【俳句新空間参加の皆様への告知】

【ピックアップ】

2022年1月28日金曜日

第176号

 次回更新 2/11


第45回現代俳句講座質疑(4) 》読む

第6回芝不器男俳句新人賞募集のお知らせ 》読む
第42回現代俳句評論賞募集》読む

■令和俳句帖(毎金曜日更新) 》読む

令和三年秋興帖
第一(11/19)仙田洋子・渕上信子・妹尾健太郎・坂間恒子
第二(11/26) 杉山久子・神谷 波・ふけとしこ
第三(12/3)山本敏倖・曾根 毅・花尻万博
第四(12/10)小林かんな・松下カロ・木村オサム・夏木久
第五(12/17)中西夕紀・浅沼 璞・青木百舌鳥・中村猛虎・なつはづき
第六(眞矢ひろみ・岸本尚毅・小沢麻結・下坂速穂・岬光世)
第七(12/31)依光正樹・依光陽子・渡邉美保・辻村麻乃・網野月を
第八(/14)井口時男・小野裕三・関根誠子・田中葉月
第九(1/21)望月士郎・前北かおる・のどか・仲寒蟬
第十(1/28)家登みろく・林雅樹・水岩 瞳・竹岡一郎


■ 俳句評論講座  》目次を読む

■ 第19回皐月句会(12月)[速報] 》読む

■大井恒行の日々彼是 随時更新中! 》読む


豈64号 》刊行案内 
俳句新空間第15号 発売中 》お求めは実業公報社まで 

■連載

英国Haiku便り[in Japan](27) 小野裕三 》読む

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ (18) ふけとしこ 》読む

北川美美俳句全集9 》読む

【抜粋】 〈俳句四季1月号〉俳壇観測228 馬酔木一〇〇周年――馬酔木と新興俳句

筑紫磐井 》読む

澤田和弥論集成(第6回-7) 》読む

句集歌集逍遙 池田澄子『本当は逢いたし』/佐藤りえ 》読む

中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい インデックス
25 紅の蒙古斑/岡本 功 》読む

篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい インデックス
17 央子と魚/寺澤 始 》読む

中西夕紀第四句集『くれなゐ』を読みたい インデックス
18 恋心、あるいは執着について/堀切克洋 》読む

渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい インデックス
7 『櫛買ひに』のこと/牛原秀治 》読む

なつはづき第一句集『ぴったりの箱』を読みたい インデックス
18 『ぴったりの箱』論/夏目るんり 》読む

ふけとしこ第5句集『眠たい羊』を読みたい インデックス
11 『眠たい羊』の笑い/小西昭夫 》読む

加藤知子第三句集『たかざれき』を読みたい
2 鑑賞 句集『たかざれき』/藤田踏青 》読む

眞矢ひろみ第一句集『箱庭の夜』を読みたい インデックス
11 鑑賞 眞矢ひろみ句集『箱庭の夜』/池谷洋美 》読む

『永劫の縄梯子』出発点としての零(3)俳句の無限連続 救仁郷由美子 》読む


■Recent entries
葉月第一句集『子音』を読みたい インデックス

佐藤りえ句集『景色』を読みたい インデックス

眠兎第1句集『御意』を読みたい インデックス

麒麟第2句集『鴨』を読みたい インデックス

麻乃第二句集『るん』を読みたい インデックス

前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井 インデックス

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉜ のどか 》読む

およそ日刊俳句新空間 》読む
…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
1月の執筆者 (渡邉美保)

俳句新空間を読む 》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子



筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。

北川美美俳句全集9

 北川との出版に関するやり取りは、「『真神』考」に関するものがほとんどであったが、最初の手術の直前2017年9月のメールのやり取りでは俳句集についての言及がされている。

 「私の時代は、男女均等法の第一期くらいのバブリーな年代ですから、世の中、平等なんだと思っていましたが、そうじゃない、というのに気が付くまでさらに20年くらいかかっているように思います。

 平等だという教育の元に育ったので平等だと思っていましたが、世の中平等なんかじゃない、、というのが40になってからの実感です。それでもとても恵まれた人生でしたが…(まだ締めくくるには句集ださねば死ねないです!!)」

 やはり句集を出したいと思っていたようだ。少し不思議な続き具合であるのは、病気が女性特有のがんであるため、そんなことに思いをはせながら書いているせいもあるだろう。

 今回の「北川美美俳句全集」はそんな北川の創作活動の集成ための準備活動である。いずれ時期が来たらこれらを参考に句集としてまとめられたらいいと思っている。あるいはそれまでの間はこの全句集で北川を偲んでいただければと思っている。

 以下、「俳句新空間」に掲載された作品を順次紹介して行く。


●俳句新空間1号(平成26年2月)

   雪焼の男

小春日の窓辺に並ぶ句集いくつ

丘の上夕陽の差していて寒き

宿までの道二つあり雪上車

ひとりづつ投げて受け耿る蜜柑かな

死にそうに重たき蒲団白む空

初夢の後痒くなる耳ふたつ

ステンレス物干竿に射す初日

数の子をぽりぽりせんとや生れけん

襞に襞長峰影なす越が雪

雪道の轍にかかる陽の光

雪焼の男二十歳になりにけり

体育館四隅にたまる寒さがな

マンホIル残して雪の積もりけり

雪踏みのつもりで踏むや自動ドア

ボイラ1の音鳴り響く冬館

スト1ブの火を割箸で継ぎにけり

真つ暗な夜を雪眼で見ていたり

久女忌の匂い袋のほつれかな

寒き日やごロユキ御飯食べたりこと訊く

食べられる蒲公英を摘む息子かな


●俳句新空間2号(平成26年8月)

   十人の男

太陽が沈んじまった松の芯

おだやかな水をたたえて青水無月

近づきて離るる日月明易し

舟底より水面は高し半夏生

麦畑刈られ巨人が来る気配

するすると歴史の話風通し

山を背に山からの風薫りけり

待つと来ぬ電話を待てりさくらんぼ

真夜中に撫ぜて励ます冷蔵庫

弾力や網戸にあたる我が頭

十人の男穴掘る土用の日

夏草を踏みしめている乗用車

愛と誠と空気を含み岩清水

砂日傘波を見ている肩眩し

坐して汗立ちて汗かく坂の町

蔵の鍵涼しきことを秘密とす

片蔭の突然切れているところ

肩に乗る青葉一枚紫黄の忌

後ろより友の声するお花畑

銅鐸の太古の響き星月夜

英国Haiku便り[in Japan](27) 小野裕三


トーキョー・ストーリー

 英国で知り合ったイギリス人の友人が小津安二郎のファンで、大学教員の彼は、講義で小津の『東京物語』を何度も題材にしたという。また、僕がロンドンで在籍した美術大学では毎月、映画上映会をやっていて、そこで小津の『お早よう』が上映されたことがある。誰もが知る代表作、というわけでもない喜劇作品なので、「ずいぶん通好みだなあ」と思った。

