【俳句新空間参加の皆様への告知】

【ピックアップ】

2021年5月28日金曜日

第161号

   ※次回更新 6/11


豈63号 発売!購入は邑書林まで

俳句新空間第14号刊行!*

【転載】俳句時評特別寄稿 追悼北川美美 「詩客」10年と北川美美の死


【新企画・俳句評論講座】

・はじめに(趣意)
・連絡事項(当面の予定)
・質問と回答
・テクスト/批評 》目次を読む

【新連載・俳句の新展開】

句誌句会新時代(その一)・ネットプリント折本 千寿関屋 》読む
句誌句会新時代(その二)・夏雲システムの破壊力 千寿関屋 》読む
ネット句会の検討 》読む
俳句新空間・皐月句会開始 》読む
皐月句会デモ句会結果(2010/04) 》読む
皐月句会メンバーについて 》読む
》第1回(2020/05) 》第2回(2020/06)
》第3回(2020/07) 》第4回(2020/08)
》第5回(2020/09) 》第6回(2020/10)
》第7回(2020/11) 》第8回(2020/12)
第11回皐月句会(3月) 》読む
第12回皐月句会(4月)[速報] 》読む

■平成俳句帖(毎金曜日更新) 》読む

令和三年春興帖

第一(4/23)のどか・大井恒行・夏木久
第二(4/30)仲寒蟬・曾根毅・坂間恒子・岸本尚毅
第三(5/7)前北かおる・渕上信子・辻村麻乃
第四(5/14)青木百舌鳥・山本敏倖・堀本吟・中村猛虎
第五(5/21)杉山久子・網野月を・木村オサム・ふけとしこ
第六(5/28)妹尾健太郎・望月士郎・眞矢ひろみ・神谷 波


■連載

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ (10) ふけとしこ 》読む

中西夕紀第四句集『くれなゐ』を読みたい
インデックスページ 》読む
17 ゆとりの句集/永井詩 》読む

英国Haiku便り[in Japan]【改題】(21) 小野裕三 》読む

篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい
インデックスページ 》読む
14 内側の視線と外側の視線/浅川芳直 》読む

中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい
インデックスページ 》読む
16 中村猛虎句集『紅の挽歌』/鈴木三山 》読む

なつはづき第一句集『ぴったりの箱』を読みたい
インデックスページ 》読む
18 『ぴったりの箱』論/夏目るんり 》読む

【抜粋】
〈俳句四季5月号〉俳壇観測220
隔離と差別の悲劇――一年を経過してコロナを考えてみる
筑紫磐井 》読む

ふけとしこ第5句集『眠たい羊』を読みたい
インデックスページ 》読む
11 『眠たい羊』の笑い/小西昭夫 》読む

加藤知子第三句集『たかざれき』を読みたい
2 鑑賞 句集『たかざれき』/藤田踏青 》読む

眞矢ひろみ第一句集『箱庭の夜』を読みたい
インデックスページ 》読む
11 鑑賞 眞矢ひろみ句集『箱庭の夜』/池谷洋美 》読む

『永劫の縄梯子』出発点としての零(3)俳句の無限連続 救仁郷由美子 》読む

句集歌集逍遙 なかはられいこ『脱衣場のアリス』/佐藤りえ 》読む

葉月第一句集『子音』を読みたい 
インデックスページ 》読む

大井恒行の日々彼是 随時更新中! 》読む


■Recent entries

特集・大本義幸追悼「俳句新空間全句集」 筑紫磐井編 》読む

【100号記念】特集『俳句帖五句選』

渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい 
インデックスページ 》読む

佐藤りえ句集『景色』を読みたい 
インデックスページ 》読む

眠兎第1句集『御意』を読みたい
インデックスページ 》読む

麒麟第2句集『鴨』を読みたい
インデックスページ 》読む

前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井
インデックスページ 》読む

麻乃第二句集『るん』を読みたい
インデックスページ 》読む

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉜ のどか 》読む

「WEP俳句通信」 抜粋記事 》見てみる

およそ日刊俳句新空間 》読む
…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
5月の執筆者 (渡邉美保

俳句新空間を読む 》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子








「兜太 TOTA」第4号 発売中!


筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。 

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(10)   ふけとしこ

    この庭も

雨上るげんげんの莢若くして

岩肌に指休ませてゐる蜥蜴

クローバーに投げ出してある捕虫網

ひとことをためらふやうに百合開く

団子虫転がればこの庭も夏

     ・・・

  木枯一号可盃の穴と底  川嶋一美


 この季節に木枯の句でもないのだが「ああ、可盃!」と何とも懐かしくなったものだから。

  先頃出版された川嶋一美第2句集『円卓』に見つけた1句である。「可盃」はベクサカズキと読む。

 俳句を始めたばかりの頃、友人に誘われて陶芸をやっていたことがあった。誘いに乗ったのは「土をいじってたら、いくらでも俳句が湧いてくるから、絶対やる方がいいよ」との甘い言葉のせいもあったが、手捻りに憧れていたこともあってのことだった。

 それを知った大先輩の呑兵衛氏がこう言った。

「ベクサカズキ焼いてくれへんか」

「ベクサカズキ? 何ですか、それ」

「猪口の底に穴が開いててな、その穴を指で塞いで酒を受けるんや」

「置いたら漏れてしまうんですね」

「そや、だから可盃って書くんや」

「つまり、呑むべく……ってことですか」

 やってみましょうか、ということで作ってみることにしたのだが、さて、猪口の大きさはともかく、穴の大きさというのが分からない。酒類の頂き物はさっさと飲める人へ回し、手元にあるのは料理用の酒だけという下戸揃いの我が家には、そんな盃を知っている者もいない。

 試作第1号は穴が小さくて釉薬で潰れてしまった。見事に失敗。見せたら呵々大笑。

「これじゃあ普通の盃やな」

 2号、3号と続けて、今度はちゃんと穴が開いた。渡すと、先輩は早速に晩酌で試してみて

「いやはや……あれは忙しいてかなわんわ」

 当り前だ。底抜けなのだから。どう考えても手酌で飲むのに使うものではない。

 もともとはお座敷遊びに使われていたらしい。私が作った物のように盃の底に穴が開けてあったり、独楽のような形で置けば転がるように出来ていたり……、とにかく受けた酒は飲み干さないと猪口を置くことができない、というものなのだから。

