【俳句新空間参加の皆様への告知】

【ピックアップ】

2022年2月25日金曜日

第178号

   次回更新 3/11

第45回現代俳句講座質疑(6) 》読む

歴代芝不器男俳句新人賞受賞者一覧 》読む
第6回芝不器男俳句新人賞募集のお知らせ 》読む

第42回現代俳句評論賞募集》読む

■令和俳句帖(毎金曜日更新) 》読む

令和三年冬興帖
第一(2/11)飯田冬眞・仙田洋子・神谷波・小林かんな
第二(2/18)加藤知子・坂間恒子・辻村麻乃・杉山久子・松下カロ
第三(2/25)鷲津誠次・仲寒蟬・井口時男・ふけとしこ

令和四年歳旦帖

第一(2/11)仙田洋子・神谷波・加藤知子
第二(2/18)坂間恒子・辻村麻乃・松下カロ
第三(2/25)杉山久子・仲寒蟬・花尻万博

令和三年秋興帖

第一(11/19)仙田洋子・渕上信子・妹尾健太郎・坂間恒子
第二(11/26) 杉山久子・神谷 波・ふけとしこ
第三(12/3)山本敏倖・曾根 毅・花尻万博
第四(12/10)小林かんな・松下カロ・木村オサム・夏木久
第五(12/17)中西夕紀・浅沼 璞・青木百舌鳥・中村猛虎・なつはづき
第六(眞矢ひろみ・岸本尚毅・小沢麻結・下坂速穂・岬光世)
第七(12/31)依光正樹・依光陽子・渡邉美保・辻村麻乃・網野月を
第八(/14)井口時男・小野裕三・関根誠子・田中葉月
第九(1/21)望月士郎・前北かおる・のどか・仲寒蟬
第十(1/28)家登みろく・林雅樹・水岩 瞳・竹岡一郎
第十一(2/4)飯田冬眞・佐藤りえ・筑紫磐井


■ 俳句評論講座  》目次を読む

■ 第21回皐月句会(1月)[速報] 》読む

■大井恒行の日々彼是 随時更新中! 》読む


豈64号 》刊行案内 
俳句新空間第15号 発売中 》お求めは実業公報社まで 

■連載

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ (19) ふけとしこ 》読む

北川美美俳句全集11 》読む

句集歌集逍遙 櫂未知子『十七音の旅』/佐藤りえ 》読む

【抜粋】 〈俳句四季2月号〉俳壇観測229 コロナ解除——有馬先生を偲ぶ会・各賞表彰式

筑紫磐井 》読む

英国Haiku便り[in Japan](27) 小野裕三 》読む

澤田和弥論集成(第6回-7) 》読む

中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい インデックス
25 紅の蒙古斑/岡本 功 》読む

篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい インデックス
17 央子と魚/寺澤 始 》読む

中西夕紀第四句集『くれなゐ』を読みたい インデックス
18 恋心、あるいは執着について/堀切克洋 》読む

渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい インデックス
7 『櫛買ひに』のこと/牛原秀治 》読む

なつはづき第一句集『ぴったりの箱』を読みたい インデックス
18 『ぴったりの箱』論/夏目るんり 》読む

ふけとしこ第5句集『眠たい羊』を読みたい インデックス
11 『眠たい羊』の笑い/小西昭夫 》読む

加藤知子第三句集『たかざれき』を読みたい
2 鑑賞 句集『たかざれき』/藤田踏青 》読む

眞矢ひろみ第一句集『箱庭の夜』を読みたい インデックス
11 鑑賞 眞矢ひろみ句集『箱庭の夜』/池谷洋美 》読む

『永劫の縄梯子』出発点としての零(3)俳句の無限連続 救仁郷由美子 》読む


■Recent entries
葉月第一句集『子音』を読みたい インデックス

佐藤りえ句集『景色』を読みたい インデックス

眠兎第1句集『御意』を読みたい インデックス

麒麟第2句集『鴨』を読みたい インデックス

麻乃第二句集『るん』を読みたい インデックス

前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井 インデックス

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉜ のどか 》読む

およそ日刊俳句新空間 》読む
…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
1月の執筆者 (渡邉美保)

俳句新空間を読む 》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子



筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(19)  ふけとしこ

 左右

右を見て左を見れば雪こんこん

左手が右手を探す冬夕焼

寒晴の左の耳に聞かすこと

枯園や二羽の鳶の輪が離れ

カリフラワーの分け方恋の終り方

 ・・・

 大阪市より表彰されるという椿事。

 昨年の初冬1本の電話があった。相手は大阪市環境局の某氏。あなたを表彰したいのですが受けてくれますか? といった内容である。聞けば私が道路の清掃をしているというそれだけの理由からである。引越しも決まっていたし、近所の人たちに知られるのも気恥ずかしい。一旦は断ったのだが、16年間続けるというのはやはり大変な事ですから……と。そこで考えた。この街に住んでいたという記念になるかな、と。

