2021年10月15日金曜日

【抜粋】 〈俳句四季10月号〉俳壇観測225 『証言・昭和の俳句』が語る戦後——二〇年後の証言の見直し  筑紫磐井

 ●『証言・昭和の俳句』の経緯

  黒田杏子『増補新装版/証言・昭和の俳句』(コールサック社二〇二一年八月刊/三〇〇〇円)は『証言・昭和の俳句』(角川叢書二〇〇二年刊)の改訂版である。元々この本は、一九九九年一月から二〇〇〇年六月号まで角川書店の「俳句」に十八回連載されたシリーズ「証言・昭和の俳句」の単行本化されたものであった。存命・活動中の戦後世代作家の長編インタビューであり、兜太、鬼房、六林男、敏雄などの戦後俳句史を彩った作家たちが勢揃いした企画であったから、連載中も、或いは叢書としての刊行当時から評価が高かった。一口でいってしまえば昭和が終わった時点における、戦前から戦後の俳句史、例えば新興俳句、社会性俳句、前衛俳句、伝統俳句の流れを作家たちに語らせているものである。しかしすでに二〇年を経て入手が困難となっていること、一方で昭和俳句、戦後俳句の回想の気運が高まっているところから、新しい附録を加えて復刻されたものである。

(中略)

 増補新装版は二部から成っている。第一部は黒田が当時行ったインタビューであり、その顔触れは、桂信子、鈴木六林男、草間時彦、金子兜太、成田成空、古舘曹人、津田清子、古澤太穂、沢木欣一、佐藤鬼房、中村苑子、深見けん二、三橋敏雄の一三人である。原則一人一回であるが、六林男、兜太、欣一、苑子、敏雄は二回にわたってインタビューされている。

 第二部は、二〇年前のこれらインタビューを読み返して現在の二〇名の俳句作家・評論家・エッセイストらがこのインタビューを読み解き、総括している。その顔触れは、五十嵐秀彦、井口時男(文芸評論家)、宇多喜代子、恩田侑布子、神野紗希、坂本宮尾、下重暁子(作家)、関悦史、高野ムツオ、筑紫磐井、対馬康子、寺井谷子、中野利子(エッセイスト)、夏井いつき、仁平勝、星野高士、宮坂静生、山下知津子、横澤放川、齋藤愼爾であり、新しい俳句史を提示できる顔触れを選んだというところであろうか。

(中略)

●『増補新装版/証言・昭和の俳句』の読み方

 『増補新装版/証言・昭和の俳句』は二〇年前の「証言・昭和の俳句」と違った読み方を要請する。それは、その主人公が大半がなくなったというばかりではなく、彼らの歴史的証言を使って新しい俳句史の見方を提示し、我々に考えさせるからだ。その意味でポイントは、増補新装版では第一部より第二部に移ってくる。

 第二部で気がつくことは、三橋敏雄、佐藤鬼房、鈴木六林男に触れた論者が多いことだ。五十嵐、井口、宇多、恩田、坂本、高野、対馬、仁平、齋藤などがそうである。第二に興味深いのは、こうした第二部を背景に浮かび上がるもの――、敏雄、鬼房、六林男から浮かび上がる西東三鬼の存在である。この本は三鬼を対象としてはいないものの、昭和俳句の中に抜き差しならない形でその存在が浮かび上がってくる。それはポジティブな意味でも、ネガティブな意味でもそうなのだ。敏雄、鬼房、六林男は三鬼に師事したり何らかの影響を受けているが、それぞれの作家毎に微妙な影を作っている。五十嵐が「西東三鬼の影」で明確にそれを指摘し「本書の一四人目が西東三鬼ではないか」と述べているのは正しい。しかし、それを具体的な例でえぐり出しているのは井口である。井口は「無視と自由と」で、三橋は自由人である三鬼を讃美するが、鬼房は自分宛に投句してきた青年の作訓を横領簒奪してしまい、青年はそれきり俳句を辞めてしまったという証言をする。鈴木は鷹羽、沢木、山本健吉の俳壇の権力者を指摘するが、三鬼のこの黒いエピソードについては口ごもっていると書いている。五十嵐も井口も、激烈な結社批判を背景にもっているだけに、伝統俳句だけでなく、新興俳句の中にさえそうした危険性を見出しているのだ。

(下略)

※詳しくは「俳句四季」10月号をお読み下さい

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