 ビールだったらさしずめ一気飲みのようなものだろうか。こんな盃で注がれるままに飲んでいたら、あっという間にへべれけになってしまうだろう。

 注文主は「沖」同人だった梅本豹太さん。何かとお世話になった恩人である。

  うららかに釈なにがしとなられけり 豹太

 今でも好きな一句である。

 あの盃がその後がどうなったのかはとうとう聞かずじまいのままだった。

(2021・5)

【中西夕紀第四句集『くれなゐ』を読みたい】17 ゆとりの句集  永井詩

 私は作者のおしゃれで個性的で勢いのある第一句集「都市」が大好きである。

 そして、詩情に溢れた第3句集「朝涼」のファンである。

 だから、「くれなゐ」を読んだ時は、少し物足らなかった。しかし読むうちに作者の人生への自信をバックにした、色彩豊かな、ゆとりの句集だと分かった。

 リズムよく、自然体でわかりやすい句が多い。作者の句は、描写力があるので、すすっと読み進めることから、最初は安易な判断をしてしまったことに気付いた。

 藤田湘子に学んだあとで、写生力を学ぶために、宇佐美魚目のもとに通った努力の賜物であろう。

 そして、句集「都市」を再び読むとあんなに好きだったのに物足らないのだ。

 すでに著名な方々が句評をかいていらっしゃるので、私は「蛇」「猫」「蜂」の句を取り上げたい。

 作者は帯文にも「小さなものたちの命に寄りそう」と書いている。上記の蛇、猫,蜂は作者の好きなものである。巳年生まれであり、猫を飼い、そしてなぜか蜂好きである。しかし残念ながら、蜂の句はなかったが。


  口開けて蛇抜け出でし衣ならむ

まるで作者が蛇になり、脱皮の時の蛇の思いに心を寄せているようだ。


  穴惑見しも秘事とす湯殿山

 湯殿山の決まり事と穴惑いの出現を面白く絡めている。縁起がよさそうだ。


  青大将逃げも隠れもせぬ我と

 人を見れば姿を消すはずの蛇が、なぜか大勢の人が通る横で、じーとしていた。作者はそういう蛇に対峙しているのだ。


  山楝蛇木を移らむと空飛べり

 流石、蛇好き!なんと珍しいシーンに出会えたのだろう。飛ぶことのできる蛇をたたえているようだ。


  蛇踏んで1日浮きたる身体かな

 浮きたるが曲者である。作者の蛇好き極めたりである。


  読む文に猫の居座る冬日和

 やれやれと言いながら、猫に話しかけている作者が見える。読む文という柔らかな言葉や、季語によって猫への深い愛情を感じる。


  金魚屋の猫の名前の悪太郎

 いやー本当ですかと言いたくなる。お笑いみたいである。猫のおやつは屑金魚?


  捨猫に日数の汚れ月見草

 哀れである。日数の汚れとあるから生まれたてではないだろうが、きりきりと心の痛む作者がいる。


  枯れを来て猫も話があり気なり

 猪突猛進の犬と違って、猫は思慮深げだ。

 その猫が枯れから現れると何か摩訶不思議なことを言いだしそうである。

 

 以前は、作者の句のイメージは、どちらかというと、女性というより中性的な句柄だという気がしていた。その点「くれなゐ」は作者の女性である面が出ていると思う。だから、少し雅で綺麗すぎるところもある。次回は進化し続ける句の中に、時事俳句や尖がった句やドロドロとした句も見たいと思う。

英国Haiku便り[in Japan]【改題】 (21)  小野裕三


クリスマスマーケットのHaiku

 今回は、ロンドン滞在中に出会った、イギリス人の書いた俳句の本をいくつか紹介する。最初に説明しておくと、イギリス人の作るHaikuには、多くの場合、それぞれの句にちゃんとタイトルが付いていることが多い。極端な場合には、俳句自体にほぼ匹敵するくらいの長さのタイトルが付けられていることも。「詩」作品にはタイトルがあるのが当然なので、Haikuもそう捉えられているのだろう。下記の引用句では、句の冒頭の括弧書きが句のタイトルである。

 一冊目に紹介するのは、クリスマスマーケットで見つけた本だ。近所の大きなショッピングモールで毎年開かれる小さなクリスマスマーケット。食品や雑貨を売る店が立ち並び、そんな雑貨店のひとつで、その句集は売られていた。書名は『触るのをやめて下さい…および猫によるその他の俳句』(ジェイミー・コールマン著)。本の中は猫の写真でいっぱいで、その写真に合わせるように俳句が配置される。つまり、句の詠み手は人間たちを観察する「猫」、という設定だ。

「触るのをやめて下さい」 あなたに触られるといつも / あちこちを舐めなきゃいけなくなって / 疲れるんだよね

「インターネット」 つまりあなたたちが / この壮大な代物を発明したのは / 僕らの写真のためってこと?

 二冊目の句集は、エディンバラの美術館で買ったもので、スコットランドでは名の知れた詩人の手によるHaikuらしい。書名は『郵便箱を通じて』(ジョージ・ブルース)。経歴を見ると六十代で俳句に出会い、その時に「俳句とは、麻疹のように広がる中毒であると発見した」と書き記す。

「笑い」 賢者の目の中に笑いがある / それは何を意味するんだいと私は訊ねた / 笑いだ、と彼は答えた

「惑星に生きる」 俳句の知恵 / 掴もうとするな / あなたの手から落ちたナイフを

 三番目の句集は、英国のAmazonで買ったもの。タイトルは『それがあなたたちが考えていることのすべてなの?』(ゴードン・ゴードン著)。

フランは飼い犬を愛していたけれど / 犬はウェールズ語しかわからなかった / 彼らは黙って歩いた

電車を二回乗り換えて最後は泳ぐ / クリフォードの新居からの / 通勤はひどいもんだ

 全般的に言って、日本語と英語の音韻構造の違いのせいで、英語で五・七・五の句を作ると大概は日本語より情報量が多くなる。だから英語で作られた俳句は、ちょっとした起承転結を持つことが多い。また、今回紹介した三冊とも、各頁に写真やイラストが満遍なく添えられているのは、スケッチ的な感覚で俳句が捉えられているからか。こうして見ると、五・七・五という形式を借りて独自に進化した「詩」という印象が強いが、このような英国版のHaikuもそれはそれで素敵な世界だ。