 表彰式は1月末だった。新型コロナウイルスの感染状況によっては式典が中止になるかも知れませんが、ということでもあったが、無事に行われたのであった。

 西宮市の郊外から、大阪のど真ん中の家を引き継ぐべく移り住んだのが16年前のことだった。街の喧騒は覚悟の上だったが、それよりも道路の汚さ、ゴミの多さが気になった。昼間は人通りが多いので、早朝なら人に会うことも少ないだろうと、毎朝6時に掃除に出ることに決めた。範囲は家の前を中心に四つ角から四つ角まで。余程の事がない限り、箒と塵取りとゴミ挟みとゴミ袋の毎朝であった。あまりにも汚いので新聞紙にくるんでから袋に入れた。

 繁華街のこと故、終日人通りがあり、酔っ払いも多い。真夜中から明け方にかけても大声、スケートボード、小競り合い、吐き散らし等々。現金、鍵、キャッシュカード、免許証、保険証などなど、これを落としたら困るだろうに……という物もよく拾った。何回交番へ持ち込んだことか。車に轢かれてバラバラになったスマホ、これだって持ち主はさぞかし探したことだろう。

 面白いことも色々あった。大きな鼠や蛇に出くわしたり、車にはねられた鼬にも遇ったが、この鼬は可愛そうに死んでしまった。死骸は私が片付けざるを得なかった。狸が悠々と歩いて来たことがあって、これには本当にびっくりした。「君、狸だよね?」とまじまじと顔を見たら、相手もじーっと見返してきた。そしてまた悠々と御堂筋の方へ歩いていった。それっきり出会うこともなかったが、いったいどこから来てどこへ行ったのだろう。
 そんなことなどを思い出す日となったのだった。

 マンション暮しとなった今も道端のゴミが気になって仕方がない。

(2022・2)


歴代芝不器男俳句新人賞受賞者 一覧 (第6回芝不器男俳句新人賞募集参考)

【第6回芝不器男俳句新人賞募集】

幾多の新人を輩出しています。

  要領

100句。既発表句可。

1981年4月1日以降生まれ(40歳未満)。

締め切り:2022年2月28日(月) 17時まで。

新人賞:賞状、賞金30万円、副賞。


第5回芝不器男俳句新人賞

芝不器男俳句新人賞  生駒大祐

城戸朱理奨励賞     表健太郎

齋藤愼爾奨励賞     菅原慎矢

対馬康子奨励賞     堀下翔  

中村和弘奨励賞     松本てふこ

西村我尼吾奨励賞  佐々木貴子

特別賞        田中惣一郎


第4回芝不器男俳句新人賞

芝不器男俳句新人賞 曾根毅

大石悦子奨励賞    西村麒麟

城戸朱理奨励賞    表健太郎

齋藤愼爾奨励賞    庄田宏文

対馬康子奨励賞    髙坂明良

坪内稔典奨励賞    原田浩佑

特別賞       稲田進一


第3回芝不器男俳句新人賞

芝不器男俳句新人賞  御中虫 

大石悦子奨励賞     成田一子

城戸朱理奨励賞     藤実

齋藤愼爾奨励賞     堀田季何

対馬康子奨励賞     中村安伸

坪内稔典奨励賞     たかぎちようこ

特別賞        風倒木


第2回芝不器男俳句新人賞

芝不器男俳句新人賞  杉山久子

大石悦子奨励賞     ことり ことり

城戸朱理奨励賞     大野泰司

齋藤愼爾奨励賞     九堂夜想

対馬康子奨励賞     佐藤文香

坪内稔典奨励賞     宮嶋梓帆


第1回芝不器男俳句新人賞

芝不器男俳句新人賞  冨田拓也

大石悦子奨励賞    小田涼子

城戸朱理奨励賞    関悦史

齋藤愼爾奨励賞    佐藤成之

対馬康子奨励賞    松原藍夏

坪内稔典奨励賞    神野紗希



北川美美俳句全集11 

 俳句新空間6号(平成28年9月)

        閉づる

見ゆるものすべてまぼろし薄暑光

夏至の日の砥石に当つる刃先かな

川音や青柿育つ青の中

水無月の地球は水をこぼさずに

灰となる文字を鋼の板に打つ

白塀を蟻一粒の下りけり

巡礼の岩に砕ける清水かな

明易のまだ黒黒と山の影

かの夏の焔となりし木の火筒

山越えて帰る国なし青大将

日の入りのはじめに点す蚊遣香

ひとりづつ金魚に水を足しにゆく

首垂れて顎で交はる汗の玉

幽霊と金魚はいつも濡れてゐるか

掴み出す夏の鮪の立方体

夏の水叩くと玉になるつぎっぎ

堤防にかがめば映ろ晩夏かな

香水の蘇りくる記憶閉づ

握手して霊入れ替はる星祭

全身詩人透き通る木槿かな


21世紀俳句選集(既に前出)


俳句新空間7号(平成29年3月)

    美しすぎて

蜂蜜を透かして冬の日を見しや

土はまだ乾いてもゐず榠櫨の実

人深く息ついてゐる炬燵かな

林檎の芯くり抜くことを仕事とす

愛日をまはる振り子の置時計

この町に和菓子屋多し餅配

箱に箱重ねて棚や十二月

元朝のいつもの町に他ならず

初声の消えゆく風の波間かな

風呂敷の結び目を解く賀客かな

ひとり牡蠣フライ定食来るを待つ

鳥の死を知らずに盛土凍つるなり

さびしさを後ろに告げば葱畑

捨てらるる畳のごとく葱売らる

東京は雪の降るらし風匂ふ

また今度逢へるのいつか雪達磨

きさらぎの東京にゐて髪を切る

春立つと美しすぎる司祭あり

老犬が小屋のまはりに日永かな



俳句新空間8号(平成29年12月)


