続・麦酒讃歌
澤田和弥
ビールは人生のいろいろな場面を演出する。喜怒哀楽、さまざまな思いや感情が託される。とはいえ、苦いビールよりもまずは旨さを楽しみたい。
ビール注ぐ泡盛り上り溢れんと 高濱年尾
生ビール泡流る見て愉快かな 同
ビールにはやはり泡が大切である。学生時代によく通った居酒屋では泡の全くないビールを出してくれた。学生とは貧しいもの。泡の分までビールを注いでくださいというリクエストに応えて。勿論冷えている。泡をスプーンで捨て、飲み口いっぱいまで黄金色。そのやさしさが嬉しかった。しかしいつの間にかビールの「泡」にこだわりはじめた。驕りか。贅沢か。ジョッキやグラスを傾けたとき、まず唇に触れる泡の感触はやはり忘れがたい。コップを溢れんとする泡。ジョッキより溢れ、こぼれる泡。まさに愉快。そしてグイっと一口。うぐうぐと喉を流れるビール。なお愉快。
片なびくビールの泡や秋の風 會津八一
秋風にビールの泡がなびいている。なびくためには泡がコップから溢れていなければならない。注ぎたてである。居酒屋というよりも、庭に窓を開け放った自宅の居間を想像した。洋間ではなく和室。畳に座布団。縁側かもしれない。風が心地よい。さあ、泡消えぬうちに一口。同じような景でもう一句。
注ぎぞめの麦酒音あり秋涼し 永井龍雄
秋の涼しさが嬉しい。こちらは音に注目する。炭酸のシュワシュワという音。泡の弾けゆく音。音だけで旨そうだ。音を味わうためには静けさが必要。居酒屋よりも、こちらも自宅をイメージしたい。ひとり酒。深まりゆく秋がさらにビールを旨くする。
ビールそのもので充分旨いのだが、飲む状況や雰囲気によっても味は左右される。
大役を終えてビールの栓を抜く 星野椿
パーティでの来賓挨拶。数々のお歴々を代表して。無事終了。席に戻ると喉はもうカラカラ。ほっと一息入れて、さて口中を潤わさん。栓を抜くシュポンという音が安堵の気持ちを深める。
恋せしひと恋なきひととビール汲む 辻桃子
ビールの酔いが話にさらなる花を咲かせる。どのような話か。かたい話ではつまらない。一番盛り上がるのは色恋のこと。ただしのろけ話は却下。「恋せしひと」はまだ成就せぬ片想いの段階。「へえ、ああいう人が好みなんだ」「告白しちゃいなさいよ」なんて言うのが楽しい。大体、片想いの段階と付き合って一ヶ月ぐらいの頃が、恋愛において一番幸せなときである。聞く方としては片想いの頃が一番盛り上がる。また「恋なきひと」に「好みは?」「それなら、いい人がいる」というのも楽しい。杯が進めば「明日、告白してくる」なんてことも。なにとぞ苦い恋はせぬように。
一人置いて好きな人ゐるビールかな 安田畝風
こちらも恋路のこと。飲み会で席についたら、偶然にもお目当ての人が隣の隣に。話しかけようとしたら、隣の人が反応してしまった。あなたじゃない。「席を替わってほしい」なんて露骨なことは言えない。そのうえ隣の人が興に乗りはじめてしまった。好きな人は反対隣と楽しそう。嗚呼、もどかしい。こんなビールはなんともほろ苦い。
ビールほろ苦し女傑となりきれず 桂信子
女傑という資格には酒豪という要素が要るのかもしれない。ビールをグイっと空けて呵呵大笑。上司も部下も誰も歯が立たない。この「ほろ苦し」はビールの苦さ、それも自分にとって苦手な苦さとともに、女傑になりきれぬ自分へのほろ苦さもあるだろう。女傑とすでに呼ばれている人にあと一歩及ばない。それがビールの苦さ、といったところか。
かりそめの孤独は愉しビール酌む 杉本零
ひとり酒。孤独である。でも本当は「かりそめ」。なんとなく初めての店に一人で入ってみた。常連らしき人々は女将と盛り上がっている。カウンターの隅で誰に話すともなく、ビール。帰れば家族が待っているし、馴染みの店もすぐ近く。でも今は独り。誰も自分のことを知らないし、自分も誰のことも知らない。孤独になりたいときは誰にでもある。即席孤独。そんな楽しみ方もビールと頒ち合いたい。
ビール発泡言葉無縁の日なりけり 林翔
「ビール発泡」により、ビールが奏でる心地よい音が聞こえてくる。旧友との久々の再会なのだろう。話すことはたくさんあるが、ビールを酌みかわすだけで、分かり合える。言葉にしなくとも会わなかった日々を互いに慰労できる。「友情」という言葉を深く強く感じる。
ビール飲む友に山羊髭いつよりぞ 平賀扶人
こちらも友と久々の再会。やはり手にはビール。友の顎には山羊のようなひげ。あれ?前に会ったときには生えていただろうか。どうしても思い出せない。まあ、よいではないか。今、友と楽しい時間を共有し、ビールも旨い。それで充分。
ビールを酌みかわす。初対面という場合もあるが、気心の知れた仲だとさらに充実した時間を味わうことができる。先の二句が、たった十七音でそれを見事に表現している。しかしながら、こういう場合も。