 英国映画協会(British Film Institute)では、十年に一度、世界中の映画監督や批評家の投票で「映画史上もっとも偉大な映画」を選ぶ。2012年の投票で、名だたる映画監督たちから一位に推されたのが、小津の『東京物語(Tokyo Story)』だった。二位以下には『2001年宇宙の旅』『市民ケーン』など、錚々たる歴史的作品が並ぶ。戦後まもない頃に制作された『東京物語』は、当時は「日本的すぎる」と見られたようで海外での上映や評価も広がらなかった。小津作品は、何十年もの時間をかけてじわじわと評価を高めてきた。

 海外の人が小津作品について語る言葉は、「シンプル」「不在」「沈黙」などで、それは「禅」など日本文化全般への海外からの視線と類似する。実際、小津の作品をそんな文脈から「俳句」的だと評した西洋の識者も過去にいたし、それに対して、あまりにも「紋切り型」の見方だとの反論もあった。

 どちらの論が正解にせよ、実は、小津は二十代から晩年まで生涯を通じて熱心に俳句を作った。彼は「塘眠堂」なる俳号まで持ち、松竹の撮影所では俳句の会を作って句会や連句に熱を入れた。例えばこんな句が残る。

 口づけも夢のなかなり春の雨

 未だ生きてゐる目に菜の花の眩しさ

 葩や仏の膝に吹きだまる

 彼はこうも語る(*1)。「連句の構成は映画のモンタージュと共通するものがある。われわれには、とても勉強になりました。」小津の映画に俳句的な何かがあるなら、それは西洋人からは安易に神秘化して見られがちな、禅的な「空」や「無」だとか季語的な日本的情緒ではない、と僕も思う。小津の映画には、フランソワ・トリュフォーが「不思議な空間の感覚」と呼んだ独特の空間構成があって、それは俳句や連句の斡旋の感覚から培われた美学では、と感じる。その空間感覚は、西東三鬼などの新興俳句のモダニズムに通じるものがある。小津と三鬼はほぼ同世代で、両者ともシンガポールで生涯の一時期を過ごした経験があることもなにやら偶然とは思えない。

 前述のイギリス人の友人にネットで連絡を取ってみた。小津への見方を訊ねると、小津作品の語り口のシンプルさは俳句的と感じる、と彼も言う。そして彼は、『東京物語』の原節子の会話に触発されたという、自作の英語俳句を僕に披露してくれた。『東京物語』の物悲しさを彷彿とさせる、いい句だった。

*1 『キネマ旬報』1947年4月1日号

(『海原』2021年9月号より転載)

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(18)  ふけとしこ

霜はしづかに土塊をいたぶりぬ

谷崎の片袖机寒椿

歳晩や軽トラックに竹の束

水涸れて青き硝子の嵌め殺し

寒中お見舞いりりりりと猫の鈴

 ・・・

 『九十二』という句集がある。著者は祐乗坊美子さん。2009年、著者92歳の時の出版である。

  

 九十にふたつ増やして年の豆  美子


 集名ともなった1句で掉尾に置かれている。

 「まあ、フケさんって仰るの? ずいぶん珍しいお名前ね」

 祐乗坊美子さんに初めてお目にかかったときにそう言われた。

 「ええ、はい……、あの…」もごもご言いながら(あの、ユージョーボーさんってお名前もも十分珍しくはありませんか)胸の内で呟いていた。

 私と祐乗坊美子さんとはかつて「カリヨン」で同門であった。つまり馬酔木系の俳人、市村究一郎門下。年に一度の大会が究一郎の地元の「府中の森芸術劇場」で行われて、私も事情が許す時には上京していた。そこでお会いしたのであった。

 美子さんは嵐山光三郎氏のお母様である。だから嵐山氏も本名は祐乗坊さんなのである。氏のエッセイに登場する「ヨシ子さん」がこの美子さんである。『悪党芭蕉』は買って読んだけれど、ヨシ子さんが描かれているエッセイ集は買っておらず、申し訳なくも、週刊誌に連載されていたのを時々拾い読みしていただけである。

 『九十二』より 

 朝顔の買はれうき世の花となる  美子

 朝顔市での作のようである。朝顔は芽生えた時から浮世に存在していたはずだが、こう言われると、お金のやり取りがそれを決めたということのように思われて、少し切なくなる。


 朝顔の遊びの蔓と遊びけり  美子

 こちらの朝顔は庭に植えられているように思える。朝顔は自立できない。他の物へ蔓で巻きつきながら成長する。人は勝手にその蔓の先を遊んでいると見るのだが、当の朝顔は巻き付けそうな、つまり寄る辺を探して必死なのである。しかし下五の方は完全に人の遊び。見ているだけかもしれないし、蔓を巻かせるべく誘引しようとしているのかも知れないが、二つの異なる遊びが読む方へ伝わって遊び心がさらに膨らんでくる。

 

 探しものばかりで灯火親しめず

 「この頃一日中探し物しているみたいで厭になるのよ」と誰かが言っていた。〈見えてゐて見えぬ師走の探し物〉というどなたかの句をみかけたこともある。私もしばしばこういう事態に陥っているのだが。「灯火親し」が否定形として遣われているのも「あらまあ、美子さんったら」と笑いかけたくなる。このような遣い方もあるのだ。


 私が俳句を始めたのが41歳。遅かったといつも思っているのだが、この美子さんの出発は62歳である。「俳句を始めるのはいつからでもいいのよ、その人その人の適齢期があるのだから……」始めてからしばらく経ち、面白くなり始めた頃になって「もっと早く始めておけばよかった」とはよく聞くことである。そんな時、私は自分を慰める意味もあって「始めようと思ったその時があなたの適齢期だったのよ」と言うことにしている。

 美子さんも嵐山氏に『ローボ百歳の日々』と書かれてから数年が経っている。ローボとは老母のことだが今も俳句を作っておいでだったらそれは素晴らしい。アマゾンででも買って読んでみようかしら。

(2022・1)

第45回現代俳句講座質疑(4)

 45回現代俳句講座「季語は生きている」筑紫磐井講師/

1120日(土)ゆいの森あらかわ

 

【赤野氏】「題詠」システムについて

  「ホトトギス」では「題詠」によって佳句が生まれるという構造については興味深く拝聴しました。ただ、それが季語、季題によるものであるという点については、また別なのではないかと感じました。たとえば、新興俳句では連作がよくされましたが、富澤赤黄男の「ランプ」