(『海原』2020年12月号より転載)

【篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい】14 内側の視線と外側の視線  浅川芳直

 角谷昌子氏の跋文は、棟方志功の女人画や縄文のイメージを重ねて本句集を読み解いている。故郷を力強く詠う作風や、叙法の上での力強さも併せて納得の指摘であった。筆者なりにこのイメージを言い換えると、地に根の生えた句、根無し草的ではない句、ということになるのではないかと思う。十七音の中に季題が入っていて、その距離感や言葉の言い回しが面白い、ただそれだけの作品ではない。主体と環境が相互作用する結節点としての一句と言おうか、それゆえに作者の境涯の香りもほのかに漂う作品が並んでいる。

 「根無し草的でない」という印象をもう少し突っ込んでいえば、自らのルーツへの意識が詠み手の輪郭を彫琢しているように思われた。その意識は故郷とそこに累代住まってきた血族、そこから家族、そして命全般へと広がりを見せるようでもあり、著者独自の探究の取り組みが窺われる。つまり「地」と「血」への意識を背景に「命」をとらえてゆく態度である。タイトルとなった〈火の貌のにはとりの鳴く淑気かな〉など、著者の師系を感じさせる生命諷詠の句と言えよう。

 「地」と「血」への意識を背景に「命」をとらえてゆく態度は句集刊行後、俳人協会新人賞受賞第一作「青の続き」(「俳句」2021年4月号、151頁)の第一句、

はうれん草血のざわざわと流れたる

にも作者の個性として保持されているようだ。

 標題について説明しておこう。「内側の視線」という言い方で意図したのは、故郷や先祖に対し、当事者としてずぶずぶ没入してゆくような視線である。一方「外側の視線」という言い方で意図したのは、日本の風土、生命の強さ等々に読み手が期待しがちなものが投影されたような見方である。曖昧な概念対であるが、読者を意識しすぎても、自己表現を意識しすぎても、どちらかに振れ過ぎると平凡あるいは奇怪になりやすいのは衆目一致するところだと思う。

 本稿は句集を内側・外側という二つの視線に着目しながら、印象的に詠まれる「地」と「血」への意識に目を向けたい。

 第一章をはじめ句集前半では「これでもか」というくらい外部の視線を意識した故郷の表象が勝っているようである。

開墾の民の血を引く鶏頭花

血統の細くなりゆく手鞠歌

 いずれも本州の郡部の実感として「いかにも」であると同時に、「まさしく」と共感を呼ぶ句と言えよう。季題もいささか劇的と言えるくらいに効いているが、絶叫というわけではない。読者の目を引く句である。どちらの句も自らの血統を直截に言って季題を配している。一句目の「引く」も二句目の「ゆく」も共に終止形と連体形が同形であり、季語にかかってゆくような感覚も起こさせる。鶏頭の赤に対する血、正月遊びに対する死者の記憶や生者への思いなし、これらはいささかわかりやすいくらい、共感を生む故郷詠だと思う。

 巧みに共感を引き起こす演出は、一歩引いて見ているからこそなせる技であろうか。肌でとらえる思いにならない思いや皮膚の感覚を外部の人にもわかりやすくキャッチーに命題化し、さらに俳句に組み込んでゆく。そのような意味で、「外部の視線」を感じる作品である。

 むろん、内側/外側という区別は絶対のものではない。たとえば

柿若葉先祖に詐欺師ゐるらしき

絡み合ふ神の系図や冬の雷

 「先祖に詐欺師ゐるらしき」「絡み合ふ神の系図」のようなあけすけな詠み方は、対象を卑近なものとして、飾らずに見なければ出てこない。そしてこれら自体は内側の人間の視線でなくては出てこなさそうな言い回しながら、柿若葉のつやつやした輝きも、冬の雷の鋭さも素材をべたつかせない、外部の人が心地よく一句を楽しめるだけの絶妙な配合である。上五の季題が仮に「葉鶏頭」であったらどうだろう。掲句のように昔語りとして「ふうん」と聞くくらいの態度としては読まれないはずだ。二句目の神々の系図の混乱具合にも、冬の雷、重たく降り積もった雪の寒さの中に突如走る雷の音が潔く、いかにも今まで気づかなかったのだ、という気分的な軽さが加わる。古い土地神を祀っている神社には祭神をあとからこじつけた神社も多いが、シニカルな視線もあるようで、「血縁・地縁にずぶずぶに入り込んでいるのではなく、一歩引いた態度をとっていますよ」という読者を引かせすぎない態度が見える。

 「マニュアルの範囲内で少しだけ冒険するのが楽しい」(「俳句」2021年4月号、150頁)と語る著者らしい、わかりやすく、また上手さもあり、共感しやすい作品が多い。

 この印象は、「地」と「血」という作者の好むごつごつしたモチーフの少ない第二章においても同様にある。第二章では、自然観照の深さ、描写の巧みさ、皮膚感覚、あるいはアニミズムなど、ますます俳句らしい妙味において、さまざまな者どもの命を描いている。取材の幅が広がり、技術的に目を引く句が多い。地と血に対する意識は一度背景に消え、のびのびとした魅力のある章だと思う。

石のこゑ木のこゑ蝌蚪の生まるらむ 

東京の空を重しと鳥帰る

溶岩の緻密なる影蠅生まる

さざ波の幾重を抱き白牡丹

破魔弓や我に向かひて波来たる 

 第一句の「こゑ」と第二句の鳥への感情移入、第三句の取り合わせ、第四句は水辺の牡丹か、感覚の冴えに目が覚めるようである。第五句、破魔弓が何か力を持っているかのような一句。

 歴史趣味的な作品として〈菖蒲田の合戦絵巻広がれり〉〈七夕や手擦れ少なき宇治十帖〉、臨場感のある〈ネックレスの不意に重たし夏の鴨〉〈かはほりや鎖骨に闇の落ちてくる〉、言葉の巧みさに唸らせられる〈空つぽになるまで秋の蟬鳴けり〉〈煮大根家は壁から老いにけり〉〈巻き戻る弾力に満ち初暦〉も挙げたい。

