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2023年12月23日土曜日

臨時増刊号:クリスマスを読む

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■特選記事

【新連載】伝統の風景――林翔を通してみる戦後伝統俳句

 1.伝統について 筑紫磐井 》読む

【連載】大関博美『極限状況を刻む俳句 ソ連抑留者・満州引揚げ者の証言に学ぶ』を読む⑥ 一人の俳句の書き手・読み手として 黒岩徳将 》読む

【渡部有紀子句集『山羊の乳』を読みたい】⑯ 生き物への眼差し 笠原小百合 》読む
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句集歌集逍遙 岡田由季句集『中くらゐの町』/佐藤りえ 》読む

【豊里友行句集『母よ』を読みたい】② 豊里友行句集『母よ』書評 石原昌光 》読む






筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊/2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。 

クリスマスを読む  佐藤りえ

 1.歳時記の「クリスマス」を読む

クリスマスは俳句においてどのように受容、詠まれてきたのか。とりあえずうちにある一番古い歳時記「俳諧歳時記」(改造社)冬の部を見る。分類は「宗教」。明治神宮祭宇賀祭出雲大社新嘗祭などと同じ分類になっている。ちなみに神の留守酉の市達磨忌柊挿すも「宗教」の部に入っている。昭和22年発行の本なので、すでに姿を消してしまった祭事もあるのかもしれないが、それにしても見たことも聞いたことも無い祭の名前が盛大に並ぶ。

たとえば「どやどや祭」。大阪四天王寺で1月14日に行われるのだそう。

空つ風に齒を喰ひしばりながら、締込み一貫の壮漢数百名が紅白に分かれスクラムを組んで壮烈な肉弾戦を演じ、六時禮講堂に飾られた午王の護符を奪ひ合うのである。(中略)この護符は穀物の害蟲除けといはれてゐる。(引用一部漢字は新字とした)

この祭りは現在も続いていて、一般的な呼称は「どやどや」になっているらしい。

ほかに「大原雑魚寝」は京都・大原の江文神社で昔あった行事で、古事にならって節分の夜、神社の拝殿に夜参籠通夜したこと、とか。防犯上の事情などもあり、現在は行われていない。

前置きが長くなった。クリスマスの例句は13、解説はその発祥と伝来の解釈、感想、といった趣だ。

(前略)キリストの生地パレスチナの十二月は雨季の最中で、羊が野外にある事はない筈であるから季節違ひであるけれども、五世紀の頃から異教の風習がとけ込んで、此の日をキリスト降誕節として守るやうになつたといふことである。

傍題は降誕祭・クリスマス・トリー・聖樹。引用文の後サンタクロースが聖ニコラウスを「なまり伝えた」と記す。末尾にそれぞれの例句を一句引く。

 雪かかり星かゞやける聖樹かな 青邨


虚子編「新歳時記 増訂版」(三省堂)は昭和26年の改訂とのことで、少し内容が進行(?)している。この集は月別の掲載で分類がない。掲載位置としては人事っぽい。例句は6句、傍題は降誕祭、聖誕節

(前略)クリスマス・ツリーが飾られ、又各百貨店等ではクリスマス贈答品を売り、家庭でも子供達へサンタ・クロースの伝説に因んだ贈物をしたりする。

宗教的な行事から家庭行事、社会行事へじわっと拡大移行しているのが感じられるような記述だ。

 雪道や降誕祭の窓明り 久女


合本俳句歳時記 新版」(角川書店)は昭和49年発行。分類は行事。傍題は降誕祭・聖誕節・聖樹・聖菓。例句は20句と大幅に増えている。三省堂の新歳時記はコンパクトなので勝手が違うとはいえ、この割合増は季語として人気が出ていたことの証左ともいえるのか。

前夜をクリスマス・イブ(または聖夜)といって、子供たちはサンタ・クロースの贈物を入れる靴下を、ベッドの脚につるして寝る。(中略)贈りものやクリスマス・カードの贈答、家庭ではクリスマス・ツリーを飾る。これを聖樹という。(中略)異教徒の日本人も、大騒ぎをし、デパートや商店、カフェ、キャバレーなども聖樹を飾る。

プレゼントを入れる靴下についての記述が見える。「大騒ぎ」の語句によってワイワイやることが普通なのだ、と実感される。クリスマスイブのことが特に解説されているのも特徴的だ。ツリーが装飾として本格的に商業化し、どこに飾ってあっても違和感がなくなりだしたのもこの頃だろうか。

 美容室せまくてクリスマスツリー 下田実花


カラー図説 日本大歳時記」(講談社)は昭和56年発行。分類は行事で、仲冬とされている。傍題はキリスト降誕祭・降誕祭・聖誕祭・聖樹・クリスマスイヴ・聖夜・聖夜劇・クリスマスカード・クリスマスキャロル・聖菓・御降誕節。例句は41。大歳時記なのでさすがに多い。

(前略)季語も定着しつつあるように、信者で無い人達の間にもその習慣は一般的となり、子供達にとっては、プレゼントを貰える日、クリスマスケーキが食べられる日と化してしまった感じがある。

この解説ではさらに出島ではオランダ冬至と呼ばれていた、などの記述もある。別個に聖胎節・待降節・聖ザビエルの日・聖ヨハネの日なども立項されている点も大歳時記ならでは。(ただし「御降誕節は、十二月二十五日から二月二日までの四十日間をいう」は四旬節のことではあるまいか。この時期を降誕節と呼ぶのだろうか。)

 聖夜餐スープ平らに運び来し 山口誓子


角川春樹編 現代俳句歳時記」(ハルキ文庫)は平成9年発行。宗教の分類がありそこに含まれる。傍題は降誕祭・聖誕節・聖夜・聖樹・聖歌・聖菓・クリスマス・イブ。例句は44(!)。この歳時記は例句の数に非常に偏りがあり、多いものは1ページ以上に及ぶのだが、クリスマスは「雪」の50句についで2番目ぐらいに多い(例句の数の基準がよくわからない。雑炊、猪鍋が18もあるのは何故なのか、等々)。

(前略)今日では聖樹を飾り、ケーキを食べ、子供たちに人気のサンタクロースが登場し、プレゼントを交換する歓楽的風習が一般化した。

分類上は宗教だが、もはや「たのしい行事」として一般化した、ということがはっきり記されている。プレゼント交換は子供のクリスマス会などのことを指すのだろうけど、筆者も大人になってからやったことがある。もうサンタから靴下に入れられていなくても、その日に渡し渡されるのがクリスマスプレゼントなのだ、という同意があると見なされている。

 雪を来し靴と踊りぬクリスマス 山口波津女


ほんの5冊の歳時記を比較しただけとはいえ、解説が由来・意味合いから社会的動向・行動のディテールへと変化しているのが明らかであった。宗教行事であることは押さえつつ、一般には宴を催す契機として扱われ、俳句で詠まれる内容、情景も大勢は後者である。傍題の数がわりあい短期間に増加しているのは、付帯した名詞・別称が加えられているからで、新季語についてまわる議論に反して、この鷹揚さは実は特殊なことなのではないか、と感じた。


2.クリスマスの佳句を読む

 クリスマス妻のかなしみいつしか持ち 桂信子

複数の歳時記で例句として採用されている。クリスマスを飲んで帰らぬ夫を待つ妻の句か、と読むとザ・昭和な句に見えてしまう。句集「月光」収録の、戦前、思いがけず早くに夫を亡くす以前に書かれた句であることを知ると、この句の「妻のかなしみ」は平均的な詠嘆を表層的にすくったものではない、ごく短い幸せに含まれていたのかもしれないことが思われ、ツーンとなる。句意は変わらず、待ちぼうけ、あるいは忙殺され、楽しんでる余裕なんざない、ということであるけれど、その「かなしみ」は甘味の中に1%含まれた塩味だったのかもしれない。


 おでん喰ふ聖樹に遠き檻の中 角川春樹

作者にしか書けない句。来歴は調べてみればすぐにわかると思うので割愛する。「檻の中」が誇張やなにかの喩ではないことがはっきり活きていて、「おでん」「聖樹」の季重なりをうっかり見過ごしてしまいそうになる。


 へろへろとワンタンすするクリスマス 秋元不死男

筆者は自句に「ひとりだけ餅食べてゐるクリスマス」というのを以前作ったが、こちらはワンタンをすすっている。「へろへろ」はワンタンの質感にもかかっているが、酔漢となった作者のさまかもしれず、ますます好感が感ぜられる。作者には他に「飛ぶさまで止る聖夜の赤木馬」という句もある。こちらはメリーゴーランドの木馬か、オーナメントを見たのだろうか。「不死男の句は漢方薬の入った飴のような味わいがある」とは中井英夫の言である、まったく同意する。


 チルチルもミチルも帰れクリスマス 竹久夢二

メーテルリンクの童話劇「青い鳥」の主人公、チルチルとミチルに「帰れ」と告げている。クリスマスだから家に帰りなさい、と言っているように読めるのだが、「どこ」から家に帰るのか。

初見の頃、チルチルとミチルが夢の中で出会った老婆に頼まれて巡る国々の途上で、もういいから、お家へ帰りなさい、と諭しているのだろうかと思った。今は、話の続き、ふたりが夢から覚めた後、お隣の病気の娘に青い鳥を与える場面なのではないかと思っている。

その理由は、この句が、夢二が結核を患い、富士見高原療養所に入院した時期に書かれたものだから。作者晩年の一句である。

夢から覚めた兄妹は世界が幸せに見えて、お隣の娘にもその幸せを分け与えよう、と鳥を連れて訪ねていった。夢二は自分のもとに現れた幻の兄妹に「帰れ」と言っているのではないか。夢想的に過ぎる読み方かもしれないが、この切ない後味が残る句に境涯を見ることは、いけないことではないと思う。


 いくたびも刃が通る聖菓の中心 津田清子

クリスマスケーキを切り分けている景か。丸いケーキを切るには、中心をはずれぬよう、対角線状に何度もナイフを入れる。そのいたましさにふと気づいてしまった。「いたましさ」と書くとちょっと仰々しい。もっとドライに、あるいは酷に景を切り取っている、句そのものも句材をスパッと切っているのか。


 天に星地に反吐クリスマス前夜 西島麦南

クリスマスだから、という理由を得る以前に、年末は忘年会の類いがある。酔っ払いは12月24日以前も以後もあらわれる。ゆえにこの句の「反吐」は直接クリスマスとは関係ないのかもしれぬ。クリスマス・イブの深更、冬晴れの星空を眺めつつ、足元にも気をつけて歩かないとね…という、なんだか身に覚えのある景だ。対句の小気味よいリズムと句跨がりのせいか、今しも大書してそのへんに貼っておきたい一句である。


2023年12月8日金曜日

第216号

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■令和俳句帖(毎金曜日更新) 》読む

令和五年夏興帖
第一(10/13)仲寒蟬・辻村麻乃・仙田洋子
第二(10/21)坂間恒子・杉山久子
第三(10/27)竹岡一郎・木村オサム・ふけとしこ・山本敏倖
第四(11/3)岸本尚毅・小林かんな・瀬戸優理子
第五(11/10)神谷波・松下カロ・加藤知子
第六(11/17)小沢麻結・浅沼 璞・望月士郎・曾根 毅
第七(12/8)冨岡和秀・花尻万博・青木百舌鳥

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俳句新空間第18号 発行※NEW!

