2017年9月8日金曜日
【西村麒麟・北斗賞受賞作を読む10】天地併呑 橋本 直
★西村麒麟より★
西村麒麟第二句集の情報
文學の森から出る句集名は『鴨』です。自選であること、序文は無いことの他は、どんな句集になるのか本人にもわかっていません、なんせまだ中身を書いていますから。多分、年末頃に出るんじゃないかな、と思っています。(西村麒麟)
西村麒麟の句は、空を飛ばない。それどころか、地上の移動もない。例えば、
見まはしてゆけばつめたい木の林 鴇田智哉
ほどに「ゆく」ことすらない。もちろん、言外には移動を必要とする異郷にいたとおぼしき句は詠まれている。
冬の日や東寺がいつも端に見え
金沢の雪解け水を見て帰る
朝鮮の白き山河や冷し酒
しかし、句の中に移動する主体は現れてこない。基本、動かないで世界を眺める主体がそこにたたずんでいる。言い換えれば、一点にたたずむ主体から見た世界しか描かれていない。それはいったい何を示しているだろう。
二つの選択肢がある。孫悟空と釈迦を例にとろう。孫悟空は動き回る。体の大きさを自由に変えられるし、宙に浮かんで高速移動も出来る。そうやっていろいろなところを眺め回すことも出来る。一方釈迦は動かない。動かないが、遙か彼方に行ったはずの孫悟空がその手のひらの中を巡っていたに過ぎない、という例の話を敷衍して言えば、きっと釈迦は何処までも座ったまま、移動せず、大きく膨らんでいけるのだ。世界を覆うほどに。
西村麒麟の句は、釈迦のようにたたずむ主体が選ばれている。彼は俳句で世界を呑み込んでゆく人なのかもしれない。伝説の巨大な鯨みたいに。
浮かんだり沈んだりして鯨かな
七夕や鯨の海がきらきらと
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