 これらの作品も、実体験として読者に読ませる内容ながら、かつ外側の視線に立ってわかりやすく、重くなりすぎずに、その場所や命を詠む……という巧さがある。

 しかし第三章になると、筆者のいう「内側の視線」の傾向が強くなるように思う。〈よなぐもり拷問具めく千歯扱き〉はいささか激しすぎるくらいの眼差し。「後半に進むに連れて草田男帰り」という本書への評を見たが、内側にある詩魂の燃焼が前半に比して強いように感じられる。

夏至の夜の半熟の闇吸ひ眠る 

菜の花の黄は鶏鳴を狂はする

 第一句の「夏至の夜」の艶めかしいほどの迫力、二句目の「菜の花の黄」の眩しすぎるくらいの言い留め。やや主知的とも見える前半に比べ、身体の感覚で摑んだものを思い切り引き絞って放ったような思い切りがある。

 しかし詩魂の内燃といっても、形の上では往年の草田男のような激しさというより、もっと静かな印象である。翻って「地」と「血」という補助線を引いてみると、この変わりようと呼応するように、命、そしてその裏返しの死がしずかに詠まれはじめていることに気づく。

風のごと夫に寄り沿ひ水芭蕉

枯蔦の包む立退き拒否の家

福寿草金魚の墓に群れてをり

 前半の作品と比べてみれば一目瞭然。〈柿若葉先祖に詐欺師ゐるらしき〉のような自らのいのちへの態度は「風のごと」というさらりとしたものに変化し、〈血統の細くなりゆく手鞠歌〉のような嘆きはやさしく〈枯蔦の包〉みこむ。

 このような変化の背景としては介護の経験も大きいのであろうか。

熱帯魚眠らぬ父を歩かせて

芋刺して死を遠ざくる父の箸

松影や破魔矢を挿して車椅子

 第二句〈芋刺して〉にはユーモラスな見立ての中に切迫した父の心、子の心が融けあっているようで、作者の心までも投影した写生句といえよう。句集の一つの到達点であろう。介護を経て、もともとあった「いのち」というテーマの中に「死」もまた意識され、「血」と「地」というモチーフは生と死という大きな背景となって機能しはじめているようだ。

 第四章を見てみよう。介護から看取りへとステージが進み、「血」や「地」の扱い方は前半と比べると、表面上はあっさりながら、内側のセンチメントが滲み出て感動を誘う。

鮎跳ぬる血より濃き香を放ちては 

人の住む限り電線秋桜ほたる

ほたるぶくろ無口な車椅子濡らす

涼しさよ骨砕かれて収めらる

噴水に少し遅れて笑ひけり

血の通ふまで烏瓜持ち歩く

さざなみや凍つる絵の具を絞り出す

 どの句も殊更解釈を重ねるまでもないだろう。〈血の通ふまで烏瓜持ち歩く〉における「血」の温かみ、命への実感。第二章に〈芋の露ゆらして命与へけり〉という句があるが、〈芋の露〉の句の思想性より、人生体験の万感をろ過して気づいたような〈烏瓜〉の句の皮膚感覚に筆者は惹かれる。著者はたびたびさざ波を詠んでいるが、第四章の〈さざなみや凍つる絵の具を絞り出す〉と第二章〈さざ波の幾重を抱き白牡丹〉を比べると、対象を自己へ引き付ける磁力が増し、その分思想や理知の力におんぶしないような作り方に変わっているようで 印象深い。それは、冒頭の私の言葉でいえば、外側の視線ではなく、内側の視線へのコミットメントが強まり、結果的に内側の視点と外側の視点が相即している、ということになる。

くもりなき遺影を抱へ年歩む

今宵もや寝息を吸ひにふくろふ来

火の貌のにはとりの鳴く淑気かな

 掲げた三句は、いわゆる気の利いた、適度にひねった言い回しもある。「くもりなき遺影」「寝息を吸ひに」「火の貌」などである。しかし、当事者でない外側の人を意識して拵えたという感じは一切ない。

 梟の飛来する宵の景色も、初鶏のまとう空気感も、それらに通底するいのちの実感も、読み手が読みたい、聞きたいものである。しかし自利即利他というような、作者のこころがそのまま読者の感動になるような境地に達しつつあるのではないか。

 自分の置かれた環境に共感と愛情をもつことは、それ自体が個性となりうるし、自然界とそれに影響される人間の営みを扱う俳句にとって大切な態度である。しかし、あまりに外からの視線を意識し、風土の上っ面に耽溺しても普遍的な共感は呼ばない。個性や地方色の表出を突き抜けて、小さな個性を脱却にしたところに、その人の作品は完成するのではないか、とぼんやり考えている。そして『火の貌』はそのような関心を共有するすべての者にとって、自身の俳句修行の里程標を示してくれる句集であると思われるのである。


プロフィール

浅川芳直(あさかわよしなお)

・1992年生まれ、宮城県出身。

・「駒草」所属(1998年~)。「むじな」発行人(2017年~)。

・2020年、第8回俳句四季新人賞。

【中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい】16 句集 紅の挽歌について 永禮能孚

句集を頂いた。

中村猛虎句集「紅の挽歌」。

強そうなお名前。でも「挽歌」なんだ(実は、お名前の由来や、題字のわけなどについては、句集を直接頂いた保田紺屋さんからお聞きしていたが、手に取って、改めて「なるほど」と思う。