世界名勝俳句選集  景勝7句

  軽井沢

冬ざれの浅間山荘事件の碑

  群馬三都

前橋の緑雨の中の競輪場

暴力映画観て高崎より北が霧

沼にある桐生競艇クリスマス

  東京都港区

三田一丁目クスリ屋の角秋の暮

  東京都練馬区

石神井の愛人宅は薔薇盛り

  三浦三崎

紫黄忌の三崎の果ての浜で待つ


   夏から秋へ

玉紫陽花これより先は森の道

まなじりは青葉若菜のかたちかな

返り梅雨卓球台の広きかな  

布かけて夜が来るなり箱庭に

太陽の今日は隠れて椿の実

瑠璃色の風鈴に入る硝子棒

品川やビル屋上に海豚の尾

欄干に日焼の腕を押し当てし

すぐそこに小さき山あり残る蝉

山を出で海に出るなり蝉の殼

曼珠沙華一本道は長かりき

コスモスの揺れるだけ揺れ骨となる

鶏頭花しばらく坐る家の裹

芒刈る父のゐた日を思ふかな

秋灯のギイと音する手術室

鳥皮や栗と棗を腸に

小鳥来る麺麭でポタージュ掬ふとき

秋の夜のさけるチーズの曲がりけり

捨てらるる案山子と俳句同人誌

空といふ果てしなき穴昼の月

句集歌集逍遙 櫂未知子『十七音の旅』/佐藤りえ

ウィルス禍によって旅から遠ざかって久しい。どうにも動きが鈍い理由はそればかりでなく、二匹に増えた老猫のことが心配で、なかなか自宅から遠ざかることができない。

そんな折に読む『十七音の旅』はさまざまな思いをかきたててくれた。本書は著者が北海道新聞に連載したエッセイをまとめたもので、先頭から余市・北海道・日本と三つの章立てがなされている(全然関係ないけれどフィッシュマンズの「宇宙 日本 世田谷」を思い出した。構造が逆だけど)。

東西の名句をひきながらの短いエッセイ群のうち、「余市」の章は著者の個人史的な話題が中心で、「北海道」はその名の通り北海道にまつわる話、「日本」の章は国内のあちこちへの旅や移動にまつわることごとが綴られている。季語にこだわりのある著者らしく、ページの欄外下側には引用句の季語と季節がきっちりしるされている(巻末には季語索引も備わっている)。

「余市」の章では著者の家族のこと、幼少期の思い出なども披瀝されているが、それはとりもなおさず昭和史としても機能している。昭和がすでにふたつまえの和暦であることを思うと、当然のことながら時間はどんどん過ぎていくのだなあ、ということをいたく感じる。単なるノスタルジーと呼ぶには、どうだろうか、昭和35年生まれの著者の綴る昭和は、カラー映像やカラー写真で記録されはじめた時代だ。記録というよりは記憶と、まだ言えるのではないか。それでも北海道、また余市ならではの行事や地誌を読んでいると、あこがれのような思いを抱いてしまうのは、筆者が内地の人間だからかもしれない。

本書のもうひとつの大きな特徴は、著者の参加する蝦夷句会や北海道俳句年鑑からなど、北海道の作者の作品が多数ひかれていること。


拓銀もディスコも遠しラムネ吹く 大澤久子

春北風の先兵は槍利尻富士 源鬼彦

雪の汽車吹雪の汽車とすれ違ふ  鈴木牛後


文中の引用句から、北海道関係のものをひいた。北海道拓殖銀行、その名はバブルの轟音をともなって記憶に留められている。利尻山が利尻富士とも呼ばれることは近年のテレビ番組「グレートトラバース」で知った。遠く住まう者にとっては暢気な話題だが、地元の人にとっては槍のように鋭い風が春を知らせる場所でもある。筆者もディーゼル車の運行区間に住んでいたので鉄道といえば「汽車」だった。しかし吹雪の汽車、と呼べるようなものはなかなかお目にかかれるものではない。雪というアイコンは今日も北海道らしさが最もよく表れる素材かもしれない。

1ページずつのエッセイは小気味よい文章でどんどん読みすすめてしまう。俳句プロパーにとっては北海道と東京をどんどん行き来する著者のバイタリティを楽しむ本であり、一般の読者にとっては、名句の読み方と俳句周りの話題を肩肘張らずに摂取できる良書である。思えば初学の頃、こうして俳句を紹介する本や、さまざまな文にひかれた俳句から俳人を知るきっかけを得たものだった。こうして知り得た句はなかなか忘れがたいものだ。

カバー写真の木造駅を眺めていたら、やはり旅に出たくなった。まずは今猛威を振るっている感染症の流行が落ち着くことが先だけれど、その後、できれば分身の術など身につけて、文中に登場する神威岬や小樽を訪ねたい。

