2021年10月1日金曜日

【篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい】16 他者理解の糸口  高野麻衣子

  コロナ禍も長引き、句会など直接会える機会も少なくなったため、私もついに始めてみたツイッター。今回のように句集の鑑賞の機会を頂くなど、可能性の広さに驚いています。

 『火の貌』で一番共感した句が、

  森に入るやうに本屋へ雪催

でした。〈森〉は読書好きな人ほど、奥深く感じると思います。〈雪催〉にワクワク感と敏感さが出ています。

 私も読書好き。コロナ禍が終息しましたら、篠崎さんと実際お会いして、句集や読書についてもお話してみたいです。


 主に介護の句を読んでいきます。俳句も、現在働いている介護施設の勤務も続けた年数だけが取り柄ですが、お付き合い頂ければ幸いです。


  熱帯魚眠らぬ父を歩かせて

 父の歩行は時間を問わずまだまだ続きそうですが、静かに見守っている様子が覗えます。

 見える範囲、注意を向ける範囲の低下も心配されるため、安全な環境づくりは大切なことです。躓きそうな物は置いておかない等はもちろんですが、逆にあえて付け足す方法もあります。階段や手すりにシールを貼るなど「目立たせる」ことで注意を向けやすくするのです。

 自由に泳ぐ熱帯魚。グッピーのように設備や水位にも配慮しないと水槽から飛び出してしまう熱帯魚、プレコのように夜行性の熱帯魚もいます。


 「誰かの力」があってこそ認識しやすく安全・安心な環境存続や自由な行動が可能であり続けることができるのですね。この句の「誰かの力」は作者なのです。


  太股も胡瓜も太る介護かな

 胡瓜が太くなったのは時間に追われているからでしょう。太くなった胡瓜ですが、「一緒に太くなった」と共感できる、作者の小さな小さな息抜きスポットのようにも思えました。自嘲気味ですが、この句の太股は筋肉がついたと考えたいです。確かに介護には下半身の筋肉を必要とする動きが多々あります。ユーモアを交えて表現できるのは作者の強さでもあり感性の奥深さでもあるでしょう。


  いくたびも名を問ふ父の夜長かな

 何度名前を問われようとも初めてのように接しなければなりません。もし質問を無視したり否定したりすれば、不安を増幅させてしまいます。

 仮に、

  〈いくたびも名を問ふ父や夜の長き〉

だとしたら、不満をつぶやくようになってしまいますが、掲句は〈父の夜長〉です。父を慮る作者の人柄のよさが句を通してひしひしと伝わってきました。


 以下の句にも注目しました。

  新しき巣箱よ新しき巣箱よ母を引き取る日

  かなかなの風に雨意あり母の鬱

  うなづくも撫づるも介護ちちろ鳴く

  母がため飯食ふ父よ鷹渡る

  はたるぶくろ無口な車椅子揺らす

  紫陽花の浮力の中を松葉杖


 介護は「他者理解」も大切です。作者の介護する父母に対しての他者理解と、読み手の作者に対する他者理解。なぜこの季語なのか。句集を読み進めていくと季語が双方の「他者理解」の糸口のようにも思いました。

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プロフィール

高野麻衣子 

1979年生まれ 福島県出身「澤」同人

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