著者は、名うての阪神ファンで、数年前最愛の奥様をなくされた。まだ五四歳だった。句集の大きさは、A六判、1.5cmくらい。扱いやすいというか読みやすそうな本だ。

表紙やパラパラとめくったときのちょっと風変わりな印象から、「綱」のみなさんに紹介しておきたいと思う。

最初のページを開く。

モノローグ「長いお別れ」は死を悼む四行詩。

次ページの「始まり」に俳句が三句。

白息を見続けている告知かな

ああ、あの空気。経験あるものは即座に想い起こす。あたりが、急に、白黒写真に代わってしまうような瞬間である。

当事者は、金縛りにあったように、身動き一つできず、ただ医師の吐く白息を見続けるしかない。

次のページから、「暗転」「希望」「奇跡」と三句ずつ続く。「暗転」の一句

余命だとおととい来やがれ新走

「脊髄に転移したって?なぜ..」と独語しながら読み進む。


ほんの一時、激痛から解放される。

よくなるかも 一抹の「希望」が..。癌の激痛に翻弄されながら、本人も介護者も「奇跡」を願う。

モルヒネの注入ボタン水の秋

そして「終罵」。この項だけ九句仕立てになっている。

三句挙げておく。

葬りし人の布団を今日も敷く

鏡台にウイッグ遺る暮の秋

木枯しの底に透明な棺

立ち上がれないほど、運命に弄ばれながら、命あるものは、力を振り紋って、なお、生きてかなければならない。「再生」である。

初盆や万年筆の重くなる

ここまでで、約二十頁。ああ疲れた。

しかし、この「心地よさ」は何だろう。

人が亡くなったというのに、〈さわやかな空気〉が伝わってくるとは。


私は慌てて考え直す。

一つには、句と短文の構成によって、著者のひたむきな愛情が充分伝わってくること。今一つは、俳句という短い記述様式が悲しみや心の迷いなどもすばっと表現してしまうからではないか。

「挽歌」など、ほとんど読んだことはないのだが、病状や死の有様など、詳しく書けば良いというものでもあるまい。ご本人がいくら悲しくても、そもまま書くだけでは不十分という気がする。読者にも息継ぎの場が必要なのである。

「紅の挽歌」は、稀な成功例ではないかと思う。

それ以後は、挽歌から離れて、題字に従って、句が並んでいる。ありふれた句ではない。

紙面が尽きてしまった。思わず大きくうなずける句。笑い出してしまいそうな句、ユニークな句がたくさんある。ぜひ紹介したいが、次機を待ちたい。

中村猛虎さまありがとうございました

【なつはづき第一句集『ぴったりの箱』を読みたい】18 『ぴったりの箱』論  夏目るんり

 ぴったりの箱が見つかる麦の秋 (p104)

 句集全体を貫いているのは、作者自身の身体への思いである。ときに愛おしくときに疎ましいからだ。「ぴったり」と言えるようになるまで、現実の身体と自認の身体との間にあるズレを見つめ句にした。

薔薇百本棄てて抱かれたい身体(p44)

少女にも母にもなれずただの夏至(p49)

骨盤が目覚めて三月の体(p96)

リストカットにて朧夜のあらわれる(p126)

 順番はともあれこれらの作品は作者が作者自身の身体を受け入れる道程であったように思われる。ことばを道具として現実を見るることで現実が変わり、その現実が自認を変え、現実の見方を変える。この果てしない循環の結果、あるべき身体と現実の身体との折り合いがついて「今のところ」「ぴったり」の居場所を見つけたのだ。

 なつの句からは身体に封じ込めらた身体への強い思いが、更に言えば愛着だけではなくその思いのもろさやねじれが根底に読み取れる。意外なことに自己肯定的な句はほとんど見当たらないのである。なぜ作者がこれほどまでに思い通りにならないものとして身体を感じ取ったのか。あるべき身体と今ある身体とのずれに敏感になったのか。それは作者の女性性に基づくものなのだろうと推測はするが、それが生理的なものなのか社会的なものなのか、その答えが語られることはない。たとえ「リストカット」を詠んだとしても、あくまでも日常のことばでさらりと詠まれる一連の句は読者ののぞき見的憶測を軽やかに拒絶する。思いの深さは言葉の重みとは必ずしも一致しないのだ。内心がどうであれ、なつの中で何かが融合し昇華し「ぴったり」という感覚にたどり着いた。その過程で数々の秀句が生まれたに違いない。

 だが、と筆者は思う。なつにとって他者とは、外界とはどういうものなのだろう。

 結論から言えば、なつにとっての外界とは本質的に個性のない存在である。外界との関わりや他者との関係性を前提とする「愛」はなつの「箱」の外側であり、少なくともこの句集のテーマではない。

留守電にカナリアの声秋北斗(p24)

アスパラガス愛にわたしだけの目盛り(p70)

日向ぼこ世界を愛せない鳩と(p87)

照準はいつもわたしに百合開く(p105)

檸檬切る初めから愛なんてない(p141)

 ここで興味深いのは身体の句と並んで恋の句が多いことだ。恋を真っ正面から詠むのは大人にとってこそばゆいものだ。だがなつが詠む恋は自己完結的であり、そこにいくばくかのリアリティーはあるにせよ現実や恋人との関係性、背景、生々しい身体性を切り落とした「絵に描いた」恋である。従ってそれはしばしば失恋とセットである。

 自分が自分ではなくなること。それは恋の本質でもあろうが、作者の身体へのアンビバレントな感情を思うとき、恋という言葉の甘さとは裏腹になつにとっての恋は現実と自認の隙間を詠むための読者への、いや作者自身への仕掛けなのだろうと思わざるを得ない。

花粉症恋なら恋で割り切れる(p13)

靴音を揃えて聖樹までふたり(p36)

片恋や冬の金魚に指吸わせ(p60)

ミモザ揺れ結末思い出せぬ恋(p68)

五月来る君をすとんと呼び捨てに(p71)

合鍵を捨てるレタスの噛み心地(p100)

喉滑る生牡蠣のよう失恋は(p119)

 とはいえ作者は自己の世界に安住しているわけではない。それはおずおずと伸ばされる「手」や「指」の句から読み解くことができる。手や指は外の世界に触れるための最も鋭敏な触覚器だからだ。なつの視線の先には外の世界が確かにある。

鍵探す指あちこちに触れ桜(p70)

指先がふいに臆病ほおずき市(p73)

てのひらは毎朝生まれ変わる蝶(p124)

花万朶小指で掻き乱す水面(p125)

 現実の身体を受け入れる道順を手に入れたなつ。それは同時に身体を取り巻く多種多様な矛盾する外界をも受容することに他ならない。飛び立つための準備は整った。

夕花野ことば何処へも飛び立てず(p79)

 こう詠んだなつがぴったりの箱から出てどうやって外界に向き合っていくのか。あるいは箱をどのように変容させていくのか。なつの長年のファンとしてはこれからがますます楽しみである。

