悦子先生
蛇の髭の花庭椅子をちよつと借り
臼の木に残る赤き実はつあきかぜ
礼状へ貰ふ礼状涼新た
長逝の人よ芙蓉はけふも咲き
萩揺れてほろ酔ひ脱輪みな時効
・・・
以前、何でも貸して、貸してと言って来る人がいた。大根2センチぐらいでいいから、小麦粉盃一杯程でいいから、トイレットペーパーを……、ティーバッグ1つお願い……。日常的にこんなことがあった。
ある時意を決して(オーバーだが)彼女に言った。「貸してっていつもあれこれ持って行くけど、あなたから返して貰ったことが無いよね?」
「え? 返して貰おうと思って貸してくれてたの?」
これにはちょっと吃驚。いくら小さな物でも借りた物は借りた物だろう。
今回〈蛇の髭の花庭椅子をちよつと借り〉を書いたことから思い出したことなのである。この物を借りることもそうだけれど、以前〈山荘へ水借りに寄る云々〉という拙句に対して「おかしいよ、どうやって水を返すの」とメールをくれた人があった。考えてしまった。ペン貸して、だったら返せる。傘貸して、これも返せる。知恵を貸して、返せるか? 確かに水を貸して、というのはおかしいかも知れない。実際にあの時は庭先で手を洗わせて貰っただけだったのだけれど、お手洗いなども借りるということがある。使わせて頂きます、というのが本当なのだとしても。
冬田の中でゴルフクラブを振っていた人があった。あれだって田圃を借りたってことになるのでは? だんだん分からなくなってきた。
気に入りのワンピースがあった。それをクリーニングを失敗したといって、二度と着られない状態で返されたことがあった。しつこさに負けて貸した私が悪かったのだけれど、本当に好きな洋服だったから、思い出しても悔しい。
お人好しにも程があるとはこのことだった。
(2023・8)