落日に支那のランプのホヤを拭く 

やがてランプに戦場のふかい闇がくるぞ

灯はちさし生きてゐるわが影はふとし

靴音がコツリコツリとあるランプ

銃声がポツンポツンとあるランプ

灯をともし潤子のやうな小さなランプ

このランプ小さけれどものを想はすよ

藁に醒めちさきつめたきランプなり

や、渡辺白泉の「支那事変郡作」における

繃帯を巻かれ巨大な兵となる

繃帯が上膞を攀ぢ背を走る

繃帯の中の手足を伸ばしてゐる

繃帯の瞼二重に天を瞠む

繃帯が寝台の上に起き上る

から、それぞれ

・やがてランプに戦場のふかい闇がくるぞ

・繃帯を巻かれ巨大な兵となる

といった名句が生まれたメカニズムも「題詠」と同様のものと思えます。すなわち、季語、季題に関わらず、ひとつのテーマに集中して多作する際に思わぬ佳句、名句が生まれる傾向があるということではないでしょうか。

 これは「方法」ですので、季語を季題、季感いずれに捉えるかに関わらず取り入れ、活用することができると思われます。

  もちろん、特定の季題に結社全体で取り組む集団の大きさが重要なのだ、ということもできますが、それは「一将功成りて万骨枯る」システムということですね。果たして今後、そういった運営が持続可能かどうかは疑問が残りますし、おそらく作家意識の高い俳人ほど離れていくでしょう。

 

【筑紫】

 私の理解では、題詠と連作は制作動機においてかなり異なるものと考えます。

 「題詠」とは句会において一つの題について探求する文学の共同作業形式で、この中で膨大な類想作品を生産し、その結果として究極の名句を作り出す方式です。これは講演の時紹介した通りです。「一将功成りて万骨枯る」システムと言われるかもしれませんが、さりとて非民主的というかとそうでもなく、誰でも句会や雑詠欄に参加した人は「一将」になれるわけですから、民主的な競争原理が働いています。

 「連作」はこうした制約がないのですが、それでも発生的にみて、題詠的連作と、非題詠的連作があり、ご指摘の連作は後者であると思います。なぜなら、これらは題詠句会に出せる類想作品ではなくて独善的な作品(これは文学的批判ではありません。類想がないということを裏返しただけです)ですから題詠とは言えないわけです。

 題詠がいいのか、連作がいいのかはその人の価値判断ですが、少なくともどちらかが文学でありどちらかが文学ではないなどと批判してもしょうがないことです。知っておきたいのは、題詠と連作を同じ基準で論じる意味はあまりないということです。

 ただ、題詠から連作が生まれたという関係は当然あるわけです。昭和初頭に水原秋櫻子が連作を提唱しましたが、この時の連作を初出にさかのぼり丹念に比較研究すると、秋櫻子は、虚子の題詠句会に提出した句をのちに連作として編集しなおしたことがわかります。つまり「制作動機」は題詠で、「編集動機」が連作であったわけです。山口誓子についても似たようなものではなかったかと推測します。

 これが上に述べた、「題詠的連作」です。制作動機が連作ではなかったわけです。題詠には、題詠句会が不可欠で、当然季題が中心となります。なぜ、題詠が季題でなければならないのかはこうした理由です。

 「非題詠的連作」では題詠句会が存在しないわけです(題詠句会は全く不思議はありませんが、連作句会などというのは詩の発表会のようなもので句会の形態としてはあり得ないでしょう。ちょっと気味悪いですよね)から、季題以外の主題になっておかしくはありません。現に馬酔木で誓子が選を行った連作作品欄では題は季題ではありません。

 ちょっと余談になりますが、正岡子規は句会を「一題十句」という形式でやりました(これは蕪村に倣ったものであると言われています)。一つの題を出して十句を投句し、句会で披露するわけです。結果的にその中の一句が句集などに収められました。「鶏頭の十四五本もありぬべし」は有名ですが、この時の句会では今では誰も知らない八句があったと言われています。

 子規が俳句改良で大成果を上げた後、短歌の改良に進みましたがこの時「一題十首」を発表しています。「瓶かめにさす藤の花ぶさみじかければたゝみの上にとどかざりけり」などがありますが、これは連作10首です。

 子規は、俳句では「一題十句」でほかの句は捨てて究極の1句を残したのですが、短歌では連作を残しています。これは俳句と短歌の違いを示してくれて興味深いですが、一方で題詠と連作の子規の考え方も示してくれるようです。子規は、鶏頭の「一題十句」を連作として残せるとは考えていなかったようなのです。

      *

 後段について感想を申し上げます。文学システムとはいかに「万骨を枯らして一将の功を成らせるか」のシステムだと思います。文芸雑誌の編集長は日々「万骨(たくさんの読者を集めて)を枯らして一将の功を成らせる(同時代を代表するごくわずかの作家を養成する)か」の努力をしており、文学の王道であると考えます。その成果が、俳句にあっては草田男であり、兜太であると思います。それは、今後も続く永遠不滅の原理だと思います。結社も同人雑誌もこれは変わらないと思います。そうでなければ雑誌など出せませんから。「ホトトギス」も「馬酔木」も、「豈」も「海程」もその点は変わらないと思います。違いはそのシステムを運営する動機が、主宰者の恣意や経営的判断か、それとも文学的確信・良心に基づいているかの違いでしょう。その責任はすべて編集長(主宰)が負います。

【広告】第42回現代俳句評論賞募集

 現代俳句協会では、かねてより現代俳句評論賞を制定し、俳句に関する評論を広く公募しております。

 協会員に限らず、現代俳句を志向する方たちのご応募をお待ちしております。


選考委員 現選考委員は下記の通りです。

五十嵐秀彦、大井恒行(豈同人)、髙野公一、高橋修宏(豈同人)、橋本 直(豈同人)、林 桂(五十音順)


応募規定

1,応募は四百字詰め原稿用紙で本文30枚(12,000字)以内とする。

2,既発表作品で、前年または前々年の俳句総合誌等に発表された評論も四百字詰め原稿用紙30枚(12,000字)以内とする。

3,単行本は対象外とする。


応募方法

作品とは別の原稿用紙に、氏名・年齢・住所・電話番号・俳歴を明記のこと。

作品原稿の右下に必ずページ番号を記入のこと。

なお、応募原稿は返却しません。


応募資格

一切、制限がありませんが、応募は一人一編とする。


整理費

2,000円(定額小為替同封または現金書留にて)


締切

令和4年3月31日(必着)