2021年5月14日金曜日

第160号

  ※次回更新 5/28


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【転載】俳句時評特別寄稿 追悼北川美美 「詩客」10年と北川美美の死


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【抜粋】〈俳句四季5月号〉俳壇観測220
隔離と差別の悲劇――一年を経過してコロナを考えてみる
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筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。 

【抜粋】〈俳句四季5月号〉俳壇観測220  隔離と差別の悲劇——一年を経過してコロナを考えてみる  筑紫磐井

 コロナの影響

 コロナが発生してから一年たつ。感染者数は、第1波・第2波・第3波と現れているので、そのピークを見てみよう。ここでは、数字は全国平均ではなく東京を選んだが、マスコミでも東京の扱いが大きいためである。

第1波 206人(4.17)

第2波 472人(8.1)

第3波 2025人(1.7)

 これは各波のピーク人数と日付を示しており第3波はすさまじい。では第3波は完了したのであろうか。感染症はピークではなく、波がどう続くかが大事だ。300人超(土日を除く)の感染者を見てみる。第1波は300人を超えることはなかったから波とも言えなかったかもしれない。第2波以降はすさまじい。

第2波 300人超 7.23~8.20

第3波 300人超 11.11~3.7

 第2波は1か月、第3波は4か月続き(現在も続いているだろう)、リバウンドを考えるとコロナは終焉の兆しも見えないのである。

     *

 では俳句への影響はどうなっているか。私の手元に、或る俳句協会の地方支部の詳細な活動(令和2年度事業報告)が届いた。会議の6件は中止、俳句大会の3件は通信又は中止だそうだ。今後の年度内の予定は、会議は未定3件。平成3年度事業予定も12件というがこれらは今では見通しもつかないであろう。その一方で会員数も激減しているという。不思議なことに財政は黒字だそうである。まがりなりにも会費は集まったが事業をしないから支出がなく、差し引き黒字だと言うのである。これは笑うに笑えない状況だ。

    (中略)

感染症の歴史

 コロナに匹敵する感染症は百年前に流行したスペイン風邪と言われている。栗林浩が「コロナ禍と俳句あれこれ」(「現代俳句」8月号)でスペイン風邪の文学への影響をあげており、芥川龍之介、久米正夫は自身が罹患、与謝野晶子は多くの子供が罹患した。大須賀乙字はスペイン風邪で亡くなったと言う。ただ栗林が挙げる資料では割りとみなのんきであり、コロナに比較すべくもない。川端康成などスペイン風邪を避けて出かけた伊豆の旅行で「伊豆の踊子」を書き上げたと言う。

 一方、スペイン風邪に先立ち、何度も繰り返し発生したのがコレラである。

  コレラ怖じて綺麗に住める女かな

  コレラ舟いつまで沖に繋り居る

  コレラの家を出し人こちへ来りけり

 虚子もこんな句を詠んでいるが、これらもどこか緊迫感は薄い。

 むしろ、コロナに匹敵する悲劇を生んだのは結核(肺病)ではなかったかと思う。徳富蘆花の『不如帰』は浪子と武夫の悲恋で有名であるが、モデルとなった大山信子(大山巌元帥娘)と三島彌太郎の実話では感染を恐れた彌太郎が離婚を言い渡し、大山家の激憤を買ったと言う。

 俳句に縁の深いところでは、寺田寅彦の妻夏子が妊娠と同時に感染し、高知に住みながらも隔離され寅彦と会うことができなくなった。寅彦は後年、名品「團栗」でその若く美しく無邪気な妻のこの時の思い出を語っている。

 高知での夏子はその住む家の大屋から、肺病患者は家におけぬと言う理由で追いたてをくい、その後移転を決めた桂浜でも同じクレームを受け心労する。肺病に対する当時の差別意識は凄まじいものであった。この時駆け回ってくれたのが寅彦の老父であった。

 やがて東京に戻った寅彦は、結局夏子の最期を看取ることはできなかった。

 ただ言っておきたいのは、夏子を夫や子供と隔離しても、父母も、寅彦も、いや夏子本人も不思議と感じていないことだ。不合理なことである。しかし、肺病にはこうしたエピソードが数知れずあった。病気の恐ろしさ自身もあるが、隔離と差別――これこそが最大の悲劇であった。

※詳しくは「俳句四季」5月号をお読み下さい。


【なつはづき第一句集『ぴったりの箱』を読みたい】17 「なつはづきワンダーランド」巡り ―句集『ぴったりの箱』の世界―  武馬久仁裕

 なつはづき句集『ぴったりの箱』から上の24句を選び、心ゆくままに、「なつはづきワンダーランド」を巡りました。なつはづきの見事な言葉さばき(レトリック、言葉の綾)から姿を現した、驚きの世界をご一緒にお楽しみください。

句集最初の句です。

  いぬふぐり聖書のような雲ひとつ   

いぬふぐりという言葉とかわいらしい花から来る軽いエロスを、聖書と釣り合わせるという軽妙な言葉の世界があります。

 聖書は、もちろん禁欲的な世界を象徴しています。その聖書と釣り合わせるために、「聖書のような雲ひとつ」とつないで、それを実現しています。一句の聖書は、雲でできていますから、軽くて柔らかな聖書です。

 また、「いぬふぐり」は、上五に来ていますので、本当は小さいのですが、句では大きく見えます。これも「いぬふぐり」が、無理なく「聖書のような雲ひとつ」という大きなものと釣り合っている理由の一つです。

 なつはづきの言葉さばきの素晴らしさが巻頭から現れています。

 かわいいいぬの次の句は象です。  

 象の背に揺られ春まで辿り着く   

 象の背に揺られ京まで辿り着く

ではありません。これが、この句のいのちです。地上の地理的な距離ではなく、春までと時間的な距離にひねったところが面白いです。もう一つ、

 象の背に揺られ冬まで辿り着く

ではないところにも注目してください。この句の象の背に揺られ旅する人は、寒く厳しい冬を耐え、やっとのことで花々が咲き匂う春まで辿り着いたのです。喜びもひとしおでしょう。また、

