【俳句新空間参加の皆様への告知】

【ピックアップ】

2018年11月23日金曜日

102号

※次回更新 12/7

【100号記念】

特集『俳句帖五句選』
その1(飯田冬眞・浅沼璞・内村恭子)》読む
その2(神谷波・五島高資・小沢麻結)》読む
その3(坂間恒子・岸本尚毅・加藤知子)》読む
その4(木村オサム・近江文代・曾根毅)》読む
その5(田中葉月・北川美美)》読む

■平成俳句帖(毎金曜日更新)  》読む

秋興帖
第四(11/16)坂間恒子・林雅樹・渕上信子・渡邉美保・小野裕三
第五(11/23)田中葉月・網野月を・堀本吟・前北かおる・乾 草川

■連載

思い出すことなど(2)2011年のこと/北川美美  》読む

眠兎第1句集『御意』を読みたい 結び
『御意始末』とその広告   筑紫磐井  》読む

麻乃第2句集『るん』を読みたい4
「るん」に心を研ぎ澄ます/仲 寒蟬  》読む

【抜粋】〈「俳句四季」12月号〉俳壇観測191
「第一句集シリーズ」を読んで/筑紫磐井  》読む

大井恒行の日々彼是 随時更新中!  》読む

句集歌集逍遙  『めるくまーる』(樋口由紀子)/佐藤りえ  》読む



■Recent entries

俳句甲子園今昔/筑紫磐井  》読む

山本周五郎と虚子/筑紫磐井  》読む

第5回 詩歌トライアスロン募集について

麒麟第2句集『鴨』を読みたい
インデックスページ    》読む
10.『鴨』――その付合的注釈   浅沼 璞  》読む

前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井
インデックスページ    》読む

「WEP俳句通信」 抜粋記事  》見てみる

およそ日刊俳句新空間  》読む
…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
11月の執筆者 (渡邉美保

俳句新空間を読む  》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子



豈61号 発売中!購入は邑書林まで

—筑紫磐井最新編著—
虚子は戦後俳句をどう読んだか
埋もれていた「玉藻」研究座談会
深夜叢書社刊
ISBN 978-4-88032-447-0 ¥2700
アマゾン紀伊國屋ウェブストア他発売中


「兜太 TOTA」創刊号
アマゾン藤原書店他発売中

【麻乃第2句集『るん』を読みたい】4 「るん」に心を研ぎ澄ます 仲 寒蟬

 まず表紙に度肝を抜かれる。これは句集なのか?誰か芸能人の写真集なのか?と。麻乃さんは美しい人だ、その美しいシルエットが海を背景に浮かび上がる。風がまとっている衣をなびかせている。ただ、どことなく違和感を感じるのは「るん」という句集名、それが何を意味するのか?その不思議な響き、浮き上がるような心地よさは表紙にとてもマッチしてはいるのだが。
 その疑問は「あとがき」を読むと氷解する。チベット仏教の瑜伽行の概念で、呼吸、息吹などを意味するサンスクリットのプラーナに当たるという。つまりは日本語の「気息」と取ってよいらしい。

  鳩吹きて柞の森にるんの吹く

 集中に「るん」が登場するのはこの句が唯一。そもそも「鳩吹く」という季語そのものがとても珍しい。角川の歳時記によれば「鳩の鳴き声をまね両手を合わせて吹くこと。山鳩を捕えるためとも、鹿狩の際、獲物を見つけたという合図に吹いたともいう」とあり、鹿狩との関連からか秋に類別されている。この句は鳩笛を吹いたら「るん」つまり大自然の気息のような風が吹いてきたとの意であろう。柞の森は一般名詞かもしれないが、秩父神社の境内の森の名称でもある。この句集にも秩父夜祭や武甲山が多く登場するので、ここはやはり秩父の森と考えたい。柞は万葉集では「ははそはの母」という枕詞として登場、その後も和歌の伝統の中では母を彷彿させる語として使われてきた。この句集には「母恋い」の句が多いので、その意味でも本句は重要な位置を占めている。
 母は俳人岡田志乃、父は詩人岡田隆彦、作者もあとがきでこの血統についてはポジティブに意識している。そこでまず家族を詠んだと思われる俳句から。

  花篝向かうの街で母が泣く
  言ひ返す夫の居なくて万愚節
  身ぬちにも父母のまします衣被
  病床の王女の如きショールかな
  我々が我になる時冬花火
  愛しさと寂しさは対ゆきうさぎ


 母の句は多いが花篝の句はどことなく実在の母というより童話の世界のようだ。それは「向かうの街で」という漠然とした、ちょっと突き放した言い方による。私は花篝の下で夜桜を見ているのに母はどこかで泣いてゐる、その後ろめたさからこのような表現となったものか。
 もう一句、ショールの句も母を詠んだもの。前後の俳句から作者の母が入院中であることが分かるからだ。それにしても病室の中で「王女の如き」ショールと聞くだけでその人の様子、性格まで伝わってくるし、作者はそういう母親を誇りにし頼もしく思っているらしいことも伝わってくる。
 夫の句は普通の夫婦でもあるちょっとした寂しさ。衣被の句には先に書いた作者の父母に対する意識が色濃く出ていて特徴的。また冬花火とゆきうさぎの句はその季題を詠んでいながら家族のことを思っている、そんな気がする。

  枝垂梅驚く口の形して
  たましひは鳩のかたちや花は葉に
  気を付けの姿勢で金魚釣られけり
  楊貴妃の睫毛の如く曼珠沙華
  反芻し吐き出してゐる冬の海


 喩えや見立ての面白い句を並べた。枝垂桜の枝の形だろうか、驚く口の形と言われるだけで見えてくる。魂は火や茄子に例えられたのは見たことあるがまさか鳩とは。言われてみればどちらも空を飛ぶ。金魚が釣られるのを「気を付けの姿勢」とは言い得て妙。金魚の哀れさも含まれていてこの句は集中の白眉だ。曼珠沙華は女性との関連で詠われることが多いけれども「楊貴妃」と特定したのがよかった。しかも睫毛とくれば誰しもが納得。冬波の昏さ、冷たさ、単調さを反芻と嘔吐に見立てたのもまた見事。
 作者はあちこちに足を伸ばして色々なものを見聞きし、体験しているからだろうか、俳句にとって基本ともいえる「気付き」の質が高い。

  次こそのこその不実さ蚕卵紙
  朝曇河童ミイラの尖りをり
  ナナフシの次に置く手に迷ひたり
  夜学校「誰だ!」と壁に大きな字


 蚕卵紙はカイコガに卵を生み付けさせた厚紙で、枠内に番号が振られ品種名などが記入してあり、この形のまま養蚕農家に販売されたという。作者は普段我々がさりげなく口にしている「次こそ」という言訳に不実のにおいを嗅ぎつけ、その発見と取り合せるに蚕卵紙を以てした。なぜ蚕卵紙が不実と結びつくのかは筆者にもよく分からないが、女工哀史の悲惨さなどが作者の頭に過ぎったのかもしれない。河童のミイラは全国各地に伝わっているが、多くは江戸時代の民衆が欲した怪異への答えとして偽造されたものだ。本物かどうか見極めようと目を凝らしている作者の姿が浮かぶ。ナナフシの句はまことに面白い。誰もナナフシの気持ちなんて分からないし、第一気持ちというのがあるのかも分からないが、こう言われるとあのナナフシのぎこちない動きは迷っているとしか見えなくなる。夜学校の落書き、作者にかかれば何だか形而上学的な意味を持っているように思えてくるから不思議だ。

