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2024年2月23日金曜日

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(43)  ふけとしこ

    ビリになる

春が来る雲形定規をずれて雲

梅林やどう歩いてもビリになる

幔幕の浅葱色なる梅の昼

あたたかや林の中に水溜り

褒め過ぎの書評雑木も芽吹きどき


・・・

 「今までで一番嬉しかった誕生日のプレゼントは何でしたか?」何かのアンケートの問いにあった。

 私は迷わずに「ガス」と答えた。

 都市ガスが復旧したことなのである。平成7年2月22日、わが誕生日のことであった。

 その年の1月17日の未明、阪神淡路大震災に襲われた。丁度「第9回俳壇賞」に決まっていて、1月20日が受賞第一作30句の締切日になっていた。それを今日は投函しなければ……との思いで早起きをして作品の見直しをしていたのだった。

 どうやって投函したのか記憶にないが、何とかしてポストまでは行ったのだろう。そして郵便関係の人達も、とにかく働いて下さったのだ。

 地震が起きた時、その経験したことのない揺れは何とも長かった。第一、当初は何が起こったのか分からず、地震なのか! と気付くまでに時間がかかった。本当はそんなに長くなかったのだろうが、そう気付くまでをとても長く感じたのだ。

 奈良の友人から「無事?」と電話があって「寒い」と答えたのだが、その1本でそれっきり電話は不通になった。外では言いようのない不気味な音が続いていた。電話は無論のこと電気・ガス・水道等全部が駄目になった。家中の倒れる物は全て倒れ、壊れる物はことごとく壊れた。明るくなって外を見るといつも見ていた家が倒壊していた。聞こえていた不気味な音は近所の家が壊れてゆく音だったのだ。

 近辺では家も道も水路も人命も大きな被害が出た。

 当時の私は高さ制限のあるマンション住まいだった。地下の設備や駐車場などは駄目になったが、居室自体は壁やルーフテラスの罅割れ程度で済んだ。片付けに追われて夢中で過ごしていたが3日程経って、打撲だと思っていた胸の痛みが増し、それは次第に呼吸が出来ない程にもなった。徒歩圏内の医院を探して受診したら「肋骨が3本折れてる。湿布とコルセットと安静」と言われた。

 受賞者は無事か? 「俳壇」編集部でそんな心配がされたと、後に取材に来たカメラマンに聞いた。

 一応無事ではあったので、2月15日の授賞式にはコルセットを巻いて出席した。

 電話と電気は早くに復旧した。次に水道も。

ガ スがなかなか大変で、わが誕生日の2月22日になってやっと復旧したのだった。個々の家を訪れてガスを通して下さったのは大阪ガスの人だったが、当時の住居、兵庫県西宮市段上町の工事をして下さっていたのは、青森ガスの作業服を着た人たちだった。

 「遠くから有難うございます」挨拶をしたら涙がこぼれた。

 今年の元日の能登半島の地震で又しても恐怖がよみがえり、厭も応もなく多くの事を思い出すことになった。

(2024・2)