【俳句新空間参加の皆様への告知】

【ピックアップ】

2024年2月23日金曜日

第220号

       次回更新 3/8


【 祝 第38回俳人協会評論賞受賞!】
大関博美著『極限状況を刻む俳句――ソ連抑留者・満州引揚げ者の証言に学ぶ』(2) 
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■令和俳句帖(毎金曜日更新) 》読む

令和五年秋興帖
第一(2/16)竹岡一郎・山本敏倖・杉山久子・仲寒蟬・関根誠子
第二(2/23)瀬戸優理子・大井恒行・神谷波・ふけとしこ


令和五年冬興帖

第一(2/23)竹岡一郎・山本敏倖・杉山久子

令和五年夏興帖
第一(10/13)仲寒蟬・辻村麻乃・仙田洋子
第二(10/21)坂間恒子・杉山久子
第三(10/27)竹岡一郎・木村オサム・ふけとしこ・山本敏倖
第四(11/3)岸本尚毅・小林かんな・瀬戸優理子
第五(11/10)神谷波・松下カロ・加藤知子
第六(11/17)小沢麻結・浅沼 璞・望月士郎・曾根 毅
第七(12/8)冨岡和秀・花尻万博・青木百舌鳥
第八(12/16)高橋比呂子・鷲津誠次・林雅樹
第九(12/22)眞矢ひろみ・渡邉美保・網野月を
第十(1/12)水岩瞳・佐藤りえ・筑紫磐井
第十一(1/26)豊里友行・下坂速穂・岬光世・依光正樹・依光陽子
第十二(2/9)水岩 瞳・前北かおる・豊里友行・川崎果連・五島高資

■ 俳句評論講座  》目次を読む

■ 第42回皐月句会(10月) 》読む
■ 第43回皐月句会(11月) 》読む
■ 第44回皐月句会(12月)[速報] 》読む

■大井恒行の日々彼是 随時更新中!※URL変更 》読む

俳句新空間第18号 発行※NEW!

■連載

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(43) ふけとしこ 》読む

【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり3 岸本尚毅句集『雲は友』 豊里友行 》読む

【抜粋】〈俳句四季12月号〉俳壇観測251 黒田杏子さんを偲ぶ会  ――『証言・昭和の俳句』の真実

筑紫磐井 》読む

句集歌集逍遙 筑紫磐井『戦後俳句史nouveau1945-2023——三協会統合論』/佐藤りえ 》読む

英国Haiku便り[in Japan](42) 小野裕三 》読む

【新連載】伝統の風景――林翔を通してみる戦後伝統俳句
 2.社会性について 筑紫磐井 》読む

【連載】大関博美『極限状況を刻む俳句 ソ連抑留者・満州引揚げ者の証言に学ぶ』を読む⑥ 一人の俳句の書き手・読み手として 黒岩徳将 》読む

【渡部有紀子句集『山羊の乳』を読みたい】⑯ 生き物への眼差し 笠原小百合 》読む
インデックス

【豊里友行句集『母よ』を読みたい】② 豊里友行句集『母よ』書評 石原昌光 》読む

北川美美俳句全集32 》読む

澤田和弥論集成(第16回) 》読む

およそ日刊俳句新空間 》読む

…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
2月の執筆者(渡邉美保)

■Recent entries

中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい インデックス

篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい インデックス

中西夕紀第四句集『くれなゐ』を読みたい インデックス

渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい インデックス

なつはづき第一句集『ぴったりの箱』を読みたい インデックス

ふけとしこ第5句集『眠たい羊』を読みたい インデックス

加藤知子第三句集『たかざれき』を読みたい

眞矢ひろみ第一句集『箱庭の夜』を読みたい インデックス

葉月第一句集『子音』を読みたい インデックス

佐藤りえ句集『景色』を読みたい インデックス

眠兎第1句集『御意』を読みたい インデックス

麒麟第2句集『鴨』を読みたい インデックス

麻乃第二句集『るん』を読みたい インデックス

前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井 インデックス

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉜ のどか 》読む

俳句新空間を読む 》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子




筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊/2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。 

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(43)  ふけとしこ

    ビリになる

春が来る雲形定規をずれて雲

梅林やどう歩いてもビリになる

幔幕の浅葱色なる梅の昼

あたたかや林の中に水溜り

褒め過ぎの書評雑木も芽吹きどき


・・・

 「今までで一番嬉しかった誕生日のプレゼントは何でしたか?」何かのアンケートの問いにあった。

 私は迷わずに「ガス」と答えた。

 都市ガスが復旧したことなのである。平成7年2月22日、わが誕生日のことであった。

 その年の1月17日の未明、阪神淡路大震災に襲われた。丁度「第9回俳壇賞」に決まっていて、1月20日が受賞第一作30句の締切日になっていた。それを今日は投函しなければ……との思いで早起きをして作品の見直しをしていたのだった。

 どうやって投函したのか記憶にないが、何とかしてポストまでは行ったのだろう。そして郵便関係の人達も、とにかく働いて下さったのだ。

 地震が起きた時、その経験したことのない揺れは何とも長かった。第一、当初は何が起こったのか分からず、地震なのか! と気付くまでに時間がかかった。本当はそんなに長くなかったのだろうが、そう気付くまでをとても長く感じたのだ。

 奈良の友人から「無事?」と電話があって「寒い」と答えたのだが、その1本でそれっきり電話は不通になった。外では言いようのない不気味な音が続いていた。電話は無論のこと電気・ガス・水道等全部が駄目になった。家中の倒れる物は全て倒れ、壊れる物はことごとく壊れた。明るくなって外を見るといつも見ていた家が倒壊していた。聞こえていた不気味な音は近所の家が壊れてゆく音だったのだ。

 近辺では家も道も水路も人命も大きな被害が出た。

 当時の私は高さ制限のあるマンション住まいだった。地下の設備や駐車場などは駄目になったが、居室自体は壁やルーフテラスの罅割れ程度で済んだ。片付けに追われて夢中で過ごしていたが3日程経って、打撲だと思っていた胸の痛みが増し、それは次第に呼吸が出来ない程にもなった。徒歩圏内の医院を探して受診したら「肋骨が3本折れてる。湿布とコルセットと安静」と言われた。

 受賞者は無事か? 「俳壇」編集部でそんな心配がされたと、後に取材に来たカメラマンに聞いた。

 一応無事ではあったので、2月15日の授賞式にはコルセットを巻いて出席した。

 電話と電気は早くに復旧した。次に水道も。

ガ スがなかなか大変で、わが誕生日の2月22日になってやっと復旧したのだった。個々の家を訪れてガスを通して下さったのは大阪ガスの人だったが、当時の住居、兵庫県西宮市段上町の工事をして下さっていたのは、青森ガスの作業服を着た人たちだった。

 「遠くから有難うございます」挨拶をしたら涙がこぼれた。

 今年の元日の能登半島の地震で又しても恐怖がよみがえり、厭も応もなく多くの事を思い出すことになった。

(2024・2)


【 祝 第38回俳人協会評論賞受賞!】 大関博美『極限状況を刻む俳句 ソ連抑留者・満州引揚げ者の証言に学ぶ』(2)

おわりに

 私は一九六〇年安保闘争の時代に幼少期を過ごし、父の応召した戦争も、母たちが体験した内地の耐乏生活も、ユーラシア大陸の東に日本の築いた傀儡国家満洲帝国のあったことも知らずに、七〇年代安保闘争の学生運動のニュースを連日テレビの画面から見て育ちました。しかし、父の若かった時代の歴史を知らなければという思いは、常に心の中にありました。

 子育てが終わり、父の体験した、ソ連(シベリア)抑留について調べ始めたのは、冒頭で約八年と書いたが、本の形になるまでに約十年の歳月が流れました。

 その当時、辺見じゅん氏の『ラーゲリから来た遺書』を拝読し、主人公山本幡男氏のソ連(シベリア)抑留生活で、自分を見失わず誠実に人に接し、正義を貫いた生きざまに感動し、涙を流しました。この作品は、令和四年十二月九日、「ラーゲリより愛をこめて」という映画となり公開されました。この映画を観て、山本氏のようにソ連による満州侵攻と満州の崩壊に、巻き込まれた、抑留者約五十七万五千人、当時の満州の日僑難民一五五万人の過酷な運命と物語があることを忘れてはならないと、私は感じました。

 本書をまとめるにあたり、戦後七十七年の時が流れ、体験者の話を伺うことが出来だのは、ほんの一握りの方に留まり、できるだけ多くの事例を取りあげたかったのですが、ご遺族のご了承を得られた作品にも限りがありました。私の体験不足のところは、俳句作品に合わせて書かれた随筆に、頼らざるを得ず、力の及ばなかったことに、忸怩たる思いが残ります。

 この本が日本のたどった戦争の時代に生きた方々の体験をひもとき平和について考えるきっかけとなり、また極限状況にある人を支える俳句の力について、伝えることができたなら幸いなことだと感じます。

