カリフォルニアの有季定型
先日、縁があって、カリフォルニアのhaikuコンテストの審査員をオンラインで務めた。Yuki Teikei Haiku Society(有季定型俳句協会)という団体で、日本から移民として米国に渡った夫婦が設立した。夫はアメリカ生まれながら日本の軍隊に徴兵され、また妻は長崎で被爆するなど、複雑な経歴を持つその夫婦は、英語のhaikuを広くアメリカ人に開かれたものにしたいと考えたようだ。「徳富賞」と呼ばれるそのコンテストは、創設者夫婦の名前に由来する。
彼らは、五七五は必ずしも絶対視しないが、季語は大切だと言う。とは言え、日米の俳句は異質な側面も孕む。
一つめは、文化。例えば、キルトを扱った句が多くあったが、キルト作りは米国では仲間や家族の絆を象徴するような風習らしく、僕にはニュアンスを掴みきれない。こんな興味深い句もあった。
first ride to a dance
in my boyfriend’s old blue Ford
smell of gardenia
Kathy Goldbach
初めて車に乗って行くダンス / ボーイフレンドの古い青のフォード / くちなしの香り
いかにもアメリカ的な光景で、この「gardenia」は米国では女性をダンスに誘うときに贈る花らしく、とすれば季語が持つニュアンスも日米で違いそうだ。
二つめは、自然。例えば、青い朝顔(sky blue morning glory)の句があったが、日本の朝顔の儚げな雰囲気に比べて、現地のこの朝顔は雑草めいてたくましいものだと聞いた。
三つめは、言葉。
September seashore
not enough names
for the blues
Mimi Ahern
九月の浜辺 / もろもろの青いものへの / 名前が足りない
この和訳がまずは正しそうだが、bluesは掛け言葉的にも機能する。音楽のブルースの意味にもなるし、気持ちの憂鬱さもblueで表現される。魚の名前でもあるとか。そんなイメージ群がスパークし、日本語の「青」のニュアンスとはだいぶ違いそうだ。
カリフォルニアという爽やかなイメージの土地で、彼らが「有季定型」を掲げる事実に驚きつつ、それでも、これらの点の違いから句のニュアンスを日米で完全に共有するのは難しいとも実感した。一方で、bluesの句のように、英語の特質を活かして高い詩性を獲得している句も多く見られた。そして何より胸を打つのは、haikuで日米を繋ごうとした徳富夫妻の情熱が、今も人々に生々しく息づいていることだった。そんないろんな意味で、学びの多い審査員体験だった。
※写真は当協会制作の動画より引用
(『海原』2023年1-2月号より転載)