させて「にありにけり」とすればよかった。場所を指示する格助詞のようで違和感があるかもしれないけれど、佐木隆三の小説『復讐するは我にあり』の「にあり」だ。
筆者が考えているのは、だから村上の句はおかしい、ということではない。〈枯野の木寄れば桜でありにけり〉は、「でありにけり」と書かれてしまったという事実抜きにしてはすでに読まれ得ない。村上の驚きはつまり、「でありにけり」という言葉によってこそ回収された、そう思うのだ。われわれが考えている「にありにけり」と「でありにけり」とは互いにまったく異質な構造をしているのかもしれない。「にありにけり」は「に」+「あり」+「に」+「けり」であったけれど、一方で「でありにけり」はひとまず「である」が塊としてあったのではないか。「である」に対応する「なり」はそもそも格助詞「に」とラ変動詞「あり」が接続して縮まったものだったけれど、「である」には明確に含まれている「ある」という言葉が「なり」にはない。「ある」ことが暗示する「である」ことの存在感。のっぺりとした、しかし確信じみた感じが「である」ことにはある。もちろん「にありにけり」にも「ある」は含まれているのだけれど、何にも先んずる「である」ことのたしかさをわれわれは知っている。
「でありにけり」を、この句に限らず、時々見る。手近の句集から拾ってみたところでは、
冬帽子まつすぐな眼でありにけり 石田郷子『秋の顔』
息かけて冬の木立でありにけり 大木あまり『火球』
夏痩の大きな顔でありにけり 津川絵理子『和音』
黄落のさしづめ妻でありにけり 島田牙城『誤植』
轢かれたる朴の落葉でありにけり 岸本尚毅『舜』
時雨僧高き位でありにけり 田中裕明『先生から手紙』
など。いったいこんな言い方をしてもいいのだろうかといつも思う。「にけり」がすでに古代語に見られるのに対して「である」はごく新しい言葉である。山本正秀『近代文体発生の史的研究』(1965年/岩波書店)によれば、
にてあり→にてある→である→であ→ぢゃ(じゃ)→や
→だ
といった変化の中で「である」は生まれている。この変化はすべてだいたい室町時代に行われた。この時代における断定の言葉は「ぢゃ」(上方)「だ」(江戸)が主流となることで落ち着き、「である」は用いられなくなってしまう。のち江戸時代には学者の言葉として「である」がわずかではあるがふたたび見られるようになる。このような状況にあった語が現代になって広く使われるようになった経緯に関して、山本(1965)は、
明治一一年頃から演説用語として愛用され、二〇年代には言文一致体小説に採用され、更に三六・七年発行文部省編の国定『尋常小学読本』に口語文常体の代表的なものとして積極的に採用されてから一般に普及し現在に至っている。
と記述している。また『講座国語史 第4巻 文法史』(築島裕編/1982年/大修館書店)において古田東朔は、
明治前期の談話調の文章において、いまだにナリが使われていたということは、つまりそういう意味のものが他になかったからであろうと判断されるのである。
と述べる。いずれにせよいまわれわれが使っている「である」の成立は近代に入ってからと見てよいだろう。「でありにけり」は捏造された文語である。
だから〈枯野の木寄れば桜でありにけり〉は、村上の驚きがこの異様な文法でしか回収されなかったこと自体のうしろめたさをも抱えているのではないか。一句はこの形にしかなり得なかったと信頼するとき、このうしろめたさもまた読者が引き受けるべきことがらの一つに思えてならない。言葉はつねに一句のリアリティを保証しているはずだ。
村上の逆の例としては
鉛筆の遺書ならば忘れ易からむ 林田紀音夫『風蝕』
を思い浮べる。かつて初めてこの句を読んで、どうしてこの句は字余りなのだろう、「ば」を削ればいいのに、と思った。あとになって高校の授業で文語文法に触れ、文語においては接続助詞「ば」なくして仮定条件は成立しないのだと知ったとき、この句がいかに規範に忠実であったかに思い至った。この句の切実さはつまり、忠実なる「ば」が保証しているのだ。
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