■連載

【抜粋】〈俳句四季10月号〉俳壇観測249 前衛の軌跡と終焉——澤好摩と岸本マチ子(後編)

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【新連載】伝統の風景――林翔を通してみる戦後伝統俳句
 1.伝統について 筑紫磐井 》読む

【連載】大関博美『極限状況を刻む俳句 ソ連抑留者・満州引揚げ者の証言に学ぶ』を読む⑥ 一人の俳句の書き手・読み手として 黒岩徳将 》読む

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【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(40) ふけとしこ 》読む

英国Haiku便り[in Japan](41) 小野裕三 》読む

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北川美美俳句全集32 》読む

澤田和弥論集成(第16回) 》読む


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ふけとしこ第5句集『眠たい羊』を読みたい インデックス

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眞矢ひろみ第一句集『箱庭の夜』を読みたい インデックス

葉月第一句集『子音』を読みたい インデックス

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麻乃第二句集『るん』を読みたい インデックス

前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井 インデックス

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉜ のどか 》読む

およそ日刊俳句新空間 》読む
…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
10月の執筆者(渡邉美保)

俳句新空間を読む 》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子




筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊/2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。 

【抜粋】〈俳句四季10月号〉俳壇観測249 前衛の軌跡と終焉——澤好摩と岸本マチ子(後編) 筑紫磐井

(前略)

岸本マチ子と沖縄

 澤氏に引き続くように、沖縄の俳人岸本マチ子が7月29日亡くなった。88歳であった。「形象」「天籟通信」「海程」「頂点」「豈」に所属し、「WA」を創刊した。句集に『一角獣』『残波岬』『ジャックナイフ』『うりずん』『縄文地帯』『曼殊沙華』『通りゃんせ』『鶏頭』があり現代俳句協会賞を受賞している。

 しかし岸本氏は普通の俳人と違った怒涛のような生涯を送っている。もともと群馬県伊勢崎市の織元の娘として生まれたが、親の希望で7歳まで男の子として育てられたという。戦中は伊勢崎の空襲で被災、玉音放送も聞いたという。戦後、中央大学に入学し、フェンシングで関東学生選手権に優勝、文武両道の人だった。卒業を控え、沖縄出身の同級生と結婚、学割(!)で沖縄に渡航するが軍政時代から民政府時代の混乱に遭遇。後に琉球放送に入社、退職後フリーのアナウンサーと同時に雑貨卸業を続ける。この間ベトナム戦争、コザ騒動、沖縄日本復帰を経験。『与那国幻歌』『コザ 中の町ブルース』をはじめ多くの詩集を出し、山之口獏賞、小熊秀雄賞、地球賞等を受賞。評伝『海の旅――篠原鳳作の遠景』『吉岡禅寺洞の軌跡』があり、また晩年は沖縄県現代俳句協会編『沖縄歳時記』を中心となって刊行した。生涯沖縄にこだわり続けた作家であった。

 岸本氏の詩の代表作「サシバ」(サシバは春から日本に渡来する鷹の一種で長距離に亘る移動を行う。絶滅危惧種となっている)の中で書いている「あざやかに生きることも/あざやかな女になることもやめた女は/今胸の中に一羽のサシバを飼っている」は岸本マチ子そのものを描いているような気がする。


鞭のごと女しなえり春の雷  『一角獣』

尾をたらす首里正殿の夏木霊 『うりずん』

渺々と大鷲が飛ぶ雲がとぶ  『縄文地帯』

曼殊沙華ふところに咲くテロの街 『曼殊沙華』

かつて色町とくにかげろうひじり橋 『通りゃんせ』

白萩ゆれ夢の中までどどどと兵 『鶏頭』


新連載・伝統の風景――林翔を通してみる戦後伝統俳句 1.伝統について  筑紫磐井

 平成21年(2009年)に亡くなった林翔の全句集が11月に刊行された。林翔は、能村登四郎、藤田湘子と並んで馬酔木の戦後の三羽ガラスと呼ばれた作家であり、特に盟友登四郎が主宰する「沖」の創刊に当たり、水原秋櫻子からの要請で編集長を勤めた人である。この初期の「沖」は伝統派の中では積極的に発言する雑誌として注目を浴びたが、その中心を担ったのが林翔であった。先日、出版を語る会でご息女の吉川朝子氏から林翔全作品使用のご了解をいただいたので、「伝統の風景――林翔を通してみる戦後伝統俳句」を始めてみることとしたい。

 今回連載を始める理由は、抽象的な俳句史がふえてきており、その根拠となるディテールとそれを結ぶ理論の検証がややおろそかになっているように感じるからだ。例えば、伝統と言えば、有季定型、反前衛と条件反射的に語られるようだが、そう単純に行くものではない。人によっても時期によっても大きなブレがあるはずである。それを包摂して、理論を考えるべきであろう。そうした考察に比較的林翔は向いているように思うのである。

    *

 今般『林翔全句集』の編集にかかわったが、その過程で多くの資料を渉猟し、林翔の評論、随筆及びその編集に伝統俳句の戦後問題が凝縮している感じを受けた。もちろん、戦後の代表的伝統俳句作家として、飯田龍太、森澄雄がいるのだが、彼らの俳句に対する発言は分かりやすいとは言えない。「俳句は無名がいい」「一瞬に永遠を言いとめる大きな遊び」等は有名であるが、だからと言って龍太、澄雄の作句の主張がすべて分かるものではない。社会性俳句に於ける兜太、欣一の主張「俳句は態度」「社会主義的イデオロギー」、前衛俳句における造型俳句論はこれを読むだけで彼らの作品はおぼろげながら浮かび上がる。しかし伝統俳句についてはこうした主張がよくわからないのだ。

 前衛俳句からの伝統批判はいくらでも見ることができるが、伝統俳句からの自らのアリバイ証明が見えてこないから信仰の表白のようになってしまうのだ。しかし、能村登四郎や林翔はかなりはっきり伝統の論拠を述べている。追ってこれらを見てゆきたいが、その前に林翔のこんな発言を見ておきたい。


 今井豊が40年も前に発行していた雑誌に「獏」がある。短詩型文学機関誌と銘打った雑誌で、多くの若手が作品を発表していた。第33号(1984年4月号)にこんな記事が載っている。「全国俳人50氏へのアンケート」(第8号からの復刻。時期不明だが5年程前か)。


問。あなたが作句されるときに季語はどう扱われますか。

問。将来の俳句に於いて季語はどういう位置を占めると思いますか。

問。無季俳句を認めませんか。またその理由。


林翔はこんな回答を寄せている。

➀季語は必ず入れている(歳時記にない語でも季感があれば使うことがある)。

➁現在と変わりはないと思う。

③認める(季語はあった方がよいが、絶対なものではない)


 伝統派と目される長谷川双魚、阿波野青畝、岡田日郎、森田峠、岸田稚魚が③について、「認めない」と答えている中で、林翔はかなり踏み込んでいる。伝統派に属すると言っても、理論的で、立場に固執しないのが林翔の特色であった。

      *

 こんな林翔が、「沖」の編集長として行った最初の企画が「シリーズ伝統俳句研究」である。毎号、部外執筆者等に伝統俳句の考察を行わせている。例を挙げて見よう。伝統、前衛にこだわらず執筆者を選んでおり、なかなか豪華な顔ぶれである。


【シリーズ伝統俳句研究】

伝統俳句の悪路 能村登四郎(46年2月)

伝統と私 飯島晴子(46年6月)

若年と晩年――蛇笏俳句に於ける伝統の一方向 福田甲子雄(46年7月)

伝統的視点の再検討 川崎三郎(46年8月)

新しきもの、伝統 林翔(46年9月)

伝統俳句の新しい行き方 有働亨(46年10月)

現代俳句に於ける伝統の変革 岡田日郎(46年11月)

伝統俳句と女流俳人 柴田白葉女(46年12月)


 当時総合誌も盛んに伝統特集を行っていた。一種の伝統ルネッサンスの時代であったと言えるかもしれない。これらと伍し、またはさきがけ、前衛に負けない伝統を生み出そうとしていたようにも見える。


➀伝統と前衛・交点を探る(座談会)俳句研究 45年3月~4月

➁俳句の伝統(特集)俳句研究 46年5月

③俳句の伝統と現代(特集)俳句研究 46年8月

④伝統俳句の系譜(特集)俳句研究 47年7月

⑤伝統と前衛――同じ世代の側から(座談会)俳句48年1月

⑥現代俳句の問題点――俳句伝統の終末・物と言葉など 俳句研究 50年4月


 まさにこれらと競い合うように沖における伝統研究が行われていたのである(沖では、これに続き「シリーズ現代俳句の諸問題」「心象風景」「イメージ研究」が行われたが、いずれも「伝統俳句研究」の延長にあるテーマであった)。

       *

 実を言えば林翔はかなり早くから伝統論を展開していたのである。世の中が伝統で騒ぎ始めるずっと前に伝統論を執筆している。前衛俳句が猖獗を極め、伝統俳句がすっかり意気消沈している時代の伝統論である。


〇硬質の抒情――伝統俳句の道 南風 36年1月

〇伝統の克服 南風 37年5月

〇伝統俳句の道 南風 43年3月


 我々は単純に伝統、――あるいは前衛に対する伝統を語ってしまっているが、林翔を手掛かりに腰を据えた伝統を考える必要があるのではないか。


(第1回なので意気込んで少し重苦しいテーマを選んでしまった。今後の連載に当たっては、もう少し軽やかな林翔の発言も取り上げることができると思う。)

林翔全句集(コールサック社)