 序章にも紹介した歴史研究者の諸先生、体験談を伺った方々や俳句作品を取り扱うにあたり、引用や要約のご了承を頂いたご遺族の皆様、拙著の基となった「寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む」のブログ俳句新空間への連載をお許しくださり、背中を押してくださった筑紫磐井氏に併せて心より感謝申し上げます。

 また、私の取り組みを理解し、応援してくれた家族と、常に弱気な私を励まし指導してくださったコールサック社の鈴木比佐雄代表、校正・校閲の座馬寛彦氏などの皆様にお礼申し上げます。

 最後に、私たち姉妹を大変な時代に、慈しみ育ててくれた両親と伯母に、この本を捧げます。

二〇二三年四月二十三日 サン・ジョルディの日に

                          大関博美



上梓その後➀ 大関博美

 筑紫磐井先生にお会いしたことをきっかけに、私の父のソ連(シベリア)抑留をたどる旅をまとめた『極限状況を刻む俳句~ソ連抑留者・満洲引揚げ者の証言に学ぶ』を令和5年6月6日に上梓することが出来ました。昭和1945(昭和20)年8月6日、広島に原子爆弾が投下され、8月8日にはソ連が日本に宣戦布告し、8月9には長崎にも原子爆弾が投下、そしてソ連が満州に侵攻した日で、8月は正に祈りの月です。

 さて、この度は拙著に託した私の思いについて、またこの本の作成にご協力いただいた、ご遺族や俳人の方の中でご了承の得られた感想をご紹介させていただきます。

 父の体験したソ連抑留をたどる旅で、新宿にある平和祈念資料館での語り部の体験談を伺いに通う一方で、拙著のもととなるソ連抑留・満州引揚げ俳句を読んで参りました。これらの作品について、浅薄な私の知識では「なぜ日本は、日清・日露戦争他を経、日中戦争から太平洋戦争へ突き進まなければならなかったのか」「なぜ、大日本帝国は大陸(現在の中国北東部)に満州国を建国したのか」「なぜ、ソ連は日ソ中立条約の締結期間を残し破棄したのか」「なぜ、当時155万人もの日僑俘虜をうむほど多くの日本人が満州に渡ったのか」「なぜ、57万5千人のソ連抑留が可能だったのか」など分らないことがありました。そこで、戦争に至る歴史背景・ソ連抑留の体験談・ソ連抑留俳句・満州引揚げ俳句をリンクしその実相に近づくことにより、父母が戦争を体験した世代や戦争を知らないその子の世代にこれらのことを伝えたいと思いました。何の肩書もない私の言葉に、ソ連抑留や満州引揚げの体験者やご遺族の皆様は、耳を傾けてくださいました。多くの方々との出会いがあってこそ、この本は生まれることができましたことを、私は深く感謝しております。拙著では、「極限状況における俳句の果たした働きや句座の力」を主題とし、次の世代に語り継ぐ証言として、また、将来あってはならない戦争について投げかけを試みるという3層構造をなしています。ですから体験談や俳句による証言の凄惨な内容に心を奪われず、平和な未来を保つための今ここを考えて、お読みいただければ幸いです。

 上梓後6月10日に、関係者の皆様に謹呈の本が発送されました。令和5年6月13日、高木一郎氏のご遺族の高木哲郎氏から、電話を頂きました。 


《あなたから本が届き、名前に見覚えがあった。父の句集にあなたからの葉書を挟んでおいたのを思い出し、手紙を書くより早く気持ちを伝えたかったので、葉書の番号に電話を掛けました。父の作品をこんなに丁寧に取り上げてくれてありがとう。この本を手に取る人は、一握りの人かもしれないが、その人を通じて次の世代に伝わってゆく貴重な一冊だと思います。私には兄弟姉妹が他に4人います。4人にもこの本を持たせ、当時満州国建国や満州移民政策などの歴史を読んで、私たちが体験した、戦争について再認識したいと思います》


と、お話くださいました。 これから、歩き出して行く拙著にとてもありがたいご感想を頂くことができたことを嬉しく感じた日でありました。


上梓その後②

 令和5年6月14日、小田保氏のご遺族のお嬢様から、手紙が届きました。その後電話で話をさせていただきました。拙著の感想をブログ「俳句新空間」に載せさせていただきたいとお伝えし、ご了承をえました。

 まず、手紙の冒頭に、以前大関さんからの便りを、今は亡き母が「お父さんの作品を読んでくれた娘さんから手紙が来た」ととても喜んでいましたと、ありました。(以下電話での話を含めて引用する。)


《この本を読んで父の生きた時代の戦争のこと、シベリア抑留の事を深く理解することが、できました。やはり父も千島列島での戦いが激しかったことを話しましたが、多くを語りませんでした。私は俳句をしませんが、句ごとに添えられた、解説がわかりやすく、また、全章のまとめを読んで、父が死の間際まで抑留俳句や広島の平和についての俳句を読み続けたのか、理解できました。この本を母にも読ませてあげたかった。姉が夏に帰省したら、この本を真っ先に読んでもらいます。》


 私からは、「私は、小田さんの著書に、この仕事をするように言われたように思ってい ましたし、くじけそうになる時は、何度もお父様の本を見て、自分を励ましていました」とお伝えし、電話を終わりました。


 信州塩尻の百瀬石涛子氏へは、手紙のやり取りは大変なので、私から一カ月を待ち7月3日に電話を入れさせていただきました。百瀬氏は今年99歳になると言い、現在は車椅子で過ごされているそうです。私の電話にこたえてくださいました。  


《本が届いて、1週間かけて読んだよ。たくさん調べて書いてくれてありがとう。戦争当時のおらたちに分からないことまで、調べてあった。この本を次に人に貸して、又その次に読む人も待っている。あんたのお父さんと私は、ほぼ同い年だ。お父さんがシベリアの話をしなかったのはよくわかる。シベリアから帰っても生活が苦しくて、家族も守らなきゃならんし、シベリアのことは誰にも話せなかった。今でも俳句は、毎日詠む。シベリアの句もね。月一回の句会には、娘に連れて行ってもらうよ》


 百瀬氏にとっては、レッド・パージにより、国鉄を辞めざるを得なかったことが、長い沈黙の理由であったのだと感じる。百瀬氏の言葉から、私の父が子どもたちに対して戦争を語らなかったのは、戦争は勝者・敗者の別なく、加害者と被害者をうむこと、その体験が凄惨な体験であることから、思い出したくない、家庭に戦争の影を落としたくない、平和な家庭を守りたいという一念のあらわれだったのだと感じた。

 私の父と同年の百瀬氏には長生きし、健吟を続けてほしいものだと思います。


上梓その後③ 大関博美

 ソ連抑留者の体験談を伺い、それまで、ソ連抑留に目を向けていた私は、満州引揚げをソ連抑留と同等に取り扱い、書かなければならないと深く思い、新谷亜紀さんのブログで連絡を取り、私の取り組もうとしていることを伝えました。そして、亜紀さんから満州俳壇の形成や歴史を研究している、西田もとつぐ氏のご著書や、京大俳句を読む会の冊子をお送りいただき、井筒紀久枝さんの『大陸の花嫁』を書くにあたりましては、細やかなご助言を受けることができました。

 この度は、亜紀様の承諾を得て以下の感想を紹介させていただきます。


 《阿部誠文氏や西田もとつぐ氏にはなかった切り口で、いかに満州崩壊・満州引揚げ・ソ連抑留に至ったのか歴史をよく調べ、自分の言葉で伝えようとしているところ、私たちの世代が学校で学んでいない歴史を日清戦争から、紹介していることが良い。体験者やご遺族の一人一人に連絡し、コンセンサスを得ようとしたことが、筆の力となったと思われる。特に第3章からの俳句作品の紹介とまとめについては、圧巻である。満州引揚げやソ連抑留の俳句作品をリンクし、まとめ上げているところは、後世に語り継ぐ理想の形を見せていただいた気持ちで感動している。この本は後世に残すべき一書である。》


 私はソ連抑留・満州引揚げ俳句を取りあげ、極限状況における俳句の担った働きや句座の役割や句座がどのように機能したかについて、「全章のまとめ」の中で考察しています。

  また、第2章以降をまとめながら、自問自答したことがあります。

 抑留体験者の山田治男さんや中島裕さんは、「憲法第9条が日本や国民を守ってくれるのか」と私たちに問いかけています。この問いかけに私は、拙著で現代との結び目を作りましたので、多くの証言のすさまじさに心を奪われることなく、お読みになり、今ここからの未来について、一緒に考えていただくことができたならこの上ない幸せであると感じます。

 抑留兵の子である私から、平和の種が鳳仙花の種のように飛び散り、広まってくれることを祈ります。

【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり3 岸本尚毅句集『雲は友』 豊里友行

『雲は友』(2022年8月20日刊・ふらんす堂)


顔焦げしこの鯛焼に消費税


 顔がこんがりと焦げている、この鯛焼をどう詠むのか。

バブル景気とか美味しい時代を経験したことのない世代の私にとって消費税3%が5%・・・・いつのまにか10%・・・・それって本体の壱割増しは消費者としてはかなりの痛手だ。

