50年目
来年は、高浜虚子没後60周年にあたる。来年は様々なイベントが行われるだろう。
実は、昨年山本周五郎の没後50年であった。虚子のほぼ10年後に亡くなっている。51年目に当たる今年は、だからいくつかの周五郎の記念出版が行われている。とすると、これに類する企画が、虚子に関しては没後60年の来年、いろいろ行われるであろうと予想されるのである。
ただ、50年に特別な意味があるのは、その年をもって著作権が途切れることである。著作権が切れなければ色々な企画は自由に行えない。その意味では虚子の著作権はすでに10年前に切れているから、それが明けるまで待つ必要がないのである。
虚子の没後、虚子の作品や文章を自由に使って研究や論考ができるようになったことは意味が大きい。本井英の「夏潮」が付録号で「虚子研究」を始めたのは、2011年であり、没後52年目であった。本井がどのように考えたのかわからないが、著作権から離れて自由に虚子を批判できるようになったことは、虚子研究のために大いに喜ばしいことであった。なぜなら論者の中には、必ずしも虚子の門葉ではなくむしろ批判的な立場の者も多いからであり、虚子の著作権の承継者の意向を気にせずに大ぴらに虚子作品を引用して論ずることが出来るからである。虚子が俳壇の共有財産になるためには50年という歳月はちょうどいい時期なのである。
私がこの夏まとめた『虚子は戦後俳句をどう読んだか』は10年前であれば多分まとめることを躊躇したかもしれない。この本は、虚子が「玉藻」に発表した「ホトトギス」以外の戦後俳句――戦後俳句作家の戦後作品――に対する虚子の批評を抜粋したものだからである。50年という歳月は研究のためにはおおきな節目となることを「虚子研究」は示している。
山本周五郎研究
山本周五郎の研究は、つとに木村久邇典『山本周五郎』のシリーズがよく知られており、最近では齋藤愼爾氏の『周五郎伝―虚空巡礼―』(平成25年刊。樋口一葉やまなし文学賞受賞)がある。ただこれらはどちらかといえば、山本周五郎の評伝に近いと感じられ、時により周五郎の作品全文を引用する場合もある作品分析は手が出しにくかったのではないかと思われる。周五郎研究を読むと、周五郎の作品を読む必要がなくなる、――全文とは言わないが多くの作品のダイジェストが掲載されているということでは、著作権の侵害にもなりかねないからだ。
実は私も周五郎作品に関心があったが、上記のような理由でなかなか手を付けかねていた。今年から著作権のくびきから離れたことから、少しその一端を披露してみたいと思う。今回はその第1章に過ぎない。
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山本周五郎の人気は高くすでに何種類もの全集(講談社『山本周五郎全集』13巻、新潮社『山本周五郎小説全集』33巻+別巻5巻、『山本周五郎全集』30巻、『山本周五郎長編小説全集』26巻)があるほかに、全集未収録の作品全集(実業日本社・文化出版局)まで出ている。このほかにも、全集未収録の作品を含んだ単行本(例えば戦前雑誌に掲載された、「日本婦道記」の全話網羅した講談社版『日本婦道記』)などもあるから、大衆小説作家の作品集としてはほぼ完ぺきなテクストが現在は用意されているといってよい。
それらの作品の中で、戯曲、エッセイ、現代小説(「青べかものがたり」等)、平安時代小説(『平安喜遊集』所収のもの)を除いたいわゆる時代小説こそが山本周五郎の真骨頂だと思うのでそれを対象に考えたい。
そのうえでさらに、たくさんのプロットが複合しているために小説の構造分析に向かない長編時代小説(『樅の木は残った』『穀雨遍歴』『さぶ』『ながい坂』等28編)には、名作も多いが、そうした作品も残念ながら現在の私の研究目的からはずれるために除外した。
こうして得た、いわゆる短編時代小説の総数をまとめてみると355編に及んでいる。周五郎の作品は、関係者の努力でまだまだ探索されており、これは現在私が確認できる数である。この小説集のデータ―ベースを作ってみた。
このデータベースの意味するものを知るために1篇だけ作品を紹介しておく。【深川安楽亭】である。