【連載】大関博美『極限状況を刻む俳句 ソ連抑留者・満州引揚げ者の証言に学ぶ』を読む⑥ 一人の俳句の書き手・読み手として 黒岩徳将

 大関博美『極限状況を刻む 俳句 ソ連抑留者・満州引揚者の証言に学ぶ』(以下『極限状況を刻む俳句』)はシベリア抑留の過酷な体験を生き延びた父がいたという個人的な背景を起点として執筆された。大関は「僭越なことだが、抑留者の父を持った子どもの使命として、父を含めた抑留者たちの語り得ぬ言葉を掘り起こし、少しでもソ連(シベリア)抑留者たちの実相とその思いを後世に伝えていきたい」と希望し、現代日本社会全体の問題として提起している。大関の父は「これといった表現手段を持たな」かったとある。積極的に語ろうとしなかった父の体験を間接的にでも理解しようとする目的も含めて、平和記念資料館にて父の足跡を資料から知り、抑留体験者の話を聞き、資料収集によりシベリア抑留・満州引き上げという歴史的事件の詳細を掘り下げて理解しようとしている。大関は「みな違う抑留体験があり、戦後の生き方も様々」であることを理解しつつ、抑留体験を伝える作品のうち、俳句を中心にとりあげて「ソ連(シベリア)体験や満州引き上げを体験した方々の、過酷な境遇を生き延びた思いを刻んだ俳句を読むことにより、作者たちの内面世界を理解し」ようと作品解釈・鑑賞している。第三章「ソ連(シベリア)抑留俳句を読む」では、大関自身が俳句経験者であるという特性が活かされ、抑留者の俳句の読解と作品の背景を掛け合わせて記した文章が、読者の一句の理解を促進する効果を成し得ていると考えた。


占守に戦車死闘すとのみ濃霧濃霧 小田保(『続シベリア俘虜記』)

 たとえば小田のこの句について、『シベリア俘虜記』に小田が記した随筆が抜粋して追加されている(戦記についての出典は定かではないと大関註あり)。占守島に上陸開始したソ連軍の止まない進撃に苦戦し、濃霧のために主力部隊の来援が遅れる事態があったことが付記されることで「濃霧濃霧」の繰り返しの切迫感の意義が強調されるように思われる。


死にし友の虱がわれを責むるかな 黒谷星音

 大関評に「抑留一年目の冬、作業大隊五〇〇名のうちの半数が亡くなり二〇〇名余となり、残った者は絶望の日々を送った」とある。労働苦を背負った死者から、寄生していた虱が離れる映像的おぞましさが「責むる」の壮絶さを強調する。


 俳人が句会にて選をするとき、一句だけを読むことで読者に景・状況・作者の感情などの情報がわかりやすく伝達されるかどうかを評価軸の尺度におくことは一般に多いだろう。作者の名が付され、シベリア抑留者であることを前提にして上記の句に向き合う時の読み解きとは、読者側のスタンスを句会と変えなくてはならないのではという問いが頭にちらつく。また、違う観点から捉えると、俳人が一句を読むときに、景・状況・作者の状況を「読めない」と感じることにより付帯する情報を取得し、時代や事件の背景をより深く知ろうとすることができるということを多くの句から感じられた。それほどに戦争を生の体験として持つ先輩世代と筆者との距離は遠い。遠いからこそ、本書序章にて記されている、旧満州で生まれ、句文集を出版した『遠きふるさと』の著者天川悦子氏が大関氏に「世代の違う貴方が、私たちの体験した戦争をどのように思うのか、楽しみ。思い切りやってみなさい」と言ったエピソードは、本書の戦争非「体験」読者にとっても他人事ではないということを痛感する。体験し得ないからこそ情報を得にいくことの重みを大関氏に教えていただいた。

 終盤の「全章のまとめとして」には、俳句や句座が当時、そしてその後の俳句作者の人生にどのように影響したか、その「働き」について大関が仮説立てし、シベリア抑留・満州引き上げの検証を、現代社会問題である阪神淡路大震災・東日本大震災・ウクライナ侵攻に敷衍している。「働き」といっても合理主義に基づいたものではなく、抑留者の中には命や尊厳を繋いでいくために俳句が手綱になった人がいたことを噛み締め、俳人生活と社会生活を捉え直したい。また、本書にも紹介されている抑留者が選択した他ジャンルの表現形式と比較して「なぜ俳句なのか」「俳句だからこそできることは何か」を問い続けることも一俳句作者としては必要なことのように思う。

 本書記載の直接的な内容からは外れてしまうのだが、本書を読み、筆者は自身の師系の流れに位置付けられるシベリア抑留経験者の俳句について読み直すべきだと考えた。昭和32年に「寒雷」入会、昭和50年に「椎」を創刊している原田喬は昭和20年に応召、終戦と共にソ連捕虜となり、23年にシベリアより帰還。第一句集『落葉松』に次の句がある。


シベリアにて二句

凍死体運ぶ力もなくなりぬ

雀烏われらみな生き解氷期

 死体を運び続けてきたからこそその力の失せ具合にやるせなさでは済まされない苦々しさがある。


固く封じてレーニン全集曝書せず

 本は自宅にあるが開く対象にはできないことに並並ならぬ苦しさを感じる。


次の句は喬の「これからの私の俳句」というエッセイに収録されている。


生くるは飢うることあかあかとペチカ燃ゆ(昭二一)

 私はその頃シベリアに抑留されていた。それは満三年間だった。紙も鉛筆もなかった。私はただつぶやいては自分に言ってきかせた。私の抒情の甘さは今日に至るまで私の本質であることを変えていないが、この句はその原型であると思う。飢えて死ぬというきびしさをまともに追求せず、飢えている自分を傍観している放心状態を、ペチカという言葉が持つ異国情緒の中で歌っている。これは歌うは訴うという本来の力を持ってはいない。(「寒雷」1973.9)


 喬は、シベリア抑留体験が俳句になるときに作者が何を求めたか、そして俳句を結晶化させるときに作者として何を求めるのか、何に格闘しているのか上記文章からうかがえる。自句自解は句の持つ力を作者自身が信じられていないから行うのはよろしくないという意見があると思う。ただ、このエッセイは、散文で述懐するしか、自身の中でけりをつけることはできなかったのかもしれない喬の心中を思った。何より抑留体験を材にした自句を叩くというストイックさに、喬が体験を自己の俳句に昇華させるためにもがいていたことがわかる。「沖縄タイムス」(2023,9,5)の『極限状況を刻む俳句』書評では「俘虜死んで置いた眼鏡に故国(くに)凍る 小田保」「棒のごとき屍なりし凍土盛る 黒谷星音」を引用し、「死や凍結が文芸としての比喩ではなく、現実の風景だった」ことを指摘している。これは現代俳句でも重要な論点だと筆者は考える。2023,10,18に現代俳句協会事業部が公開しているYouTube動画「いまさら俳句第四回 「前衛俳句の手法は現代でも有効か?」」において、後藤章は川名大に現代と切り結ぶときの手段としての暗喩の可能性を問うている。川名は「喩えるものと喩えられるものが完全にイコールになってしまうと喩えられるものが広がっていかない」「一句全体でもってメタファーになっていないと効果が出ない」と断じ、金子兜太の句の好作として「我が湖あり日陰真暗な虎があり」を挙げ、心の中の思いとか性情を表している」「精神的な世界の中で虎が潜んでいる」と、比喩の対象を御し難い存在として捉えると広がりがある」述べている。川名の捉え方で考えると「死や凍結が文芸としての比喩ではなく、現実の風景だった」として作られた句は文芸的価値に乏しいとみるのだろうか。また、喬の言う「歌うは訴う」は川名が価値を置く暗喩の力と重なり合う部分があるのかどうかということも筆者は即時判断できない。

 「寒雷」1999.9の原田喬追悼特集にて九鬼あきゑが遺句五十句を抄出しており、次の句が最後に記されている。


流氷やわが音楽はその中より 喬(『長流』にもあり)


 大須賀花は同号にて「この流氷は厳寒のシベリア抑留時代のものと想像するが、先生の胸にはいつも流氷があり続けたのではないかと思う。」と鑑賞している。原田氏から直接話を聞いたことのない筆者としては、この「流氷」の一語をもって原田喬の句業をシベリア時代のイメージを被せて飲み込むことに躊躇いを覚える。「音楽」を創作表現の比喩として捉えるとき、ここに俳句作者の込めた思いと読者の解釈鑑賞に齟齬が生まれる可能性があり、その齟齬を齟齬のまま飲み込んだときに何が生まれるのかということに注意はしながら味読するべきかと思う。


【渡部有紀子句集『山羊の乳』を読みたい】⑯ 生き物への眼差し 笠原小百合

  渡部有紀子さんが第一句集『山羊の乳』を上梓された。

 有紀子さんとは俳人協会の若手句会、若手部の各句会(名称は似ているが全くの別句会である)でご一緒しており、その並外れた観察眼と鑑賞力にいつも感服しきっている。

 有紀子さんのその強い眼差しに、俳句の道を進む者の意志を感じていた。

 その眼差しは『山羊の乳』にも如実に表れているように思う。


朝焼や桶の底打つ山羊の乳

子と歩む名月見ゆるところまで


 一句目。力強い写生句である。「朝焼」の眩さ、神々しさの中、「桶の底」を弾けんとばかりに強く打つ「山羊の乳」を搾る手にも自然と力がこもる。まるで神聖なる儀式のようなワンシーンだ。写生に徹底することの底力を見せてくれる一句である。

 二句目。慈しみに満ちあふれた句である。何より先に湧き出る子を愛しむ気持を上五に置くという句の作りが秀逸だ。それも「名月」を求めてのことであれば、尚更愛しさは増す。十五夜に願いをこめて、お子さんとの大切な時間を切り取られている。


 筆者が興味を抱いたのは、俳人・渡部有紀子の詠む生き物の句だった。

 筆者自身が生き物、動物への思いを大切にしていることもあり、他の俳人の詠みぶりがどうしても気になってしまう。

 以下、「山羊の乳」より生き物を詠んだ4句を取り上げ、鑑賞していきたい。


つばめつばめ駅舎に海の色曳いて


 駅舎にすっと一瞬、つばめが通り過ぎる。その軌跡が「海の色曳いて」いたように見えたという句。つばめのちょっと澄ましたような表情が浮かぶ。

 海よりやって来たつばめが海の色を一緒に連れてきたという把握に相応しいのは、海の近くの駅舎か、遠く離れた駅舎か。けれどきっとそんなことは些末な問題でしかない。作者に馴染み深い鎌倉方面の駅とも読めるし、大都会の東京駅として読んでもまた味わい深い。読み手側によって世界の広がり方の変化する楽しさに「つばめつばめ」のリフレインも加わり、海の明るさに包まれる心地になる。


水鳥の身動ぎもせず弥撒の朝


 一句を貫く厳かな空気は、ひんやりとした朝の気配を思わせる。「身動ぎもせず」という措辞は何を示しているのか。写生だけでは収まりきらない感情がそこには見えるように思う。静寂にも様々な種類があり、掲句は厳粛で美しい静寂の景を描いているのだと感じた。「弥撒」という一語により、静寂がより引き立つ。


移されて金魚吐きたる泡一つ


 よくご覧になられているなと、うっとりとした溜息の漏れた句である。上五「移されて」が特に巧みで、省略が効いている。金魚がぽっと泡を一つ吐いただけで、こんなに豊かな気持になれる表現が出来る人がいるということに驚いた。金魚のその存在の優雅さも伝わってくる。凛と気高い、孤高すら感じる金魚は、一体何を思っているのだろう。