 かといって景気の悪さに流行り病のコロナ禍に詠まれただけにやけに味わい深い。

でも少し焦げ目のついた鯛焼に消費税を感じつつ噛み締めるように食べる幸せよ。

そんな岸本尚毅俳句の現代語感のユーモラスさが羨ましい。


戦争を知らぬ老人青芒


 あとがきに寄ると還暦を過ぎた作者、岸本尚毅は、老人という突き放して他人事だったこの言葉に少し親近感を持ち始めている。

 とにもかくにも「老人」なる言葉を使ってみました的な、な、な。

 どの俳句もそつなく俳句になっているが、きらりきらりっと魚群の光のような感性のきらめきを感じさせる。

 幾多の傑作を諳んじてきただろうベテラン俳人は、戦争を知らない老人と、突き放して本当は私なんですけどっ的な3人称的に語ってみる。

 青い芒の私なんですけど・・・・・的な諧謔をひと摘み。 


バンザイをさせて小さき子猫かな


 にゃーにゃーにゃにゃにゃ。

 にゃーにゃーにゃにゃにゃ。

 操り人形のようにバンザイをさせているうちの可愛い子猫ちゃん。

 そんな子猫と黒子の岸本尚毅俳句のじゃれ愛かしら。


WOWWOWと歌あほらしや海は春


 有料配信のテレビは、とてもとても私には観れませんが、世の中は、こんなに豊かな世界なんです。

 巷には歌や映像が溢れんばかりに流れていて有線放送のWOAWOWの歌にあほらしいと云い切る作者がそこに居る。

 一生で何度この春の海の讃歌を聴けるのかしら。

 海には、こんなに春を謳うように満ち溢れる。


大切な黄な粉飛ばすな扇風機

風は歌雲は友なる墓洗ふ

いつかどこかの土筆となつて生えてゐし


 丁寧に生きていく岸本尚毅俳句の産声には、すこし周囲のみんなを微笑ませてくれる何かがある。

 大切な黄粉餅も扇風機もこんな酷暑では、欠かすことができません。その葛藤もユーモラス。

 全ての万物が、何処かで繋がり合う世の中を現代人は、忘れがちだけれども風は歌い出し、雲はいつか流れていく。その雲を友とする俳人の到達点には、友の墓を洗いながら友は確かに岸本尚毅の心に生きている。

 そのようにもしかしたら私たちも廻り廻って土筆のように生えているかもよっ。

 俳句仲間のみんなが俳句の産声に笑い、風を歌として口ずさみながら雲を友とする。

 そこに生きている私たちみんながより良く生きるための俳句を丁寧に紡ぎながらみんなで万物の死について泣いてくれる。

 そんな俳句と暮らせば、岸本尚毅俳句のあるがままが、私も好きになる。


 観察眼の底引網漁業の網にかかる魚群のきらめきのような岸本尚毅俳句の感性のきらめきが豊漁であることも特筆しておきたい。

 そんな共鳴句をいただきます。


誰か居る虫の闇なるぶらんこに

しゆるしゆると鳴き始めたり法師蟬

足の指つぶさに揃ふ寝釈迦かな

山椒の芽未だ出ぬかと母は老い

佐保姫の見てゐる田螺うごきけり

夜々に植ゆ寂光院の蟬の穴

風は歌雲は友なる墓洗ふ

見るほどに遠稲妻は花の如

墓石の枯蟷螂を剝しけり

赤いコンビニ青いコンビニ日短

初空やどこかにゐさう樹木希林

指ひろげ一切を知る守宮かな

わが顔にぶつかる君の夏帽子

穀象の鼻と頭の継目かな

第42回皐月句会(10月)

投句〆切10/11 (水) 

選句〆切10/21 (土)  


(5点句以上)

9点句

鯖雲や人と疎遠になるはやさ(仙田洋子)

【評】 この時期の雲の動きを良く見上げている。少し切ないような鰯雲と人とずっと同じ関係ではいられない事実との取り合わせがうまい。──辻村麻乃


8点句

私を探す放送秋の暮(中村猛虎)

【評】現在地は、遊園地?デパートの屋上?ショーサンク刑務所?ダム湖の畔の特養?聞き覚えのある名が連呼されているのだが、つるべ落としの光陰に聞き流してしまおう。──妹尾健太郎

【評】 普通は放送で探されるのは認知症の老人。作者はボケた振りして世の中を茶化しているのかもしれない。──仲寒蟬


6点句

馬追のしづかに柱から梁へ(岸本尚毅)


糸蜻蛉風の終はりといふところ(依光陽子)

_【評】地味な句だが「風の終はり」ということに気付いた感性が素晴らしい。その終着点にいるのが糸蜻蛉という繊細な生命。──仲寒蟬


5点句

つり革にすがる男や秋の蝉(松下カロ)

西鶴忌藻を舐め尽くす赤き魚(篠崎央子)

月光の中に右手は置いてきた(中村猛虎)


(選評若干)

梨を剥く帰れぬ故郷持つ人に4点内村恭子

【評】 帰れぬ故郷とはどんなにか悲しい事情を持っているのだろう。まあ、ひとつ、梨でも食べて・・・。──仲寒蟬

【評】 感情を盛りすぎず「梨」がほどよい。──依光陽子


秋しぐれゲラを戻せど秋時雨 1点 飯田冬眞

【評】 「豈」の編集をしている真っ最中なのでギックリとした。原稿を送っても一向にゲラを戻さない、校正をしても2校ゲラがなおっていない、などなど苦情は尽きない。作者もそういう気分なのだろうなと思う。

しかし、こちら編集者にも愚痴がある。校正なのに全編書き直してくる猛者もいる、2校、3校、4校と無限ループが続く時間観念のない者もいる、ゲラを修正液で塗り消して直してくる非常識な者もいる。こちらもボランティアなのだと言いたくもなる。

俳句の鑑賞なのに、愚痴になったが、投稿者と編集者の関係は「秋時雨」だというのには至極納得した。──筑紫磐井


秋刀魚を値踏みする鏡をふいている 3点 山本敏倖

【評】 女性は、毎日のように鏡を拭いている。その続きのように秋刀魚を値踏みしている。ぴかぴかに磨いた鏡のような秋刀魚を買いたいものである。──篠崎央子


袈裟懸けに結んで細き秋思かな 3点 佐藤りえ

【評】 主語と目的語との関係をさりげなく外してある、とでも申すのか、わざと言葉遣いをズラしたような作り方。一つの技だと思います。──平野山斗士


斬りの恋や甘藷に歯を立てて 1点 篠崎央子

【評】 人斬り以蔵、人斬り半次郎・・・人斬りと言われた人たちは哀しい生涯を背負っている。その恋とは。甘藷は半次郎や田中新兵衛を念頭に置いたものか。──仲寒蟬


柘榴割れ督促状の届きけり 3点 水岩瞳

【評】 熟して赤く裂けた柘榴の実。それと何の催促だか解らないが、督促状が届く。割れた柘榴と督促状の配合美。──山本敏倖


鳳仙花はじけて劣化ウラン弾 1点 水岩瞳

【評】 はじけると爆弾では即き過ぎと思いつつもこの語呂のよさと勢いに負けた。──仲寒蟬


銀漢や妻につむじが二つある 3点 望月士郎

【評】 勝手な想像ですが、数十年の時を経て気づいた新事実なのでしょう。いつから二つなのかは計り知れません。嘗ては三つだったのかもしれません。──佐藤りえ


すすきはら日暮れて潜水艦浮上 2点 望月士郎

【評】 銀の穂波が影を深める頃。この時を図ったかに浮上する潜水艦。質感の異なる二物の出会いは何か始まる予感を漂わせる。秋の暮ゆえに不穏。──小沢麻結

第43回皐月句会(11月)

投句〆切11/11 (土) 

選句〆切11/21 (火) 


(5点句以上)

10点句

木枯をスケッチすれば蒼き馬(田中葉月)

【評】透き通った詩世界。──依光陽子


7点句

村芝居大きな日向ありにけり(仙田洋子)

【評】村芝居の中に大きな日向を発見した詩眼。また日向に大きさがあると見た詩的把握に魅かれた。──山本敏倖

【評】 いい日和に、嬌声も聞こえてきそうです。──佐藤りえ


6点句

身に入むや鏡中の人と拭く鏡(望月士郎)

【評】一生懸命に鏡を拭く自分が鏡に映っているのでしょう。他人めいて見えていることが伝わってきました。──篠崎央子


水底の倒木古りぬ初紅葉(小沢麻結)


雁の列少し遅れて魔女が飛ぶ(篠崎央子)

【評】 1句目にトンボがいて、この魔女は新米のキキだろうか?今や魔女のイメージも奇々怪々に多々!39句目のインク壺には文字にならないイメージが嬉嬉として、列を遅れて飛遊している‼──夏木久


5点句

一滴の夜をこぼして枯真菰(田中葉月)