『十七音の旅』(北海道新聞社/2021)

第45回現代俳句講座質疑(6)

 第45回現代俳句講座「季語は生きている」       筑紫磐井講師/

11月20日(土)ゆいの森あらかわ


【赤羽根氏質問】

 さて、追加質問の件、今頃で申し訳ありません。

 私がお聞きしたいと思っていることは以下の3点です。(2点については回答済み)


3.「一月」の必然性について。


どうぞよろしくお願いいたします。


【筑紫】

     一月の川一月の谷の中(初出「俳句」44年2月号「明るい谷間(30句)」)


 この句は「一月」であって「正月」ではないことに注目すべきです。

 暦と言って、1月、2月、3月、4月・・・と思い浮かべるのは、西洋暦に慣れ親しんだ現代人の感覚です。芭蕉以来、明治の半ばまでは、暦は、正月、2月、3月、4月・・だったのです。もちろん、睦月、如月、弥生・・・という異名はありましたが、東洋を通じてのスタンダードは、正月、2月、3月、4月‥だったのです。

 そもそも暦の歴史は古く、王朝ごとに年の初めは変わったとされ、それを夏正(11月)・殷正(12月)・周正(1月)と呼んでいたように、年の初めを「正」というのです。

 明治5年の改暦に伴い太陽暦が採用され、1月、2月、3月、4月・・・の名称が採用されましたが、日本全国までそれが普及するまではだいぶ時間がかかりました。明治初期には改暦反対の一揆さえ起っています。なぜなら太陽暦に合わせて、民衆の行事を政府は実施させようとしたからです。旧暦を支えていたのは農村部の民衆だったからです。

 なぜこのようなことを言っているかと言えば、民衆の生活を踏まえたものではない暦の言葉「一月」は本来季題(伝統的な季節の題)でなかったからです。「一月」には何の本意もありません。俳句の言葉ではなかったのです。明治中期から進歩的歳時記には、「一月」が立項されましたが、逆に「正月」が削除されました。その典型は虚子の歳時記で、その経緯は西村睦子『「正月」のない歳時記』に書かれています。

 いずれにしても歳時記に一月が立項されても多くの俳人の意識はそれに追いつかず、一月の名句はなかなか生まれてきませんでした(最も新しもの好きの御先走りはいつの時代でもいるもので、新題としてせっせと詠む一部の俳人はいましたが)。

 日本の農村部の意識を決定的に大きく変えてしまったのは、敗戦でした。農村の生活改善の過程で、GHQの意向を受けて大きく農村は変わっていきました。衛生の改善、男女平等などいいこともたくさんありましたが、古い文化の断絶は進みました。おそらく正月意識が希薄になり、一月が普及したのはこうした背景があると思います。

 いいすぎになるかもしれませんが、一月の普及の裏側には正月の絶滅があるかもしれません。

 こんなことがあると、「一月の川」は正月を拒否している山河であることがわかってくると思います。情緒的な正月ではなく、無機的な一月の山河があるわけです。一月の季語には、正月行事の匂いは感じられません。そしてそれは、「一月の川一月の谷の中」という句に実にぴったりとあてはまるように思います。川と谷以外何もないというためには、冬でなければなりません。厳冬のイメージが必要です。12月は、日は極まっています(当時で日が一番短い)がまだ寒さの極致ではないようですし、「じゅうにがつ」では饒舌です。2月は、すでに春が萌し始めているという伝統があります。


【筑紫追加】

 前回で、「名前があってこそ名句になる」にお答えさせていただきましたが、龍太の「俳句は無名がいい」というっ言葉があるので少し補足させて頂きたいと思います。

 「俳句は無名がいい」と言っても「一月の川」の句はやはり龍太の名前がなければ世に出ないことは間違いありません。高柳重信や中村苑子がこの句を見出したのは、龍太の名前がついていたからでしょう。「一月の川」の句が有名になったればこそ出た龍太のセリフのように思います。

 ではなぜ、龍太が「俳句は無名がいい」などと言ったのかということを忖度すると、これは龍太流の俳句の作り方を述べているように思えます。秋櫻子や誓子のような個性がぎらぎらした作り方(実は案外「馬酔木」や「天狼」には類型的な俳句が多いのは面白いですが)を最善のものとせず、もっとふっくらとした作り方を求めているように思うのです。

 そしてこのふっくらとした作り方こそ、虚子が進めた題詠法、――つまり題を使って山ほどの類想句を詠んだ挙句に突然恩寵の様に出来上がる傑作と似たような作り方ではないかと思います。虚子は、「玉藻」の研究座談会で、龍太や波郷の俳句を「我が方の俳句と近い 」とほめています。秋櫻子や誓子のほめ方とは明らかに違うのです。

    *

 以上色々腑に落ちないことがあるかもしれませんが、それはよくわかります。ですからこの論は私の考え方を押し付けようというのではなく、新しい考え方を導入し、共に進歩したいと思っているからであり存分にご批判いただきたいと思います。


(続く)

2022年2月11日金曜日

第177号

  次回更新 2/25

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1月の執筆者 (渡邉美保)

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筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。