宮古馬高く嘶き稲光


 「宮古馬」は宮古島に生息している野生の馬のこと。「嘶き」「稲光」の韻の重厚感は、読み手にその土地への思いを馳せる手助けをしてくれる。宮古馬が高く嘶いて、それがきっかけとなり稲光が起こったように読めるが、そこに因果関係はない。たまたま高く嘶いたときに、稲光が見えたのだ。まるで俳句の神様からの天啓のような句だと感じた。

 以上の句を読んでいく中で、有紀子さんは生き物という対象を非常に客観的に捉えていると感じた。生き物との一線を越えない。それは生き物への敬意の表れ。むやみに近寄ろうとしない。生き物たちの領域へ勝手に侵入しない。ずかずかとつい乗り込んでしまう筆者にとって大いなる学びとなった。有紀子さんの他者を思いやる姿勢は、動物相手でも人間相手でも変わらない。



【執筆者プロフィール】
笠原小百合(かさはらさゆり)
1984年生まれ。栃木県出身。埼玉県在住。
2017年作句開始、田俳句会入会。水田光雄主宰に師事。2023年、第9回田賞受賞。俳人協会会員。


SNS発:俳句のアドベントカレンダー  佐藤りえ

  SNS「X(旧:Twitter)」上で「俳句のアドベントカレンダー」企画が進行中である。

企画といっても、何らかの団体、グループが運営したり、募集をしているわけではない。「X」をプラットフォームとして、そこにアカウントを持つもの同士が共通のハッシュタグ #俳句アドベントカレンダー を共有して書き込みをする、自主的なイベントである。

アドベントカレンダーとは、本来は待降節の期間、一日ひとつずつ窓を開けていくカレンダーのことを指す。窓の中には写真、イラスト、詩の一節などが印字されている。紙に印刷された窓を切り開くタイプのものから、近年では引き出し型、ツリー型などさまざまな形態のものがあり、中にお菓子やおもちゃを入れて取り出す、娯楽として用いられることも多い。


インターネット上でのアドベントカレンダー企画は2010年代ごろより各種行われているようだが、「俳句」と銘打ったものが登場したのは近年のことのようだ。

調べた範囲で最も古いものは2017年、プロジェクト管理ツール「Backlog」内のアドベントカレンダー企画で「Backlogあるある俳句」が株式会社テンタス・小泉智洋によって発表された。


 プロジェクト名前が似てきてよくわからん/小泉智洋

 重複課題お互いリンクだどっち元?

など、どちらかといえば川柳的なあるあるネタが披露された。

2018年にはウェブサイト「note」のアドベントカレンダー企画内で内橋可奈子による「クリスマスについてスケッチを」が書かれた。これはクリスマスについての日常エッセイに俳句が織り込まれたものである。


 おはなしのひとになりたいクリスマス/内橋可奈子

 クリスマス剥がせよ膜のようなもの

などの作品が見える。


上記2点は企画内の一角に俳句が含まれているものだが、現在「X」上で行われている 俳句アドベントカレンダー は一人が12月1日から25日まで、1日1句を投稿し続ける「ひとりアドベントカレンダー」興行である。

こちらは2020年12月2日の箱森裕美のこのつぶやきに端を発している。



 ひとつひとつ磨いて起こす聖樹の実/箱森裕美

西川火尖、柊月子らが参加、2020年のカレンダーは数人規模でおひらきとなった。



翌年2021年は写真、イラストなどを添える者も現れ、参加者は増加。年号つきの #俳句のアドベントカレンダー2021 ハッシュタグも登場した。岡村知昭・松本てふこ・ばんかおりらも参加、1日から25日まで「完走」したものは1枚画像にまとめて公開する流れもできてきた。



かくいう筆者も2022年に参戦、毎日イラストレーションを添えて投稿、折句で頭文字を並べると短歌になる、ということをやりました。



「X」は無料登録ユーザーはひとつの書き込みに対して140文字の字数制限がある。ひとつの記事・コメントが短いことからか、アドベントカレンダーに限らず俳句・短歌をつぶやく者がもともと数多く存在する。

アドベントカレンダー企画はそうしたプラットフォームの性格を活用、時節に沿ったお祭り感のある催しとなっている。

「降誕節」「クリスマス」は冬の季語ゆえ、それを詠み込めば即冬の句となる、という目に見えてはっきりした題詠ともいえる。もっともアドベント内は冬の事物を詠み込んだ句が多い。クリスマスしばりで作句をするものではなく、毎日コツコツ詠み続けることがこの催しの真骨頂といえるだろう。

SNSはかつての掲示板や2ちゃん(現:5ch)に比べ「場を共有している」実感が掴みにくい場でもある。ハッシュタグを共有することで連帯を示す、参加意志を表明することはできるが、どのぐらいの人が同時に参加しているか、自分の書いたものをどのぐらいの人が見ているか、といった全体像を把握するのが困難な仕組みになっている。そういう意味からすると、これらの投句は刹那的な取り組みにも見える。
季節行事とは、しかし、そもそもそういうものかもしれない。時間的制約が最優先の枠組みとしてあり、それを過ぎたら、行きて帰らぬ、さてその空には銀色に、蜘蛛の巣が光り輝いてゐた。というように、さっと流れていくのが美点ともいえよう。


今年もすでに #俳句のアドベントカレンダー2023 が始まっている。

表記に若干ゆれがあり、「#俳句のアドベントカレンダー」「#俳句のアドベントカレンダー2023」「#俳句アドベントカレンダー」などハッシュタグ検索でたどれば、参加者の書き込みがずらりと表示される。

クリスマス当日に向けて昂ぶるものもいれば、淡々と日常的な冬の情景を詠む者もいる。

多様な冬の句作風景を目の当たりにしてみてはいかがだろうか。

(文中敬称略)

2023年11月24日金曜日

第215号

           次回更新 12/8


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■令和俳句帖(毎金曜日更新) 》読む

令和五年夏興帖
第一(10/13)仲寒蟬・辻村麻乃・仙田洋子
第二(10/21)坂間恒子・杉山久子
第三(10/27)竹岡一郎・木村オサム・ふけとしこ・山本敏倖
第四(11/3)岸本尚毅・小林かんな・瀬戸優理子
第五(11/10)神谷波・松下カロ・加藤知子
第六(11/17)小沢麻結・浅沼 璞・望月士郎・曾根 毅

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■ 第40回皐月句会(8月)[速報] 》読む

■大井恒行の日々彼是 随時更新中!※URL変更 》読む

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■連載

【抜粋】〈俳句四季10月号〉俳壇観測249 前衛の軌跡と終焉——澤好摩と岸本マチ子(後編)

筑紫磐井 》読む

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(40) ふけとしこ 》読む

【渡部有紀子句集『山羊の乳』を読みたい】⑮ 各章から 大西朋 》読む
インデックス

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【連載】大関博美『極限状況を刻む俳句 ソ連抑留者・満州引揚げ者の証言に学ぶ』を読む⑤ 》読む

句集歌集逍遙 岡田由季句集『中くらゐの町』/佐藤りえ 》読む

【豊里友行句集『母よ』を読みたい】② 豊里友行句集『母よ』書評 石原昌光 》読む

北川美美俳句全集32 》読む

澤田和弥論集成(第16回) 》読む




■Recent entries

中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい インデックス

篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい インデックス

中西夕紀第四句集『くれなゐ』を読みたい インデックス

渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい インデックス

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ふけとしこ第5句集『眠たい羊』を読みたい インデックス

加藤知子第三句集『たかざれき』を読みたい

眞矢ひろみ第一句集『箱庭の夜』を読みたい インデックス

葉月第一句集『子音』を読みたい インデックス

佐藤りえ句集『景色』を読みたい インデックス

眠兎第1句集『御意』を読みたい インデックス

麒麟第2句集『鴨』を読みたい インデックス

麻乃第二句集『るん』を読みたい インデックス

前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井 インデックス

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉜ のどか 》読む

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…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
10月の執筆者(渡邉美保)

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…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子




筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊/2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。 

【抜粋】〈俳句四季10月号〉俳壇観測249 前衛の軌跡と終焉——澤好摩と岸本マチ子  筑紫磐井

 (前略)

岸本マチ子と沖縄

 澤氏に引き続くように、沖縄の俳人岸本マチ子が7月29日亡くなった。88歳であった。「形象」「天籟通信」「海程」「頂点」「豈」に所属し、「WA」を創刊した。句集に『一角獣』『残波岬』『ジャックナイフ』『うりずん』『縄文地帯』『曼殊沙華』『通りゃんせ』『鶏頭』があり現代俳句協会賞を受賞している。

 しかし岸本氏は普通の俳人と違った怒涛のような生涯を送っている。もともと群馬県伊勢崎市の織元の娘として生まれたが、親の希望で7歳まで男の子として育てられたという。戦中は伊勢崎の空襲で被災、玉音放送も聞いたという。戦後、中央大学に入学し、フェンシングで関東学生選手権に優勝、文武両道の人だった。卒業を控え、沖縄出身の同級生と結婚、学割(!)で沖縄に渡航するが軍政時代から民政府時代の混乱に遭遇。後に琉球放送に入社、退職後フリーのアナウンサーと同時に雑貨卸業を続ける。この間ベトナム戦争、コザ騒動、沖縄日本復帰を経験。『与那国幻歌』『コザ 中の町ブルース』をはじめ多くの詩集を出し、山之口獏賞、小熊秀雄賞、地球賞等を受賞。評伝『海の旅――篠原鳳作の遠景』『吉岡禅寺洞の軌跡』があり、また晩年は沖縄県現代俳句協会編『沖縄歳時記』を中心となって刊行した。生涯沖縄にこだわり続けた作家であった。

 岸本氏の詩の代表作「サシバ」(サシバは春から日本に渡来する鷹の一種で長距離に亘る移動を行う。絶滅危惧種となっている)の中で書いている「あざやかに生きることも/あざやかな女になることもやめた女は/今胸の中に一羽のサシバを飼っている」は岸本マチ子そのものを描いているような気がする。


鞭のごと女しなえり春の雷     『一角獣』

尾をたらす首里正殿の夏木霊    『うりずん』

渺々と大鷲が飛ぶ雲がとぶ     『縄文地帯』

曼殊沙華ふところに咲くテロの街  『曼殊沙華』

かつて色町とくにかげろうひじり橋 『通りゃんせ』

白萩ゆれ夢の中までどどどと兵   『鶏頭』


【渡部有紀子句集『山羊の乳』を読みたい】⑮ 各章から 大西朋

 渡部有紀子俳句の魅力は何といっても句材の幅広さ、語感の端々から感じることのできる、知性と品性のバランスのよさだろう。そして対象物に迫るひたむきさ、何事も真摯に受け止め、取り組む姿勢は、句会を共にして常々感じ入るところである。芯の通った硬派な一集である。一章から一句ずつ取り上げ鑑賞する。