  蛇苺血の濃き順に並びをり
  鮭割りし中の赤さを鮭知らず


 発見は見方によっては恐さにつながる。血の濃い順とは例えば一家の中心人物(多くは父か祖父)の血を最も多く受け継いだ者ということになろうか。理論的には兄弟はみな遺伝的に同等だが、ここでは性向や人柄などのことを指す感じがする。ただ蛇苺が置かれるとたちまちバンパイヤの一族の話か何かのように思われてくる。鮭の句は哲学的とも取れるが鮭を割った図が提示されているので、先の蛇苺同様どことなくおぞましい内容にも感じられるのだ。
 このような作者の俳句の傾向は単純に「詩的」と片付けるには入り組んでいる。誰もが見落としそうな事柄、ちょっとした発見を大切に、冷徹かつ温かい目で世界を眺めている。それこそ「るん」つまり大自然の気息に耳を澄まし感覚を研ぎ澄ますということなのだ。そうすれば自然とも人工物とも、家族とも見知らぬ人とも分け隔てなく繋がることができる。

  人とゐて人と進みて初詣

 例えばこの句、初詣の行列は思うままにならず、人の流れに乗るしかない。その初詣の本質を「人と」いて進むということに見出した。人はそれぞれ個であるがここでは個としては流れず集団となって初めて進む。世界もまたそのようなものではないのか。人といて繋がって進んでいくからこそ世界は動く。
最後に触れられなかったが好きな句をいくつか挙げて稿を終えたい。

  落雲雀引き合ふ土の重さかな
  放射線状屋根全面に夏の雨
  鷹匠の風を切り出す脚絆かな
  ポインセチア抱へ飛び込む終列車
  着膨れて七人掛けの浮力かな
    削られし武甲の山よ天狼星



句集歌集逍遙 樋口由紀子『めるくまーる』/佐藤りえ


樋口由紀子さんの川柳句集『めるくまーる』は『容顔』以来19年ぶりの第三句集。
『容顔』は怪しくも美しいカバーが想起させる鈍錆の世界を湛えていた。『めるくまーる』ではまた違った世界が繰り広げられている。

 どのパンを咥えて現れでてくるか

「パンを咥える」という事柄から思うのは、少女漫画における主人公少女と恋の相手の出会いのシーンにまつわる言説だった。「パンを咥えて「いっけなーい、遅刻遅刻」と慌てて登校する少女が、曲がり角で不注意ゆえに人とぶつかり、その相手に抱き起こされ、一目惚れしてしまう」というのがあらましだが、この言説は複数の情報が長い時間を経て組み合わされ、またギャグとして共有されているうちに、真に存在したように誤解されているものである。
現在では存在しないことを念頭に「遅刻する食パン少女」というアイコンが消費されつつある。
長々と綴ってしまったが、この一句を読むにあたり、どうしても食パン少女が脳内に走り出でてしまう。こういう読み方がよいのかどうかは留保したい。が、曲がり角の向こう側で、やがてぶつかる相手が「今日はどんなパンか」と待ち構えていると思うと、独特の興趣がある。

 勝ち負けでいうなら月は赤いはず

一読「じゃんけんで負けて蛍に生まれたの/池田澄子」を思い出してしまうのは、「勝ち負け」という判断が含まれていること、勝ち負けから起承転結の結へと展開を見せること、前半と後半に論理的な因果関係がないにも関わらず、助詞で結ばれ、順接の関係があるように見えていること――などが要件として挙げられる。
その上で、掲句ではさらに結句が「赤いはず」になっている。断定していない。赤いのが勝ちなのか、負けなのか、も明示されていない。これだけ不確定要素が多い一行なのに、読後にもやもやや不安が残されない。なんだか狐につままれたようである。

 今家に卵は何個あるでしょう
 なにもない部屋に卵を置いてくる

卵の登場する句を並べてみた。この二句は句集では隣り合って配置されているわけではない。
どちらも句切れをほとんど感じさせない、という点が共通しているが、一句目は話し言葉であり、二句目は書き言葉である。「卵」を何かの暗喩として読むことを一切拒んでいるかのような、するりとした容貌と、読みやすく、且つ一分の隙もない構成に、しばし唖然とする。こういった句に出会うと、意識を一時停止させられてしまう。この一時停止は他所ではなかなか味わえない感覚で、勿論厭うべきものではない。

 どう向きを変えても高遠に当たる

「高遠」は長野県の高遠町のことだろうか。疑問形になってしまうのは、そういう地名が実在しているとして、この句に書かれている「高遠」そのものとイコールであるとはかぎらない、とどこか脅迫的に私がそう思ってしまうから、である。
それがどこにあるか、が問題ではないのだ。「どう向きを変えても当たってしまう」ことが問題なのだ。物理の神様に聞いてみたい、どうしたら高遠に当たらないようにできるのですか、と。
しかも、「向き」である。力加減や投擲する方法(いや、そもそも「投げる」とすら書かれていないのだから、投擲とも限らないのだが)が問題ではない。
そして、「高遠」も問題を抱えているのだ。ここでは高遠の広さすら無効化されてしまっている。どう変えても当たる、つまり高遠のどこにいても「当たる」可能性がある、ということだ。なんというスカッドなのか。危険きわまりない。

かように、あらゆる社会通念、社会常識的な理を瞬時にはなれて、言葉に没入していく、あるいは、言葉がそうした「雑音」を遮断してくれる。シャープで、濃厚な句集だった。

 短いならば短いように舟に積む

 布団から人が出てきて集まった

 アフリカのダンスをしよう鳥が来る

 暗がりに連れていったら泣く日本

 ゆっくりと春の小川がでたらめに

 字幕には「魚の臭いのする両手」

 わたくしをひっくりかえしてみてください

 綿菓子は顔隠すのにちょうどいい

 60と61の違いなど

 いつだって反対側を開けられる

 缶の蓋見つからなくて美しい

 空箱はすぐに燃えるしすぐに泣く



『めるくまーる』ふらんす堂 2018年11月刊

眠兎第1句集『御意』を読みたい 結び 『御意始末』とその広告 筑紫磐井


 BLOGと雑誌を組み合わせた時、こうした媒体誌でなければやれないことに挑戦してみたいと思った。その一つに〈壮大な句集特集〉がある。句集が刊行された時、俳壇特有の慣習で句集特集が行われるのが常だが、同人誌でも結社誌でも、せいぜい1人から数人の論者による批評でお茶を濁していることが多い。もちろん中には画期的な句集評もないわけではないが、一過性で終わっているものが多いような気もする。