発表

会員誌『現代俳句』等に受賞作品を発表。


顕彰

賞状および賞金十万円


表彰式

令和4年11月12日(土)第59回現代俳句全国大会(福岡)席上にて。


投稿先

〒101-0021 千代田区外神田6-5-4偕楽ビル外神田7階

現代俳句協会宛

※封筒に「評論賞応募作品在中」と朱記して下さい。

2022年1月14日金曜日

第175号

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第二(11/26) 杉山久子・神谷 波・ふけとしこ
第三(12/3)山本敏倖・曾根 毅・花尻万博
第四(12/10)小林かんな・松下カロ・木村オサム・夏木久
第五(12/17)中西夕紀・浅沼 璞・青木百舌鳥・中村猛虎・なつはづき
第六(眞矢ひろみ・岸本尚毅・小沢麻結・下坂速穂・岬光世)
第七(12/31)依光正樹・依光陽子・渡邉美保・辻村麻乃・網野月を
第八(/14)井口時男・小野裕三・関根誠子・田中葉月


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【抜粋】 〈俳句四季1月号〉俳壇観測228 馬酔木一〇〇周年――馬酔木と新興俳句

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18 『ぴったりの箱』論/夏目るんり 》読む

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…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
1月の執筆者 (渡邉美保)

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…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子



筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。

■連載【抜粋】 〈俳句四季1月号〉俳壇観測228 馬酔木一〇〇周年――馬酔木と新興俳句  筑紫磐井

 馬酔木創刊一〇〇周年記念号

 馬酔木十月号は馬酔木創刊一〇〇周年記念号であった。本来これに合わせて馬酔木一〇〇周年記念大会が開かれる予定であったがコロナのために延期。四年の一月二九日に開かれる予定となった。

  (中略)

 ・・・一〇〇周年記念号は比較的世代の若い作家による評論が多く載せられた。これを踏まえると馬酔木百年の歴史的意義が浮かび上がってくるのが特徴だ。

 その最大のポイントが、馬酔木と新興俳句との関係である。今井聖、坂口昌弘、筑紫磐井がこの問題に触れ、高野ムツオも紹介しているが、実はこれが今後の論争の種となる問題を多く含んでいるのだ。


新興俳句論争

 今井聖は「「新興俳句」は「花鳥諷詠であった」で現代俳句協会の『新興俳句アンソロジー・なにが新しかったか』について、「新興俳句」の中に、秋桜子、楸邨、波郷を含めていることを批判している。「虚子が秋桜子の主観よりも素十の客観写生の方に組みしたのが「ホトトギス」離脱のきっかけとなったのであるから秋桜子は「新興俳句」の初動を担ったとまずは考え、ならばそこに所属した俳人も「新興俳句」の俳人として考えてもいいという理屈である」と解説し、また高野ムツオが〈頭の中で白い夏野となつてゐる〉を馬酔木で取り上げたことから秋桜子自身が季題と次元を異にした発想を肯ったと理解し、これに対し「二人の論旨の展開はかなり強引に感じられる」と裁断している。

 一方、坂口昌弘は「秋桜子と「馬酔木」の系譜は新興俳句に括ってはいけない」という長い題で、「「『現代俳句大辞典』では「新興俳句」について「「『ホトトギス』から『馬酔木』の独立したことに伴い新しい俳句運動が起こり、これを新興俳句(金子杜鵑花の命名という)と呼んだことに由来する」「秋桜子が無季俳句批判を行い新興俳句運動から離脱したとされている」と筑紫磐井は書く。川名大は『戦争と俳句』で「馬酔木」を新興俳句誌としている。しかし秋桜子が新興俳句運動を始めたことやその運動から離脱したという事実は全くない。」と述べる。

 これに対し高野ムツオは「百年の重み」という祝辞風の文章で(秋桜子からは)「新興俳句や人間探求派がなど生まれ、戦後、社会性俳句、前衛俳句そして伝統回帰や俳諧性の主張など、多用な俳句の流れが生まれたきっかけといえましょう」と淡々と述べている。

     *

 要は、秋桜子や馬酔木は新興俳句であったのかどうかという歴史的評価が今もって定まっていないのである。しかしこれは、評価という価値観以前の事実の検証がない為もある。

 実は、昭和九年頃までは新興俳句は自由律俳壇で使われていたようである。俳壇一般に普及したのは昭和一〇年になってからである。

 特に注目したいのは、加藤楸邨の評論で、「新興俳句批判(定型陣より)」(俳句研究昭和一〇年三月号)、「新興俳句の将来と表現」(俳句研究同四月号)、「新興俳句運動の誤謬」(馬酔木同一〇月号)、「新興俳句の風貌」(馬酔木昭和十一年一月号)と新興俳句の論争は一手に加藤楸邨が引き受けている。それも決して新興俳句に批判的ではない。最も特徴的なのが「新興俳句の風貌」で、ここで楸邨は新興俳句作家として九名を上げ作品を紹介しているが、その筆頭に水原秋桜子と山口誓子をあげているのである!

 面白いのは昭和十一年で、この年刊行された単行本の宮田戌子編『新興俳句展望』で「新興俳句結社の展望」(藤田初巳)と「新興俳句反対諸派」(古家榧子)が載っているが、「新興俳句結社の展望」ではその筆頭に「馬酔木」が、「新興俳句反対諸派」ではアンチ新興俳句の「新花鳥諷詠派」として秋桜子と誓子を上げている。一冊の本の中でのこの混乱が、新興俳句をめぐる当時の混乱を如実に示しているようである。因みに、今井聖が新興俳句を花鳥諷詠としているが、古家の方が今井よりはるかさきに秋桜子と誓子を花鳥諷詠派と断じている。ことほど左様に、根拠もないラベル貼りは虚しいものである。

 このようなことになるのは新興俳句には確とした意味がないということである(これは新興俳句の批判をしているのではない。言語一般に通じて言えることであるが、言葉の字面は変わらなくても意味は時々刻々と変わって行くと言う事実だ)。関東大震災の直後、復興、再興、そして新興という言葉が生まれた。小説、戯曲、芸術、国家論、そして短詩型まで次々と新興は生まれた。今日の新興は明日の新興ではなかったのだ。昭和一〇年に水原秋桜子も馬酔木も間違いなく新興俳句であった。昭和十一年から次第に怪しくなって行く。これさえ分れば、馬酔木誌上の議論は解決が付くはずなのである。

(以下略)

※詳しくは「俳句四季」1月号をお読み下さい

第45回現代俳句講座質疑(3)

45回現代俳句講座「季語は生きている」筑紫磐井講師/

1120日(土)ゆいの森あらかわ 

 (承前)前回と重複する話題もあり、ややくどいと思われるかもしれないが、補足して読んでいただければ、二人の意図もわかりやすくなると思う。

 

【赤羽根めぐみ氏】筑紫先生は「一月の川一月の谷の中」について、龍太の表現の特色

・句末の「〜の中」

・愛用の言葉「一月の〜」

・反復繰り返し「〜の〜の」

のトリプル効果で「内容以上に形式が重い句」、そして「内容から言えば、むしろ無内容」と述べられています。

 