黒曜石

春霙イエスの若き土不踏

 イエス像に見る風貌は老成し達観しているような面持ちだが、よくよく考えてみれば若いのである。ほっそりとした肢体の先の土不踏。春のまだ寒い日、その土不踏を霙が溶けて滑り落ちていく様は切ない。


神の名

立春大吉ピザを大きく切り分けて

 焼き立てのピザを思う存分食べたい分だけ切り分ける。そしてふと熱々のピザを頬張りながらふと今日は立春だと気づく。日々の中にある幸せが立春を「立春大吉」としたことでより豊かに伝わってくる。


ディアナの弓

移されて金魚吐きたる泡一つ

 水槽を洗うために一時的に金魚をバケツなどに移したのか、もしくは金魚掬いで袋に移されたのか。ともかくその金魚が泡を一つ吐いた。何とも心細さを感じる「泡一つ」。泡は金魚のため息かも知れない。


師のなき椅子

朝焼や桶の底打つ山羊の乳

 朝早くから絞る山羊の乳。牛の乳ではなく「山羊の乳」に山暮らしの野趣を感じる。そして勢いよく桶の底を打つ乳の音に五感が刺激され、人も自然もしっかりと目覚めてゆくようだ。朝焼けの中を運ぶ山羊の乳が旨そうである。


王の木乃伊

黄金虫落ち一粒の夜がある

 夜になると門灯や軒の灯にばちばちとぶつかってくる黄金虫。そしてぶつかっては落ちて仰向けになり、必死にもがいている。虚子に「金亀虫擲つ闇の深さかな」という句がある。虚子は大いなる闇の深さへ消えてゆく金亀虫を描いているが、この句は眼前の黄金虫をクローズアップすることで、そこから夜の闇がぽつんと足元に現れるような詩情がある。黄金虫だからこそ、「一粒」という措辞が効いているのだ。

 有紀子ワールドの旅を終えて、またここに来ようと思う、そんな読後感が心地よい。



プロフィール
大西朋
1972年生まれ。
鷹・晨同人。俳人協会幹事。


【告知】豈66号刊!

●第8回攝津幸彦記念賞

准賞 「藍をくる」         斎藤 秀雄

   「むやみにひらく」         川崎 果連

選評 なつはづき・羽村美和子・大井恒行・筑紫磐井


●特集Ⅰ・救仁郷由美子全句集 

救仁郷由美子全句集 

解説・救仁郷由美子全句集       筑紫磐井


●特集Ⅱ・私の雑誌

『We』はうぃ。っと楽しもう。     加藤知子

「頂点」59年の終焉録          川名つぎお

「川柳スパイラル」の現在        小池正博

生存報告系個人誌「九重」の真実     佐藤りえ

書き続ける装置としての「俳句新空間」  佐藤りえ

「五七五」という場           高橋修宏

「ペガサス」多様な個性と俳句観に導かれ 羽村美和子

川柳誌「晴」ピーカンの日に       樋口由紀子

小さい句誌の小さい歴史         干場達矢

「しょっちゅう躓いている」       森須 蘭

紫ものがたり              山崎十生

わが「山河」のルーツとその変遷     山本敏倖

「奄美の俳句を考える」         大橋愛由等


●句集・俳書評

寺山修司来るー藤原龍一郎『寺山修司の百首』      樋口由紀子 

語り部としての一脈を担うー川名つぎお『焉』      山本敏倖 

託宣のごとく、宣戦布告のごとくー井口時男『その前夜』 江里昭彦 

学び敬い語り継ぐ一書―池田澄子『三橋敏雄の百句』   太田かほり 

カーテンコールは金銀砂子―秦夕美『雲』        佐藤りえ 

The Sleep of Reason Produces Monsters―小池正博『海亀のテント』  中山奈々 

諧謔の花―佐藤りえ『良い闇や』            岡田幸生 


●第64号作品評他

領域の自由              羽村美和子

詩は何処から生まれるのか       野木まりお 

特別寄稿 脳幹は全能の神もがり笛   わたなべ柊


●作品 55名


************************

募集! 第9回攝津幸彦記念賞


●内容

 未発表作品30句(川柳・自由律・多行句も可)

●締め切り 令和6年5月末日

●書式

応募は郵便に限り、封筒に「攝津幸彦記念賞応募」と記し、原稿(A4原稿用紙)には氏名・年齢・住所・電話番号を明記してください(原稿は返却しません)。

●選考委員 未定

●発表 「豈」67号

●送付先

〒183-0052 府中市新町2-9-40 大井恒行宛


【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(40)  ふけとしこ

   銀河を

土蜘蛛が糸を放てば秋暮るる

複写紙に足らぬ筆圧文化の日

戦車傾く銀河を渡り損ねしか

南瓜叩く魔女だつた日は無かつたが

黒牛の背に乗るもの狐火も

・・・

「大丈夫ですか」

若い女性の声がした。

ああ、綺麗な人だな。

「頭打たなかったか?」

今度は男性の声。

「救急車が来るからね」

これも男性の声。

吟行の帰り、梅田の地下街の雑踏の中だった。

一瞬頭に靄がかかったような気がした。脚に力が入らない。そのまま寝るような姿勢で倒れ込んでしまった。膝から崩れるというけれど、こういうのをいうのかしら。馬鹿なことを考えていた。

救急隊のお兄さん、

「はい、着いたよ。もう大丈夫だからね」

「名前言える?」

「生年月日は?」昭和が出てこない。西暦で何とかクリアー。

「今日何日か分かる?」出てこない。「えーと、えっと……14日かな」「惜しい! 15日や」流石、大阪の救急隊員だなと、内心ちょっとニヤリ。この時はまだ意識があった。

病院へ着いたのは覚えていない。

検査も色々されたようで、採血とか心電図とかの名残りのようなベタベタやネトネトが腕や胸に残っていた。

気が付いたら、「コロナ陽性。帰宅させても大丈夫だろう」という声が聞こえた。しばらく休んだ後、事務の人がタクシーを呼んでくれた。

そこからまた記憶が無い。タクシー代はちゃんと払ったらしく、釣銭らしい札や小銭がリュックにバラバラと入っていた。

帰宅後、全身の疼痛が始まった。コートだけは脱いだが着替えができない、ベッドへ上がれない。助けようと出される手が触れただけで痛い。水も飲めない。そのまま床で眠り込んでしまった。

3日後には熱もさがり、6日が経つと、全身の不愉快にして強烈な痛みも落ち着いてきた。鼻水と軽い咳は未だ残っているけれど、少し食べられるようにもなった。

ワクチンを打っていてもこの有様である。重症だった人たちはどれだけ苦しかったことだろう。

この度は多くの人たちのお世話になった。有難うございました。

(2023・11)

2023年11月10日金曜日

第214号

            次回更新 11/24


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第 179 回現代俳句協会青年部勉強会「「新興俳句」の現在と未来」 》読む

■令和俳句帖(毎金曜日更新) 》読む

令和五年夏興帖
第一(10/13)仲寒蟬・辻村麻乃・仙田洋子
第二(10/21)坂間恒子・杉山久子
第三(10/27)竹岡一郎・木村オサム・ふけとしこ・山本敏倖
第四(11/3)岸本尚毅・小林かんな・瀬戸優理子
第五(11/10)神谷波・松下カロ・加藤知子

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【抜粋】〈俳句四季10月号〉俳壇観測249 前衛の軌跡と終焉——澤好摩と岸本マチ子

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【渡部有紀子句集『山羊の乳』を読みたい】⑭ 異郷を旅する言葉、そして心  柏柳明子 》読む

英国Haiku便り[in Japan](41) 小野裕三 》読む

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(39) ふけとしこ 》読む

【連載】大関博美『極限状況を刻む俳句 ソ連抑留者・満州引揚げ者の証言に学ぶ』を読む⑤ 》読む

句集歌集逍遙 岡田由季句集『中くらゐの町』/佐藤りえ 》読む

【豊里友行句集『母よ』を読みたい】② 豊里友行句集『母よ』書評 石原昌光 》読む

北川美美俳句全集32 》読む

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なつはづき第一句集『ぴったりの箱』を読みたい インデックス

ふけとしこ第5句集『眠たい羊』を読みたい インデックス

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寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉜ のどか 》読む

およそ日刊俳句新空間 》読む
…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
10月の執筆者(渡邉美保)

俳句新空間を読む 》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子




筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊/2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。 

【抜粋】〈俳句四季10月号〉俳壇観測249 前衛の軌跡と終焉——澤好摩と岸本マチ子  筑紫磐井

(今回は1回飛ばして、249号を紹介する。別に澤好摩追悼記事を掲載するためである。)

澤好摩と前衛論争

 澤好摩氏が7月7日に亡くなった。東北への旅行の途次に遭遇した事故によるものであり、七九歳はまだまだ活躍が期待される年齢であった。

 略歴によれば、昭和19年東京生まれ。38年に東洋大学の俳句研究会に入り、「いたどり」「青玄」「草苑」に所属、昭和44年に坪内稔典、攝津幸彦らと同人誌「日時計」を創刊した。昭和46年に「俳句評論」に同人参加し、高柳重信に師事。高柳重信編集の総合誌「俳句研究」の編集事務に長く携わる。重信没後、昭和60年「俳句研究」が角川書店系の富士見書房に転売後、伝説の名雑誌「俳句空間」(書肆麒麟)を創刊する(5号で終了。その後大井恒行の弘栄堂書店に発行を譲っている)。句集には『最後の走者』『印象』『風影』『光源』『返照』があり、『光源』では芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。その他に『高柳重信の一〇〇句を読む』がある。

 私が澤氏と知り合ったのは、攝津幸彦や大井恒行と「豈」の活動に参加してからだった。従ってそれ以前の澤氏のことは攝津幸彦から聞き伝えるところが多かった。しかし、それはまさにいわゆる前衛派の若手作家たちの大爆発であり、その中心に常に澤氏がいたのだった。前述の同人誌「日時計」はやがて、澤好摩の「天敵」、大本義幸・坪内稔典・攝津幸彦の「黄金海岸」に分かれ、さらに「天敵」は「未定」に、「黄金海岸」は攝津幸彦の「豈」と坪内稔典の「現代俳句」となった。特に「未定」は澤好摩、夏石番矢、池田澄子、糸大八、今泉康弘、宇多喜代子、江里昭彦、志賀康、高橋龍、高原耕治、高屋窓秋、豊口陽子、仁平勝、林桂、山田耕司という錚々たる顔ぶれを擁していた(「未定」は2016年に終刊している)。同人誌によりこうした顔ぶれをそろえたことこそ、澤氏の戦後俳壇における大きな貢献であったと思う。ただ澤好摩自身はその後「未定」から離れ、1991年「円錐」を創刊した。近く創刊一〇〇号を迎えると聞いていただけに澤氏の逝去が惜しまれるのである。

