2018年10月26日金曜日

【100号記念】思い出すことなど(1) I thank youありがとうあなた   北川美美

※サブタイトルを <I thank you ありがとうあなた> とした (2018.11.15)

100号。 

BLOG俳句新空間としてスタートした2014年10月17日に筑紫さんの<創刊について>掲載があり初心に戻ることが出来ありがたい。この日の俳句時評に外山一機さんと堀下翔さんの名前があり、現在は休載が続いているが俳句時評の筆者の皆さまの名前が躍動感をもって蘇ってきた。

思い起こすと、時評欄は、「詩客」当時の高山れおなさん選出のメンバーに声を掛け、承諾してくださったのが外山一機さんと湊圭史さんだった。

現在、外山一機といえば、“時評”というイメージがある。社会的事象あるいは事件と現行の俳句を結びつけ、創作の根底にある時代背景を記録する視線は今も変わらない。群馬県出身と伺っているので、上毛新聞記者から作家に転向した横山秀夫が少しタブる。俳句社会小説…が生まれてくるのか否か…。あくまで個人的妄想。

湊さんの時評にはトレンディ情報が盛り込まれ、将棋の電脳戦や英語俳句の回などが思い出される。ふと英語俳句からオノヨーコの人気詩集「grapefruits」を書棚から出してみて読み直す機会が持てた。オノヨーコの詩は俳句の音律が元になっているのかも、と気が付く。オノヨーコの80年代個展「踏絵」のときに作品に書が含まれ、それに関連して御本人が学習院時代に俳句を詠んだということを話されていた。私の中での湊さんはオタク感とオシャレ感の狭間をさわやかにゆくウィットに富んだ筆者像がある。

時評とは、筆者と読者のチャンネルが一致する時、面白いのだと思う。そのツボは狙ってハマるわけでもなくハマる。俳句や川柳の人の文章は、物を見るその視点が面白いのだろう。まぁいわゆる変な視点なのだろう…。

湊さんの後任をしばらく探していたところ、邑書林の島田牙城さんから高校生で書ける青年がいるという情報を頂き、連絡をとってみたのが、旭川から上京する前の堀下翔さんだった。高校生とどう接してよいのか緊張したことを思い出す。いろいろなやり取りの後、書いてみたい、という前向きな回答をいただき、大学生の俳句時評がはじまった。

堀下さんが大学一年生になった直後の2014年4月25日が初掲載だった。その後、堀下さんは石田波郷俳句賞の新人賞を受賞され、狛江にお祝いに出向きそこで初めて堀下さんと挨拶し、会場にいたたくさんの参加者は、現在”若手俳人”とテレビでお見かけしたりする。堀下さんは現在、大学を卒業されて研究課程にすすまれているようだ。

堀下さんが時評を書く二あたり質問をした先輩に外山一機さんと松本てふ子さんがいらしたらしい(とお二人に伺った)。時評師弟関係ともいえ素直に質問できる純心な素質が堀下さんにはあるのだろう。時評には堀下さんの洞察眼ともいえるスナイパーさとそれにともなう研究心が伺える。特に文法を踏まえた読みは信頼が持て、末は俳文学者なのか…と堀下さんの創成期に当時評欄で活躍していただいたことが読者の皆様の記憶の中に残るといいなと思う。ご本人所属の同人誌「里」での俳句時評は一冊にまとまるらしい。おめでとうございます。

そして、外山さんの後に、登場していただいたのが柳本々々さんだ。柳本さんは兎に角、文章が淀みなく湧き出てくる。ツイッターを通してあるいは葉書などに絵を描かれて送ってくださったりする。柳本さんの文体あるいは絵からなのか、私の中では、文章を読み始めると水森亜土的なわくわく楽しい世界が広がる。柳本さんは、ご自身が命名された<短詩時評>、そして<およそ日刊俳句新空間>を場として気に入っていただけたようで、それはもう沢山書いて頂きました。いまでも楽しく拝見しています。

俳句が俎板に乗る”評”…という目で読まれる時評ゆえに書き手に緊張が伴う。

執筆者の皆様のご尽力に感謝申し上げます。
そしてたまに俳句新空間を思い出していただけるとありがたいです。

※各執筆者の名前でタグ検索するとその執筆者の記事が読めます。

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