2017年6月23日金曜日
●【抜粋】〈俳句四季」7月号〉俳壇観測174/創刊する雑誌・終刊する雑誌――雑誌は住所である。 筑紫磐井
私たちは、俳句を耳で覚えて伝えるだけでなく、活字で伝えてもいる。間違いなくそうした目的にかなっているものが句集・雑誌である。俳人たちを後世に伝えるのは句集である、一方、遠方の仲間にそれを伝えるのは雑誌である。雑誌や句集の動向に我々は無関心でいられないのである。
「奎」創刊
雑誌は日々更新して行く。創刊号も来月は、第二号となって、いつの間にか歴史を重ねる。その意味で、もっとも新しい俳句同人誌「奎」が関西から出たので紹介しよう。二八年一二月に第〇(ゼロ)号、二九年三月に創刊号を発行したのだから湯気の出るようなホットな雑誌だ。関西といえば、坪内稔典「船団」系の二〇代・三〇代の若手を中心に『関西俳句なう』(二七年刊)が出たが、それと重複はないから関西にも沢山の若手がいることが分かる。
第〇(ゼロ)号は八名、創刊号はそれに新規二九名を加えているから飛躍的な伸びといってよい。ただ、圧倒的に二〇代が多いかと思ったが、六〇代、七〇代も混ざっている。老人ばかりの雑誌が若手を求めているのは何となく厭らしさを感じるが、若い世代中心の雑誌に高齢者が入るのはむしろその智恵と経験を買われているようで健全である。
最近の若い世代は、松山俳句甲子園にみな出ているかと思ったが、この雑誌は、確かに甲子園出身者もいるが、大学俳句会の「ふらここ」の経験者が圧倒的に多かった。正・副編集長もそうである。いろいろな場から若い作家は生まれるのだ。
体制は、銀化同人小池康生(六三歳)が代表、仮屋賢一(二五歳)、野住朋可(同)が正・副編集長を勤めている。老青協調体制だ。
創刊号は稲畑汀子の巻頭インタビューで飾る。角川の俳句の創刊号(昭和二七年六月号)には高浜虚子が「登山する健脚なれど心せよ」を寄せたと言うが、それにちなんだのだろうか。この雑誌の向う方向も見えるようだ(若手の雑誌「クプラス」とも「オルガン」とも全く違う方向を向いているようである)。
稲畑「お二人とも自然体でいい感じだから・・・(仮屋・安岡に)いい俳人になんなさいよ」——(仮屋・安岡(二三歳))「ありがとうございます」——(仮屋)「いい俳人ってどのような俳人とお考えでしょう?」稲畑「いい俳人って言うのはあとからついてくるもの。一生懸命俳句作って、一生懸命自然を知って、ときどき自然とケンカして、時々自然と仲良くして、そしたら、いつの間にか作品がついてくんのよ。」
この素直なやりとりは、決して東京・関東の若手には見られないものである。東京・関東の若手はもっと理屈っぽいだろう。
創刊号から、作品を若干紹介しておく。
春寒や足りない分の切手貼る 小池康生
雪解や最後の僧は門を閉じ 仮屋賢一
鳥籠に寝床ひとつや木の芽雨 野住朋可
春愁の愛の一字に纏めらる 安岡麻佑
お向ひは一家で夜逃げ鳳仙花 玉貴らら
恋猫と音楽が傷ついてゐる 野名紅里
ずれながらつながるずれてゆく余寒 〃
如月や白身魚をメインとす 牧萌子
一拍をおいて閉まる戸落椿 〃
(以下略)
※詳しくは「俳句四季」7月号をご覧ください。
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