 澤氏とは親しくしていただいたが、一度猛烈な批判を受けたことがある。時評風な発言の中で、「円錐」「未定」「豈」などを前衛系と評したことに対して、「円錐」の時評で前衛など存在していない、自分たちは俳句のあるべき姿を模索しているだけだと批判している。伝統と前衛を超克している立場の澤氏の考え方は理解できるが、それでも「未定」「豈」「鬣」「LOTUS」「円錐」がしばしば前衛の現状を語るときにグルーピングされる現象が存在してしまうことも否めないのだろう(「俳句四季」令和4年4月号「前衛俳句とは何か」で堀田季何氏が同じグルーピングをして揶揄的に語られている)。

 そして何より事実、芸術選奨文部科学大臣賞では澤氏の受賞理由に「伝統を踏襲する姿勢とは一線を画し、新興俳句と前衛俳句の流れを汲む作風は、ここへ来て伝統でも前衛でもない、誰も踏み込んだことのない境地へ突き抜けた」と掲げられたことによりこの問題を再考する必要が生まれた。

 その後氏が発行人を務める「円錐」64号・65号(26年1月・5月)で、「今さらながら前衛を語る」を特集し、澤氏自身が「前衛俳句運動」と「前衛」の違い、高柳重信、攝津幸彦、「新撰21」の若手たちの違いを論じている。澤氏の俳句に対する真摯さをよくうかがわせるものであった。この特集は今でもぜひ読み返す必要があると思っている。

 以後あまり澤氏と論じてはいないが、このことを今でも強烈に思い出すのである。


やがて死ぬ景色に青きみづゑのぐ『風影』

鯨ゐてこその海なれ夏遍路   『光源』

花篝嵩減るたびに散る火の粉

水葬や花より淡く日が落ちて

想ふとき故人はありぬ遠白波

猪鍋は丹波にかぎる月夜かな『返照』

(以下略)


【渡部有紀子句集『山羊の乳』を読みたい】⑭ 異郷を旅する言葉、そして心  柏柳明子

 朝焼や桶の底打つ山羊の乳

 古代、西アジアで興った牧畜。羊や山羊を家畜化し乳を利用する営みは時代と共にヨーロッパを含めた多くの地域に普及したといわれる。そんな歴史を踏まえて表題句を読むと、「山羊の乳」という言葉にはいにしえの時間と文明が宿っているかのように見えてくる。季語・朝焼がはからずもそのことを象徴しているようである。だからだろうか、句集『山羊の乳』を読んだ第一印象は「ヨーロッパ、または異郷の雰囲気が漂う一冊」というものだった。

 あとがきによると、渡部有紀子さんは句会の方々と一緒に絵画やギリシャ・ローマ神話の世界を詠むことに挑戦し、そのことが後に世界中の神話や宗教が下敷きになった師・有馬朗人氏の俳句を読み解くのに随分と役立った、とある。それを読んで腑に落ちるものを感じた。

 聖書の人物や関連した季語が出てくる俳句、あるいはギリシャやローマ神話に基づく俳句、そして異郷の古き神々や原風景を思わせる俳句。それらは日本の風景や日常生活等を詠んだ作品の合間合間に顔を覗かせ、本句集に独特の表情と陰翳を与えている。

 以上の観点に基づき、本句集の俳句作品を鑑賞しようと思う。

 まず、聖書に関連した俳句を見てみたい。


春霙イエスの若き土不踏

 洗礼後の荒れ野でのイエスの姿だろうか。「若き土不踏」が厳しい修行と試練の日々を象徴しており、イエスの苦悩の表情まで窺われるようで焦点の当て方が巧みだ。春霙という季語も本格的な春(ナザレのイエスが万人にとっての救い主になる時)を迎えるための最後の辛苦のようで効果的である。


茨の芽イコンの聖母イエス見ず

テンペラの金の聖母や寒卵

 テンペラにより描かれた聖像画・イコン。聖母子像のマリアは確かに嬰児イエスと目を合わせてはいない構図が多い。言われてみればそのとおりで、ハッとさせられる。その驚きを「発見」として生かすことができる俳句という詩形の力を本作品は再認識させてくれる。茨の芽の小さい生命の息吹が愛おしい。

 二句目。こちらの画にはイエスはおらず、聖母マリアだけなのだろう。金色の背景に包まれたマリアが手を合わせ柔らかく小首を傾げている様子が目に浮かぶようだ。寒卵との取り合わせが意外なようで、静謐な存在感が祈りのイメージとも重なってくる。


 一方、聖書に関連した季語の俳句もある。


カトリック歌留多にしかと創世記

 個人的な話で恐縮だが私は教会の幼稚園出身、小学校時代はそこの日曜学校に通っていた。中学年の頃だったか、「聖書かるた」というものをやった記憶がある。聖書の話や教えが書かれたかるただったが、まさか俳句で再びお目にかかるとは思わなかった。今振り返ると、読み物としてもなかなか面白いエピソードが多い旧約聖書「創世記」。どんな読み札で取り札なのか、ドラマティックで絢爛たる絵柄なのか。シンプルな詠みぶりゆえに想像が広がる楽しい一句。


真白なる藁を敷入れ降誕祭

 生まれたばかりのイエスは馬小屋の飼い葉桶に寝かされた。そのエピソードを思い出すと、この句は「降誕祭」の季語を用いながら「聖夜劇」のワンシーンを詠んでいるのかな、とも思う。毎年、クリスマスの頃に劇が行われていた夜の礼拝堂を思い出した。上五「真白」が神の子の誕生に対する寿ぎを厳かに表わしている。


骨太き魚を取分け復活祭

 骨が太い魚は体が大きく身もしまっていそうだ。それを数人で分け合いながら食べる景はエネルギーに満ちており、復活祭との取り合わせは絶妙。磔刑にあいながら三日目に復活したイエスの姿を踏まえ、「生きる」力を肯定した作品という印象を読者に与える。


 では、神話に基づいた俳句はどうだろうか。


大いなるニケの翼や涼新た

銀貨にはニケの立つ船草の絮

 勝利の名をもつギリシャ神話の女神・ニケ。

 一句目、「大いなるニケの翼」と畳み掛けるようなフレーズの後を切れ字「や」で受けている。その疾走感のある詠みぶりからニケの翼の羽ばたく音が聞こえるかのようだ。そして、下五の季語の爽快さが地中海の美しい空と海を想像させ、希望に満ちた古き佳き世界と時間の広がりを読者の前に提示している。

 二句目は銀貨に彫られたニケの姿。船に乗った姿は勝利に向かってひた走る力強さに満ちている。風を得てきらめきつつ飛ぶ草の絮との対比により、十七音の表現に緩急を生み出している。


水の秋ミノスの牛の金の角

 テセウスはアリアドネより手渡された短剣と毛糸によりミノタウロスを倒し、迷宮の入口まで辿り着く。「金の角」が神話と歴史の境目に輝き、水の秋という美しい季語との調和をみせている。


 それにしても聖書の俳句もそうなのだが、日本文化に基づく季語がこうもヨーロッパ(あるいは異郷)的なテーマと違和感なく調和するとは、有紀子さんの手腕はつくづく凄いと思う。師の影響もあると思うが、ともすれば季語が浮いてしまう危険性がある中、これだけの完成度の作品を複数作り、揃えることができるのは素晴らしい。


 上記以外にも、次のような古代の息吹を現代に伝える佳句がある


月涼し仮面真白き古代劇

春星や王の木乃伊を抱く谷


 一句目。真っ白な仮面による古代劇はいくぶん秘儀めいた表情をもち、その景に涼やかな月光があまねく満ちわたっている。

 二句目。「王の木乃伊」の眠りを守るのは谷だけではなく、星の光もそうなのかもしれない。しかも季節は春。一句目の月の光とは異なる柔らかい宇宙からの光が読者の心をもやさしく照らす。また、春星という季語と王の木乃伊から、若きツタンカーメンを発掘したハワード・カーターの姿と人生がどことなく重なってくる。


 また、作者の内なるノマドの精神を彷彿とさせるような句もある。


旅芸人黒き箱曳き冬木立

 「黒き箱」は旅芸人の仕事道具が入っているのだろうが、芸人自身、あるいはその人生のようにも映る。重量感のある「曳く」行為から己が半生を影のように引きずっている姿を想像でき、冬木立という寂びた季語がロングショットの映像として続く。ギリシャを題材にした作品を撮り続けたテオ・アンゲロプロスの映画「旅芸人の記録」の世界観とも響き合うものがあるかもしれない。


 最後に、「神」という言葉が入った作品を見てみたい。


羊皮紙の青き神の名冬の蝶

 パピルスよりも保存が長く効き、経典などの重要文書の記載に用いられた羊皮紙。中七に「青き神の名」とあるということは、ラテン語の聖書だろうか。青いインクで書かれた言葉であり神の名前なのだろうが、「青い神様とその名」のようにも一瞬読めて不思議な印象が残る。冬の蝶の存在感がそのイメージをことさら高めるからかもしれない。そして「神の名」から、愛をもって人と対峙しながら同時に滅ぼすことも可能な絶対の存在への畏怖を感じる。


夕焚火文字なき民の神謡ふ

 文字をもたない民族は世界中にいる。そのため、文明や歴史の成り立ちが不明なことも多い。そんな民族にも言葉があり歌がある。そして、信仰がある。口伝えで継承されてきた民族固有の文化と精神、そして記憶が、あかあかとした焚火とともに暮れつつある天へ昇っていく。静かで美しい作品だ。

 

 現在からあらゆる場所・時代へ、そして神話へ。俳句形式を用い、縦横無尽に空間と時間を旅することができる言葉と心。それが、作家・渡部有紀子の特質のひとつなのかもしれない。この旅の先に生まれる新しい俳句の誕生を祈りつつ、稿を終えたい。


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【執筆者プロフィール】
柏柳明子(かしわやなぎ・あきこ)
1972年神奈川県横浜市出身。『炎環』同人。『豆の木』参加。
第30回現代俳句新人賞。第18回炎環賞。第27回豆の木賞。
句集『揮発』(2015年)、『柔き棘』(2020年)。現代俳句協会会員。

【告知】澤好摩を偲ぶ会

 7月7日に亡くなった澤好摩の偲ぶ会がアルカディア市ヶ谷(詩学会館)で11月4日14時から開かれた(円錐の会澤好摩を偲ぶ会実行委員主催)。

 100人を超える参列者がそれぞれ澤氏を偲んだ。

 司会は山田耕司氏。池田澄子氏、小林恭二氏、夏石番矢氏、恩田侑布子氏、仁平勝氏が偲ぶ言葉を述べたが、日頃交友のあった人達以外で意外な顔ぶれの人も参集したことが澤氏の人徳を偲ばせた。それぞれが語り合った後に、円錐同人の横山康夫氏が最後のお別れの言葉を述べた。

 すでに「大井恒行の日日彼是・続」で速報されているので(11月5日号)写真はじめ詳しくはご覧いただきたい。


 当日に間に合わせた「円錐」99号と、「翻車魚」7号も配布された。


「円錐」第99号ー追悼 澤好摩―(編集部/発行所・山田耕司)、[2023年10月]

