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2023年11月10日金曜日

【渡部有紀子句集『山羊の乳』を読みたい】⑭ 異郷を旅する言葉、そして心  柏柳明子

 朝焼や桶の底打つ山羊の乳

 古代、西アジアで興った牧畜。羊や山羊を家畜化し乳を利用する営みは時代と共にヨーロッパを含めた多くの地域に普及したといわれる。そんな歴史を踏まえて表題句を読むと、「山羊の乳」という言葉にはいにしえの時間と文明が宿っているかのように見えてくる。季語・朝焼がはからずもそのことを象徴しているようである。だからだろうか、句集『山羊の乳』を読んだ第一印象は「ヨーロッパ、または異郷の雰囲気が漂う一冊」というものだった。

 あとがきによると、渡部有紀子さんは句会の方々と一緒に絵画やギリシャ・ローマ神話の世界を詠むことに挑戦し、そのことが後に世界中の神話や宗教が下敷きになった師・有馬朗人氏の俳句を読み解くのに随分と役立った、とある。それを読んで腑に落ちるものを感じた。

 聖書の人物や関連した季語が出てくる俳句、あるいはギリシャやローマ神話に基づく俳句、そして異郷の古き神々や原風景を思わせる俳句。それらは日本の風景や日常生活等を詠んだ作品の合間合間に顔を覗かせ、本句集に独特の表情と陰翳を与えている。

 以上の観点に基づき、本句集の俳句作品を鑑賞しようと思う。

 まず、聖書に関連した俳句を見てみたい。


春霙イエスの若き土不踏

 洗礼後の荒れ野でのイエスの姿だろうか。「若き土不踏」が厳しい修行と試練の日々を象徴しており、イエスの苦悩の表情まで窺われるようで焦点の当て方が巧みだ。春霙という季語も本格的な春(ナザレのイエスが万人にとっての救い主になる時)を迎えるための最後の辛苦のようで効果的である。


茨の芽イコンの聖母イエス見ず

テンペラの金の聖母や寒卵

 テンペラにより描かれた聖像画・イコン。聖母子像のマリアは確かに嬰児イエスと目を合わせてはいない構図が多い。言われてみればそのとおりで、ハッとさせられる。その驚きを「発見」として生かすことができる俳句という詩形の力を本作品は再認識させてくれる。茨の芽の小さい生命の息吹が愛おしい。

 二句目。こちらの画にはイエスはおらず、聖母マリアだけなのだろう。金色の背景に包まれたマリアが手を合わせ柔らかく小首を傾げている様子が目に浮かぶようだ。寒卵との取り合わせが意外なようで、静謐な存在感が祈りのイメージとも重なってくる。


 一方、聖書に関連した季語の俳句もある。


カトリック歌留多にしかと創世記

 個人的な話で恐縮だが私は教会の幼稚園出身、小学校時代はそこの日曜学校に通っていた。中学年の頃だったか、「聖書かるた」というものをやった記憶がある。聖書の話や教えが書かれたかるただったが、まさか俳句で再びお目にかかるとは思わなかった。今振り返ると、読み物としてもなかなか面白いエピソードが多い旧約聖書「創世記」。どんな読み札で取り札なのか、ドラマティックで絢爛たる絵柄なのか。シンプルな詠みぶりゆえに想像が広がる楽しい一句。


真白なる藁を敷入れ降誕祭

 生まれたばかりのイエスは馬小屋の飼い葉桶に寝かされた。そのエピソードを思い出すと、この句は「降誕祭」の季語を用いながら「聖夜劇」のワンシーンを詠んでいるのかな、とも思う。毎年、クリスマスの頃に劇が行われていた夜の礼拝堂を思い出した。上五「真白」が神の子の誕生に対する寿ぎを厳かに表わしている。


骨太き魚を取分け復活祭

 骨が太い魚は体が大きく身もしまっていそうだ。それを数人で分け合いながら食べる景はエネルギーに満ちており、復活祭との取り合わせは絶妙。磔刑にあいながら三日目に復活したイエスの姿を踏まえ、「生きる」力を肯定した作品という印象を読者に与える。