 馬の背に揺られ冬まで辿り着く

でもありません。馬の背では、低すぎるのです。世界を見渡すためには。

 花散る中、白い象に乗って人々を助けに現れる普賢菩薩に似ていなくもないですが、「辿り着く」ですから、違うでしょう。

 春は、のどかさと悲しさの入り混じった季節でもあります。

  菜の花やこの先にある分かれ道  

 見渡す限り黄色の菜の花。それは、今、春ののどかな平和な平凡な美しさをたたえて咲いています。しかし、その菜の花の中の径を行けば、その先には、分かれ道があるというのです。あたりまえの幸福の先の、愛する人との再び会うことのない別れを暗示した余韻のある句です。

 黄砂降る日も、余韻のある句です。

  約束は確かこの駅黄砂降る  

 来るはずの人の来ない駅には、遠いところからやってくる黄色い砂が降るだけ。黄色くかすむ世界には、むなしさだけが漂っています。プラットホームに打ち捨てられた黄色い砂にまみれた「約束」という文字が見えてくる一句です。

 黄砂のあとは、世界が清く明るくなり、遠くまで見渡すことができる節気。希望に満ちた清明の句です。

  清明や自転車隅々まで磨く  

 清明とは、二十四節気の一つで、春分の次です。春のそんな節気に自転車を隅々まで磨くという。自転車はもちろん世界の隅々まで行くためのもの。遠く見渡す限りピカピカの世界の果てまで、自転車をピカピカに磨き行こうとしているのです。もちろん、ピカピカに磨かれて自転車は、透き通るように美しく明るくなります。清明のように。

   *

 なつはづきワンダーランドでは、なぜか恋は、喪失感にあふれています。

  身体から風が離れて秋の蝶   

 和泉式部の歌を思い出しました。

  物思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出づる魂(たま)かとぞ見る   和泉式部

 「愛しい人を思いわずらえば、沢で光る蛍も私の身体からさまよい出た魂かと見えるのです」といった歌です。もう一つ、池田澄子の

  体からこころこぼれて花は葉に   池田澄子

です。

 明らかに、これらの表現の伝統のもとにある句でしょう。

 さて、秋の蝶の句ですが、二つの出現の連続によってできています。

 まず、「身体から風が離れて」です。身体から風が離れて、現れるのです。これが無理なく行なわれるのは、「からだからかぜが」のか(が)音の連続です。この音の連続によって、読者は自然に、身体から風が分離し、現れることに納得します。

 次の出現は「風が離れて秋の蝶」です。身体から離れた風から秋の蝶が現れるのです。これは、秋になり元気がなくなった蝶がひらひらと風に乗って現れたと読めますので、すなおに納得できます。

 これを全体として読みますと、身体から静かに離れて吹いた風が秋の蝶になって現われ出たということになります。内なるさびしさが秋の蝶として形を与えられた句です。

 さびしさの出所がはっきり書かれた句もあります。片恋です。

  片恋や冬の金魚に指吸わせ   

  片恋や挿絵のような咳ひとつ  

  冬浅し聞かずに入れる角砂糖  

 このいじらしい行為をさせる男は、どこのどなたでしょう。といっても、この片恋もなつはづきワンダーランドでの出来事ですが。

  *

 めずらしく政治を思いました。

  寂しいチェコ語十一月の森に入る  

 寂しいチェコ語と言われると寂しくなります。チェコの寂しい歴史が思い出されるからです。プラハの春です。その寂しい歴史を背負ったチェコ語が寂しい響きを残して冬の始まる混じりけのない十一月の寂しい森に消えて行くのです。十一月革命とは一体なんだったのでしょうか。冒頭の「寂しい」が全句を覆っています。

   *

 なつはづきワンダーランドは、狐火や鬼火が行き交う世界です。

  狐火が集まるクリームシチューの日  

 狐火がクリームシチューを好きだなんて知りませんでした。一体このクリームシチューを作る人はどんな人なんでしょうね。若い人が好きな魔女でしょうか。いや、きっと男を数えきれないほど泣かせてきたとても魅力的な女性に違いありません。

 青白い炎の向うに未練がましい狐の顔をした成仏しきれない男が見えます。男達は未練がましく狐火となってクリームシチューの日に集まってパーティをするのです。

 では、なぜクリームシチューなのでしょう。それはあのねっとりした白いクリームシチューは、男にとってとても官能的なのです。官能的な食感に加え、食べればのどが火傷する快感がなんといえないのかもしれません。狐火なのに。

 だから、新しい恋人の出現に、狐火たちは消えてゆくのです。

  君に電話狐火ひとつずつ消える  

 狐火の仲間に鬼火がいます。これも死者の魂が炎となって燃えているものですが、狐火より怨念がこもっていそうで怖い感じがします。

  鬼灯やまだ濡れている人の声  

 この句、鬼火の句じゃなくて鬼灯(ほおずき)の句じゃない? といわれそうですが、いえいえそうではありません。死者の霊を迎える朱の鬼灯(ほうずき)の向うに文字通り死者の情念がこもった炎である鬼灯(きとう)が燃えています。鬼灯とは鬼火のことです。

 「鬼灯やまだ濡れている」で、雨が降ったあとまだ乾ききらないで濡れたまま死者の霊を迎える鬼灯(ほおずき)と、濡れたまま燃えている死者の魂、鬼灯(きとう)のいる世界のすざまじさを思ってください。

 そして「まだ濡れている人の声」で、この世の人の声は、未練がましく、いよいよ艶っぽくなります。この世とあの世の交歓の句です。怖いですね。

 このように鬼灯を「ほおずき」と「きとう」の二つのイメージを重ね合わせて読むと、鬼灯の句がより怖くなります。

  階段の青鬼灯を濡らすなよ      岡本亜蘇

  うすものの如き鬼灯ともりけり    阿波野青畝

  うたたねの唇にある鬼灯かな     三橋鷹女

 怖かったですね。次の近松の句も怖いです。

  近松忌まだ生温いナイフの柄  

 近松死して三百年、なおも心中物の熱気が冷めやらぬ今日、ここ五七五の世界にも生温かい脇差ならぬナイフの柄があります。心中をして間もないナイフの柄です。近松忌とナイフを生温いという動詞で統一し五七五の世界を作ったのは見事です。