場所は深川にある無頼の集まる安楽亭という酒場であり、人殺しもいる、使い込みで逃げてくる奴がいる、抜け荷で殺されたもの・逃げ出してきたものが隠れている。どん底のような人間模様であるが、そんな中で、この店を昔から知っているという見知らぬ客が来る。見知らぬ客は、どうやら目的があるらしく、使い込みをした若い衆を連れて月夜の土手に酒を飲みに行き一人語りをする。木場に務めていたこの男は間違いから金を使い込み主家を追い出される。裏長屋の貧しい生活に落ちぶれた屈辱から、男は、貧乏でもいいから親子夫婦で暮らしたいと必死で反対する女房子供3人を残して上方に期限を切って出かける。やがて二百両近い金を稼ぎ戻ってきた男が裏長屋で聞いたのは、子供をはやり病でなくし、絶望して残った子供と身投げした女房の話だった。二年も前のことだったという。女房子供にいい目を見させたいと商売に出かけながら、男は女房子供を苦しませ、殺したことになる。男は、自らを呪い、稼いだ金を呪い、恋人のために主家の金に手をつけた若い衆にそっくりやってしまう。金を手放し、月光の下で若き日の女房との回想にふける男と別れる場面で話は終わるのであるが、周五郎は、戻ることもなく消えていった「あの客はついに名前も知れなかった」と結んでいる。
なぜこの小説を取り上げたかといえば、周五郎の代表的な名作であることもあるが、周五郎の短編時代小説355編の中で、71編――ほぼ二割がこの小説と同様の構造となっているからである。武家ものであれ町人ものであれ、夫婦や恋人がおり、ある事件から伴侶を遺棄する、その後悲劇的な結末を迎え、主人公は痛切な悔恨にとらわれるのである(ただ周五郎は大衆小説作家であるから必ずしも悲劇で終わらせず、ハッピーエンドに持って行く作品も多いが)。
こうした比較的単純と思われるプロットを山本周五郎は飽きることなく再生産しており、そして、にもかかわらず珠玉の作品としてそれらは結実しているのである(「ぼろと釵」「並木河岸」「おれの女房」「石榴」「醜聞」「夜の蝶」「むじな長屋」(『赤ひげ診療譚』より)「柳橋物語」等)。
山本周五郎の後継者として多くの短編時代小説を書いた藤沢周平にもジェルソミーナプロットの作品は多い。「捨てた女」「時雨みち」「泣かない女」「おとくの神」等である(ただし周平にはハッピーエンドが多い)。時代小説には特にこうしたプロットと親近性が強いのかもしれない。もちろん時代小説には、有力なジャンルとして捕り物帖がある(藤沢にしてもかなりがその傾向がある)が、山本周五郎にはそうした傾向の作品はほとんど無い。いわば人情ものというジャンルだけで全作を貫いている。だからこそ、周五郎の作品には「深川安楽亭」のような構造が際立っていたのである。
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私はこのようなプロットをジェルソミーナプロットと呼んでみている。大道芸で稼ぐ男と彼に身売りされた女(ジェルソミーナ)の旅、その途中で殺人事件を起こし男は女を捨てて去る。やがて何年かしたのち、ジェルソミーナが口ずさんいた歌を歌う洗濯女に事情を聴くとジェルソミーナの死んだこと、その最期の様子を知る。男は、海岸をさまよった挙句、波打ち際で号泣するのである。
名画として知られた『ジェルソミーナ』(1954年、フェリーニ監督。邦題『道』)であるが、ほぼ周五郎と同様のプロットをたどることができる。しかしこれは、『ジェルソミーナ』に限らないのである。ゴールズワージ『林檎の木』、老舎『老駱祥子』、巴金『寒夜』、泉鏡花『婦系図』、徳富蘆花『不如帰』、漱石『それから』・・・・。洋の東西を問わず、どんな名作も一言でまとめてしまえば多くは同じ筋になるであろう。
教訓
俳句のBLOGでなぜ周五郎を取り上げたのかといえば、繰り返しやマンネリと思われる制作技術の中で、なお、そうでない作品群に比べてもはるかに優れた作品が生まれる可能性があるということなのである。文学性の高い独創的な作品でなければ傑作が生まれないのではない。文学的な挑戦をしても、在来の旧弊な作法をしても、どちらにも美の女神は微笑むのである。
我々は俳句を客観写生、花鳥諷詠、伝統俳句と批判することがあるが、それは作品の本質には何の関係もないことなのである。定型や有季は制約ではない。きっかけなのである。
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