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2018年11月23日金曜日
眠兎第1句集『御意』を読みたい 結び 『御意始末』とその広告 筑紫磐井
BLOGと雑誌を組み合わせた時、こうした媒体誌でなければやれないことに挑戦してみたいと思った。その一つに〈壮大な句集特集〉がある。句集が刊行された時、俳壇特有の慣習で句集特集が行われるのが常だが、同人誌でも結社誌でも、せいぜい1人から数人の論者による批評でお茶を濁していることが多い。もちろん中には画期的な句集評もないわけではないが、一過性で終わっているものが多いような気もする。
そこで「俳句新空間」では、執筆者数無制限、頁数無制約の句集評を載せる企画を行っている。このような企画の発端になったのは――厳密な句集評とは言えないが――〈赤い新撰・御中虫と西村麒麟〉がその始まりであった。〈曾根毅『花修』を読む〉54回から始まり、西村麒麟の句集評50回(①第一句集『鶉』を読む、②西村麒麟・北斗賞受賞作を読む、③第2句集『鴨』を読みたいの3部作)、〈眠兎第1句集『御意』を読みたい〉14回、〈麻乃第2句集『るん』を読みたい(現在連載中)〉と続いている。終了したものはアーカイブに搭載しているが、もっと広大な展開があってもいいはずだ。
こうした特集に何の意味があるのか。一つは恵まれない句集著者(特に若い作家)に機会を与えることがある。俳句が読まれる機会というのは実はそう多くはない(高山れおなは、「俳句など誰も読んではいない」と宣言している)。そういう中で、特に一世一代の句集刊行にあたり、多くの人に読まれたいと思うのは無理からぬことだからだ。もう一つは、「量」は「質」を超えるのではないかという気がするからである。たった一人の優れた評論より、玉石混交であれ膨大な評論が存在することは、それなりの価値があると思うのだ。後世、平成の俳句を考えるときに巨大な句集評のビッグデータは何らかの参考になると思うのである。
こんな期待に応えたのが、黄土眠兎編『御意始末』(明日の花舎発行、発売邑書林、定価税込463円+税、2018年11月16日刊)だ。BLOG俳句新空間を始め、様々な媒体に発表された『御意』評を掲載した。もちろん、「俳句新空間」以外の媒体もあるが、筆者も言っている通り「俳句新空間」が無ければ生まれなかった本である。こうした本に貢献できたことを喜びとする。
余りにも当たり前のことだが、ここに掲げた執筆者は間違いなく『御意』を読んでいる。だから高山れおなの「俳句など誰も読んではいない」発言に対して、作者が行えるレジスタンスは、「俳句を何としても読ませる」戦術・戦略だ。作者ともども考えていきたい。
(BLOGでは、こうした「無限連載句集評」を今後も続けたいと思っている。若い作家で句集の準備をされている人は、発行人にご連絡いただきたい)
●黄土眠兎編『御意始末』
【執筆陣】
小川軽舟
藤原龍一郎
栗原修二
大丼さち子
樫本由貴
川原風人
叶裕
天宮風牙
仲田陽子
本多伸也
曾根毅
森本直樹
岡村知昭
久留島元
三木基史
中山奈々
黒岩徳将
島田牙城
谷口智行
装画=柳本々々
『御意』覚え書き
平成三十年一月十七日 邑書林発行
著者、黄土眠兎の第一句集 全二百七十八句収録
本文は活版印刷
四六版変形(130×188mm)
上製継表紙、カバー・帯・飾扉付き
全百六十二頁 貼り奥付
限定五百部 番号入り
帯文を小川軽舟が執筆(本書所収)
また、帯の裏面に軽舟抄出の「集中十句」を掲載
著者による「あとがき」を付す
カバー装画は速水御舟「翆苔緑芝」四曲一雙の内左二曲 山種美術館蔵
造本は島田牙城
定価二千五百円プラス税
黄土眠兎 きづちみんと
千九百六十年兵庫県生まれ 武庫之荘在住
「鷹」同人「里」人 句集に「御意」がある
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