 そこで「俳句新空間」では、執筆者数無制限、頁数無制約の句集評を載せる企画を行っている。このような企画の発端になったのは――厳密な句集評とは言えないが――〈赤い新撰・御中虫と西村麒麟〉がその始まりであった。〈曾根毅『花修』を読む〉54回から始まり、西村麒麟の句集評50回(①第一句集『鶉』を読む、②西村麒麟・北斗賞受賞作を読む、③第2句集『鴨』を読みたいの3部作)、〈眠兎第1句集『御意』を読みたい〉14回、〈麻乃第2句集『るん』を読みたい(現在連載中)〉と続いている。終了したものはアーカイブに搭載しているが、もっと広大な展開があってもいいはずだ。
 こうした特集に何の意味があるのか。一つは恵まれない句集著者(特に若い作家)に機会を与えることがある。俳句が読まれる機会というのは実はそう多くはない(高山れおなは、「俳句など誰も読んではいない」と宣言している)。そういう中で、特に一世一代の句集刊行にあたり、多くの人に読まれたいと思うのは無理からぬことだからだ。もう一つは、「量」は「質」を超えるのではないかという気がするからである。たった一人の優れた評論より、玉石混交であれ膨大な評論が存在することは、それなりの価値があると思うのだ。後世、平成の俳句を考えるときに巨大な句集評のビッグデータは何らかの参考になると思うのである。

 こんな期待に応えたのが、黄土眠兎編『御意始末』(明日の花舎発行、発売邑書林、定価税込463円+税、2018年11月16日刊)だ。BLOG俳句新空間を始め、様々な媒体に発表された『御意』評を掲載した。もちろん、「俳句新空間」以外の媒体もあるが、筆者も言っている通り「俳句新空間」が無ければ生まれなかった本である。こうした本に貢献できたことを喜びとする。
 余りにも当たり前のことだが、ここに掲げた執筆者は間違いなく『御意』を読んでいる。だから高山れおなの「俳句など誰も読んではいない」発言に対して、作者が行えるレジスタンスは、「俳句を何としても読ませる」戦術・戦略だ。作者ともども考えていきたい。

(BLOGでは、こうした「無限連載句集評」を今後も続けたいと思っている。若い作家で句集の準備をされている人は、発行人にご連絡いただきたい)

●黄土眠兎編『御意始末』

【執筆陣】
小川軽舟
藤原龍一郎 
栗原修二 
大丼さち子 
樫本由貴
川原風人
叶裕 
天宮風牙
仲田陽子
本多伸也
曾根毅
森本直樹
岡村知昭
久留島元 
三木基史
中山奈々
黒岩徳将
島田牙城
谷口智行

装画=柳本々々


『御意』覚え書き
平成三十年一月十七日 邑書林発行
著者、黄土眠兎の第一句集 全二百七十八句収録
本文は活版印刷
四六版変形(130×188mm)
上製継表紙、カバー・帯・飾扉付き
全百六十二頁 貼り奥付
限定五百部 番号入り
帯文を小川軽舟が執筆(本書所収)
また、帯の裏面に軽舟抄出の「集中十句」を掲載
著者による「あとがき」を付す
カバー装画は速水御舟「翆苔緑芝」四曲一雙の内左二曲 山種美術館蔵
造本は島田牙城
定価二千五百円プラス税

黄土眠兎 きづちみんと
千九百六十年兵庫県生まれ 武庫之荘在住
「鷹」同人「里」人 句集に「御意」がある

【「BLOG俳句新空間」100号記念】特集『俳句帖5句選』その5


田中葉月
白蓮や大地は胎児さしだしぬ
虹生まるわが体内の自由席
月光をあつめてとほす針の穴
この辺り鳥獣戯画クリスマス
風花す銀紙ほどのやさしさに


北川美美
ため息や煙のやうに歌留多飛ぶ
Nirvarna(n+1)倍の雨
あいの風砂浜に杭打込めよ
枯野より手を振る人のよく見える
臨終のくちびる開くうつつかな

【抜粋】〈「俳句四季」12月号〉俳壇観測191「第一句集シリーズ」を読んで ――筑紫磐井

 この夏刊行されたふらんす堂の「第一句集シリーズ」を読んで一種の眩惑のようなものを感じないではいられなかった。

 私が俳句を始めた頃(一九七〇年代)は、結社にもまだ無名の若い俳人が多くいたが、結社外部からはなかなか目に留まらない時代であった。彼らが俳壇で目覚ましい活躍をするのは、一九八〇年代に入ってからであるが、こうした若い俳人が俳壇で活躍するにあたり新興俳句出版社である牧羊社の計り知れない貢献があった。

 牧羊社は元々文芸書を扱っていた出版社だが、一九六〇年代後半から俳句事業に本格参入し、一九七〇年頃企画した「現代俳句十五人集」は戦後派俳人の評価をゆるぎないものとした。これに参加した飯田龍太、野沢節子は読売文学賞を受賞し、森澄雄、能村登四郎、金子兜太の名声が確立したのもこのシリーズの句集によってであった。こと句集に関しては、角川書店の時代から牧羊社の時代に移っていったと私などには見えたのである。

 牧羊社は、こうした中でさらに俳壇で第三番目の総合誌「俳句とエッセイ」を創刊し、一九八〇年代からは若手俳人を精力的に発掘したのである。その一つとして、若い人向けの安価な「処女句集シリーズ」(一九八四年~)を刊行した。シリーズⅠには片山由美子、鎌倉佐弓、今井聖、鈴木貞雄、辻桃子、星野高士らがおり、Ⅱ以降では、小澤實、岸本尚毅、対馬康子、中西由紀など結社を代表する戦後生まれ作家が登場する。結社単位での売り出しが狙いだったのだが、それが成功したことは、彼らが現在の俳壇を支えていることからも明らかだ。

 このシリーズは瀟洒な、薄手の、手のかからない親しみやすい句集であったが、それが今回のふらんす堂の「第一句集シリーズ」と、版型といい、頁数といい、装丁といい、構成といいそっくりだったのである。

 よく似た理由は推測できる。それは現ふらんす堂社長の山岡喜美子氏が、当時、牧羊社の編集部員として「処女句集シリーズ」を企画した人であったからである。ふらんす堂の「第一句集シリーズ」は、言ってみれば出版人山岡喜美子氏の原点であり、青春の復刻版のようなものであったのである。
(以下略)

 ※詳しくは「俳句四季」12月号をお読み下さい。

思い出すことなど(2) 2011年のこと / 北川美美

※前回の「思い出すことなど」は(1)とし、副題を「I thank youありがとうあなた」としました。「思い出すことなど」は連載として少し続きます。


*****


私が当サイト(BLOG俳句新空間)、同時に当冊子(俳句新空間)の運営に関わったのは、俳句現場の当事者として自己の俳句継続意志を励ます動機になれば…ということに拠っていた。おそらくそれは同人誌のように、自分の居場所であり続けた。

結社離れや同人誌離れが話題になり、さらに俳句各協会の会員離れに拍車がかかっているようだが、それは俳句界隈のことだけでなく、コミュニケーションツールは大躍進をしているのに世の中全体の人とのつながりが平成の30年間を経て希薄になった…と言えるような気がしている。人は孤独であっても心の拠り処を必要とするものではないのかと思う。

創作は孤の作業ながら作品発表を行うことは自己の立ち位置を示すことになる…例えば、SNSや個人サイトを利用してもそれは可能だろう。それが各人の拠り所になる。俳句にまつわる組織が今後どうなるのかわからないが、世間に向ける発信ツールは今後も必要とされるだろうという確信はある。