 急逝した澤好摩の追悼号である。特別寄稿に、坪内稔典、池田澄子、仁平勝、小林恭二、川名大、伊丹啓子、樋口由紀子、恩田侑布子、高山れおな、大井恒行、高柳蕗子、神山刻、宮﨑莉々香、同人によるエッセイは、橋本七尾子、横山康夫、味元昭次、矢上新八、今泉康弘、山田耕司を載せている。特に圧巻は、澤好摩年譜で、澤氏がかわった雑誌特集の印影も載せ、時代の雰囲気をよく伝えている。詳細な記録を残した、澤氏らしい編集者ぶりに時代の雰囲気がよく伝わる。

 なお「円錐」の今後については山田耕司氏の編集後記によれば103号まで発行を継続、同人の意向を踏まえて今後の展開を検討するという。また、全句集も準備されるらしい。


「翻車魚(まんぼう)」7号(佐藤文香・関悦史・高山れおな)[2023年11月]

 澤好摩氏を偲ぶ企画として、高山れおなの「澤好摩の百句」を掲載。第一句集『最後の走者』から最後の句集『返照』、そして直近の「円錐」掲載句までを丹念にひろい、長短の鑑賞を施している。「円錐」第99号の高山れおな「掃除日記別記ー澤好摩百句執筆の事」はこの百句鑑賞の舞台裏を語っていて面白い。「鬣」第87号[2023年5月]の「特集澤好摩の一〇〇句を読む」と併せて、澤氏の全作品を鳥瞰するために欠かすことのできない資料となるであろう。

英国Haiku便り [in Japan] (41) 小野裕三


カリフォルニアの有季定型

 先日、縁があって、カリフォルニアのhaikuコンテストの審査員をオンラインで務めた。Yuki Teikei Haiku Society(有季定型俳句協会)という団体で、日本から移民として米国に渡った夫婦が設立した。夫はアメリカ生まれながら日本の軍隊に徴兵され、また妻は長崎で被爆するなど、複雑な経歴を持つその夫婦は、英語のhaikuを広くアメリカ人に開かれたものにしたいと考えたようだ。「徳富賞」と呼ばれるそのコンテストは、創設者夫婦の名前に由来する。

 彼らは、五七五は必ずしも絶対視しないが、季語は大切だと言う。とは言え、日米の俳句は異質な側面も孕む。

 一つめは、文化。例えば、キルトを扱った句が多くあったが、キルト作りは米国では仲間や家族の絆を象徴するような風習らしく、僕にはニュアンスを掴みきれない。こんな興味深い句もあった。

 first ride to a dance

 in my boyfriend’s old blue Ford

 smell of gardenia

         Kathy Goldbach

 初めて車に乗って行くダンス / ボーイフレンドの古い青のフォード / くちなしの香り

 いかにもアメリカ的な光景で、この「gardenia」は米国では女性をダンスに誘うときに贈る花らしく、とすれば季語が持つニュアンスも日米で違いそうだ。

 二つめは、自然。例えば、青い朝顔(sky blue morning glory)の句があったが、日本の朝顔の儚げな雰囲気に比べて、現地のこの朝顔は雑草めいてたくましいものだと聞いた。

 三つめは、言葉。

 September seashore

 not enough names

 for the blues

Mimi Ahern

 九月の浜辺 / もろもろの青いものへの / 名前が足りない

 この和訳がまずは正しそうだが、bluesは掛け言葉的にも機能する。音楽のブルースの意味にもなるし、気持ちの憂鬱さもblueで表現される。魚の名前でもあるとか。そんなイメージ群がスパークし、日本語の「青」のニュアンスとはだいぶ違いそうだ。

 カリフォルニアという爽やかなイメージの土地で、彼らが「有季定型」を掲げる事実に驚きつつ、それでも、これらの点の違いから句のニュアンスを日米で完全に共有するのは難しいとも実感した。一方で、bluesの句のように、英語の特質を活かして高い詩性を獲得している句も多く見られた。そして何より胸を打つのは、haikuで日米を繋ごうとした徳富夫妻の情熱が、今も人々に生々しく息づいていることだった。そんないろんな意味で、学びの多い審査員体験だった。

 ※写真は当協会制作の動画より引用

(『海原』2023年1-2月号より転載)

第40回皐月句会(8月)

投句〆切 8/11 (金) 

選句〆切 8/21 (月) 


(5点句以上)

11点句

長き夜の本をこぼれし正誤表(仲寒蟬)

【評】 長編大冊に挑んでいる秋の夜長、移動する折に正誤表がこぼれ落ちたことには気づかなかった。そのため重要な訂正を行なわずに作品を読み進めることに。たとえばミステリー、夜とともに致命的な謎が深まる。──妹尾健太郎


10点句

心臓は四部屋リビングに金魚(望月士郎)

【評】 四部屋で切って頂く。心臓には左心室、左心房、右心室、右心房の四部屋。わがリビングには金魚がいる。内と外の二種類の部屋のイメージがぶつかり、次のイメージを誘う。炎上する炎が見えた。──山本敏倖

【評】 人間の心臓は二心房二心室、心室は音で寝室にも通じる。そこへ「リビング」と持って来たところが上手い。金魚のところは他にもやりようがあった気はするが。──仲寒蟬


8点句

チというて蟬の当たりし日傘かな(岸本尚毅)

【評】 確かに「チ」と鳴きますね。この句では、季重なりはあまり気になりませんでした。──仙田洋子


7点句

にんげんの流れるプール昼の月(望月士郎)

【評】 鳥瞰的に書かれている流れるプールの風景が、下五に「昼の月」を置くことでさらに高く、まるで宇宙からの視たような感覚になる。ここで描かれている「にんげん」は愚かな存在として等しいただの生命体だ。冷めた眼。──依光陽子


6点句

信金の出張所ある避暑の町(岸本尚毅)

【評】 「信金」と「出張所」と「避暑」の距離感、浮遊感が独特です。──佐藤りえ


犬のこゑ夾竹桃のうらがはに(佐藤りえ)


(選評若干)

放蕩や指の味する胡瓜揉み 4点 松下カロ

【評】 胡瓜揉みのこういう感覚も俳句になるんだなあ、となかばあきれて・・。思わずぬいたもののいただいてしまった、という好例。──堀本吟

【評】 「昔をとこありけり」の河内国高安の女を髣髴とさせます。──仲寒蟬


兵ひとり死んでも異常なしの朱夏 3点 水岩瞳

【評】 兵隊、いや人間ひとりの命の軽さ。死んだからといって、世界を揺り動かす人などいない。──仙田洋子


落ちて死すか死して落つるか落蟬は 3点 小沢麻結

【評】 地下鉄がどうやって地下に入ったかと同じくらいどうでもいいことなんだがあの死骸を見るとそう考えてしまう。──仲寒蟬


蝉の穴さびしき風の棲んでをり 4点 田中葉月

【評】 蝉がいなくなった後の蝉の穴にはさびしい風が住んでいるのか。とても共感できる。──仲寒蟬


屍に向日葵の種を撃ち込む 2点 中村猛虎

【評】 銃に向日葵の種を詰めて撃つ?その屍に向日葵は育って咲くのか?屍を栄養にした向日葵は希望それとも絶望の証?なんとも言えないやりきれなさを感じる。──仙田洋子


剥がしても剥がしても眼帯はいちまいの海 4点 堀本吟

【評】 結膜炎になったときの眼帯のガーゼを思い出しました。ガーゼ越しのぼんやりとした明るさは海のよう。──篠崎央子


落蝉を踏めば星空鳴りわたる 3点 真矢ひろみ

【評】 踏む勇気を持たない私は、足元の暗さに思わず踏んでしまったと受け取ります。星空が鳴り渡ったという詩的展開、蟬の命を讃えるような星空に惹かれました。──小沢麻結

【評】 夜の蝉殻の句を見たのは初めて。暗闇で踏みつけたときの毀れる音を星空の音と感じた。美しい虚無感がきらめく。──堀本吟


弔電が読まれ素麺流れけり 4点 松下カロ

【評】 二つの行為には関連性がないものの、人を悼む時にも生きている人は食べるという対比が現実をよく示している。──辻村麻乃


いつの間に裏の婆死に葛の花 3点 仲寒蟬

【評】 孤独な婆。孤独な作者。時間こそ違え、どちらもひっそりと死に、あっさりと忘れられる。──仙田洋子


迎鐘べたべたの日が顔に触れ 3点 西村麒麟

【評】 霊迎のための鍾を衝く。夕方の日はまだ暑い。これもすっきりしない俗っぽい感覚が上手く句になっている。──堀本吟

【評】 如何にも京都の暑苦しい気候を思い出させる。「べたべた」という乱暴な表現が効果的。──仲寒蟬


萩の雨夕べの墨の磨り心地 3点 渡部有紀子

【評】 ちと閑寂すぎるほど閑寂の趣にて、皐月句会のこの場における句の並びの中にあっては一つの文鎮の如き手触りを具えた句と見ました。──平野山斗士


2023年11月1日水曜日

渡部有紀子句集『山羊の乳』を読みたい インデックス

① きちんとの向こうに  鈴木崇 》読む

② 白を択(えら)ぶとき  池田瑠那 》読む

③ 渡部有紀子『山羊の乳』鑑賞  杉原祐之 》読む

④ 生真面目さで以って見つけ出す  上野犀行 》読む

⑤ 雪よりも白く  吉田林檎 》読む

⑥ 「凛と」  今泉礼奈 》読む

⑦ 『山羊の乳』を鑑賞して  星野麻子 》読む

⑧ 「山羊の乳」鑑賞  久世裕子 》読む

⑨ 一句鑑賞文  秋谷美春・堀内裕子・千田哲也 》読む

⑩ 確かめる目線  藤原暢子 》読む

⑪ こどものいる風景  千野千佳 》読む

⑫ 『山羊の乳』書評  嶋村耕平 》読む

⑬ 揺らぎ  板倉ケンタ 》読む

⑭ 異郷を旅する言葉、そして心  柏柳明子 》読む

⑮ 各章から 大西朋 》読む

⑯ 生き物への眼差し 笠原小百合 》読む




2023年10月27日金曜日

第213号

           次回更新 11/10


第 179 回現代俳句協会青年部勉強会「「新興俳句」の現在と未来」 》読む

■令和俳句帖(毎金曜日更新) 》読む

令和五年夏興帖
第一(10/13)仲寒蟬・辻村麻乃・仙田洋子
第二(10/21)坂間恒子・杉山久子
第三(10/27)竹岡一郎・木村オサム・ふけとしこ・山本敏倖

令和五年花鳥篇
第一(7/14)五島高資・杉山久子・神谷波・ふけとしこ
第二(7/21)山本敏倖・小林かんな・仲寒蟬
第三(7/28)辻村麻乃・竹岡一郎・早瀬恵子・木村オサム
第四(8/12)小野裕三・松下カロ
第五(8/18)望月士郎・曾根 毅・岸本尚毅
第六(8/25)中村猛虎・渡邉美保・なつはづき・小沢麻結
第七(9/1)堀本吟・眞矢ひろみ・下坂速穂・岬光世
第八(9/8)依光正樹・依光陽子・前北かおる
第九(9/28)浅沼璞・佐藤りえ・筑紫磐井

■ 俳句評論講座  》目次を読む

■ 第39回皐月句会(7月)[速報] 》読む

■大井恒行の日々彼是 随時更新中!※URL変更 》読む

俳句新空間第18号 発行※NEW!