まだ文字にならない夜長インク壺(望月士郎)


(選評若干)

アイドルの会見深き霧の中 1点 内村恭子

【評】 朝のワイドショーでお馴染みとなった風景だが、川柳のように揶揄しているというわけではない。アイドルや芸能界は、非日常だけに我々の生活を先取りしていることがある。人間や社会の深淵をのぞきこませる風景でもある。なぜなら同じ人間がしている愚行だからだ。──筑紫磐井


国滅ぶコスモス風に従えば 3点 松下カロ

【評】 コスモスと国との関係はないが、風に従うという楽な流れに動くことから、その国政を憂う様子が伝わってくる。──辻村麻乃


コロッケの衣のとがる冬隣 4点 飯田冬眞

【評】 食べればサクッと音がするカラッと揚がったコロッケですね。感覚に共感できると思いました。──小沢麻結


にんげんに被服のきまり藤袴 4点 堀本吟

【評】 たしかにそういうことがあるなと。──依光正樹


菊人形匂ひがぬけて魂ぬけし 2点 水岩瞳

【評】 生花を用いた造形物から失われゆく精気のようなものが順序立てて詠まれており空恐ろしくなった。あるべきものから最後まで抜けないものは何だろう?──妹尾健太郎


第44回皐月句会(12月)

投句〆切 12/11 (月) 0:00

選句〆切 12/21 (木) 0:00


(5点句以上)

7点句

水槽の金魚に冬の時間かな(依光陽子)

【評】静謐さを醸していますね。実際に見たのが金魚だったとして、更に踏み込んだ描写が可能かも知れません。──平野山斗士


6点句

煮崩れも荷崩れもありこの聖夜(夏木久)

【評】うまいこと言ったなあ。単なる駄洒落に終わらずクリスマスの世相を切り取っている。──仲寒蟬


ストーブの上に干物を置く漁協(小林かんな)


木枯の散髪の耳殺ぎにくる(田中葉月)

【評】恐い表現を使ったが実際に寒風の中ではこういう感じ。──仲寒蟬

【評】 殺ぐは仰々しい字面ですが、そのぐらいに寒いことはありますね。──佐藤りえ


身中に虫飼ふ女襟立てて(内村恭子)

【評】実際に寄生虫を飼っている人がいるという。この女の飼っているのはどんな虫なのだろう。──仲寒蟬


5点句

狐の念力襟巻の締まるのは(仲寒蟬)

亡き人の枕は遠火事の匂い(中村猛虎)

けふよりは母の亡き世や雪螢(仙田洋子)


選評若干)

ポップコーン転げて戦争の記事 3点 夏木久

【評】 最近は映画館でポップコーンが売れている。それが床に転げたとき、戦争の記事が、記憶が甦った。──山本敏倖


人形のサンタ三体もつとゐる 1点 岸本尚毅

【評】 1,2,3の次は「もっとたくさん」という部分、『本多勝一のカナダ・エスキモー』を想ったのだが、とにかく大量にサンタがいるという発見が楽しい。もしかしたら子どもの数よりサンタの方が多かったりして。──依光陽子


鴨と鴨へだたりてゆくしづけさよ 3点 仙田洋子

【評】 地味だけれどもうまい。なかなかこうは作れないと脱帽。実に静かな水鳥たちの光景が絵のようだ。──仲寒蟬


木枯らしをたっぷり攫い風切羽 4点 堀本吟

【評】 風切羽と木枯らしの組み合わせが最強であり、攫うという措辞も生きてくる。──辻村麻乃


今と云ふ時すでになし十二月 3点 辻村麻乃

【評】 今年の出来事や亡くなった人々、来年のイベント、ヤバ過ぎる世界情勢等々嫌でも見せられ聞かされる。毎日が忙殺されて過ぎる極月、いまさら、いまからな時間に生きてしまって、今を大切にと念じた年頭の抱負がまたも空しい。──妹尾健太郎


耳垢のような枯野と海鳴りと 4点 山本敏倖

【評】 耳垢、枯野、海鳴りと、それぞれの存在が二等辺三角形のように頭の中で布置される。「耳垢、枯野、海鳴り」と並べるとそれだけで詩となる。間に助詞が入るが、そんなのを無視して「耳垢、枯野、海鳴り」が頭に響き渡る。──筑紫磐井

【評】 枯野を〈耳垢〉と捉えた感性が面白いです。また、耳かきで搔くと

〈海鳴り〉のような音もします。──篠崎央子


あまてらす顔をうずめて干蒲団 4点 望月士郎

【評】 どういう意味なのか、尊いお方のしぐさが単純すぎて、行動の真意がはかれない。初五にきたこれは、固有名詞ではなく比喩なのだろう、単純すぎて意味がとれないおしろさ。──堀本吟


セーターの毛玉ほつほつ不登校 1点 松下カロ

【評】 今回、一番にいただきました。──仙田洋子


狐火や原子炉はこの路の奥 4点 真矢ひろみ

【評】 狐火がまるで原子炉から飛び出してきたようだ。──仲寒蟬


政局の予感キメラのクリスマス 1点 筑紫磐井

【評】 「ライオンの頭、蛇の尾、ヤギの胴をもち、口から火を吐くというギリシャ神話の怪獣のこと。」これが、まんざら神話や比喩だとも言えないのが昨今の政局の実情。この非現実のいきものをもちだした描写こそが、現在時の真実を穿つ端的なリアリズムの手法だと思いを変えてもいいのである。おりから救世主誕生の日。これは、よくできた風刺句である。──堀本吟

2024年2月9日金曜日

第219号

      次回更新 2/23


【 祝 第38回俳人協会評論賞受賞!】
大関博美著『極限状況を刻む俳句――ソ連抑留者・満州引揚げ者の証言に学ぶ』 
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■令和俳句帖(毎金曜日更新) 》読む

令和五年夏興帖
第一(10/13)仲寒蟬・辻村麻乃・仙田洋子
第二(10/21)坂間恒子・杉山久子
第三(10/27)竹岡一郎・木村オサム・ふけとしこ・山本敏倖
第四(11/3)岸本尚毅・小林かんな・瀬戸優理子
第五(11/10)神谷波・松下カロ・加藤知子
第六(11/17)小沢麻結・浅沼 璞・望月士郎・曾根 毅
第七(12/8)冨岡和秀・花尻万博・青木百舌鳥
第八(12/16)高橋比呂子・鷲津誠次・林雅樹
第九(12/22)眞矢ひろみ・渡邉美保・網野月を
第十(1/12)水岩瞳・佐藤りえ・筑紫磐井
第十一(1/26)豊里友行・下坂速穂・岬光世・依光正樹・依光陽子
第十二(2/9)水岩 瞳・前北かおる・豊里友行・川崎果連・五島高資

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俳句新空間第18号 発行※NEW!

■連載

【抜粋】〈俳句四季12月号〉俳壇観測251 黒田杏子さんを偲ぶ会  ――『証言・昭和の俳句』の真実

筑紫磐井 》読む

【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり2 千葉皓史句集『家族』 豊里友行 》読む

句集歌集逍遙 筑紫磐井『戦後俳句史nouveau1945-2023——三協会統合論』/佐藤りえ 》読む

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(42) ふけとしこ 》読む

英国Haiku便り[in Japan](42) 小野裕三 》読む

【新連載】伝統の風景――林翔を通してみる戦後伝統俳句
 2.社会性について 筑紫磐井 》読む

【連載】大関博美『極限状況を刻む俳句 ソ連抑留者・満州引揚げ者の証言に学ぶ』を読む⑥ 一人の俳句の書き手・読み手として 黒岩徳将 》読む

【渡部有紀子句集『山羊の乳』を読みたい】⑯ 生き物への眼差し 笠原小百合 》読む
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【豊里友行句集『母よ』を読みたい】② 豊里友行句集『母よ』書評 石原昌光 》読む

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2月の執筆者(渡邉美保)

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前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井 インデックス

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉜ のどか 》読む

俳句新空間を読む 》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子




筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊/2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。 

【抜粋】〈俳句四季12月号〉俳壇観測251 黒田杏子さんを偲ぶ会 ――『証言・昭和の俳句』の真実  筑紫磐井

偲ぶ会

 9月17日(日)、東京千代田区の如水会館で、「黒田杏子さんを偲ぶ会」が開催された。黒田杏子がもう一つ深く関係していた「件の会」の偲ぶ会はすでに6月に行われており、今回は藍生の主催ということで圧倒的に藍生俳句会会員が多かったが、故人の交友の広さから俳壇他各界からつどい、主催者によれば400人近い参会者があったという。

 午後1時から藍生会員岡崎弥保氏が司会を務め、主催者を代表して藍生会員の深津健司氏から挨拶があった。

 来賓として、俳人の横澤放川氏、フリーライターの中野利子氏から挨拶があり、平凡社会長の下中美都氏による献杯の発声があった。

 その後食事、懇談が進み、故人と親しかった者からのスピーチとして、ワシントンから来た藍生会員のアビゲール・フリードマン氏、筑紫磐井、エッセイストの下重暁子氏が壇上で黒田杏子の思い出を行った。