 では、神話に基づいた俳句はどうだろうか。


大いなるニケの翼や涼新た

銀貨にはニケの立つ船草の絮

 勝利の名をもつギリシャ神話の女神・ニケ。

 一句目、「大いなるニケの翼」と畳み掛けるようなフレーズの後を切れ字「や」で受けている。その疾走感のある詠みぶりからニケの翼の羽ばたく音が聞こえるかのようだ。そして、下五の季語の爽快さが地中海の美しい空と海を想像させ、希望に満ちた古き佳き世界と時間の広がりを読者の前に提示している。

 二句目は銀貨に彫られたニケの姿。船に乗った姿は勝利に向かってひた走る力強さに満ちている。風を得てきらめきつつ飛ぶ草の絮との対比により、十七音の表現に緩急を生み出している。


水の秋ミノスの牛の金の角

 テセウスはアリアドネより手渡された短剣と毛糸によりミノタウロスを倒し、迷宮の入口まで辿り着く。「金の角」が神話と歴史の境目に輝き、水の秋という美しい季語との調和をみせている。


 それにしても聖書の俳句もそうなのだが、日本文化に基づく季語がこうもヨーロッパ(あるいは異郷)的なテーマと違和感なく調和するとは、有紀子さんの手腕はつくづく凄いと思う。師の影響もあると思うが、ともすれば季語が浮いてしまう危険性がある中、これだけの完成度の作品を複数作り、揃えることができるのは素晴らしい。


 上記以外にも、次のような古代の息吹を現代に伝える佳句がある


月涼し仮面真白き古代劇

春星や王の木乃伊を抱く谷


 一句目。真っ白な仮面による古代劇はいくぶん秘儀めいた表情をもち、その景に涼やかな月光があまねく満ちわたっている。

 二句目。「王の木乃伊」の眠りを守るのは谷だけではなく、星の光もそうなのかもしれない。しかも季節は春。一句目の月の光とは異なる柔らかい宇宙からの光が読者の心をもやさしく照らす。また、春星という季語と王の木乃伊から、若きツタンカーメンを発掘したハワード・カーターの姿と人生がどことなく重なってくる。


 また、作者の内なるノマドの精神を彷彿とさせるような句もある。


旅芸人黒き箱曳き冬木立

 「黒き箱」は旅芸人の仕事道具が入っているのだろうが、芸人自身、あるいはその人生のようにも映る。重量感のある「曳く」行為から己が半生を影のように引きずっている姿を想像でき、冬木立という寂びた季語がロングショットの映像として続く。ギリシャを題材にした作品を撮り続けたテオ・アンゲロプロスの映画「旅芸人の記録」の世界観とも響き合うものがあるかもしれない。


 最後に、「神」という言葉が入った作品を見てみたい。


羊皮紙の青き神の名冬の蝶

 パピルスよりも保存が長く効き、経典などの重要文書の記載に用いられた羊皮紙。中七に「青き神の名」とあるということは、ラテン語の聖書だろうか。青いインクで書かれた言葉であり神の名前なのだろうが、「青い神様とその名」のようにも一瞬読めて不思議な印象が残る。冬の蝶の存在感がそのイメージをことさら高めるからかもしれない。そして「神の名」から、愛をもって人と対峙しながら同時に滅ぼすことも可能な絶対の存在への畏怖を感じる。


夕焚火文字なき民の神謡ふ

 文字をもたない民族は世界中にいる。そのため、文明や歴史の成り立ちが不明なことも多い。そんな民族にも言葉があり歌がある。そして、信仰がある。口伝えで継承されてきた民族固有の文化と精神、そして記憶が、あかあかとした焚火とともに暮れつつある天へ昇っていく。静かで美しい作品だ。

 

 現在からあらゆる場所・時代へ、そして神話へ。俳句形式を用い、縦横無尽に空間と時間を旅することができる言葉と心。それが、作家・渡部有紀子の特質のひとつなのかもしれない。この旅の先に生まれる新しい俳句の誕生を祈りつつ、稿を終えたい。


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【執筆者プロフィール】
柏柳明子(かしわやなぎ・あきこ)
1972年神奈川県横浜市出身。『炎環』同人。『豆の木』参加。
第30回現代俳句新人賞。第18回炎環賞。第27回豆の木賞。
句集『揮発』(2015年)、『柔き棘』(2020年)。現代俳句協会会員。