さて、私がサイトに関わるようになったのは、「詩客」創刊の2011年4月以降。その2か月前の2011年2月に松山を訪れていたところ(吟行が目的)、昼食をとるため店に並んでいたところに筑紫さんから連絡が入った。「詩と短歌と俳句のサイトが出来るのでそこに参加しませんか」と。(松山到着の翌日の夕食は松山イベント組と合同宴会で、御名前のわかる方としてイベント運営として佐藤文香さんはじめ、関悦史さん、橋本直さん、岡田一実さんなどが参加されていた。)

その「詩客」実行委員人選については、いつかの豈に高山れおなさんが書いていたが、筑紫・高山両氏が豈なのでもうひとり豈でいいだろうということで豈新規参加の北川に声がかかったらしい。筑紫・高山両氏は豈weeklyに続くサイトの落着き先を探していたようだ。すでに「俳句樹」というサイトを立ち上げていたはずだが、継続するには困難だったようだ。『新撰』の反響に手応えを感じた筑紫・高山両氏、特に筑紫氏は何かをスピーディに発信、行動に移せるのはインターネットメディアだと思ったのだろう。

豈weekly 創刊ー2008年8月
『新撰21』(邑書林)発刊ー2010年1月
『超新撰21』ー2011年1月


※参照『超新撰21』の応募規定
・2010年1月1日現在50歳未満(U―50すなわち1960(昭和35)年1月1日以降生まれの方)
・2000年12月31日までに主要俳句賞受賞歴がなく、
・同じく2000年12月31日までに個人句集上梓のない俳人

引用:俳句樹 

私は『超新撰21』の公募枠に応募した。
公募1枠は収録時に23歳の【種田スガル】さんが選ばれた。

日曜の朝にこじあけた唇 まだ迷いの渦中   種田スガル 
『超新撰21』(2010年12月)


現在、豈weekly 創刊からは10年が過ぎたのだが、週刊俳句、俳句樹における『新撰21』『超新撰21』の特集や回顧録をみていると、俳句に長く関わっている筑紫・高山両氏における相当な俳句的事件だったと受け取れる。その後の第三の波はあったのだろうか、それとも今がその真っ最中なのか。

****

詩客発足の前年2010年12月、豈忘年会に於いて筑紫氏から「評論を書いてみませんか?具体的には三橋敏雄論。今までに書いていない人が書いたら面白いと思って。」というお誘いがあった。豈Weeklyのウェブ上共同執筆『相馬遷子ー佐久の星』の書籍化に倣い、ウェブ上での戦後俳句の展開、今までにない戦後俳句を見渡すというという構想だったらしい。

「詩客」での戦後俳句を読むのスタート 
「BLOG俳句空間ー戦後俳句を読む準備号」 



「詩客」準備段階の2011年3月11日14時46分11秒に、東日本大震災が起きた。


この大災害により確実に詩歌の何かが変わるという確信のようなものが実行委員会の各メンバーに感じられた。

しかし、それが何を示すのかが当時の私には実際わからなかった。「何かが変わる」脅威というのは、詩歌にとどまらず文芸、芸術一般、そして世の中の全てが変わる、不安を抱いていたように思う。

311の発生直前に週刊俳句からの初めての原稿依頼【3月の週俳を読む】を書くことになっていた。震災後に書くことになったのだが、それでまえがきに言葉について書いた。(

災害直後に筆を執るということに対して、何か恐々としていたことを思い出す。さまざまなニュース映像や、情報が頭から離れない時だったが、書く、という行為や態度について考えたことが記憶に残る。よい経験だった。そして何が変わっていくのかを言葉やその態度にフォーカスしたいと思っていたことを思い出す。

震災発生時、私は北関東の実家にて三橋敏雄の句集『しだらでん』をテキストにするため打ち込んでいた。「しだらでん」は、震動雷電の意があるので何か因果がありと思いたくなる。震度7の激震となった地元は、倒壊した家、屋根瓦が崩落した家々が多数あり、未だ崩れたままの家屋も散見する状況だ。今となっては震災が影響しているのか元々なのか何の理由かがわからない経年劣化となっている。一昨年から、無人の建物は取り壊され空地が目立つようになった。


災害はそれ以後の平常が失われることに困難がある。。実際の経験、計画停電や原発の影響などが思い当たる。私が地元で経験した計画停電とその頃の東京の街は、どこか昭和天皇崩御時に勤務先のビル窓のブラインドを下すように指示されたことに似ていた。

北関東の計画停電は午後六時に一斉に電源が落ち2時間の暗闇が続いた。計画停電実施の地方の現状を友人に知らせようと蝋燭の灯りの写真を送ったところ、蝋燭の火にぼんやりと映り込む背景が怪しすぎると歓ばれた。電気の無い暮らしをしたことは無いが、その頃の文化を思い、二時間のタイムトラベルを味わうことは不思議な経験でもあった。暗闇で行われる夜咄茶事などがあるが、「不謹慎」が世相でもあったため現代から電気の無い暗闇は苦痛の何ものでもなかった。

私が東京にいないことを知らない友人からメールが来、都内の中学に通う息子の非常時の帰宅場所として学校に登録させてもらえないか、という内容だったがすでに東京の部屋にはあまり滞在しなくなり役に立てなかった。 震災当日のその子の状況を伺ったところ、東京駅で一夜を過ごし、翌日幕張の自宅に翌日自力で帰ったと聞いた。東京に暮らす友人たちや元同僚たちは徒歩で帰れない人は、みな会社に泊まったらしい。

生きていると本当にさまざまことを経験する。

震災後に何が起きているのかよくわからないのでニュースをよく見た。


なんとなく煽られている気にもなった。句会にも行った。吟行も予定通り行われた。


句会では、ニュースでの枝野官房長官の受け応えが話題になっていた。普段は政治に全く関係ない雰囲気のご婦人が「ニュースを見ながらテレビに向かって毎日『ふざけるな』っていっちゃうのよね」とおっしゃっていたことが記憶に残っている。

枝野元官房長官と記者のやりとり見ていたら、句会での講評を聞いている気分になり、句会と政治記者会見が何かダブって思えた。後に、高山さんが以下の句を出していて、感心した。世間は人をこんな風に人を見ている。枝野さんは震災当時毎日テレビで拝見したため今も政治家である枝野さんをTVで拝見するたびに不謹慎とおもいつつも高山さんの句が蘇る。世の中が不謹慎な態度を戒める傾向にあったので、本当はだれも思ったりしている口に出すと不謹慎なことを高山さん流に書いたのだろう。

しろく て ぷよぷよ えだのゆきを も たかやまれおな も    高山れおな

(「詩客」日めくり詩歌 

311の直後に原子力発電所の被害があった。
震災直後の句会にて桑原三郎さん(「犀」発行人・昭和4年生)が以下の句を投句された。

福島第一原子力発電所2号機よりけむり  桑原三郎

(「テレビ揺れ福島第一原子力発電所2号機よりけむり」として『東日本大震災句集 わたしの一句』(宮城県俳句協会)に収録)


上記の作者名を句会で明かした後にその句会に初参加の方から「この句に詩があるのですか?ここにいらっしゃる先生方がこの句に対して詩があるのかないのかをどう思われているのかを知りたい。」と挑発的な質問があった。「詩があるとか、そういうことが問題ではなくて、句の内容が事実である、ということが怖いと思う。原子力発電所から煙が出ることこはあってはならない大変なことよ。」と池田澄子さんがおっしゃっていた。 