 最後にご夫君の黒田勝雄氏が、言葉に詰まりながら感謝の言葉を述べられた。8年前脳梗塞で倒れて以来何処へ出かけるにしろ二人で行くことになり濃密な時間を過ごされたらしい。

 黒田杏子がこれからどう評価されるかは難しいものがある。たとえ「藍生」の後継誌ができても、黒田杏子の活動の総てを引き継ぐことは難しいはずだ。「件」の会でも難しいかもしれない。その意味で黒田杏子の全活動を後世の人に知ってもらうためには、志を同じくする支援者が協力し合うことが必要だろう。少しそうした動きも出始めているとは聞くので期待したい。


『証言・昭和の俳句』

 黒田杏子の生涯を振り返った時、多くの作品、様々な活動が万華鏡のように脳裏に浮かぶが、一代の事業として挙げられるのは、この『証言・昭和の俳句』(角川書店平成14年)をまとめたことに尽きるのではないか。『証言・昭和の俳句』は黒田杏子が金子兜太などの戦後派作家13人にインタビューした企画である。13人の顔ぶれは、桂信子・鈴木六林男・草間時彦・金子兜太・成田千空・古舘曹人・津田清子・古沢太穂・沢木欣一・佐藤鬼房・中村苑子・深見けん二・三橋敏雄であり、至極納得できる顔ぶれであった。あくまで杏子は聞き役に徹し、13人が思うがままに語ったオーラルヒストリーのようだが、戦後俳句を作り上げた13人の人選は杏子が行い、話の流れも杏子が作ったらしいから単にインタビュアーに止まらない。

 この事業に自負を持った杏子は、絶版となったその本の復刻を20年後に企画し、さらにその対象となった作家たちを自分よりも若い世代に論じさせた付録をつけた『増補新装版 証言・昭和の俳句』(コールサック3年8月)として刊行し、戦後俳句への再発見を促したのだ。宇多喜代子・下重暁子・寺井谷子・坂本宮尾・山下知津子・中野利子・夏井いつき・対馬康子・恩田侑布子・神野紗希・宮坂静生・齋藤愼爾・井口時男・高野ムツオ・横澤放川・仁平勝・筑紫磐井・五十嵐秀彦・関悦史・星野高士である。これは自分の事業を拡散させたいという意図があったからであろう。

 杏子の自分の事業への自負は、しかし発刊直後からあったようである。実は「藍生」15年3月号で、雑誌全体を使って特集を組んでいる。今回と同じように、多くの識者に批評を求めているのだが、この時執筆しているのは横沢と中野以外重複していない。20年間に知り合った多くの人に自分がまいてきた種子を配ったのだ。

(以下略)

【 祝 第38回俳人協会評論賞受賞!】 大関博美著『極限状況を刻む俳句――ソ連抑留者・満州引揚げ者の証言に学ぶ』

 2018~2020年にのどかの筆名でBLOG「俳句新空間」に連載した「寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む」を新たに書き改めた著書。ソ連(シベリア)抑留、満州引揚げについて知ることができる体験談や俳句作品を紹介。その背景にある1984年の日清戦争から1945年の満州国崩壊までの歴史も概説する。ウクライナ侵攻を進めるソ連の動向に関心のある現代の人々にも見過ごすことのできない本だ。

 BLOG「俳句新空間」での長大な連載をもとに、大関博美『極限状況を刻む俳句』(コールサック社)が刊行されたところから、本BLOGで何人かの方に解説・感想をお願いした。

 本書が、令和6年1月の俳人協会賞の選考において評論賞を受賞したのは何よりも喜ばしい。俳人協会評論賞受賞というタイムリーな本となったことから、過去の記事を再編集してもう一度本書を読み直す手がかりとして見たい。

 【帯】

果たして現代は戦後であるのか?

――氷河期で言えば、間氷期に過ぎないのではないか?

戦争の実相はまだ明らかでない。

極限まで圧縮された俳句と言う表現に描かれる極限の敗戦下の状況

――我々はここから考え始めたい。(俳人・評論家 筑紫磐井)


著者:大関 博美/略歴:千葉県袖ケ浦市生まれ。俳人。俳句結社「春燈」所属。俳人協会会員。看護師。

価格 ¥2,200(本体¥2,000)コールサック社(2023/07発売) 発売日 ‏ : ‎ 2023/6/13


【目次】

序章 父の語り得ぬソ連(シベリア)抑留体験

第1章 日清・日露戦争からアジア・太平洋戦争の歴史を踏まえて

第2章 ソ連(シベリア)抑留者の体験談―――山田治男・中島裕

第3章 ソ連(シベリア)抑留俳句を読む―――小田保・石丸信義・黒谷星音・庄司真青海・高木一郎・長谷川宇一・川島炬士・鎌田翆山

第4章 戦後70年を経てのソ連(シベリア)抑留俳句―――百瀬石涛子

第5章 満蒙引揚げの俳句を読む―――井筒紀久枝・天川悦子

全章のまとめとして

解説 鈴木比佐雄


【解説】

  ソ連抑留者の極限状況を後世に伝えることは可能か

大関博美『極限状況を刻む俳句 ソ連抑留者・満州引揚げ者の証言に学ぶ』

                                  鈴木比佐雄

    1

 本書『極限状況を刻む俳句 ソ連抑留者・満州引揚げ者の証言に学ぶ』を執筆した大関博美氏にとって、ソ連抑留者であった父は子供の頃から大きな謎であった。その謎を聞いてみたいと願っていたところ、六十二歳で亡くなってしまった。父の背負っていた極限状況の一端でも認識し、父の重荷を娘として理解したいという胸に秘めていた課題を直接聞く機会を、大関氏は失ってしまった。しかしその代わりに、まだ存命中の父母の世代のソ連抑留者・満州引揚げ者たちに取材を試みその人物像と接し、その著書を読むことによって、最もアジア・太平洋戦争で傷ついた世代の思いに肉薄し、その証言を後世に残すことを構想した。そのことに一途に邁進しようとする純粋さ、熱い志を私は草稿・構成案を拝読し感じ取った。


 大関博美氏は一九五九年に千葉県袖ケ浦市に生まれ、今は隣接する市原市に暮らす現役の看護師であり、俳句結社「春燈」に所属する俳人だ。数年程前に、コールサック社が刊行した東北の俳人の照井翠氏と永瀬十悟氏の句集やエッセイ集について、大関氏から問い合わせがあり、その際に本書の出版についても相談があった。早速その下書き的な草稿を送って頂いて拝読したところ、まだ修正・加筆が必要な個所が多くあったが、誰よりもソ連抑留者・満州引揚げ者の悲劇の歴史について俳句を通して解き明かし、その教訓を後世に伝えていきたいという強いモチベーションを感受することができた。


 私は現在の文芸誌「コールサック」(石炭袋)を一九八七年に刊行したが、その創刊号に詩を寄稿してくれた詩人に、シベリア帰りの鳴海なるみ英吉えいきち氏がいた。鳴海氏はソ連抑留者であり、抑留体験を一〇八篇の詩に綴った詩集『ナホトカ集結地にて』で壺井繁治賞を受賞した詩人で、日蓮宗不受不施派の研究者でもあり、そのソ連抑留体験や民衆の不屈の精神について亡くなる間際まで執筆し続けていた。鳴海氏は亡くなる二〇〇〇年まで十三年間も欠かさず寄稿し「コールサック」の文学運動を支援してくれ、私にとって父のような詩人であった。「コールサック」が出るたびに、自宅の千葉県酒々井しすい町まで出かけて作品を論じ合う交流を続けていた。その際には中国戦線での出来事や鳴海氏が抑留された「ツダゴウ収容所では零下三十度の冬に鉄道敷設作業などによって千人以上の戦友たちが五百人も病死・餓死をした」という、凄まじい体験談を聞かせてもらった。またその冬を越えるとロシア人との人間的な交流もあったことを知らされ、ノモンハン事件で孫を失くした老婆のことを記した名作も残している。私は鳴海英吉氏が二〇〇〇年に亡くなった後に『鳴海英吉全集』を企画・編集し、多くの鳴海氏を愛する人びとのご支援で刊行することができて少し役目を果たすことができた。大関氏と同様に私も父が六十歳半ばで亡くなり、中国戦線の戦争体験を聞く機会を逸してしまった。そのこともあり大関氏が父上から聞けなかったことを、まだ健在な抑留者・引揚げ者から取材し、その著書から学び一冊の書籍にまとめたいという志は、称賛に値する。実際に行動に移して本書の原稿を最後まで執筆し推敲をやり遂げたことは、敬愛する亡き父との無言の対話がなせる粘り強い意志力だったろう。