【抜粋】 〈俳句四季2月号〉俳壇観測229 コロナ解除——有馬先生を偲ぶ会・各賞表彰式  筑紫磐井

  コロナ状況の中でもうすぐ二年が経つ。何度も感染の波が押し寄せ、特に強烈な第五波は多くの人々を萎縮させた。人の集まる活動はことごとく中止され、俳壇もご多分に漏れなかった。しかし十月から理由は不明であるが急激に感染者は減少し、様々な制約が解除された。これから通常の生活に戻れるかも知れないと思っている最中、海外はまだ収束の様相を見せず、更にオミクロン株という強烈な新型種が登場し、外国人の渡航が全面禁止になった。現在はアクセルとブレーキを踏んでいるような気持ちで、自粛と復活がこもごも進んでいる。俳壇関係でどのように自粛と復活が進んでいるかを眺めてみよう。


有馬朗人先生を偲ぶ会(十一月二九日)

 有馬朗人氏が亡くなったのは令和二年十二月六日であった。有馬氏の活動は広範であったから、例えば研究者たちの偲ぶ会は東大や理研が中心となって行われたようだが、俳人の会は一年にわたって自粛されていた。そろそろ一周忌を迎えようとする十一月二九日に「有馬朗人先生を偲ぶ会」がオークラ東京で開かれた。三〇〇名近くの来賓会員を迎え、会食が付いての着席の式は、この二年間で記憶にないほど盛大な規模の会であった。殆どコロナ下での制限を感じさせないものであった。この会の責任者である西村我尼吾氏と話をした。西村氏は私が俳句を始めたばかりの時から面識があるので、いろいろな話を腹蔵なくできた(西村氏は当時東大法学部の学生であった)。彼によれば、正に奇跡的な会合だったと言っていた。恐らく一か月前でも後でもずれていたら開けていたかどうか分らない。西村氏自身国際機関の重職にあり、赴任地からの帰国を促され、十二月からはまたインドネシアに戻らねばならないと言っていたから個人的にも綱渡りのスケジュールであった。

 偲ぶ会前日には同人総会が開かれ今後の運営体制が決まったと披露された。有馬ひろこ夫人が副主宰、西村我尼吾(代表同人)対馬康子(最高顧問)、大屋達治(編集顧問)、福永法弘(同人会長)、日原傳(編集顧問)で、西村氏が課題句選者、対馬・大屋・福永・日原氏が毎月交替の天為集選者というこの1年間の体制を引続き継続することとなったそうだ。著名な俳人がなくなりいくつかの結社に分裂している例が最近は多いが、部外者にはとまどうことも多い。はっきり継承されているのは分りやすいことだ。中心人物たちが有馬氏の遺志を明確に認識し、共有できているからできることだろうと思う。

 偲ぶ会自身は献花の後、俳人協会の大串会長、現代俳句協会の宮坂特別顧問、玉藻の星野名誉主宰の悼辞が行われた後、西村・対馬・大屋・福永・日原氏らの幹部による開会の辞、献杯、追悼の辞・閉会の辞が執り行われた。天為一家・有馬一家らしい盛大な偲ぶ会であった。残念ながらひろこ副主宰は出席されなかった。

 偲ぶ会と併せて、天為十二月号は「有馬朗人一周忌特別号」が特集され、稲畑汀子・宇多喜代子・高橋睦郎氏らの一周忌に寄せる言葉と、堀切実・川本皓嗣・西村我尼吾の鼎談「俳句とは何か」が掲載された。有馬氏生前から面識のある人々であり、このテーマも有馬氏が暖め続けたテーマであり、三〇頁にわたる対話は読み応えがある。一年間にわたっての渾身の活動と言うべきであろう。


現代俳句協会表彰式(一〇月三〇日)

(中略)


俳人協会表彰式(六月二六日)

(中略)


 このように、おずおずと従来の生活に戻りつつあるようだが、令和四年になったからと言ってすぐに画期的に状況が改善出来るわけでもなさそうだ。しかし、句会や大会などを切望する声は強い。私も、現代俳句講演会(一一月二〇日)に参加したが、五〇人近い会場に聴衆の集まっている姿を見ると、昔なら何の不思議もないこの光景に、ついつい感動してしまった。令和四年がよい年であることを祈りたい。

※詳しくは「俳句四季」2月号をお読み下さい

【転載】俳人協会創設秘史⑫(60年目の真実)——協会卒業論文として

 (現代俳句協会副会長・「兜太TOTA」編集長・俳人協会評議員 筑紫磐井)

    

 「会員相互の信頼と良識によってその親睦をはかるとともに、俳句の伝統を基盤としてその正しい発展に寄与することを目的とする」

 俳人協会が、現俳内の伝統の親睦団体に過ぎないという根拠は、「俳人協会清規」が廃止され、昭和41年4月に「俳人協会規約」が制定されても、その目的に全く同文が組み込まれたことからも引き続くことになる。

 では民法に基づく公益法人となってこれは改善されたのであろうか。実は親睦が消えるとともにもっと恐ろしいことが起きてしまったのである。社団法人俳人協会は完膚無きまで定款の目的を変更されてしまった。