長谷川櫂さんが短歌で震災を作品にされたり、高野ムツオさんや照井翠さんが震災の作品発表をする以前のことだった。

****
 
政治と俳句は繋がらないと思っていたものが、政治が影響して言葉が変わっていくのか、世の中が突然にスピードを上げて変わってゆく気がして、それが、どう変わるのか、としばらくは政治に興味をもった。 震災から被災、復興に問題はうつり、除染作業や瓦礫の問題が地元ではクローズアップされていた。実際に被災地の瓦礫受入れをする説明会と放射能についての説明会を公民館に聞きに行ったりもした。

以下は瓦礫受入れ説明会の様子。

ほぼ反対派を制圧する説明会だと事前にわかっていた節があり、会場全体にシークレットサービスのように市の職員が配置され重々しい雰囲気があった。市長の説明前、環境庁の青年から国としての説明がはじまった。

環境庁の青年は、公務員というイメージよりもやや長髪で研究者タイプ。鴇田智哉さんに似ていた。「この人も哲学専攻だったんだろうか。俳句などしないよね…」なと関係ないこと想像をしている間に、淀みのない、そしてわかり易すい説明が終わった。会場は、そんな流暢な説明で納得しない!という反対派がなんとなくしびれを切らし…。

市長の質疑応答になると怒号が飛び交った。二十代から四十代に見える若者、特に印象的だったのは子供を連れた若い母親たちの怒りの抗議。100人収容できればよい会場の8割が埋まっている印象だった。反対派の机を叩くなど興奮した行為があり、怒号を浴び、押し倒されそうになり髪が乱れた市長の姿は、ひたすら耐えているように見えた。怯えている人を脅しているような状況に、市長ご本人の見解や意見が見えてこない。平行線の対立的説明会となったため、閉会前に帰宅。その時も句会でのご婦人同様「ふざけるな」という言葉が飛び交っていたことを思い出す。


震災のあたり、ありのままの事実が多く詠まれた。

例えば、御中虫さんの『関揺れる』(2012年4月邑書林/茨城県土浦市で被災された関悦史さんのツイッターでのつぶやきを元に作句されている。)

モデルになった関悦史さんの震災詠も印象に残る。第一句集『60億本の回転する曲がった棒』(2011年11月邑書林)収録「うるはしき日々」より。

激震中ラジオが「明日は暖か」と 関悦史 
「母子手帳持参の方、水お頒けします」 〃

※参照【松岡正剛の千夜千冊】(


筑紫さんは、震災時の行動記録を句集に掲載した。(『我が時代』2004-2013/実業広報社)。


私は震災を機に東京の住居を引き払うことにした。
2011年7月だった。

七階より洗濯機出てゆく水無月尽    北川美美




(続)


2018年11月9日金曜日

101号

※次回更新 11/23

【101号記念】

俳句甲子園今昔/筑紫磐井  》読む

山本周五郎と虚子/筑紫磐井  》読む

【100号記念】

特集『俳句帖五句選』
その1(飯田冬眞・浅沼璞・内村恭子)》読む
その2(神谷波・五島高資・小沢麻結)》読む
その3(坂間恒子・岸本尚毅・加藤知子)》読む
その4(木村オサム・近江文代・曾根毅)》読む

■平成俳句帖(毎金曜日更新)  》読む

秋興帖
第二(11/2)大井恒行・辻村麻乃・仲寒蟬・木村オサム
第三(11/9)山本敏倖・ふけとしこ・夏木久・曾根毅・小林かんな

■連載

麻乃第2句集『るん』を読みたい3
玉の質感/宮崎斗士  》読む

大井恒行の日々彼是 随時更新中!  》読む

句集歌集逍遙  『宙ノ音』(佐藤清美)/佐藤りえ  》読む



「兜太と未来俳句のための研究フォーラム」 開催要項
◇◇◇11/17(土)開催 入場無料※要申込み 藤原書店まで◇◇◇


■Recent entries

【抜粋】〈「俳句四季」11月号〉俳壇観測190
爽波忌に若き弟子たちを思う/筑紫磐井  》読む

第5回 詩歌トライアスロン募集について

麻乃第2句集『るん』を読みたい
はじめに   筑紫磐井  》読む
1 風の伽藍    中村安伸  》読む
2 辻村麻乃句集『るん』を読む    堺谷真人  》読む

眠兎第1句集『御意』を読みたい
インデックスページ    》読む
14 手札の中のモノ   黒岩徳将  》読む

麒麟第2句集『鴨』を読みたい
インデックスページ    》読む
10.『鴨』――その付合的注釈   浅沼 璞  》読む

前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井
インデックスページ    》読む

「WEP俳句通信」 抜粋記事  》見てみる

およそ日刊俳句新空間  》読む
…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
11月の執筆者 (渡邉美保

俳句新空間を読む  》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子



豈61号 発売中!購入は邑書林まで

—筑紫磐井最新編著—
虚子は戦後俳句をどう読んだか
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ISBN 978-4-88032-447-0 ¥2700
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【101号記念】俳句甲子園今昔  筑紫磐井

  第21回俳句甲子園公式作品集『俳句甲子園』第7号にこんなエッセイを載せている。

「俳句らしくない俳句
                        筑紫磐井

  私が最初に俳句甲子園に参加したのは第6回大会だった。以後も参加はあったが、矢張り最初のものが印象深い。ちなみに愛媛県は、正岡子規国際俳句賞の選考委員として毎回訪問していたので愛着があった。
 当時の私の考えは――これは今も変わらないのだが、高校生が俳句を作るのではなく、高校生が高校生らしい思いを詠んで新しい俳句が産まれることが大事だと言うことだった。
 今ではほとんどなくなったようだが、当時は自由律俳句の斬新な作家を何人か見つけることもできたし、有季定型の俳句を詠んでも、いかにも「俳句らしい俳句」ではないユニークな五七五に注目したものだ。それは俳句の地方版、俳句の高校生版ではなく、高校生が独自の思いを詠んだ新しい文学運動が生まれる現場を見ている感じがしたからだ。
 現在は、「俳句らしい俳句」がすっかり普及してしまったようでいささか淋しい。


実桜は6Bの鉛筆で描く 佐藤美聖  」

*       *
 さてこんなことを今年書いたのだが、ここに書いた私が最初に俳句甲子園の審査委員に参加した時のことを思い出した。
 平成15年8月の第6回大会である。24チームをブロック分けしたチーム対抗で行われている。自分が参加した試合しかわからないが、当時の記録を眺めてみよう。

●初日
 第1回戦は松山市の大街道商店街で行われており、4校の対抗となっており、信愛女子(熊本)、高田B(三重)、高山工業(岐阜)、江見商業(岡山)で競技し、信愛女子が勝ちぬけた。たしか、江見商業が近く廃校になると言う話を聞いた記憶がある。青春最後の思い出が、この俳句甲子園であったのだ。

白いブラウスで紫陽花ひとかかえ 信愛・松上佳代
紫陽花に雨粒の来て始業ベル 江見・建元祥昌
短夜のメールきていて青き星 高田B・山口淳也
バス停の紫陽花色の背中かな 高山・橋詰紗織