     2

 本書は序章「父の語り得ぬソ連(シベリア)抑留体験」、第一章「日清・日露戦争からアジア・太平洋戦争の歴史を踏まえて」、第二章「ソ連(シベリア)抑留者の体験談」、第三章 「ソ連(シベリア)抑留俳句を読む」、第四章「戦後七十年を経てのソ連(シベリア)抑留俳句」、第五章「満蒙引揚げの俳句を読む」、「全章のまとめとして」から構成されていている。全体を通して大関氏の父母の世代の苦難の経験をした体験者への深い畏敬の念が根底にあり、その想いが重たい口を開かせて貴重な証言を引き出していったと考えられる。また「ソ連抑留者・満州引揚げ者たちの極限状況を俳句で後世に伝えることは可能か」という大関氏の問い掛けが根底にある。戦争の悲劇が戦後も続き、元兵士たちを劣悪な環境で危険な労働に駆り出し死に至らしめ、幸運にも帰国した抑留者たちも生涯にわたって収容所体験がトラウマとなり心身を苦しめた。そんな大関氏の父のようなソ連抑留者や満州引揚げ者たちが身をもって示した平和の尊さを、本書にまとめたいと願ったのだろう。


 序章「父の語り得ぬソ連(シベリア)抑留体験」は本の成立過程を率直に語っていて、その中で紹介されている左記の俳句は、大関氏が父という存在者の内面に次第に肉薄していく道筋を指し示しているかのようだ。


シベリアの父を語らぬ防寒帽

抑留兵の子である私鳳仙花

三尺寝父の背の傷ただ黙す


 なぜ「防寒帽」を父は大切に保存していたのか。なぜ「抑留兵」と父は呼ばれたのか。どうして働き者の父の背に深い傷が刻まれているのか。その答えを大関氏は探求していく宿命を持っていると感じさせてくれる。


 第一章「日清・日露戦争からアジア・太平洋戦争の歴史を踏まえて」では、アジア・太平洋戦争の前に、日本が遅れた帝国主義国家になった日清戦争・日露戦争とは何であったのか、そのことが結果としてアジア・太平洋戦争を引き起こしてしまったのであり、その発端となった一八九四年の日清戦争からの歴史を問うている。その章立ては次のようになっている。「一 はじめに」、「二 日清戦争から日露戦争へ」、「三 日露戦争」、「四 日露戦争から満州事変へ」、「五 第一次世界大戦へ」、「六 ソ連(シベリア)への出兵―七年戦争への道」、「七 満州事変から満州建国まで」、「八 日本の国際連盟の脱退」、「九 満蒙開拓と昭和の防人」、「十 大陸の花嫁について」、「十一 日中戦争への道」、「十二 ノモンハン事件(戦争)から第二次世界大戦・太平洋戦争へ」、「十三 第一章のおわりに」。このように大関氏は、五十八頁を割いて世界史的な観点で日本とソ連・ロシアとの悲劇的な半世紀わたる歴史を辿っていく。その歴史観は特に加藤陽子氏の『それでも日本人は「戦争」を選んだ』を参考にしている。その加藤氏の世界史的歴史観である《「日清戦争」がイギリスとロシアという帝国主義国家の代理戦争になっていたと世界史的な解釈をする》こと、また《日露戦争がドイツ・フランスとイギリス・アメリカの帝国主義時代の代理戦争であったこと》だという解釈を大関氏は参考にして、清国の領土を奪い国家予算の何倍もの賠償金を課していく帝国主義戦争に日本が積極的に加担していく危うい存立基盤を浮き彫りにしている。そのことが結果として大きな禍根を残し、悲劇の結末を迎えていくことを暗示していくかのようだ。一部の保守政治家たちなどが日清・日露戦争は正しかったと主張する言説のレベルは、歴史とは多様な解釈が可能であることは許容できるが、今後の歴史を創り出していく観点からは、大きな過ちを繰り返す歴史を美化する危ういナショナリズムを絶対化する歴史認識だろう。それ故に大関氏は日清・日露戦争の他国の領土を奪い取るなどの勝利感覚が、その後のアジア・太平洋戦争に三百万人以上の日本人の戦死者とソ連抑留者・満州引揚げ者などを生み出した悲劇の要因であるという、痛切な歴史認識を再確認するためにこの第一章から始めたのだろう。

      3

 第二章「ソ連(シベリア)抑留者の体験談」では、山田治男やまだはるお、中島裕なかじまゆたかの二人から大関氏は直接取材をして、ソ連との戦闘、降伏後の経緯、シベリアの収容所での出来事、抑留者の尊厳などを記し、また日本兵を強制労働させるソ連の国際法違反を伝えている。


 第三章 「ソ連(シベリア)抑留俳句を読む」では、小田保おだたもつ、石丸信義いしまるのぶよし、黒谷星音くろたにせいおん、庄子真青海しょうじまさみ、高木一郎たかぎいちろう、長谷川宇一はせがわういち、川島炬士かわしまきょし、鎌田翠山かまたすいざんの八名の経歴や俳句を紹介している。その中で八名が特に生存の危機に直面した壮絶な体験の中で心身に刻んだ俳句と、その句への大関氏の評言を引用する。


俘虜死んで置いた眼鏡に故国凍る  小田保


 眠っている間に死んだのだろうか、枕元に置かれた眼鏡は霜で凍り付いている。それはまるで、夢に見る故郷まで凍らせてしまっているようである。同じ部隊で戦い、厳冬の夜は故郷の雑煮のこと、牡丹餅のことなどを語り合った仲間である


秋夜覚むや吾が句脳裡に刻み溜む  石丸信義


 ソ連側は、抑留中の真実を漏らすまいとしてか、抑留者の結束を恐れてか、全ての文書やメモさえも没収した。文書やメモを持っているのが見つかると、帰還が遅れるという噂もあった。句帳を没収されてからの秋の夜長、目が覚めるとひたすら自分の句を暗唱し、脳裡に刻み込んだのである。


死にし友の虱がわれを責むるかな  黒谷星音


 抑留一年目の冬、作業大隊五〇〇名のうちの半数が亡くなり二〇〇名余となり、残った者は絶望の日々を送った。死期は、寄生する虱が一番良く知っている。死体からぞろぞろと虱が離れるからだ。生き残った者は、その虱に責め立てられているのである。


死もならぬ力がむしり塩にしん  庄子真青海


 厳しいノルマと重労働に体力も消耗し、死を意識する毎日ではあるが、弱り切った肉体は生きたいと要求するように、塩にしんをむしり食うのである。


炎天を銃もて撲たれ追はれ行く  高木一郎


 一九四六年七月一日、ダモイと騙され貨車に乗りキズネルで降ろされた。日本にもみた朝顔が遥か遠く離れたロシアの地キズネルにも咲いている。/ひとしきり朝顔に心安らいだのもつかの間、キズネルよりエラブカへ徒歩で三泊四日の移動をする。酷暑の中、水も飲めない行軍である。


汗の眼を据えて被告の席に耐ふ  長谷川宇一


 《「冷然受刑」(昭和二十四年六月から八月)/八月になると私は予審に呼び出された。私の罪名は、「資本主義援助」というソ連国家反逆罪だそうだ。/(略)向かって右側の裁判官が立って読み上げた。(略)「第五十八条第四項の資本主義援助」で求刑二十五年というのである。(略)ソ連の将校が何か言うことはないかというから、「第三国人である私のソ連外でしたことで罪に問われるのは、徹頭徹尾不承知であったと記録をしておいて貰いたい。」と言った。》(長谷川宇一の手記より)


生くべきものは生くべきままに蓼の花  川島炬士


 《ハバロフスクの監獄生活で毎日三十分くらい監房からひき出されて、檻の中の熊のように絶望の心を抱いて、とぼとぼと重い足どりで歩いた十坪に足らぬ板塀で取り囲まれた散歩場の片隅の日陰にひそやかに咲いていた蓼の花を見いだしたときの私の悟りでもあり、生への復帰の叫びでもありました。この句一つで私の俳句の道に入った報いは十分だと思っております。(略)暗黒のなかに一縷の光明こそは俳句であった。》(長谷川宇一の手記より)


母に逢うまでは死なず 夏の砂漠暮る  鎌田翠山


 三日目に半病人になって、倒れているところをカザック人の猟師に救われ、三日間看病を受け、七日ぶりに収容所に帰り、皆の叱責と三日間の営倉と七日分のノルマの強要で済んだ。もしも猟師が見つけてくれなければ砂漠で死んでいたし、脱走とみなされても死が待っていた。(略)もうろうとする意識の中で、鎌田氏は生き抜いたのである。


 これらの八名の俳句は、まさに「極限状況を刻む俳句」としか言うことができない、極度に緊迫し生死を賭けた場で生まれた俳句だろう。大関氏は抑留兵たちの重たい思いに対して、父もそれに近い思いを抱いたかもしれないと逆に親近感を抱いて、可能な限り聞き入ったのかも知れない。

      4

 第四章「戦後七十年を経てのソ連(シベリア)抑留俳句」では、長野県塩尻市に暮らす百瀬ももせ石涛子せきとうしに取材し、そのシベリア抑留体験の証言や句集『俘虜語り』について詳しく紹介している。その中から二句と大関氏の評言を引用する。


