2018年11月9日金曜日

【101号記念】俳句甲子園今昔  筑紫磐井

  第21回俳句甲子園公式作品集『俳句甲子園』第7号にこんなエッセイを載せている。

「俳句らしくない俳句
                        筑紫磐井

  私が最初に俳句甲子園に参加したのは第6回大会だった。以後も参加はあったが、矢張り最初のものが印象深い。ちなみに愛媛県は、正岡子規国際俳句賞の選考委員として毎回訪問していたので愛着があった。
 当時の私の考えは――これは今も変わらないのだが、高校生が俳句を作るのではなく、高校生が高校生らしい思いを詠んで新しい俳句が産まれることが大事だと言うことだった。
 今ではほとんどなくなったようだが、当時は自由律俳句の斬新な作家を何人か見つけることもできたし、有季定型の俳句を詠んでも、いかにも「俳句らしい俳句」ではないユニークな五七五に注目したものだ。それは俳句の地方版、俳句の高校生版ではなく、高校生が独自の思いを詠んだ新しい文学運動が生まれる現場を見ている感じがしたからだ。
 現在は、「俳句らしい俳句」がすっかり普及してしまったようでいささか淋しい。


実桜は6Bの鉛筆で描く 佐藤美聖  」

*       *
 さてこんなことを今年書いたのだが、ここに書いた私が最初に俳句甲子園の審査委員に参加した時のことを思い出した。
 平成15年8月の第6回大会である。24チームをブロック分けしたチーム対抗で行われている。自分が参加した試合しかわからないが、当時の記録を眺めてみよう。

●初日
 第1回戦は松山市の大街道商店街で行われており、4校の対抗となっており、信愛女子(熊本)、高田B(三重)、高山工業(岐阜)、江見商業(岡山)で競技し、信愛女子が勝ちぬけた。たしか、江見商業が近く廃校になると言う話を聞いた記憶がある。青春最後の思い出が、この俳句甲子園であったのだ。

白いブラウスで紫陽花ひとかかえ 信愛・松上佳代
紫陽花に雨粒の来て始業ベル 江見・建元祥昌
短夜のメールきていて青き星 高田B・山口淳也
バス停の紫陽花色の背中かな 高山・橋詰紗織


 会場はそのまま大街道商店街で、直ちに準準決勝に突入する。片山由美子、如月真菜と審査に当たった記憶がある。信愛(熊本)と今年の有償最有力国保であった松山東(愛媛)の対決であった。

繻子織りのさらさらさらら小鳥来る 信愛・澤村みさき
小鳥来る栞せぬまま囗を閉ぢて 松山東・金子耕大


 松山東は確か第4回の優勝校であったはずだが、準準決勝で敗退した。試合後リーダーの金子君が放心したような状態だったのを記憶している。

●第2日
 会場を改めて子規博物館で行われた。準決勝は開成(東京)と甲南(兵庫)、敗者復活で勝ち上がった高田Bと信愛であった。第1回戦で戦った高田Bと信愛が再び会いまみえたのである。その結果、決勝に進んだのは、開成と高田Bであり、開成が優勝したことは歴史に残っている。記念すべきはこれが開成の初優勝であり、開成の常勝神話がここから生まれることになったのである。

水害の四谷怪談野分立つ   開成・千崎英生
河童忌や火のつきにくい紙マッチ 高田・生駒大祐
君の背が私に着火夏の海   信愛・深浦智子
夏木立ぬっと出てくる山頭火 甲南・伊木勇人


●優秀作品
 優秀作品は、出場校から選ばれ、山口優夢は断トツの票を集め、伝説的な作品となっている。しかしそれに劣らず弘前学院聖愛の佐々木美日の句も評判となった。自由律であったからである。俳句甲子園にもこういう時代があったのである。  

小烏来る三億年の地層かな 開成・山口優夢
黙れば無駄に暑い 聖愛・佐々木美日
雑草のおし上げてゐる暑さかな 松山東・近藤美佳


 この年から個人賞が出せることとなり、初めての筑紫磐井賞は次の賞に決めた。句またがりがういういしい。

白いブラウスで 紫陽花ひとかかえ 信愛・松上佳代

 だから、俳句甲子園の卒業生の中で句集をまとめた生徒も出てくる。このとき大学2年生の神野紗希(松山東出身)は前年の最優秀賞受賞者でもあるが、この年の夏、句集『星の地図』をまとめ会場で私たちに配ってくれた。実は同じ賞を受賞した森川大和(愛光学園出身)も句集『ヤマト19』を出版している。驚くべき早熟さである。

起立礼着席青葉風過ぎた 神野紗希
秋天に叫ぶ       森川大和


 今思い起こしてみると、今や俳壇を担っている作家、早々に消え去っていった作家が目に浮かぶ。これも俳句甲子園の歴史かなと思う。

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