★―1 赤尾兜子を読む5 /仲寒蟬
10. 日ごと増す枯葉や我は疎んぜられ
「疎んぜられ」とは誰からであろうか。誰か、というより世間からか。この次の句は「寂(さみ)しき技(わざ)をして悔多き冬(あ)朝(さ)なりけり」である。疎んぜられた理由はこの寂しき技と関係あるのだろうか。
寂しき技とは何なのかが気になる。決まったパートナーのいない若い男がひとりですることと言えば自ずから想像はつくが、兜子はこの年に軍隊生活から解放され翌年に向けて受験勉強中であったから学問や文学と関係することなのかもしれない。ただそれであれば「悔多き」と述懐している理由が分からなくなるし、時間帯としては朝に行った何か、ということになろう。
年表風に書けばこの句集の扱う昭和20年10月~12月というのは
昭和19年(1944)、大阪外国語学校を繰り上げ卒業。
昭和20年(1945)、陸軍整備学校に入隊。終戦により復員。
昭和21年(1946)、京都大学文学部中国文学科に入学。
という頃に当たる。
一度は大阪外国語学校中国語科で勉学に励むつもりが軍隊に取られ、間もなく敗戦を迎え、次は大学受験というめまぐるしさ。この時期は別に浪人した訳ではないがまだ大学生ではなく、かつて所属していた陸軍は跡形もなくなってしまって実に宙ぶらりんの立場であった。それだけでも自分は世間に必要なのか、疎んぜられてはいまいかという思いになったかもしれない。この増えてゆく枯葉のように徒に時間だけが過ぎてゆく。
11. 胸騒ぐことなく午後の枯木と佇つ
わざわざ「胸騒ぐことなく」と表明しているのは普段胸の騒ぐことばかりであるからだろう。その胸を騒がせることとは何だろうか。先の俳句に出てきた金と恋とが真っ先に考えられる。何しろ兜子はまだ20歳という多感な年齢。学業、生活、恋愛と悩みは様々あったろう。また大日本帝国が瓦解してこれまでの価値観、物の見方が180度転換された、そのことに関する胸の騒ぎであるかもしれない。日本は、日本人は、自分はこれからどこへ行くのだろうか、と。
この少し後に同じ枯木を詠んだ句として
獨立自尊胸に枯木の轟々と
が収められている。同じ12月6日作の句である。してみれば本句を詠んだ時にも「獨立自尊」が胸にあったと思われる。いずれの句にも「胸」の語が出てくるから枯木と対峙しつつ兜子の胸には様々な思いが去来していたに違いない。
さらに想像をたくましくすれば、轟々たる風の中に堂々と立つ枯木は日本という国の象徴であるかもしれない。さらには軍部の一員から大学生になって呆然としている兜子自身の象徴とも考えられる。「獨立自尊」は日本が世界に対してということかもしれないが、ここは兜子という人間が世間に対してと考えるのが妥当であろう。
12. 木の葉髪無為ニ繋がる二十年
木の葉髪は晩秋から冬に髪が抜け落ちること。鳥や獣であれば夏の毛や羽が抜け落ちて冬のそれに入れ替わる頃。人間にもその名残があるのかもしれない。20歳の青年と雖も木の葉髪の数本くらいはあっただろう。
この句の「二十年」はもちろん兜子が生まれてから今までの20年ということであろうが、昭和という時代が始まって戦争に突入し敗戦に至ったというその20年なのかもしれない。人生では最も濃縮された、人格形成にとっては重要な20年という筈であるが、兜子は「無為に繋がる」と斬って捨てる。
この俳句の感慨にはこれまで当然のものとして凭れてきた国家、世間の常識が敗戦によって全否定されたという背景があろう。いままでやってきたこと、人生は所詮「無為」に繋がるものでしかなかった。「無為」という言葉は老子の唱えた理想の状態としての「無為」ではなく、ただぶらぶらと徒に時間を過ごしている状態という意味の「無為」であろうと考えられる。
実際には来年の受験に向けて勉強していたのかもしれないが、兜子にとってこの時期の自分は無為の徒でしかなかった。大阪外国語学校時代には中国語を勉強して満州や中国で活躍しようとの希望があった。軍隊にいた時には国のため、国民のために働いているという実感が持てたろう。だが今は何かを生み出す訳でもなく時を浪費している自分がいる。そういう思いであろう。
★―7:藤木清子を読む3 / 村山 恭子
3 昭和10年 広島県 藤木水南女で出句 ①
通り魔に寒気立(そうけだ)ちたる古衾 旗艦2号・2月
〈古衾〉は布団以前の寝具で、布団を衾と言うこともあります。自身が〈通り魔〉に遭ったのではなく、家人や知り合い等から知って身が〈寒気立ち〉ました。〈古衾〉は長く愛用したもので、それにより我が身を守り心を落ち着かせました。慎ましい生活も見えてきます。
季語=古衾(冬)
古衾悪魔に黒髪摑まれぬ 同
〈古衾〉を掛けて寝ました。夢の中で〈悪魔に黒髪〉を摑まれ、うなされています。
中七を「悪魔に髪を」で七音に整えず、〈悪魔に黒髪〉の〈黒髪〉と色を出し、また八音にしたことで、悪魔に豊かな量の髪を掴まえられている実感があります。
季語=古衾(冬)
掛乞に話し込まれてたがやせる 同
〈翔乞〉は半年分の付けの代金を、暮に取り立てること。取り立てる者は大晦日まで忙しく動き回りますが、〈掛乞〉はどっしりと話し込んでいきました。半年分の暮らしを振り返りながら、次の半年の無事を願い、畑を耕しています。
季語=掛乞(暮)
お向ひの壁が真赤で夜なべ鍛冶 旗艦4号・4月
〈お向ひの壁が真赤で〉から火事かと思わせ、下五の〈夜なべ鍛冶〉で謎解きのような展開です。〈夜なべ〉は秋の長い夜を働き続けることで、鍛冶職人のこつこつと仕事をする姿は秋の静けさを深め、真赤な焔は闇を美しく照らしています。
季語=夜なべ(秋)
麦の穂や海の深浅あきらかに 旗艦7号・7月
〈麦〉は五穀の一種で、初夏、黄金色に稔ります。〈麦の穂〉の丘から〈海〉を見ると、
深い場所と浅い場所の色が〈あきらかに〉異なっています。麦の黄金色、浅瀬のエメラルドグリーン、深瀬のコバルトブルーと夏を鮮やかに描写しています。
季語=麦の穂(夏)
耳につく虻の声のみ単衣裁つ 同
耳に聴こえるのは虻の声だけの中、〈単衣〉の生地を裁っています。〈虻の声〉は虻の羽音。声としたことで虻の存在感が増しています。その空間にいるのは虻と単衣を裁つ人のみで、ジョキジョキと生地を裁つ鋏の音が際立っています。
季語=単衣(夏)
蒼穹に心触れつつすだれ吊る 旗艦8号・8月
すだれを吊っています。その気持ちは〈蒼穹〉の青空、大空へ、心が触れるようにのびやかで、晴れ晴れとしています。〈すだれ〉を吊って夏を迎える高揚感がよく出ており、すだれが広がる情景が涼やかです。
季語=すだれ(夏)