逝く虜友ともを羨ましと垂氷齧りをり  百瀬石涛子


 飢えは自分自身の心を苛み、抑鬱状態に追い込む、逝く友を羨ましいとさえ思い、その一方で垂氷を齧らせる。死を切望しながらも、体は生きようと懸命であった。


渡り鳥羨しと見つめ俘虜の列  百瀬石涛子


 冬の近づく頃、鴨や白鳥、鶴などはシベリアの広大な空を自由に飛び、冬には日本に渡ってゆく。作業に出かける前の点呼の列で、作業の合間の給食を待つ列で空を見上げながら、自由に飛べる渡り鳥を羨ましく眺めるのだった。


 第四章の百瀬石涛子氏について大関氏は、「八十歳を過ぎてようやく抑留体験は、俳句として結晶し姿を現し始めた」と言っている。それほど言語化するには膨大な時間を必要とした百瀬氏にとって俳句との出会いは素晴らしいものとなったのだ。


 第五章「満蒙引揚げの俳句を読む」では、井筒紀久枝いづつきくえ『大陸の花嫁』と天川悦子あまかわえつこ句文集『遠きふるさと』を紹介している。その中から各一句と大関氏の評言をそれぞれ引用する。


酷寒や男装しても子を負ふて  井筒紀久枝


 一九四五年八月二十五日に武装解除を受けて以来、ソ連兵と中国兵や地元の中国人による略奪が繰り返され、ソ連兵により女性は性的暴行受けた。髪を剪って顔に竈の煤を塗りたくり、若い娘にも赤ん坊を背負わせて偽装をした。凍てる冬の夜、母親たちは襲撃を警戒して男装をし、銃は持ち去られているので、わずかな農具を持って歩哨に立ったという。


子等埋めし丘べに精霊とんぼ飛ぶ  天川悦子


 八月に避難指示が出て、足止めされた鎮南浦では、暴漢たちによる暴力もあり、収容所が港の倉庫に移った。九月になると、鎮南浦にもソ連軍が進駐した。ソ連軍の中でも、一番凶暴な「いれずみ部隊」だったという。難民はソ連軍による強奪や性的暴力にみまわれた。九月末にはソ連兵は引き上げて行ったが、入れ違いに飢餓が襲ってきたとあり、この時のことを悦子本人に電話で確かめると、「鎮南浦は十月になると雪が降り始め零下二〇度にもなるところなの」と教えてくれた。避難民は飢えと寒さに襲われたのである。


 「日ソ中立条約」が破棄されてソ連が進攻する混乱の中で関東軍が武装解除された。大関氏はその後に満州に残された満州開拓民家族の井筒紀久枝氏、天川悦子氏などの女性が詠んだ俳句を紹介し読み取り、二人の人生を辿っていく。それはソ連抑留者の俳句を読み取る作業と同様に価値あることで、後世に残すべきことだと考えているのだ。その意味でサブタイトル「ソ連抑留者・満州引揚げ者の証言に学ぶ」という姿勢によって、本書の構成が出来上がっていったのだろう。略奪と性的暴行などの壮絶な体験を俳句と散文で伝えた二人の言葉は、戦争が終わっても続いていく民衆の悲劇を語り掛けてくると大関氏は語ろうとしているのかも知れない。


 最後に「全章のまとめとして」の中から大関氏が本書をまとめながら感じ取り考えていたことを記している箇所を引用したい。


 極限状況の今ここを支える俳句の働きは、抑留詠(戦争詠)・引揚げ詠・震災詠など、特殊な境涯にあっても、病や介護の境遇にあっても、毎日の暮らしにおいても、現実の出来事の証言となり、遭遇した出来事の認知の書き換えやストレス緩衝効果や孤独の環境の中で承認されることにより、安心感や仲間との信頼関係を回復する、失われた命への鎮魂による自他救済などの働きがあった。

 自他救済について、少し違う角度で考えると、本書で取り上げた方々は、危機的状況九死に一生を得た体験を持つ。この体験は思考の混乱を呼び、喪失感や自責の念を抱かせるが、一方で生かされた命の一瞬一瞬を、大切に使おうとする思いは、前向きに生きようとする力を生み、積極的な句作、平和の尊さを語り継ごうとする活動などの動機となる。俳句は悲しみや悔しさ、怒り、嘆き、優しさといった感情を伝える器であり、受け取った人に共感を呼び起こし心の癒しを与える。そして俳句を詠んだ人と読む人を、互いに支える杖(伴走者・燈火)となり、難局を切り開き、未来へつなげる働きをするのだと私は考えた。そして、これは特別な人のことでなく、俳句を支えとして境涯を生き抜く決意をした人に、共通にもたらされる働きであると思う。


 大関氏は読み取ってきた「抑留詠(戦争詠)・引揚げ詠・震災詠など、特殊な境涯」である極限状況の俳句を創作し読解し共有することは、「ストレス緩衝効果や孤独の環境の中で承認されることにより、安心感や仲間との信頼関係を回復する、失われた命への鎮魂による自他救済などの働きがあった」とその効用を結論づけている。大関氏が看護師で他者を癒すことを職業としていることもあり、俳句・散文などの表現行為が、存在の危機を感ずる人びとにとって生きることの原点に立ち還る有力な方法であることを再認識したのだろう。きっと大関氏の父の存在もこれらの俳句・散文の中に立ち現れて、父との無言の対話は継続されてきたに違いない。


 ところで、二〇二二年二月にロシアがウクライナを侵略し、同年の七月の時点で米国国務長官は六〇万~一六〇万人のウクライナ人がロシア国内に強制移住をさせられていると発表している。その数が正しいかどうかは定かではないが、そのような恐るべき「戦争犯罪」が拡大し現在も繰り返されてウクライナ人の苦悩が続いている。その強制移住や強奪という点では類似するソ連抑留者・満州引揚げの当事者たちの「極限状況」を、俳句・散文を通して伝える大関氏の試みを多くの人びとに読んでもらいたいと願っている。


(鈴木比佐雄氏はコールサック社代表、詩集、詩論集、評論集など多数。最新評論集は『沖縄・福島・東北の先駆的構想力 ―詩的反復力Ⅵ(2016―2022)』。)


【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり2 千葉皓史句集『家族』(2023年4月20日刊、ふらんす堂)を堪能する。

 千葉皓史(ちば こうじ)さんの俳句を読めば、大ベテランの俳人であることは御理解いただけるだろう。

 1991年の千葉皓史第一句集『郊外』により第15回俳人協会新人賞を受賞。

 帯の俳句も俳句の醍醐味を存分に発揮しているので拾い読みしてみよう。


濤音のどすんとありし雛かな


 濤音は、「なみおと」とも読み、大きな波の音や 水の大きなうねりの音を意味する。その一瞬のうねりのドスンっと音が描かれて途端に雛が立ち現れる。俳句には、それだけしか描かれていないのにまるで鳥類のひなが、樹々の巣から落ちたその場の一瞬を目撃したような瞬間の文学が表出される。


 このような俳人の神業が、ふんだんに盛り込まれたこの句集で何を私は、見出せるというだろうか。あるがまま拾い読みを進めたい。


この森の映つてゐたる木の実かな


 まるで映画のロングショットの森の風景からそれを映し込んでいる木の実のクローズ・アップの映像の手法で千葉皓史俳句に惹き込んでいく。この移ろうような映像美の掌握を俳句において読み手の心までも見通すように俳句文学を創造しているようだ。


目を見せて浮かぶ蛙となりにけり


 潜水艦のような目が浮かび、こちらを見ている。それは、こちら側にも目を見せていると把握することで蛙が生存競争の大自然にあって生き物の尊厳をも浮かび上がらせている。


東京を見失ふ雪しんしんと


 東京を見失う。千葉皓史俳句の醍醐味は、これらの把握力の新鮮さ、斬新さ、そしてモノの本質を捉える観察力にある。雪がしんしんと降る中に作者は、大都市で作者自身の存在さえも希薄になりがちな大都会のその東京さえも抱擁するように雪は包み込み、己の存在さえも見失わせてしまうのか。