【筑紫】私が、

・句末の「〜の中」

・愛用の言葉「一月の〜」

・反復繰り返し「〜の〜の」

と述べたのは、この句は構造分析をするのに向いていると考えたからですが、結局この句が構造的な俳句であることを述べたかったのかもしれません。龍太に構造的な俳句を作る意図があったとすれば、その流儀は兜太の造型俳句と全く異なっていたということはできないかもしれないと思うのです。

 

【赤羽根めぐみ氏】同時に、題詠から生まれたことも大事なポイントになっています。

 

【筑紫】一月の川の句が題詠でできたかどうかは、「箒木に」「滝落ちて」の句と違ってはっきりはしていないと思いますが、その発想形式から行って題詠に分類したものです。題詠行為そのものより、題詠構造を利用して俳句を作る、これも造型俳句の一種と言えるかもしれません。

 同じ伝統派とされる能村登四郎(どちらかというと、草間時彦と並んで当時の伝統俳句の理論的主柱でしたが)が、兜太の造型俳句論のはるか以前に、龍太俳句に造型的手法を指摘していました。我ながらいい指摘だと納得したものです。

 

【赤羽根めぐみ氏】形式で考えるならば、取り合わせの一句なのかなと考えました。

 

【筑紫】繰り返しになりますが、取り合わせと考えるとこの句は「現代俳句」ではなくなってしまうように思われます。現代俳句作家で、作る際に取り合わせを考えている人はどれくらいいるのでしょうか。結果的に取り合わせになっているように見えるかもしれませんが、それは作者の動機とはなっていないのではないかと思います。

 

【赤羽根めぐみ氏】それではなぜ、「季語は生きている」という季語についてのご著書の中で(しかも第二章の最後の一行で)この一句が取り上げられているのか。

 

【筑紫】題詠では、季題の題詠が重要な要素をなしています。それは、歳時記・季寄せや季題別句集(江戸時代の句集は大半がこれでした)と密接に関係しているからで、季題が題詠の不可欠要素をなしていたと考えるからです。ホトトギス派(これも実は近・現代俳句派の一種です。徹底した季題題詠俳句を完成したのですから)もこの考え方に従っています。

 ホトトギス以外の現代俳句派にあってはそうした桎梏はないはずなのですが、不思議なことに俳句入門書では相変わらず季題による俳句の詠み方が説かれる入門書が多いようです。現代俳句だから自由に詠めばよいわけなのですが、なぜか俳句の詠み方を説明するときに、季題や題詠に引きずられています。こと季題季語については現代俳句も、一部を除いてほとんどホトトギス派に帰順したように見えます。その意味では虚子は偉大であったのでしょう。

 学校で詩を書く授業の時に先生は思ったことを自由に書きなさいと言います(実はこれがとんでもなく難しいのですが。実は生徒は何も思っていないからです。がそれはそれとして)。ただ俳句の授業になると、思ったことを自由に書きなさいと言いません。これって何かおかしいですよね。そこに俳句の秘密があるというのが私の発見です。

 実はもともと俳句は思ったことを自由に詠んではいけない文学なのです。俳句は題詠でまず詠まなければなりません。これが第一歩です。しかし、題詠では変り映えしない、新しいものが読めないと感じた時に、俳人は桎梏の外側に出ます。しかし完全に詩の世界に入ってしまっては、俳句のアイデンティティが保たれません。何人かの作家は、ぎりぎりの線を行くことを選びました。だから「一月の川」の句は厳密には題詠の句ではありませんが、題詠の方法論を十分に使った現代俳句となるのでしょう。それで何なのかと言えば、実は未だかつて誰もやったことのない新しい俳句がここに生まれます。ですから、題詠が重要なのでもなく、取り合わせや一物仕立てが重要なのではなく、「未だかつて誰もやったことのない新しい俳句」であることが重要なのです。

[補足]題詠の本質や連作との差異については、次回赤野さんへの回答の中で触れたいと思います。

 

【赤羽根めぐみ氏】それを《本質的類想句》と筑紫先生は書かれていますが、例えば山本健吉のようにあえて言葉にしなくても、季語「一月」の一物仕立ての句として存分に味わい尽くされているからではないかとも考えました。

 この句で季語「一月」を語るには、実際「川」と「谷」しか存在しません。しかし、作者の居住地とか経歴とか、もっと言えば作者名、それらが無くても、読む人の心に届く一句ではないかと私は考えます。

 

【筑紫】おっしゃる通りですが、何もなくても「読む人の心に届く一句」とするためには、実は「何が必要なのか」を深く考えてみる必要があるように思います。「川」と「谷」しか存在しないように見えますが、実はそこに構造(ないし構造を引き寄せる意識)が存在していると思います。逆説的になりますが、実は、「川」も「谷」もなくても構造(意識)さえあれば俳句は存在するのではないかと考えます。「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮」には花も紅葉もありませんが、それを許容する構造があります。

 

【赤羽根めぐみ氏】筑紫先生はご著書『飯田龍太の彼方へ』で、こう書かれています。

 

「龍太の俳句について言えば、もちろん龍太の世界を写していることも重要なのだけれど、それが読者の世界をも写せているかどうかが一流の作品かどうかを決める分かれ道だろうと思うのである。もし「一月の川」の句に読者の自然観、文学観が見えてきたとしたらーそれで初めて十分に現代を代表する名句と成り得てゆくわけである。」

 

 一物仕立てか、あるいは取り合わせか、はあくまでもきっかけで、この二択で答えが出る句ではないと重々承知し、かつ支離滅裂で申し訳ありません。

 「一月の川一月の谷の中」は私が最も尊敬する一句で、実作者としても読者としてもこの一句で磨かれたい思いがあります。

 どうぞよろしくお願いいたします。

 

【筑紫】「一月の川」の句が名句であるのかどうかは、実は未だに私にもよくわからないのです。「名句」って何でしょうか。ただ、この句ほど俳句とは何かについて考えさせてくれる現代俳句はないと思います。少なくとも私に、『飯田龍太の彼方へ』をこの一句だけで書いてみる気にさせてくれた記念すべき句であります。この句について考えることは、現代俳句を間違いなく豊穣にしてくれると思います。

 (多彩な質問をありがとうございました。私自身も頭を整理する事が出来ました。実はこの講演と質疑の直後、「俳句」1月号の新春対談に臨み、高柳氏から私の考え方に対する批判を受けております。新春対談なので余り突っ込んだ議論とはなっていませんが、赤羽根さんとの質疑を見ていただければ少し私の言いたかったことをご理解いただけるかもしれません。特に、将来を展望する座談会ではありましたが、「一月の川」の句が結構重要な話題となっております。現代俳句を論ずるにあたって最も重要な句であることが浮かび上がってくると思います)。

【予告】第6回芝不器男俳句新人賞 募集!