 「社団法人俳人協会は、俳句文芸の創造的発展とその普及を図り、もって我が国文化の向上に寄与することを目的とする。」

 「親睦」こそ消えたものの、最も大事な「伝統」がかけらもなく消えたのである。これは当時の文部省の認可条件として一業界に一法人しか認めず、「伝統」と明示することは他の俳句を排斥することになるため国是としてこれは認められなかったのである。結局、俳人協会は伝統俳句だけではなく、無季俳句の振興まで任務としている。

 こうした前車の轍を避けたのが、日本伝統俳句協会であった。優れた官僚で政治家でもあったホトトギス同人会長大久保橙青が、文部省と緊密な連携を取り、有季定型を「伝統俳句」と呼び、これは「俳句」とは別の事業であると認定させるウルトラCをとった。日本伝統俳句協会の目的は次のようになっている。もはや、伝統は日本伝統俳句協会にしかない。

 「有季定型の花鳥諷詠詩である伝統俳句を継承・普及するとともに、その精神を深め、もって我が国の文化の向上に寄与することを目的とする」

(「藍生」2月号より転載)

第45回現代俳句講座質疑(5)

第45回現代俳句講座「季語は生きている」 筑紫磐井講師/

11月20日(土)ゆいの森あらかわ


【赤羽根氏】

お世話になっております。

先日はご本を2冊もお送りいただきありがとうございました。

私が普段接している俳句とは全然違う世界に只々驚嘆しています。

(秋尾先生からは洗脳されていると苦笑されています。私自身はマニア化している感じです。)

さて、追加質問の件、今頃で申し訳ありません。

私がお聞きしたいと思っていることは以下の3点です。


1.「一月の川〜」の句は飯田龍太という名前があってこそ名句になると先日伺いました。

 もし、筑紫先生が句会で初めてこの一句と出会った場合、当然飯田龍太という名前はありませんが、どのように選をされるでしょうか。

2.この句は、筑紫先生が分析された型のことを除けば「川」「谷」しかないということですが、読み手によって、その景には何らかプラスされている可能性があります。

 (過去の論争では、「雪」「ヘリコプター」なども登場していました。)

 筑紫先生のイメージされるこの句の景で、「川」「谷」以外に見えているものがありましたら教えていただけますでしょうか。


【筑紫】

 多分私の出ている句会では取らないと思います(笑)。一般的に、句会は文芸批評をする現場ではないと思いますから。句会では名句ができる環境ではない、句会では名句が評価される仕組みはないと思うからです。やはり句会というのは興業の場であり、そのざわついた雰囲気を楽しむのが第一の目的であると思います。

 申し上げておけば、Aという句会で特選に入り、Bという句会では無点になるという場合はよくありますが、それはその句会の指導者が優れているかどうかではなくて、連衆の構成も含めて句会の雰囲気が受け入れるかどうかで結果は全く違った結果になります。

    *

 「一月の川」を受け入れる句会は私たちが知っている通常の句会(例えば当季雑詠句会)とはかなり違う句会だと思います。この句が特殊な句であることはお分かりになると思いますが、通常の句会にはなじまない句であるという気がします。むしろホトトギスの題詠句会に「一月」の題で出されてこそ初めて生きてくるように思えます。「一月」の題で、参加者があれやこれや考え、大半が面白くもない類想句しかできない中でこの句が回ってきたときに、ふっととってしまうような句です。

 「一月」の句が出来た環境はよく知りません。「俳句」から原稿依頼が来たときに、机の前で作ったようにも思えますが、にもかかわらず、この句は、題詠句でできる要件をいくつか持っているように思います。まず頭の中だけで作ったように思えます。手持ちの素材が全くないからです。逆に言えば、吟行などで余計な情報を入れることがないと想像できます。雲母系の人は、龍太の住む山廬の風景を省略し消去し生まれたという考え方をする人が多いようですが、この解釈をするとこの句から様々な元の風景――夾雑物を含んだ現実の生々しい山梨県境川村の狐川という見栄えのしない枯れ川を復元してしまいます。雲母系の方の解釈はそうではないかと思います。あるいは「雪」や「ヘリコプター」まで見えてくるかもしれません。私は、むしろゼロから作られたのがこの句ではないかと思います。

 だから「一月の川」の句ができるプロセスは虚子の次のような作り方と非常に似ていると思えます。これは、


  箒草露のある間の無かりけり

  帚草おのづからなる形かな

  箒木に影といふものありにけり

  其まゝの影がありけり箒草


の句に関して述べたものですが、「一月の川」の句に非常によく似ていることがわかると思います。龍太の頭の中でもこのようなプロセスが存在したとみることはできるのではないでしょうか。少なくとも、箒木の周りに、「雪」や「ヘリコプター」が見えることはありません。


 〈自分は今箒草を頭の中に描き出してみて一つの好ましい景色を想像してみている。箒草の風を受けずにまっすぐに突っ立っているさまも想像してみたが、それなどはすでにいくども頭の中を往来した景色であって、どうも注意をその一点に集めるには力が弱いような心持ちがした。反対に箒草が嵐のために倒れてその吹き倒れたものが起き上がろうとして曲がった形になった場合も想像してみたが、それも心をひかなかった。箒草の踏石のほとりに生えているさま、物干の柱のそばに生えているさまなどを想像してみたがもとより問題にならない。〉

