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2024年2月9日金曜日

【句集歌集逍遙】筑紫磐井『戦後俳句史nouveau1945-2023——三協会統合論』/佐藤りえ

本著はこれを読めばすらすらと戦後俳句史がわかる、といった便利なガイドブックのようなものではない。
「はじめに」にあるように通史としての戦後俳句史を試みるものであるが、大きくいくつかの眼目が挙げられる。
・戦後俳句史のはじまりとしての社会性俳句史
・前衛俳句の前史としての後期社会性俳句・新難解俳句
・「新しい伝統」の発端
・協会乱立とジャーナリズム

 まず冒頭、「社会性俳句」が新興俳句の側からではなく、人間探求派を端緒としていることを草田男・楸邨の文章と作品の変遷から探る。桑原武夫「第二芸術」への反駁、戦後を迎えての現実を詠み込む指向のあらわれとして、「社会性俳句とは人間探求派の申し子」である、と断ずる。
「社会性俳句」という用語そのものが広まる契機としては総合誌「俳句」編集長・大野林火の采配が少なからず影響しているが、同人誌「風」との呼応関係など、秀作ありき・作品数ありきといった「運動」ではなかったことが読み取れる(余談になるが「風」のアンケート項目に「どの政党を支持されますか」「天皇制についてどう思われますか」といったものがあることに隔世の感を抱いた。現在こんなことを聞きあう俳句同人誌はあり得るのだろうか)。金子兜太・能村登四郎・沢木欣一らを中心に、主張の変遷、表現傾向の吟味がなされている。
「社会性俳句」が作風・信条・作家性といったものではなく、基地問題・再軍備・失業拡大・社会保障低下・水爆実験などの社会的な問題を、伝統系・新興系などに拘わらず、ひろく詠み込んだ「時代の熱病であった」としている。

 前衛俳句前史としては、新難解俳句、心象俳句が提唱され、「新しい伝統」がカウンターとしてあらわれ、前衛俳句と伝統俳句の二項対立に向かう…という流れが、中心となる人物をピックアップしつつ、膨大な作品の例証を交えて語られている。
 本書の特徴として、クロニクル的に年次をわけ、年次ごとの出来事を順々に述べていく方式がとられていない。従って、読み進めた後に前に戻って確認をする、ポイントとなる語句が後に詳述される、といったところが少なくない。また、登場する俳人の分類も著者ならではの仕分けがされており、章にまたがって登場する人物も多く、行きつ戻りつして読むことが多かった。
 しかしこれは、今日すでに「あるもの」として区分けされている傾向・用語などは、数々の場によって意味を変遷し、作家たちの発言、思考もゆらぎながら継続してきていること、現在形とは「定着しているように見えている」ことにすぎない、そのもののあらわれ――といえるのかもしれない。

 筆者がもっとも気になった「前衛」の扱われ方も、ある徹底によって記述の仕方が周到に分けられていることが、読み進めていくうちに了解できた。第1部第3章「社会性からポスト社会性」以降、いよいよ「前衛俳句」という表記がどのように登場し、拡散していくか、が丹念に検証されているが、ここに「前衛」の用語としての言及はほとんどない。その解説は第3章第5節「批評用語集」で仔細に検討されている。何が気になるのかといえば、当時「前衛」の語はむしろ美術・文学などの表象文化において多大に使用されているはずで、その影響が前衛俳句に皆無なはずはない、という思いがあった。
 ただしここでも著者は「前衛」の解説を、本来の語義(軍事用語)から始め、同時代他ジャンルの動きをアリバイとしてあてがう、といったことはしない。ダダイスム・未来派など、往時既存の潮流を批判を交えながら「おさらい」しつつ、前衛俳句の資料を年次順に提示している。

 第2部は現代俳句協会・俳人協会・伝統俳句協会の成り立ちと、ジャーナリズム(おもに「俳句」編集長秋山巳之流氏)の功罪がややゴシップ調に綴られている。伝統俳句協会成立までの関係者の奔走ぶりなど、知られざるところもあるのかもしれないが、この章は末尾のこの提言が要なのだと思う。

(平成・令和の)無風化は兜太・龍太以降の世代が史観をもっていないことに起因するように思う。(中略)これから必要なのは、戦後派世代の批判であり、兜太、龍太に対する批判だ。

「史観をもつ」こと。歴史とは出来事を並べた年表のことをいうのではない。本著がクロニクルでなく、図表・年表をほとんど用いずに、膨大な資料を参照、提示しているのには、これらを「史観をもって吟味せよ」との意思を感じる。

 ところで本著のタイトル「戦後俳句史nouveau1945-2023」は何に対して「nouveau」なのか。戦後俳句史を名詞として扱うなら、この語を最新のもの、という意味として捉えることができる。これは金子兜太の「わが戦後俳句史」(岩波新書)に対しての新しい通史の提唱なのではないか。
 草田男・楸邨から話がはじまるのも、通史としての検討が「新しい伝統」の登場、昭和三十年代後半で途絶えているのも、その意図、理由は明示されているものの、著者の心の中には、この大著をめぐって兜太と対話したかった、そういう思いがあったのではないだろうか。

 そもそも帯文の著者と金子兜太の会話は、著者自身が編集長をつとめた雑誌「兜太」vol.1(2018/藤原書店)に収録されたインタビュー内のものである。そして「兜太」vol.2(2019)巻頭言「兜太と敵対しつつ親愛する」のなかで著者は以下のようにも綴っている。

伝統を理解するためには前衛を知らなければならない、少なくとも昭和四十年代以後の伝統俳句は前衛俳句を理解しなくては本当の価値が分からないのではないか――これは私にとってコペルニクス的転回であった。それ以後、兜太の俳句作法(造形俳句作法というべきだろう)に影響は受けなかったが、兜太の近・現代俳句史観には注目するようになった。兜太の俳句史観は正統的な史観である――というよりは、そもそも兜太以前に「近・現代俳句史観」などは存在せず、誰も示さなかったのだと言うことを確信したのである。(中略)兜太と私は俳句観を共有しているのではない、史観を共有していたのだ。

「戦後俳句史nouveau1945-2023」は「わが戦後俳句史」への40年越しのアンサーなのではないか。そして今度は自らの史観で、本著をひもとき、通史のパズルを解き明かそうとする者が現れることを、著者は待望している。