 兎にも角にも千葉皓史俳句は、熟成の時を経て俳句の器へ人生を注ぎ込みながら結実していく。

 また観察眼に裏打ちされたその俳句文学の大舞台を共鳴句と共にごらんください。


敲いてはのし歩いては畳替

枯菊の沈んでゆける炎かな

氷水つめたき匙が残りけり

ふさふさとほほづき市の立ちにけり

青とかげ蛇籠の中を走りけり

蝙蝠の栄ゆる空の暮れかかり

春雪の割れて沈める藪がしら

秋燕の押し上げられて集ひけり

摘みきれぬ土筆の中を帰りけり

赤ん坊の手ゆび足ゆび鯉幟

蟷螂をはらふ平手をもつてせり

真ん中に立たせられたる干潟かな

馬小屋に馬の納まる日永かな

手の届くところに夜の白つつじ

踏まれずにある一日の団栗よ


 畳替の所作をしっかりと描く五感を駆使した観察力に脱帽。

 枯菊が炎として沈む。そこには、徹底した観察力の鍛錬に裏打ちされた詩的イメージ化が昇華されている。

 氷水と冷たい匙の存在感や鬼灯市がふさふさと立ち現れる。

 青蜥蜴が蛇の籠の中を走り回る様や蝙蝠の賑わいは、暮れかかる空も鮮やかさなども春雪の割れて沈む藪がしらの描写も徹底した写生、観察力に裏打ちされている。

 秋燕の飛翔の存在感を持って集いあう。その描写力。

 摘みきれない土筆の中を帰ることのユーモアさ。

 赤ん坊の手ゆび足ゆびの描写と鯉幟の配合の躍動感。

 蟷螂を払うその平手のクローズアップ。

 真ん中に立たせられる干潟での覚醒。

 馬小屋に馬が納まる。その日永。

 踏まれずにある一日の団栗がある。

 一見、この2句は、平凡に見える。だが日常を詩に持ち込む術は、達人級だ。

 手の届くところに夜の白つつじがあること。そこから俳句の読み手に委ねる業も達人のなせる業だ。描写力と言葉の喚起力がある。そこには、並々ならぬ観察力の鍛錬と人生の歳月が俳句に注がれてきたのだろう。


子の余す舞茸汁をすすりけり

うしろから息の白きを言はれけり

卯の花や子供がつかふ風呂の音

切薔薇をすくひ取りたる妻の指

春を待つ母はひとりにして置かれ

父母若き運動会が始まるよ

声ちぢむ水砲をしてゐるよ

父の亡き母の亡き草青むなり

跳びついて抱き上げらるる端午かな

いくつでも剥いてくれたる柿甘し


 千葉皓史俳句の歳月には、優れた俳句の先生方や俳句仲間との出会いの財産があったであろうことは、あとがきにも記されている通りだと私は、勝手に想像してしまう。句集タイトルにある「家族」を楽しみに見てくださった先生方の存在も大切だろう。

 子の残しものを味わうようにすする日常の俳句日記。後から抱きつかれ白い息を言い当てられる。その共有する悠久の俳句にこそ「家族」があるのかもしれない。俳人の五感が捉えた子が浸かる風呂の音も。切薔薇を掬う妻の指の妙技も。日常の荒波に急かされながら母を置く切なさも。運動会の掛け声も。水鉄砲を被弾して声が縮んだりするのも。果実のごとく跳びつく端午の成長の子の重みも。めぐりめぐって作者に何度も甘くて美味しい柿を剥いてくれた父よ。母よ。そして我が子よ。家族はめぐりめぐって地球の自転のように俳句に永遠のようにとどまるようだ。


【句集歌集逍遙】筑紫磐井『戦後俳句史nouveau1945-2023——三協会統合論』/佐藤りえ

本著はこれを読めばすらすらと戦後俳句史がわかる、といった便利なガイドブックのようなものではない。
「はじめに」にあるように通史としての戦後俳句史を試みるものであるが、大きくいくつかの眼目が挙げられる。
・戦後俳句史のはじまりとしての社会性俳句史
・前衛俳句の前史としての後期社会性俳句・新難解俳句
・「新しい伝統」の発端
・協会乱立とジャーナリズム

 まず冒頭、「社会性俳句」が新興俳句の側からではなく、人間探求派を端緒としていることを草田男・楸邨の文章と作品の変遷から探る。桑原武夫「第二芸術」への反駁、戦後を迎えての現実を詠み込む指向のあらわれとして、「社会性俳句とは人間探求派の申し子」である、と断ずる。
「社会性俳句」という用語そのものが広まる契機としては総合誌「俳句」編集長・大野林火の采配が少なからず影響しているが、同人誌「風」との呼応関係など、秀作ありき・作品数ありきといった「運動」ではなかったことが読み取れる(余談になるが「風」のアンケート項目に「どの政党を支持されますか」「天皇制についてどう思われますか」といったものがあることに隔世の感を抱いた。現在こんなことを聞きあう俳句同人誌はあり得るのだろうか)。金子兜太・能村登四郎・沢木欣一らを中心に、主張の変遷、表現傾向の吟味がなされている。
「社会性俳句」が作風・信条・作家性といったものではなく、基地問題・再軍備・失業拡大・社会保障低下・水爆実験などの社会的な問題を、伝統系・新興系などに拘わらず、ひろく詠み込んだ「時代の熱病であった」としている。

 前衛俳句前史としては、新難解俳句、心象俳句が提唱され、「新しい伝統」がカウンターとしてあらわれ、前衛俳句と伝統俳句の二項対立に向かう…という流れが、中心となる人物をピックアップしつつ、膨大な作品の例証を交えて語られている。
 本書の特徴として、クロニクル的に年次をわけ、年次ごとの出来事を順々に述べていく方式がとられていない。従って、読み進めた後に前に戻って確認をする、ポイントとなる語句が後に詳述される、といったところが少なくない。また、登場する俳人の分類も著者ならではの仕分けがされており、章にまたがって登場する人物も多く、行きつ戻りつして読むことが多かった。
 しかしこれは、今日すでに「あるもの」として区分けされている傾向・用語などは、数々の場によって意味を変遷し、作家たちの発言、思考もゆらぎながら継続してきていること、現在形とは「定着しているように見えている」ことにすぎない、そのもののあらわれ――といえるのかもしれない。

 筆者がもっとも気になった「前衛」の扱われ方も、ある徹底によって記述の仕方が周到に分けられていることが、読み進めていくうちに了解できた。第1部第3章「社会性からポスト社会性」以降、いよいよ「前衛俳句」という表記がどのように登場し、拡散していくか、が丹念に検証されているが、ここに「前衛」の用語としての言及はほとんどない。その解説は第3章第5節「批評用語集」で仔細に検討されている。何が気になるのかといえば、当時「前衛」の語はむしろ美術・文学などの表象文化において多大に使用されているはずで、その影響が前衛俳句に皆無なはずはない、という思いがあった。
 ただしここでも著者は「前衛」の解説を、本来の語義(軍事用語)から始め、同時代他ジャンルの動きをアリバイとしてあてがう、といったことはしない。ダダイスム・未来派など、往時既存の潮流を批判を交えながら「おさらい」しつつ、前衛俳句の資料を年次順に提示している。

 第2部は現代俳句協会・俳人協会・伝統俳句協会の成り立ちと、ジャーナリズム(おもに「俳句」編集長秋山巳之流氏)の功罪がややゴシップ調に綴られている。伝統俳句協会成立までの関係者の奔走ぶりなど、知られざるところもあるのかもしれないが、この章は末尾のこの提言が要なのだと思う。

(平成・令和の)無風化は兜太・龍太以降の世代が史観をもっていないことに起因するように思う。(中略)これから必要なのは、戦後派世代の批判であり、兜太、龍太に対する批判だ。

「史観をもつ」こと。歴史とは出来事を並べた年表のことをいうのではない。本著がクロニクルでなく、図表・年表をほとんど用いずに、膨大な資料を参照、提示しているのには、これらを「史観をもって吟味せよ」との意思を感じる。

 ところで本著のタイトル「戦後俳句史nouveau1945-2023」は何に対して「nouveau」なのか。戦後俳句史を名詞として扱うなら、この語を最新のもの、という意味として捉えることができる。これは金子兜太の「わが戦後俳句史」(岩波新書)に対しての新しい通史の提唱なのではないか。
 草田男・楸邨から話がはじまるのも、通史としての検討が「新しい伝統」の登場、昭和三十年代後半で途絶えているのも、その意図、理由は明示されているものの、著者の心の中には、この大著をめぐって兜太と対話したかった、そういう思いがあったのではないだろうか。

 そもそも帯文の著者と金子兜太の会話は、著者自身が編集長をつとめた雑誌「兜太」vol.1(2018/藤原書店)に収録されたインタビュー内のものである。そして「兜太」vol.2(2019)巻頭言「兜太と敵対しつつ親愛する」のなかで著者は以下のようにも綴っている。

伝統を理解するためには前衛を知らなければならない、少なくとも昭和四十年代以後の伝統俳句は前衛俳句を理解しなくては本当の価値が分からないのではないか――これは私にとってコペルニクス的転回であった。それ以後、兜太の俳句作法(造形俳句作法というべきだろう)に影響は受けなかったが、兜太の近・現代俳句史観には注目するようになった。兜太の俳句史観は正統的な史観である――というよりは、そもそも兜太以前に「近・現代俳句史観」などは存在せず、誰も示さなかったのだと言うことを確信したのである。(中略)兜太と私は俳句観を共有しているのではない、史観を共有していたのだ。

「戦後俳句史nouveau1945-2023」は「わが戦後俳句史」への40年越しのアンサーなのではないか。そして今度は自らの史観で、本著をひもとき、通史のパズルを解き明かそうとする者が現れることを、著者は待望している。