ほんと静かひとりで過ごすお正月
今年の正月は、私もひとり、写真事務所で過ごしていた。
私は、がんがん音楽を流したりもしますが、詩作に耽りながら夜明けの信号機が鳴り出すのに気付く。このお正月とひとりの取り合わせを以外に詠める俳人は、少ないのではないか。俳句は、座の文学でもあるが、詩性を宿すには、何処かでひとりの時間を確保しないと詩の熟成を出来ない気がする。もちろん達人になれば、満員電車の中でも俳句仲間や子どもたちの会話の中からも人生の俳句の果実はつむげるのですが、その塩梅はここでは渇愛しよう。
残業のまだ冷蔵庫にあるプリン
そのまま現代社会詠の秀逸作。云うことないなー。
春を行けども行けども道はなく
春をどんどんと行くけども行くけども道がないという。春夏秋冬の道を人類は、めぐりめぐるようにより良く生きれるだけ歩むのかもしれない。こんな素敵な口語俳句に出会えるのならば。
茎へ葉へ生きるマーチを虫しぐれ
茎へ川のように列を成し、葉へ海原のように波だたす。その生き物のひとつひとつの鼓動や躍動は、生きるマーチであり、虫しぐれの季語も活きている。
「虫時雨」は、多くの虫が鳴く声に対して用いられる表現で、一時的に降ったり止んだりする雨の「時雨」(しぐれ)の雨の音と、しきりに鳴く虫の声を重ねた言葉。キリギリス、マツムシなど綺麗な鳴き声が多く聞こえることから、「虫時雨」は秋の季語。
春星のふたつは乳首ほか泥濘
春星のふたつは乳首。その比喩の女性ならではのダイナミックさ。その他は、泥濘(ぬかるみ)。そこでは、春の星空と春野と交接して融合している。そのすがすがしいエロスを醸し出す秀逸。
蚊も蠅も廃れて自家菜園トマト
蚊も蠅も廃れて自家菜園のトマトが緑の中を飛び回るような生命力の讃歌。
霜の夜の空蟬ほどのワンルーム
霜の夜の空蟬ほどのワンルームという比喩にそこはかとなく流れている本句集の詩性の覚醒があるのかもしれません。
蓮が実を飛ばすアリスよ何処へ行く
蓮の実を飛ばす。そこに『不思議の国のアリス』を見い出しながら何処へ行くのか問いつつ物語の序章を読者に誘う。俳句1句が、小説の1作品に匹敵することがある良い事例。
とっておきの靴と帽子と冬眠す
とっておきの靴と帽子も季節の移ろいとともに冬眠にはいる。
めぐりめぐる季節は、めぐり、人生の季節を俳句に織り成しながら俳人・松葉久美子の俳句への向き合い方に学ぶ点が多い。
素敵な句集をありがとう。ありがとう。ありがとう。