 第6回芝不器男俳句新人賞の募集を開始いたします。


〈募集内容〉

・応募者が創作した俳句 100句。

・既発表句でも可。ただし、平成29年(2017年)12月1日以降に発表した句で、著作権を他に譲渡していないものに限ります。1作者1応募に限る。


〈応募資格〉

・昭和56年(1981年)4月1日以降生まれの方。


〈募集期間〉

・令和4年(2022年)1月20日(木)~令和4年(2022年)2月28日(月) 17時


〈選考委員〉

・城戸朱理 齋藤愼爾 対馬康子 中村和弘 西村我尼吾 ・(特別賞)関悦史

〈賞〉

芝不器男俳句新人賞     1名  賞状、賞金30万円、副賞 

奨励賞(選者名を冠する賞) 5名  賞状、賞金5万円

特別賞           1名  賞状、賞金5万円


詳しい応募様式・募集条件等は芝不器男俳句新人賞ホームページを参照。

〈問合わせ先〉 芝不器男俳句新人賞実行委員会事務局 E-mail/ office@fukiosho.org  

【新連載】北川美美俳句全集8 

【解説】

  このブログがアップされる日は、北川美美の1周忌に当たる。

 「豈」の北川の作品をすべて見終わったところで、次は「俳句新空間」の作品を掲げようと思ったが、忌日を偲び、すこし北川の「豈」以前を、あるいは「豈」以外の作品を紹介しておきたい。

 「『21世紀俳句選集』より」は俳句新空間第6号に掲載された、過去の作品分である。いつからの作品なのかはわからない。北川の精選十句集になる。

 これ以外で、「週刊俳句」「詩客」「俳句四季」(Y子は吉村鞠子ではないかと思う)に発表した作品も掲げた。

 この外に「面」に発表した作品があるはずであるが、これはまだ調べていない。読者で北川の作品を見たことのある方がいらっしゃればご連絡いただきたい。「豈」では次号で北川の特集を考えているのでその資料としたいと思っている。

 

北川の、筆者への最後のメールは事務的な連絡から始まっている。

 

2020/12/16 () 11:12

筑紫さま

 すぐに回復したようで何よりです。

 永らくご無沙汰してますが病状が良くありません。7月末に急変し8月の一か月を慈恵に入院し退院後療養に努め新たな治療に通院したのものの10月末から再び急変して間に合わず地元の病院に入院。現在も入院中で2ヶ月経過しましたが嘔吐、腹水を繰り返し回復せずにいます。

 ご連絡できず申し訳ありません。

 詳しい病状を伝えたのは筑紫さまのみです。

 余命はわかりませんが良くないことは確かです。

 皐月句会は携帯から設定しています。万が一連絡不能になっても難しい設定ではありません。千寿関屋さんもいらっしゃるので安心していますが。 

 ひとまずご連絡まで。

 状況が良くなったらまたご連絡します。

                            北川美美」

 

 内容は、北川が開設した「皐月句会」(千寿関屋さんの協力を得て開設できた)の不具合の問い合わせに対する回答である。つまらないメールで煩わせてしまったと後悔している。

 北川の病床は、こんな近況であった。「余命」の言葉が重い。そして、状況は良くならなかった。このメールから1か月で北川はなくなっている。

 

●俳句新空間第6号 『21世紀俳句選集』より

 

夏野から去年の返事を待ちわぶる

光茫の夏野に誰も入るまじ

夏の野に赤い眼をした犬をみた

濁流や夏野の脇をとほりけり

割れたての石の息吸う夏野かな

父に似た夏野に寝転ぶ日暮まで

夏野にて空の淋しさ見てゐたり

やはらかき夏野に鎖あずけおく

夏の野のうねりにおろす櫂ひとつ

水のある星が生まれて夏野あり

 

●週刊俳句 2013-09-29

さびしい幽霊   北川美美

 

満月に少しほぐしておく卵

少女らの中に美少女金木犀

まぼろしの大木をのぼる蔦かずら

さびしいとさびしい幽霊ついてくる

(にわとり)を乳白色に煮て白露

肉塊入スープ澄みゆく秋は金

幽霊も頬被りして踊りの輪

露吹かれこぼれて消ゆる故郷かな

鹿革は江戸好みなる温め酒

抜歯するほかに手はなし秋の暮

 

●詩客:20130222 

信濃    北川美美

 

いつせいに穴開けにゆく氷結湖

穴釣や箱椅子に座す箱男

一卓は飲食のため寒稽古

風花や水底の文字読んでゐる

氷柱から氷柱の伸びて信濃かな

薪あらば鉈置いてある霜夜なり

割つて出る魑魅言霊寒卵

寒鯉の骨まで太つてしまひけり

公魚のからだ虹色暮なずむ

如月の湖底の水は凍らざる

白鳥の舟揺れはじむ雨水かな

 

●俳句四季 2019年9月号

 Y子忌 北川美美

 

ひとたまと数ふる玉菜重かりき

襞あらば影なすひかり白シャツの

恐ろしく尖る鉛筆青嵐

一瞬の闇長かりし新樹光

夏蜜柑ほんたうはまだ海辺にゐ

十薬の上を弄れば爪に土

夜夜を雨と十薬照らされし

桜桃の種を押し出す舌の先

曲線の繰り返しつつ半夏生

夕立の匂ひ太古へさかのぼる

夏の夜の耳の後ろに道のあり

螢火やホの文字川に溢れ出す

打水の飛沫に消ゆる人のあり

夏の雨肌理の勾配伝ひゆく

胸の上で手を組む眠り明易し

投げ入れし紅花積もるY子の家

【連載】澤田和弥論集成(第6回-7) 

(7)澤田和弥の最後とはじまり

                    筑紫磐井

 「狩」の同人遠藤若狭男が27年(2015年)1月に俳句月刊雑誌「若狭」を創刊している。遠藤は、若狭、つまり福井県の出身の人で、早稲田大学を出て学校の教師をしていたが、若くから詩や小説など多角的な活動をしていた。同じ早稲田の先輩である寺山修司の心酔者でもあった。

 ところでこの「若狭」に澤田和弥は創刊同人として参加しているのである。遠藤が、早稲田の先輩であり澤田が大学院在学中に所属した早大俳研の指導顧問であり、寺山への共感者ということが澤田参加の大きな動機となったのであろう。「若狭」へは、遠藤との個人的つながりだけで入会したのではないかと思う。従って入会の経緯はこの二人しか知らない。しかも、入会の年に澤田はなくなっているから、俳句の発表も僅かである。1~4月号と6~7月号であり、7月号で逝去が告知されている。