 会場はそのまま大街道商店街で、直ちに準準決勝に突入する。片山由美子、如月真菜と審査に当たった記憶がある。信愛(熊本)と今年の有償最有力国保であった松山東(愛媛)の対決であった。

繻子織りのさらさらさらら小鳥来る 信愛・澤村みさき
小鳥来る栞せぬまま囗を閉ぢて 松山東・金子耕大


 松山東は確か第4回の優勝校であったはずだが、準準決勝で敗退した。試合後リーダーの金子君が放心したような状態だったのを記憶している。

●第2日
 会場を改めて子規博物館で行われた。準決勝は開成(東京)と甲南(兵庫)、敗者復活で勝ち上がった高田Bと信愛であった。第1回戦で戦った高田Bと信愛が再び会いまみえたのである。その結果、決勝に進んだのは、開成と高田Bであり、開成が優勝したことは歴史に残っている。記念すべきはこれが開成の初優勝であり、開成の常勝神話がここから生まれることになったのである。

水害の四谷怪談野分立つ   開成・千崎英生
河童忌や火のつきにくい紙マッチ 高田・生駒大祐
君の背が私に着火夏の海   信愛・深浦智子
夏木立ぬっと出てくる山頭火 甲南・伊木勇人


●優秀作品
 優秀作品は、出場校から選ばれ、山口優夢は断トツの票を集め、伝説的な作品となっている。しかしそれに劣らず弘前学院聖愛の佐々木美日の句も評判となった。自由律であったからである。俳句甲子園にもこういう時代があったのである。  

小烏来る三億年の地層かな 開成・山口優夢
黙れば無駄に暑い 聖愛・佐々木美日
雑草のおし上げてゐる暑さかな 松山東・近藤美佳


 この年から個人賞が出せることとなり、初めての筑紫磐井賞は次の賞に決めた。句またがりがういういしい。

白いブラウスで 紫陽花ひとかかえ 信愛・松上佳代

 だから、俳句甲子園の卒業生の中で句集をまとめた生徒も出てくる。このとき大学2年生の神野紗希(松山東出身)は前年の最優秀賞受賞者でもあるが、この年の夏、句集『星の地図』をまとめ会場で私たちに配ってくれた。実は同じ賞を受賞した森川大和(愛光学園出身)も句集『ヤマト19』を出版している。驚くべき早熟さである。

起立礼着席青葉風過ぎた 神野紗希
秋天に叫ぶ       森川大和


 今思い起こしてみると、今や俳壇を担っている作家、早々に消え去っていった作家が目に浮かぶ。これも俳句甲子園の歴史かなと思う。

【「BLOG俳句新空間」100号記念】特集『俳句帖5句選』その4


木村オサム
口中に夜桜見えて家出せり
蝌蚪の紐散りぬ聖母の生あくび
罰として尺蠖虫がやって来る
寂しくて一番長い蛇を引く
焚火して戦に敗けた顔となる


近江文代
向日葵に夫の知らない声を出す
金魚得て水の膨らむ夜であり
真空の餅真空のままでいる
山眠る結束バンドに柔軟性
遺影とは三色菫咲くところ


曾根 毅
寒月光松に習えば松に消え
澄みきっている春水の傷口めく
何処まで釈迦の声する百日紅
鬼灯の内に骨やら髪の毛やら
目礼や霞む林檎を掌に受けて

句集歌集逍遙 佐藤清美『宙ノ音』/佐藤りえ


本書は佐藤清美さんの第三句集。『鬣』創刊同人で、20代の頃「俳句空間」に投稿していた旨が略歴に書かれている。
全体的に風通しの良い、すーっと澄み渡る秋の空のような句集だ。刊行時期にかこつけていうわけではないけれど。

 見送りも無用と言われる春があり

食客か、渡世人か、情緒をたちきるように旅立ってゆくものがある。それが誰あろう春のことだという。浸っていたい気持ちを寄せ付けず、ふいに変わってゆく季節がある。

 一等の猫となるまで花を食み

「一等の猫」という把握がおもしろい。ワールドチャンピオン、みたいな壮大な野望ではない、ちいさな競争の勝者、といった感じがする。それまでになされる努力が、花を食べること、というのもかわいらしく、目尻が下がってしまう。

 厨には李の光正しくて

食べごろの食物が奇妙に生命力を漲らせる瞬間、というのは、あると思う。それにしても、キッチンでほの光る李、その光に「正しさ」を感受するのは、不思議なことだ。正しいかそうでないか、ジャッジを求めることなどなさそうなものなのに、この組み合わせは不動に思えてしまう。「李」の字がもたらすいくつかの故事の印象がそうさせるのか。

 身のほかに何を投げこむ秋の河

隣あうのは「秋空を失うもので光らせる」の一句。河も空も自分に勿体ないほどに広く神々しい。投げこむものがこの身一つでは物足りない。あやういようでいて鬱屈さえどこかほの明るい。

 傷む日は冬の眠りの中に住む

落ち込んだり、傷ついて引きこもりたいような日、それが冬なら、冬眠してしまいたい、とも思うだろう。その時すむ「場所」が「眠りの中」なのも、道理である。外界と自分を、ぶあつい獣毛で隔てるがごとく、眠りの中に入っていく、これは自衛なのだ。

 秋の海船魂ありて見送れり
 青柿を手袋の手で触れている

2017年に福島県の久野浜と双葉町を訪ねた旨の前書きのある一連から。訪(おとな)う者として、福島第一原子力発電所の帰還困難区域をどのように詠み、読んでいくのか、を念頭に置いて読んだ。見送りたい者の目に船魂は映るのだと思う。
青柿に触れる「手袋の手」は、防護服の装備のことなのだろう。捥がれる予定のない青柿に触れている、その空間が簡略に伝わってくる佳作だと思う。

作者が上毛の地で、光や風を感受しながらしなやかに息づいている様子が、ありありと伝わる一冊だった。

 冬来たる『北越雪譜』をポケットに
 常世まで翼を濡らし鳥はゆく
 欲しければ銀河は河に落ちており
 梅雨の夜を魚群となりて行く車
 隠り世へ続く道なり曼珠沙華


『宙ノ音』六花書林/2018年10月刊

【新連載・辻村麻乃特集】麻乃第2句集『るん』を読みたい3 玉の質感  宮崎斗士

 辻村麻乃さんの第二句集『るん』が完成した。筆者は以前、麻乃さんの第一句集『プールの底』を拝読。

裸子を追いかけ雲のタオルかな
猫と言ふあだ名の子です猫の子は
をかしくてをかしくて風船は無理
湯気立てて母から私になる時間


といった作品に触れ、その豊かな感覚と詩情にいたく心惹かれたものだった。満を持しての第二句集。心躍らせつつ、じっくりと読ませていただいた。

 まずは、麻乃さんならではの朗らかな生活詠の数々。

雨後の空掌ありて暖かし

 上五「雨後の空」で切る読み方もあるだろうが、筆者は切らずに読む。雨上がりの空自体に「掌」「掌の温み」を感じるということ。「掌のやう」ではなく「掌ありて」としたところにすこぶる共鳴。嬉しくなる一句だった。