屋上に落ち目の人とビール飲む 内田美紗
何もそこまで言わずとも。「屋上」とあるので、百貨店等が催すビヤガーデンだろう。相手は、美しい女性と二人きりという状況にご満悦。しかし女性の側では「落ち目の人」という評価。同じビールを飲みながら、それぞれの味は格段に違うことだろう。
ビール缶握り潰せる汝を愛す 中西夕紀
飲み干したビール缶を片手でグシャっと。ドラマの一場面にでもありそうな男前のしぐさ。そんなあなたを愛しているというダイレクトな表現。これが両手で潰すとさまにならない。やはり片手で一気に。ところで「ビール缶」というと空き缶を想像するが、「缶ビール」というと中身の入っているものが頭に浮かぶ。「グラス」も同様。「瓶」もまた然り。
ビール瓶二つかち合ひ遠ざかる 細見綾子
ではこれも空き瓶か。二つの空き瓶がかち合い、片づけられたということか。いや。この句に限っては中身の入っているものを想像したい。パーティの席上。グラスと瓶ビールを手にお酌回りをしていたら、同じくお酌回りをしている人とかち合った。挨拶は先ほどしたし。エヘヘと軽く会釈をしながら、それぞれ別方向へ遠ざかっていく。どちらの解釈がよかろうか。皆様に委ねたい。
涼風の星よりぞ吹くビールかな 水原秋櫻子
風がなんとも気持ちよい。ビールがさらに旨くなる。その風が夏の星々から吹いてくるとはなんともロマンティック。もうもうと煙の立ち込める焼鳥屋ではなく、高原の山荘をイメージしたい。いかにも旨そうだ。
山上の空気に冷えしビール飲む 右城暮石
これも全くもって旨そうだ。山小屋での一杯のビール。ほどよい冷えがなんとも爽快。冷やし方に何かこだわりがある訳ではないが、「山上の空気に冷え」たとなると、これは格別に旨そう。登山の疲れもゆったりと癒される。
日本においてビールとは冷たいもの。ジョッキも冷やしてあるところが多い。まさにキンキン。猛暑や熱帯夜には誠に嬉しい。しかし冷え過ぎるのはよろしくないという御仁もいらっしゃるようで。
冷えすぎてビールなさざり夕蛙 石川桂郎
冷え過ぎしビールよ友の栄進よ 草間時彦
「冷えすぎて」がビールの温度か気温かで捉え方がかなり変わるが、ここでは前者の方で。冷えすぎている。これではビールとなさない。私が飲みたいビールではない。こだわりか。わがままか。イライラする耳に遠くかた夕蛙の声。「冷え過ぎし」は明らかにビールのこと。「友の栄進」だ。祝わねば。しかし「冷え過ぎしビール」である。喜んでいない。間違いなくマイナスの感情を含んでいる。先を越された。入社年も年齢も一緒なのに。主人公もこのままでは「冷え過ぎ」になってしまう。チキショー。
楽しくも哀しくも杯が進む。だんだん酔ってきた。笑い上戸に泣き上戸。人には千差万別の酔い方がある。
この道にビール飲まさんと跼みけり 永田耕衣
なぜ道に。よろめいてかがんだことへの言い訳か。それとも酔いの戯れか。突拍子のなさに驚く一句。ほんとになぜ?
ビール園神神もかく屯せし 平畑静塔
ビールを片手に語り、笑い、酔いゆくさまを神々の宴に喩えた。古代ギリシアか、日本か。大らかでゆったりとした景色が浮かぶ。ビール園の誰もが酒神であるかのように。そんなビールはやっぱり旨い。
ビール工場からあふれさうな満月 能城檀
工場に勤務しているというよりは、工場見学と考えたい。最後の試飲にも満足し、ちょうどよい心地。ふりかえると大型タンクなどの向こうに大きな満月。
さらなる充実感。「あふれさうな」という言葉が満月の美しさを充分に表現するとともに「ビール工場」とも結びついて、思わず唾を飲む。満月を仰ぎながら、できたてのビールをもう二、三杯試飲させてほしいところだ。ビール工場の誘惑。
生ビール天蓋汚れ切つたれど 行方克己
中華料理屋か。「天蓋」と大仰な言い方ながら、それは汚れきっている。ただ「汚れ切つたれど」である。だけどね、と来る。だけど、何か。それはもう生ビールでしょう。生ビールが旨い!天井は汚れてるけどね、というところか。最初は汚れていると思っても、通っているうちにその汚れが店の味わいに変わってくる。学生時代によく行った居酒屋で、お世辞にもきれいとは言い難いところがあった。おばさんが一人でやっていた。手が回らなかったのか。しかしそこに行くといつもほっとした。掃除の行きとどいた店とは異なるあたたかさがあった。今も夢に出てくる。おばさんの笑い声とともに。
夫逝きて麦酒冷やしてありしまゝ 副島いみ子
突然亡くなったのか。夫のためにビールはまだ数本、冷蔵庫のなかに。片づけられない。夫の死が過去になってしまうかのようで。いつか飲むだろう。心の整理がついたら。今はまだ。
笑いから涙まで。ビールは人生のいろいろな場面を演出する。
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