 特筆すべきは1~4月号まで澤田は「俳句実験室 寺山修司」(1頁)を連載していることである。むしろこの文章を執筆するために「若狭」に入会したと言ってもよいかも知れない。継続した澤田の文章としての最後のものと言うべきであった。やはり澤田の最後の思いは寺山にあったというべきであろう。

 この間の事情を知りたいと思ったが、何と言うべきであろう、遠藤若狭男自身は30年(2018年)12月に亡くなり、「若狭」も廃刊されてしまったから、伺う手がかりもない。ほとんど時期を一緒にして亡くなった師弟は寺山つながりだけで我々のもとに「若狭」という資料が残っているのだ。

 「俳句実験室 寺山修司」は寺山の一句鑑賞であるが、


豚と詩人おのれさみしき笑ひ初め 寺山修司(29年)

目つむりて雪崩聞きおり告白以後(30年)

十五歳抱かれて花粉吹き散らす(50年)

父を嗅ぐ書斎に犀を幻想し(48年)


など僅かこの4句を鑑賞し、「俳句実験室 寺山修司 第四幕」は終了している。翌五月号では編集後記で遠藤は「好評を博している「俳句実験室 寺山修司」の著者である澤田和弥氏が体調を崩されてやむなく休載となりました。一日も早い回復を願っています。」と告知している。俳句も五月に欠詠し、六月に復詠している。文書を書く気力は蘇らなかったようである。7月に最後の俳句作品(七句)が載せられている。


冴返るほどに逢ひたくなりにけり  澤田和弥

菜の花のひかりは雨となりにけり

白梅を抱き締めている瞼かな


 「若狭」三月号では寺山の「十五歳抱かれて」の句を取り上げて鑑賞している。高校時代の作品として掲げられる『花粉航海』が実は四〇歳を過ぎてからの作品(つまり「新作」)を多く載せていることが巷間知られているが、それでも澤田はこの句を寺山の「未刊行」の句ではないかと推測する。それは十五歳という年齢が寺山の創作活動のスタートに当たるからだ。真実は寺山本人しか知らないが、そのように読み解く澤田の心理は分からなくはない。

 そしてこの鑑賞を読むと、澤田の「白梅」の句と構造が似ていることに気付く。澤田のこの最後の句を寺山に重ね合わせると、澤田の俳句人生のスタートとも見えてくるのだ。

 澤田の『革命前夜』は決して全共闘世代の革命とは違うようだ。どこか「革命ごっこ」が漂う。それはしかし寺山にも似てはいなくはない。革命よりは革命ごっこの方が一般大衆には分かり易いのだ。革命前の露西亜のプーシキンは、革命と革命ごっこを行きつ戻りつした。革命史『プガチョーフ反乱史』と革命期の恋愛小説『大尉の娘』を同時並行して執筆した。『プガチョーフ反乱史』(この書名はロシア皇帝ニコライ一世の命名になるという)は革命家にとっての教科書となった、しかし一般大衆に愛されたのは『大尉の娘』だった。

      *

 澤田から生前、句稿が送られてきている。『革命前夜』(2013年刊)収録の後、角川俳句賞に応募して落選した「還る」(2011年)「草原の映写機」(2013年)「ふらんど」(2014年)、第4回芝不器男俳句新人賞に応募した無題の100句である。『革命前夜』後の澤田和弥を語るのに決して少ない量ではない。『革命前夜』で「これが僕です。僕のすべてです。澤田和弥です。」といった、「これ」以後の澤田和弥――新しい「これ」を我々は語ることが出来る。我々自身について、我々は語ることが出来ない。なぜなら我々が提示する、「これ」が全てではないからだ。しかし我々は今や安心して澤田和弥を語ることが出来る。「これ」以外に澤田和弥はないからだ。ようやく澤田和弥を伝説として語ることが出来るようになっているのである。

句集歌集逍遙 池田澄子『本当は逢いたし』/佐藤りえ

  池田澄子といえば多くのひとが思い当たるであろう一句、「じゃんけんで負けて蛍に生まれたの」は平成元年発行の句集『空の庭』におさめられている。30年以上前の作品が今日の読者たちにも、とりわけ若者たちにも人気を博しているのは、結句「生まれたの」の口語が持つやわらかさだけでなく、輪廻転生という普遍的な句材を、しょうがないわよね、とでもいうように受容してみせる、格式張らない軽やかさに秘密があるように思う。

 そんな俳人・池田澄子のエッセイ集がでた。2011年からの十年間、新聞、俳句総合誌、上野のれん会の発行する雑誌「うえの」などに発表された60余編がまとめられている。多岐に渡る内容のなか、通奏低音として流れているのは、生と死が渾然一体となった「此処」を見つめ続けている視点である。

 池田の父君は第二次世界大戦の従軍先で戦病死している。この『本当は逢いたし』には、亡き父がさまざまなかたちで登場する。「いくら書いても気が済まない」(「八月」)のだ。師・三橋敏雄もたびたび登場する。人が死んだ後は無だとわかっているけれど、先生は大気に拡がったかのように、作品を書く自分を見ているのだという。ほかにもたくさんの人びとが登場する。戦争未亡人となった母、弟妹、孫、句友…。生まれ育った新潟のことや戦時下の女たちのやりとりなど、思い出が色濃い。

 生死は人間のことばかりではない。蚊や螢や猫、目白や鴉や、みめぐりの植物たちにも思いが到る。それら人間以外の存在の命にも、等しく思いが致されている。こう書くと何やら説法めいた大仰な命のドラマが繰り広げられているような誤解が生まれそうだ。そのようなことはなく、2~5ページのそれぞれの文は、池田の俳句同様に、格式張らない軽やかさで編まれている。

秋の蚊はしぶとい。一度近付くとなかなか傍を離れない。飛ぶというより浮かんでいるようで、ふわりふわりとしながら、共に今、この世に生きているのですヨー、と彼女は囁く。(「生き合う」)

 軽やかでありつつ、此の世という場所が本来「生」と「死」がまじりあったものだということを、本書はさりげなく伝えている。人は死んだら無だと思う、でも「彼岸」はあるだろうか、そこで亡き人が、痛みや苦しみから解放されていたらいいな、と思う。でも、自分が死んだら、そこには行かれないということも、わかっている。こうした大人の屈託が、ウェットでなく届けられるのは見事なことだろう。

 さまざまな人の思い出、今ある思い、「思っている」ということそのものが綴られていく。亡き人は書いているかぎり此処にある、という強い思いが溢れていて、胸を打たれる。行く川の流れは絶えずして、ではないが、現在が過去と未来のグラデーションの中に流動的に位置していることを、作者は強く意識している。

 そして、そうした思考を支えているのが俳句、ひいては言葉への弛まざる思いだ。天候、気候、人事、諸事から季語、ことばへと関心はひろがり、ことばのあらわすものごとと体感の齟齬を考える。書くということが、無数の書かざることの上にある。俳人池田澄子の創作の秘密がぽろぽろとはさみこまれている。なにをしていてもことばに思いが到る。実はこの一冊は、俳人の日々の思考を辿る書でもある。