春の菜がドアスコープの一面に
自転車の籠に溢るる春の菜


 「ドアスコープ」「自転車の籠」を介すことによって、春野菜の瑞々しさ、鮮やかな色合いがさらに際立ってくる。作者自身の日常の清々しさもまた際立つ。

たましひは鳩のかたちや花は葉に

 一読、「たましひ」が鳩の「かたち」であるという捉え方に唸らされた。葉桜になってゆく、その清新な空気に包まれての上五中七に確かな実感あり。鳩のあのピュアな眼差し、所作が浮かんでくる。

何処からか歌声聞こゆ雛納
アネモネや姉妹同時に物を言ふ
をぢさんの顔をした猫秋愁
隣合ふ見知らぬ人やホットレモン
湯気立ててふつと足指戻りくる
北吹くや一本気なる卵焼


 そんな朗らかな穏やかな日常の中でふと立ち止まる緊迫のひととき‥‥。全くの異世界への入り口がいきなり現れるから、読んでいて油断できない。たとえば、

雛の目の片方だけが抉れゐて
砂利石に骨も混じれる春麗
午前二時廊下の奥の躑躅かな
路地裏で怖き神輿を見てしまふ
血痕の残るホームや初電車
夜学校「誰だ!」と壁に大きな字


 この「誰だ!」、作者にも読者にも強く訴えかけてくるかのようだ。老若男女、様々な境遇の人間がおのおのの意志を持って集う夜学校。壁に記された「誰だ!」という問い掛けは、他者のみならず、記した者自らに向けてのあらためての問い掛けなのかも知れない。

鮭割りし中の赤さを鮭知らず

 この句も、作者のある種の自戒、自らへの問い掛けのように筆者には感じられた。

 また、この句集には何がしかの欠落感、満たされぬ思いを表白する作品も数多い。ただの呟きではなく、一句一句きちんと詩として昇華されているので、すっと作者の感情の中へ入っていける。

想ひ人と会はざり桜蘂降る
言ひ返す夫の居なくて万愚節
肯定を会話に求めゐては朱夏
夏帯に渡せぬままの手紙かな
私小説受け入れられぬままに解夏
鰯雲何も赦されてはをらぬ
おお麻乃と言ふ父探す冬の駅


 「おお麻乃」の「おお」の響きから汲み取れる娘への思いの丈。そして作者が父を迎えに行った「冬の駅」。それは作者の思い出の中の駅、あるいは作者の心の中の無人駅であろうか。

鞦韆をいくつ漕いだら生き返る

 ぶらんこを漕ぐうちに蘇ってくる父とのあれこれ。まるでタイムマシンのようなぶらんこの揺れに身を任すひととき。その切なる思いが読者の胸に沁みる。
 そして家族、家庭を詠んだ作品群。

家族とも裸族ともなり冷奴
農夫の手受け継ぐ夫と墓参かな
娘てふ添ひ難きもの鳥渡る
小春日や陶器の家の灯りたる
家族皆元に戻れよ冬オリオン
冬満月今度は主婦になりたまへ


 この句、何故か強く印象に残った。気高く寒空に浮かぶ月に向かって、主婦としての起伏ありの日常を体験してみろと言い放つ‥‥その立ち姿に圧倒された。

 麻乃さんは現在、お母様の岡田史乃さんと二人三脚で俳誌「篠」を運営しておられる。何かにつけ行動を共にする母‥‥その母の日常もひとかたならぬ情愛と誠実さをもって詠まれている。

花篝向かうの街で母が泣く
春昼や徒歩十分に母のゐて
振り向きて母の面影春日傘
母からの小言嬉しや松の芯
帰りたいと繰り返す母冬夕焼


 この句集『るん』の表題句となった次の句。

鳩吹きて柞の森にるんの吹く

 柞の森といえば秩父神社の「柞乃杜」を思い出すが、「柞」という言葉自体、「母」と同音を含むため、和歌の世界では古来より母の意にかけて用いられてきた。「るん」とは、風であると同時に、たとえば溢れる母性の表われなのかも知れない。

生きようと思へば窓にカーネーション

 母の娘として、そして一家の中の母としての自らの在りようをカーネーションに託して表白。
 カーネーションの鮮やかさに、さらにもう一歩の力が湧いてくる。その一方で、

ポインセチア抱へ飛び込む終列車

 一人の女性としての新しいドアへの興味も決して薄れてはいない。終列車はまさに最後のチャンスであろうか。ポインセチアに込められた熱き思い‥‥。
 俗に「玉のような赤ちゃん」という表現がある。その「玉」の部分を残したまま成長し、少女になり、大人になり、妻となり、母となり‥‥。麻乃さんが守り通してきたその玉の質感が、この一冊の句集に見事に活かされていると筆者は感じた。その質感に『るん』という句集名も十分添うように思う。

飲み干すは映りし月と来し方と

 俳句作家としての、逞しく生きてゆく一人の女性としての麻乃さんに、これからも期待するところ大である。



【101号記念】山本周五郎と虚子  筑紫磐井

50年目
  来年は、高浜虚子没後60周年にあたる。来年は様々なイベントが行われるだろう。

 実は、昨年山本周五郎の没後50年であった。虚子のほぼ10年後に亡くなっている。51年目に当たる今年は、だからいくつかの周五郎の記念出版が行われている。とすると、これに類する企画が、虚子に関しては没後60年の来年、いろいろ行われるであろうと予想されるのである。
 ただ、50年に特別な意味があるのは、その年をもって著作権が途切れることである。著作権が切れなければ色々な企画は自由に行えない。その意味では虚子の著作権はすでに10年前に切れているから、それが明けるまで待つ必要がないのである。
 虚子の没後、虚子の作品や文章を自由に使って研究や論考ができるようになったことは意味が大きい。本井英の「夏潮」が付録号で「虚子研究」を始めたのは、2011年であり、没後52年目であった。本井がどのように考えたのかわからないが、著作権から離れて自由に虚子を批判できるようになったことは、虚子研究のために大いに喜ばしいことであった。なぜなら論者の中には、必ずしも虚子の門葉ではなくむしろ批判的な立場の者も多いからであり、虚子の著作権の承継者の意向を気にせずに大ぴらに虚子作品を引用して論ずることが出来るからである。虚子が俳壇の共有財産になるためには50年という歳月はちょうどいい時期なのである。
 私がこの夏まとめた『虚子は戦後俳句をどう読んだか』は10年前であれば多分まとめることを躊躇したかもしれない。この本は、虚子が「玉藻」に発表した「ホトトギス」以外の戦後俳句――戦後俳句作家の戦後作品――に対する虚子の批評を抜粋したものだからである。50年という歳月は研究のためにはおおきな節目となることを「虚子研究」は示している。