■連載

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(39) ふけとしこ 》読む

【渡部有紀子句集『山羊の乳』を読みたい】⑬ 揺らぎ 板倉ケンタ 》読む

【連載】大関博美『極限状況を刻む俳句 ソ連抑留者・満州引揚げ者の証言に学ぶ』を読む⑤ 》読む

【抜粋】〈俳句四季8月号〉俳壇観測247 現代の社会性 ――新しい社会性俳句の詠み方

筑紫磐井 》読む

英国Haiku便り[in Japan](40) 小野裕三 》読む

句集歌集逍遙 岡田由季句集『中くらゐの町』/佐藤りえ 》読む

【豊里友行句集『母よ』を読みたい】② 豊里友行句集『母よ』書評 石原昌光 》読む

北川美美俳句全集32 》読む

澤田和弥論集成(第16回) 》読む




■Recent entries

中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい インデックス

篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい インデックス

中西夕紀第四句集『くれなゐ』を読みたい インデックス

渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい インデックス

なつはづき第一句集『ぴったりの箱』を読みたい インデックス

ふけとしこ第5句集『眠たい羊』を読みたい インデックス

加藤知子第三句集『たかざれき』を読みたい

眞矢ひろみ第一句集『箱庭の夜』を読みたい インデックス

葉月第一句集『子音』を読みたい インデックス

佐藤りえ句集『景色』を読みたい インデックス

眠兎第1句集『御意』を読みたい インデックス

麒麟第2句集『鴨』を読みたい インデックス

麻乃第二句集『るん』を読みたい インデックス

前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井 インデックス

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉜ のどか 》読む

およそ日刊俳句新空間 》読む
…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
10月の執筆者(渡邉美保)

俳句新空間を読む 》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子




筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊/2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。 

【渡部有紀子句集『山羊の乳』を読みたい】⑬ 揺らぎ  板倉ケンタ

  『山羊の乳』を読み、端正な印象を受けた。それは、俳句の作りであり、対象への眼差しである。しかし、良いと思った俳句を引いてみると、およそ本書のサンプルとしては相応しくないであろう句群になってしまった。なんと。なので、開き直って、その抽出した佳句を、逆に「自選15句」を足がかりに分類し直して、本書のどこに惹かれたのかを整理しつつ、自分にもこの句集にも顔向けのできる文章にしようと思うのである。(こんな句集評の書き方はしたことがないから、わくわくしている。)


 まずは、自選15句を示す。


手文庫のうちのくれなゐ鬼やらひ

真昼の日ほどけ落花のひとしづく

アフロディアゐぬかと拾ふ桜貝

我が手相かくも複雑春の風邪

落椿丸ごと朽ちてゆく時間

朝焼や桶の底打つ山羊の乳

蓮ひらくモノクロームの世界より

月涼し手のひらほどの詩の絵本

サーカスの漢逆さま夜の蠅

夜店の灯にはかに玩具走りだす

コスモスの捉ふる風の高さかな

秋の蛾の影を分厚く旧市街

フェルメールの窓を明るく冬隣

たましひに匂ひあるなら花柊

旅芸人黒き箱曳き冬木立


 大雑把に分類し、所感を述べつつ、事前に抽出した句を鑑賞しよう。なお、分類といっても、形だったりモチーフだったりでカテゴライズしていて、それは互いに独立とは限らない。あくまで大雑把な分類である。


A 季語世界の端からモノ(の発見)を抽出する


手文庫のうちのくれなゐ鬼やらひ

月涼し手のひらほどの詩の絵本

夜店の灯にはかに玩具走りだす


 「季語とモノ」のように完全に分離されず、季語がモノを包摂しようとする懐の深さを得た時に秀句となる。だから、「モノ」部分に重点があるとなかなか難しい。抽出句は、


青蔦の学舎どこよりトランペット

花の種採るほろほろと児の言葉

初富士に向かひ大きな牛の鼻

朝刊をぱりつと開き冷房車


 <花の種>句には、かたわらの子どものあどけなさの裏側に神秘性が感じられ、面白い。<初富士>句のようなおおらかさと景色の落差にも惹かれた。


A’  広い景色を背景に、モノや手元を描く


朝焼や桶の底打つ山羊の乳


 季語は背景にあり、より「モノ」に焦点の当る作り方。Aに比べてそもそもが包摂性の高い季語であるから、多少「モノ」に重点があっても一句として成立することが多いが、だからこそ安易な季語の提示は禁物である。抽出句は、


朝焼や桶の底打つ山羊の乳

大西日飛ぶ鳥長き脚揃へ


 <大西日>句は鷺のような大型の鳥の姿がシルエットとして浮かび上がり、また、あの脱力した細長い脚がよく見える秀句。


B  比較的写生に重点がある


真昼の日ほどけ落花のひとしづく

落椿丸ごと朽ちてゆく時間

コスモスの捉ふる風の高さかな


 季語そのものの様を詠み込む類の句。それ以上あまり説明はいらないか。抽出句は、


雪吊の雪が消えずに乗るところ

あちこちが飛び出してゐて大茅の輪 

移されて金魚吐きたる泡一つ

噴水の天辺砕けまた砕け

飛込みし鳥の重さや花万朶


 <あちこちが><噴水の>などは、おかしみが感じられる。このおかしみは、作者の隠れた(作者はあまり自覚的ではないのでは? と自分は感じている)特徴である。まあ、おかしみというのは俳句という形式の性分でもあるので、個性とはまた違うかもしれないが、しかし惹かれた。<移されて>句は上五が秀逸。<雪吊><飛込みし>あたりは類句がないことはないのだろうが、対象の質感(または量感)をよく捉えている。


C  幻想世界を含む一物仕立


蓮ひらくモノクロームの世界より

たましひに匂ひあるなら花柊


C’  神話世界や芸術作品から想像を膨らませる


アフロディアゐぬかと拾ふ桜貝

フェルメールの窓を明るく冬隣


 CやC’(乱暴にこう括ってしまったが、くくるべきなのは本来BとCである)は、抽出句から当てはまるものは、Cの<黄金虫落ち一粒の夜がある>のみであった。Cは難しいぶん、自分はとても可能性のある作り方だと思っていて、現実世界に幻想への揺らぎがあるとそれは作者の心象世界への揺らぎとなり個性の立った秀句になると言える。C’はもっとずっと難しいと思っていて、というのは、短い俳句形式の中で、そうした引用部分の重み以上の自分オリジナルの詩情を描ききれなければ、それは先行する神話なり芸術なりを間借りしただけに過ぎないからだ。とはいえ、俳人は概ねそういう営みを行なっている。それは「季語を用いる」ということである。季語の大きな文脈の中に身を置きながら、自分オリジナルの詩情を提示する。だから、やり方が悪いということはないのだけれど、有季でかつC’の書き方をするということは二重にそれをやっているということである。だから、ものすごく難しいのだ。後書きなどを見ても、作者はこのやり方にこだわりを持っていることがわかるので、ここから出てくる次なる秀句にぜひ期待したい。


D 自分の身体感覚を内省的に詠み込む


我が手相かくも複雑春の風邪


 ここもあまり説明が要らなさそう。抽出句は、


箱庭の夕日へすこし吹く砂金 

惜春の粉糖すこし食みこぼす


 <箱庭>句で、「吹く」とあるのは、もしかしたら息で吹いているわけではないかもしれないが、自分は息かと思って読んだ。綺麗な仕立だが、嫌な綺麗さではない。<惜春>句では「食みこぼす」が生きている。「食む」という動詞は相当難しいはずだが、ここでは複合動詞で「食む」の様子がよく伝わる。どちらの句も、あまり深刻ではないが、しかし身体感覚が迫ってくる良さがある。深刻ではない、というのは、こういう句において重要だろうと思う。


E  人間くさい世界を詠み込む


サーカスの漢逆さま夜の蠅

秋の蛾の影を分厚く旧市街

旅芸人黒き箱曳き冬木立


 人間の様子を描いているが、この季語の「同居性」とでも言おうか、ぽつんといてくれるような描き方が良いと思う。抽出句は、


ガチャポンの怪獣補充炎天下 

サーカスの漢逆さま夜の蠅 


 こういう人間が出てくる作品が、特に端正な本書の中で切れ味を発揮していたように思う。<ガチャポン>句は中七の脚韻が楽しく、怪獣という単語から、その怪獣が壊してきたであろう都会の風景(例えば、秋葉原)が見えてくる。この句は一義的には補充するという労働の厳しさを描いていると読めるが、破壊される対象の街の小さな一部分に怪獣が収まっていることの面白さも、深読みすればあるかもしれない。


 さて、ここまで読んできたが、最後に、この作者に伸び代があるとすればどういうところか、自分の思うところを述べたい。それは、「型」に対する向き合い方である。「型」とは、五/七/五という音の話でもあり、「取り合せ」「一物仕立」といった技法の話であり、本質的には両方である。

 試しに、先に挙げた自選句を見てみると、季語が上五、または下五にある作品が実に15句中14句を占めており、中七にあるのはわずかに<真昼の日ほどけ落花のひとしづく>のみである。この「季語の五音」と「十二音」がかっちりした型の中で徐々に亀裂を起こし、途切れ途切れの印象になっているとすると、非常に残念なことである。形がしっかりしていることが悪いのではなく、群で見た時にしっかりし過ぎているということなのである。

 俳句は五/七/五と言われるが、言葉同士はもっと複雑に関係しあっている。総体として滑らかであり、揺らいでもいる。

 先に挙げた<ガチャポンの怪獣補充炎天下>も、良い句だとは思うが、例えばあの暑い街の陽炎の立つような熱気は、実はもっと揺らぎがある調べに乗ると見えてくるかもしれない。Cのところで述べた「揺らぎ」も、第一義こそ違うものの、本質は同じところにある。よりもどしが欲しいのだ。

 そんな揺らぎは、どうでしょう? 渡部さんには似合わないかなぁ……


執筆者略歴
板倉ケンタ(いたくらけんた)
1999年東京生。「群青」「南風」所属。俳人協会会員。
第9回石田波郷新人賞、第6回俳句四季新人賞、第8回星野立子新人賞。