 あれこれ書いたその上で、ファンが池田澄子を好きになってしまうのは、きっとこんなところなのだろうと思う。

 しっかりしなければならない。でも、キーッとせず、ほわーっと生きていたいのだ。(「その気になれば」)

 ほわーっとしながら、小さな、些細なものから、遠く広いことまで思いを馳せる。通年で折々開きたい一冊である。

『本当は逢いたし』(日本経済新聞出版/2021)

第20回皐月句会(12月分)[速報]

投句〆切12/11 (土) 

選句〆切12/21 (火) 


(5点句以上)

9点句

スケートや老先生が風の如(西村麒麟)

【評】 いかにも軽やかな詠みようで、老先生が少年のように滑っているようすが想像されました。──青木百舌鳥

【評】 ありそうで楽しい句だと思いました。風を纏って若者の間を縫い颯爽と。スケートだから可能ですね。──小沢麻結

【評】 老先生なればこそ、比喩が生きる。──仙田洋子

【評】 痩せた老先生の軽々とした動きが見えるようです。──渕上信子


7点句

おでん鍋それとも沖の沈没船(松下カロ)

【評】 「それとも」で結ばれる事物が意外なかけ離れ方をしており、興味深い作品。──妹尾健太郎

【評】 おでん鍋と沖の沈没船をそれともで繋ぎ、あとは読み手のイメージに委ねている。まさに二物衝撃。背後に詩的物語性を感覚。──山本敏倖


6点句

予後すこし兎のしっぽ狐のしっぽ(望月士郎)

【評】上五のリアリティから中七下五のメルヘン的な言葉のあしらいが変っている。──依光正樹


妹は大きく強し南瓜切る(渕上信子)


5点句

安全と第一のあひだに十字冬の月(中山奈々)


恙なく水飲んでゐる冬の虹(田中葉月)


去年今年おほきな話する自由(佐藤りえ)

【評】 去年今年なればこそ、「おほきな話」も許される。──仙田洋子

【評】 使用している語彙(「去年今年」、「おほきな話」、「自由」)はどれも抽象的だが、そのつながりの中で、大晦日の夜にふさわしいでリアリティが生まれる。「去年今年」は、ちまちました写生や、湿っぽい情感を言わなくてもいい季語なのである。来年こそ大ぶろしきを広げて、どこまででもはばたこう。そうです。来年こそ自由に。──堀本吟


酒器の絵も我も沈めて濁り酒(内村恭子)


銀漢をぬけてこれより眞神の邦(真矢ひろみ)


(選評若干)

猛犬を少女制して冬至る 2点 松下カロ

【評】 こういう場面に出会うと、この少女を尊敬したくなる。立冬のある種のピリッとした空気管によく似あっている。──堀本吟


綿虫やぼろぼろなれど美味き店 4点 西村麒麟

【評】 貧相な店に入ろうとしたら綿虫が付きまとう、入って見たらすごくおいしいうどんなどが出てくる。そんな店は確かにある。「綿虫」と「ぼろぼろ」がうまく付いていて、かえって食通のぜいたくさの感じすら醸し出す。──堀本吟


頬ずりをしても亡骸花八手 4点 仙田洋子

【評】 亡くしたのは、近しい人か、愛玩の生物か。八ツ手の花には死の心象が重なる、と云われると慥かにそのような気がして来ます。ベニテングタケよりは清楚だけれども葱坊主よりも禍禍しい、というくらいの立ち位置の、面妖な趣を具える花ですね。──平野山斗士


ジャンケンの順より沸す湯婆かな 1点 松代忠博

【評】 寒かった学生寮を思い出しました。──渕上信子


十二月象より猫のやうなこゑ 4点 中山奈々

【評】 聞いてみたい。寒くなると出す声なのか。──仙田洋子


巨大観音わがままな顔冬の空 2点 岸本尚毅

【評】 「わがままな顔」というのが面白い。──渕上信子


霜晴の手紙を待つてゐる時間 4点 依光正樹

【評】 なんてキラキラな時間──依光陽子


蕪村忌の写真に子規と虚碧かな 2点 渕上信子

【評】 近代俳句の黎明期、正岡子規は芭蕉ではなく蕪村を評価した。

蕪村忌に、子規とその弟子虚子碧悟桐の三巨人の写真を置いたところ、意図が分かりすぎるところが大胆である、と感心した。固有名詞がこれだけ並んでいても押しつけがましくないのは、当たり前すぎてかえって無意味な説明であることと、むしろ意味を離れて、音韻の移りから生じるリズムが軽快だからだろう。K音のつながり、S音のアクセント、そん(Sonー村)、しん(Sin-真)、し(Si-子)と、SとN音の流れ方。これらを上手く配列している。誰だろう?この句の作者。わかる気もするが。──堀本吟


天金の書を閉づ水鳥眠る頃 3点 渡部有紀子

【評】 読んでいる時は、本の小口に金箔が塗ってあることを忘れているが、閉じると気が付く。羽を閉じて眠る水鳥もまた、羽ばたいている時は、その羽の模様や艶めきを忘れている。この両者の映像の取り合わせが美しいと思った。──篠崎央子


父の忌のゆりかもめの眼怖ろしく 4点 依光正樹

【評】 凄みのある句。──仙田洋子

【評】 あの無機質な眼差しは心底おそろしい 父の忌と相性よし ──真矢ひろみ

 

空色の積み木放さぬ枯野かな 3点 田中葉月

【評】 子供が積み木を握りしめて離さない。枯れ一色の野原のとおくに見えているの小さな空の欠片のような色をしている。この二つの空色の取り合わせで、冬の詩情をあら和下、自然の美しい冷たいひろがり、そして暖かい交感の一場面。──堀本吟


鍋に詰め白菜豚肉花の如 1点 小沢麻結

【評】 比喩が素晴らしい。──仙田洋子


終の恋見たなとすさぶ雪女郎 2点 堀本吟

【評】 雪女郎の様々な小説・伝説を踏まえての巧みな完全創作物語。雪女郎に終の恋などない。春となればその冬のことなど忘れ去り、次の冬は新しい恋が始まる。──筑紫磐井


一徹の父も和らぐ寒灸 1点 松代忠博

【評】 激しやすい星一徹の父もまた激しやすい人だったのだろうか。そんな人さえ和らぐ寒やいとは、痛むところを持つ父が弱みを見せる一時なのだろう。──佐藤りえ


駝鳥舎と冬木越しなる直売所 1点 青木百舌鳥

【評】 駝鳥の玉子を売っているかもしれない。──中山奈々