 〈夕陽が西の山にはいると同時に影はついになくなってしまう。夕暮れの色が地上をおおって来る。がしばらくして月がのぼる。また長い影が地上に生まれる。月が天に高くのぼるころになると影がほとんどなくなり、月が西に傾くにしたがってまた反対の側に影が伸びる。月が山に入るにしたがってその影はなくなる。また夜明けがはじまるという順序である。

 四六時中こんな単調な変化が繰り返されるのであるが、気がついてみるとその間に一度も箒草に露の下りているのを見たことがない。見たことがないということを体験したのではないが、箒草というものを瞑想することによって、この露のないということに気がついてみると、それがこの草をいかす一つの方法であるような心持ちがする。実際露があってもかまわない。露がないと見ることが、箒草を頭の中に再現してみる際に有力な働きをなすように思う。そこでこういう十七字が生まれる。

  箒草露のある間の無かりけり


 〈それから日がのぼったり月がのぼったりするにつれて影が生じる。日や月が天に高くのぼるにしたがって影が濃くなり短くなり、日や月が西天に傾くにしたがってまた影が伸び、ついにまたなくなってしまうということなどは、ただ箒草に限ったことではなくて何にでもあることである。庭の梅の木でも松の木でも、また石灯籠でも手水鉢でも、日蔽いの柱でも門柱でも、地上にありとあらゆるところのものはみな同じ状態を繰り返しているのである。そんなことを問題にするということは根底から間違ったことではないかという意見が出るだろう。それについて自分はなおいうべきことをもっている。

 箒木というものは形の正しいものになると、まことに気持ちよく中央の部分が膨らんで上に至ると少しつぼまっている。その形と同じような影を地上に落とすということがきわだって目にうつる。ことに、庭木とか石灯籠とか日蔽いの柱とか門柱とかいうものになると、植込みになったり他の附属物があったりなどして、目にうつるその物はもとよりその物という感じがするが、その影はとけあって何だか分からぬものになってしまうのが普通である。ところが箒草になると、何もない庭のまん中にただひとつ生えていることがよくあり、烈日がこれを照らす時分に、地上に黒い影を落としているというその影も、また一個の明確な存在である。箒草を想像する時分にどうしてもこの影というものをなおざりにすることはできない大切な条件であるような心持ちがする。そこでこんな十七字を作ってみた。


  箒木に影といふものありにけり


 また影そのものの特別の性質を讃美するような心持ちでこんな句を作ってみた。


  其まゝの影がありけり箒草


 (中略)特に箒草の影法師は、箒草に付随した、箒草を性質づけるところの重要な一つの存在であるといわなければならぬのである。〉


(次に続く)

北川美美俳句全集10

 俳句新空間3号(平成27年12月)

  初鴉

年賀状むかしのことを白状す

餅花を掲げて歩く家族かな

重詰の中は仕切られ都かな

チリ紙l水I電池を積みし宝船

山景は定位置で見ゆ初鴉

寒空に遅れてとどく鐘の音

羊たちしずかに群れて初日受く

ストーブの小窓に青く小さな火

梅林野犬にしては毛並よし

スクランブルエッグは黄なり春近し


俳句新空間4号(平成27年8月)

  八月のうぐいす  

水引草夕べの雨のしずくかな

わたくしと鮎が川まで来て出会う

岩肌や鮎は骨まで透き通る

八月のうぐいすを聞く正午かな

初恋の我が前髪は汗に濡れ

目盛や人追いかけて道をきく

炎天下歩きて顔の堅くなる

梅干の肉こそよけれ旅人よ

湯の中で遠雷を聞く麓かな

扇風機もっとも強きとき背中


俳句新空間5号(平成28年2月)

  日当たる椅子 

電線のひかりかえして七日かな

松過ぎの日当たる椅子にいてひとり

ぬばたまの闇を裂けゆく鏡餅

来た道をそのまま戻る寒の空

氷上で古代の石を運びけり

ひとっずつ毛皮を縛る革ベルト

つぎっぎに囗尖らせてスケーター

山火事を追われし獣町に入る

春のみず硯の波止をはみだしぬ

立春大吉墨の匂いの烏帽子かな


第21回皐月句会(1月)[速報]

投句〆切1/11 (火) 

選句〆切1/21 (金) 


(5点句以上)

11点句

冬館なつくことなく亀飼はれ(岸本尚毅)

【評】 亀を飼っている人は「亀も人になつく」と言うかも知れませんが、私は飼ったことがないので、やはりなつかないのかなぁと。冬館と合っています。──仙田洋子


9点句

焚火跡踏めばかすかに骨の音(篠崎央子)

【評】 命の哀れさを感じます。──仙田洋子


8点句

人日や赤子に手相らしきもの(渡部有紀子)

【評】 七草の節句に赤ん坊の爪切りを思い立ったのかも。開いてやってふと見ると、小さな掌にいつの間にかくっきりと筋が現れている。何やらわくわくする発見。──妹尾健太郎