山本周五郎研究
 山本周五郎の研究は、つとに木村久邇典『山本周五郎』のシリーズがよく知られており、最近では齋藤愼爾氏の『周五郎伝―虚空巡礼―』(平成25年刊。樋口一葉やまなし文学賞受賞)がある。ただこれらはどちらかといえば、山本周五郎の評伝に近いと感じられ、時により周五郎の作品全文を引用する場合もある作品分析は手が出しにくかったのではないかと思われる。周五郎研究を読むと、周五郎の作品を読む必要がなくなる、――全文とは言わないが多くの作品のダイジェストが掲載されているということでは、著作権の侵害にもなりかねないからだ。
 実は私も周五郎作品に関心があったが、上記のような理由でなかなか手を付けかねていた。今年から著作権のくびきから離れたことから、少しその一端を披露してみたいと思う。今回はその第1章に過ぎない。
      *       *
 山本周五郎の人気は高くすでに何種類もの全集(講談社『山本周五郎全集』13巻、新潮社『山本周五郎小説全集』33巻+別巻5巻、『山本周五郎全集』30巻、『山本周五郎長編小説全集』26巻)があるほかに、全集未収録の作品全集(実業日本社・文化出版局)まで出ている。このほかにも、全集未収録の作品を含んだ単行本(例えば戦前雑誌に掲載された、「日本婦道記」の全話網羅した講談社版『日本婦道記』)などもあるから、大衆小説作家の作品集としてはほぼ完ぺきなテクストが現在は用意されているといってよい。

 それらの作品の中で、戯曲、エッセイ、現代小説(「青べかものがたり」等)、平安時代小説(『平安喜遊集』所収のもの)を除いたいわゆる時代小説こそが山本周五郎の真骨頂だと思うのでそれを対象に考えたい。
 そのうえでさらに、たくさんのプロットが複合しているために小説の構造分析に向かない長編時代小説(『樅の木は残った』『穀雨遍歴』『さぶ』『ながい坂』等28編)には、名作も多いが、そうした作品も残念ながら現在の私の研究目的からはずれるために除外した。
 こうして得た、いわゆる短編時代小説の総数をまとめてみると355編に及んでいる。周五郎の作品は、関係者の努力でまだまだ探索されており、これは現在私が確認できる数である。この小説集のデータ―ベースを作ってみた。
 このデータベースの意味するものを知るために1篇だけ作品を紹介しておく。【深川安楽亭】である。

 場所は深川にある無頼の集まる安楽亭という酒場であり、人殺しもいる、使い込みで逃げてくる奴がいる、抜け荷で殺されたもの・逃げ出してきたものが隠れている。どん底のような人間模様であるが、そんな中で、この店を昔から知っているという見知らぬ客が来る。見知らぬ客は、どうやら目的があるらしく、使い込みをした若い衆を連れて月夜の土手に酒を飲みに行き一人語りをする。木場に務めていたこの男は間違いから金を使い込み主家を追い出される。裏長屋の貧しい生活に落ちぶれた屈辱から、男は、貧乏でもいいから親子夫婦で暮らしたいと必死で反対する女房子供3人を残して上方に期限を切って出かける。やがて二百両近い金を稼ぎ戻ってきた男が裏長屋で聞いたのは、子供をはやり病でなくし、絶望して残った子供と身投げした女房の話だった。二年も前のことだったという。女房子供にいい目を見させたいと商売に出かけながら、男は女房子供を苦しませ、殺したことになる。男は、自らを呪い、稼いだ金を呪い、恋人のために主家の金に手をつけた若い衆にそっくりやってしまう。金を手放し、月光の下で若き日の女房との回想にふける男と別れる場面で話は終わるのであるが、周五郎は、戻ることもなく消えていった「あの客はついに名前も知れなかった」と結んでいる。

 なぜこの小説を取り上げたかといえば、周五郎の代表的な名作であることもあるが、周五郎の短編時代小説355編の中で、71編――ほぼ二割がこの小説と同様の構造となっているからである。武家ものであれ町人ものであれ、夫婦や恋人がおり、ある事件から伴侶を遺棄する、その後悲劇的な結末を迎え、主人公は痛切な悔恨にとらわれるのである(ただ周五郎は大衆小説作家であるから必ずしも悲劇で終わらせず、ハッピーエンドに持って行く作品も多いが)。
 こうした比較的単純と思われるプロットを山本周五郎は飽きることなく再生産しており、そして、にもかかわらず珠玉の作品としてそれらは結実しているのである(「ぼろと釵」「並木河岸」「おれの女房」「石榴」「醜聞」「夜の蝶」「むじな長屋」(『赤ひげ診療譚』より)「柳橋物語」等)。
 山本周五郎の後継者として多くの短編時代小説を書いた藤沢周平にもジェルソミーナプロットの作品は多い。「捨てた女」「時雨みち」「泣かない女」「おとくの神」等である(ただし周平にはハッピーエンドが多い)。時代小説には特にこうしたプロットと親近性が強いのかもしれない。もちろん時代小説には、有力なジャンルとして捕り物帖がある(藤沢にしてもかなりがその傾向がある)が、山本周五郎にはそうした傾向の作品はほとんど無い。いわば人情ものというジャンルだけで全作を貫いている。だからこそ、周五郎の作品には「深川安楽亭」のような構造が際立っていたのである。
     *       *
 私はこのようなプロットをジェルソミーナプロットと呼んでみている。大道芸で稼ぐ男と彼に身売りされた女(ジェルソミーナ)の旅、その途中で殺人事件を起こし男は女を捨てて去る。やがて何年かしたのち、ジェルソミーナが口ずさんいた歌を歌う洗濯女に事情を聴くとジェルソミーナの死んだこと、その最期の様子を知る。男は、海岸をさまよった挙句、波打ち際で号泣するのである。
 名画として知られた『ジェルソミーナ』(1954年、フェリーニ監督。邦題『道』)であるが、ほぼ周五郎と同様のプロットをたどることができる。しかしこれは、『ジェルソミーナ』に限らないのである。ゴールズワージ『林檎の木』、老舎『老駱祥子』、巴金『寒夜』、泉鏡花『婦系図』、徳富蘆花『不如帰』、漱石『それから』・・・・。洋の東西を問わず、どんな名作も一言でまとめてしまえば多くは同じ筋になるであろう。

教訓
 俳句のBLOGでなぜ周五郎を取り上げたのかといえば、繰り返しやマンネリと思われる制作技術の中で、なお、そうでない作品群に比べてもはるかに優れた作品が生まれる可能性があるということなのである。文学性の高い独創的な作品でなければ傑作が生まれないのではない。文学的な挑戦をしても、在来の旧弊な作法をしても、どちらにも美の女神は微笑むのである。
 我々は俳句を客観写生、花鳥諷詠、伝統俳句と批判することがあるが、それは作品の本質には何の関係もないことなのである。定型や有季は制約ではない。きっかけなのである。

2018年11月8日木曜日

前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井(インデックス)


  1. 子規の死   》読む
  2. 子規言行録・いかに子規は子規となったか①   》読む
  3. いかに子規は子規となったか②   》読む
  4. いかに子規は子規となったか③   》読む
  5. いかに子規は子規となったか④   》読む
  6. いかに子規は子規となったか⑤   》読む
  7. いかに子規は子規となったか⑥   》読む
  8. いかに子規は子規となったか⑦   》読む
  9. 俳句は三流文学である   》読む
  10. 朝日新聞は害毒である   》読む
  11. 東大は早稲田に勝てない   》読む
  12. 子規別伝1・子規最大のライバルは落合直文   》読む
  13. 子規別伝2・直文=赤報隊・東大古典講習科という抵抗   》読む
  14. 俳句は三流文学である――続編   》読む
  15. 子規別伝3・新体詩の創始者落合直文   》読む
  16. 子規別伝4・明治書院・大倉書店と落合直文   》読む