【評】 いろいろと考えさせられます。すでに運命は決まっているのか。生き方により手相も変ってくるのか。──渕上信子


6点句

冬銀河蛹の眠る檸檬の木(仙田洋子)

【評】 取り合わせの語彙が多すぎる、「銀河」「檸檬」と色あわせが派手、という気もするのだが、蛹の中で丸まって春を待ついのちを思うと、冬銀河の大きさと一個ぐらいは残っているかもしれない檸の実の鮮やかな黄色も目に浮かび、この世のすべてが愛しくなる。──堀本吟


痛くない死に方マフラーの巻き方(望月士郎)

【評】 澤田和弥を思い出さずにはいられない。澤田は6年前に自死した。亡くなる直前の句が、「マフラーは明るく生きるために巻く」であった。あまりにもぴったりした句で、事情を知っている人の句かと思った。それ以外を想像できなかった。──筑紫磐井


美美忌来るむらさきの朝あをき夜(依光陽子)


人絶えておほつごもりの夜の雨(内村恭子)

【評】 いかにも「おほつごもり」らしいですね。──仙田洋子

【評】 しんみりと俳人の眼を感じる。──依光正樹


5点句

白息の中にラグビーボール立つ(中村猛虎)

【評】 立てられたラグビーボールに緊張感の高まってゆくさまが想われました。──青木百舌鳥

【評】 季重なりという声もありそうだが、白息が主、ボールが従と考えたい。これからボールを蹴ろうとセッティングしている人の息が、立てられたボールに当たる緊張の一瞬を描写した。周囲の状況は何も描かれず粋とボールのみ、この単純化ゆえに成功している。──仲寒蟬


(選評若干)

ピサの斜塔ただ一本のつくづくし 3点 松下カロ

【評】 ピサの斜塔と一本のつくづくしの配合美。動詞がない分、読み手は自由にイメージ出来る。幾何学的なシュールな絵画が浮かんだ。──山本敏倖

【評】 すっきりした構成だが、いじらしい一本の「つくづくし」(土筆)の存在感が大きく亦けなげである。──堀本吟


すっと抜く大根地に棲む水のいろ 3点 真矢ひろみ

【評】 とれたてのダイコンの透明感と冷たさが言葉の質感になっている、──堀本吟

【評】 大根の白さ透明感を〈地に棲む水のいろ〉と捉えた詩情に感動しました。──篠崎央子


三面鏡凍蝶永久に凍てしまま 1点 仙田洋子

【評】 春になっても決して溶けることはない凍蝶。その光は永久に三面鏡の中で不規則に反射し続ける。とても不思議な魅力のある句。──依光陽子


とんとんと危ふき道や絵双六 3点 西村麒麟

【評】 とんとん拍子に進んで上れそうなのに、さいころの目によって落とされることも。確かに危ういのは人の世の写しですね。季題効果的と存じます。──小沢麻結

【評】 お江戸のボドゲを詠んで、どうやら空想句だと察しますがそれゆえにと云うべきか、句調が、現代離れしている処に、魅力を覚えます。元禄調だ天明調だ天保調だと断ずる眼力は具えていませんけれど何しろ、おっとりとした滑稽味が、非゠現代的。──平野山斗士

【評】 一回休みがあったり、振り出しに戻されたり、なるほど「危ふき道」です。「とんとん」と何気なく進むうちに危険が待ち構えているというのは、人の世にも通じていて含蓄ある表現だと思いました。──前北かおる


場つなぎの鯛焼き顔を失へり 2点 水岩瞳

【評】 選  おやつを食べての「場つなぎ」でしょうか。──岸本尚毅


塀といふ塀に人乗り初日の出 4点 平野山斗士

【評】 ホント?と聞きたくなるけど、法螺話でも面白い。──仙田洋子


初夢の虎が座敷をうろうろと 4点 小林かんな

【評】 お目出度そうなのに怖い夢ですね──小沢麻結

【評】 「やばい」句ですが、面白い。──仙田洋子


初会議首振るだけの虎である 3点 飯田冬眞

【評】 思わず笑った。──渕上信子

【評】 寅年生まれなのに、今年も会議では意見が言えず頷くだけ。ユーモラスで,ペーソスもある。──水岩瞳


砂遊びセットの一つ凍て出ずる 2点 妹尾健太郎

【評】 砂場に忘れてきたきたおもちゃのセット。掘り出すとそのうち一つだけが凍っている。よくあるスナップだが、が、特別な事態でもある、というかすかな不安も詠みこんでいる。──堀本吟


行く河は絶えず騒がず顧みず 1点 佐藤りえ

【評】 選  箴言風でもありますが、じっさいの河の景も思い浮かべたい。──岸本尚毅


ゑびす屋の客夭夭と獅子舞と 2点 千寿関屋

【評】 選  人力車と解しました。──岸本尚毅


私の棲むわたしのからだ雪明り 4点 望月士郎

【評】 雪の明かりのなかに置く自分の姿、もしや、素裸なの姿なのではないだろうか?これはどうでもいいことだが、自らを鋭く意識させる雪の明るさ。自我の自律性というべきか、「私」「わたし」の使い分けが、ナルシスティックな抒情性が嫌味なく吐露されている。──堀本吟