 心中と言えば、近松忌の句を読んだあとで、この句を読むのはどうでしょう。

  黄落や明日はと言いかけて止める  

 「明日は」のあとは、もちろん、「一緒に死んでもらえますか。」でしょう。黄泉へ行く黄落の中で生を止めるのです。

   *

 「生温い」に見られるように、ひとつ前の近松忌の句もそうですが、なつはづきの句は、官能的です。官能的とは、エロスを含めてですが、身体感覚的だということです。

 その傑作が、次の句でしょう。

  リストカットにて朧夜のあらわれる  

 自傷行為の果てに現れる甘美な官能的な世界です。朧夜と名付けられた希薄なまでに美しい世界です。一歩死の甘美さに近づいています。

  銃口という(くろがね)の夏めきぬ  

 銃口という(くろがね)が夏めくとは、なんという官能的な句でしょう。この句の中の(くろがね)のなんとなまめかしいことでしょう。銃口という鉄から恐怖とともになまめかしい汗の匂いがしてきます。素晴らしい句です。

 美と死を体現する雪女もこのワンダーランドに登場します。

  雪女ホテルの壁の薄い夜  

 官能的です。美と死の化身、雪女の気配が、ホテルの部屋の四方の薄い壁からひやひやと感じられる夜は、夜そのものが薄い希薄な存在となるのです。では、なぜ夜が薄い希薄な存在となるのでしょう。もちろん、夜が、震い付きたいほど美しい雪女に恐怖したからです。

    *  

 同じ雰囲気をもった句がこちらです。

  初氷心療内科の青いドア  

 まず目に入るのは、「氷心」という文字です。初氷は、氷心を出現させるための現代の枕詞でしょうか。しかも初ものは、初雪を待つまでもなく、けがれのないものです。無垢な初氷のような凍った心の持ち主が、今、心療内科の青いドアを開けて凍った心の内部に入って行こうとしています。どこまでも青い憂鬱な世界へ。

 ワンダーランドには接骨院もあります。

  永き日よ接骨院の名は「バンビ」  

 この句の味噌は、「バンビ」というカタカナです。このカタカナが、一句にリアリティ、真実味を与えています。バンビは小鹿、飛び跳ねるもの。この「バンビ」も飛び跳ねるもののはずです。しかし、上に接骨院という言葉がありますから、カタカナのバラバラ感と相まってカタカナの「バンビ」は、骨そのものです。そして、骨のバンビは哀れにも柵の中なのです。

 柵がどこにあるのかって? あるでしょう。「」が。まさに、そんな世界が、ぼーとした春のある日にずーとあるのです。なんという造形感覚の持ち主でしょう? なつはづきは!

 そういえば、永き日にらくらく柵を越えて行ったにはとりがいました。

  永き日のにはとり柵を越えにけり  芝不器男

 柵を越えて、にはとりは何処へ行ったのでしょうか。

 ちょうどそのころ、このワンダーランドから、消えたものがあります。私は、これは本当はにはとりではないかと疑っています。

  運動会朝から鳩をみていない  

   *

 いよいよ、ワンダーランド巡りも終わりです。素晴らしい句にしっかり触れて、外の世界にもどりましょう。

  ふと触れる肘ひんやりと原爆忌  

 得体のしれないものに肘は偶然触れました。そのとき、肘は、確かにひんやりと感じたのです。すぐそこには、ひんやりと原爆がありました。原爆忌を身体でとらえた貴重な句です。

   *

  香水瓶時効はわたしから告げる  

 擬人法の句として読んでみましょう。この方が断然面白いので。

一段高い所に置かれた(上五にあります)香水瓶が、ある日突然、御託宣をのたもうたのです。「時効はわたしから告げる」と。

 「わたし」とは言うまでもなく香水瓶です。恋人と会う時にいつも肌にふりかけられ、彼女を荘厳(しょうごん)する(美しく尊く飾る)香水の大元、香水瓶がおっしゃるのです。

時効とは、何かお分かりですね。元彼との浮き名がなかったことにすることです。それは、瓶の中の香水が改めて彼女の次の人生、即ち、次の恋を荘厳する時です。

  *

 ワンダーランド最後の句です。

  パセリ大盛りまっさらな猜疑心  

 パセリだけが真(ま)っ白な大皿(さら)に大盛りになった光景は普通ではありません。その「パセリ大盛り」で、普通でない世界に読者を引き入れます。

 普通でない世界では、大盛りなったパセリは、まっさらなけがれのない猜疑心そのものなのです。ざわざわと大きく盛られた、生き生きした鮮やかな緑色が、まっさらな猜疑心そのものとなって読者に迫ります。そのけがれのない猜疑心をいだくことに、人間らしさがあります。獣編犭と靑からなる猜という字がリアルです。

 パセリを身体的、官能的に捉えることに成功した句です。

 上下感を持つ縦書をうまく使い、新緑でパセリというカタカナ語を染めただけの鷹羽狩行の

  摩天楼より新緑がパセリほど   鷹羽狩行

に飽き足らない方には、お勧めの句です。


 鷹羽狩行の摩天楼の句まで来たところで、今回の私のなつはづきワンダーランド巡りは、おしまいです。いささか歩き疲れました。  

 ではまた、次回お会いしましょう。


【中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい】15 中村猛虎句集『紅の挽歌』 鈴木三山(滝 同人)

 滝の成田主宰から薦められた句集の中に中村猛虎氏の名前があった。実は彼とはロマネコンティ俳句ソシエテというところの同人仲間である。

 因みにロマネコンティは誌上句会を主とする超結社の全国的会員の集まりである。私自身は平成十五年頃に入会したが、お陰で北海道から九州まで各地の俳人と知り合いになることが出来て実に良かったと思っている。

 前置きが長くなってしまったが、猛虎さんの句集『紅の挽歌』の紹介に入ろうと思う。


 冒頭に彼の妻の死が述べられている。

平成二十九年八月に脳腫癌を宣告されてからわずかニカ月余りで、十月九日に五十五歳の生涯を閉じてしまうという衝撃的な書き出しである。振り返ってみれば、ロマネコンティ誌上でもそれまでに思いもよらなかった哀切な何が何か月か続いたことがあった。直接的に妻が死んだと詠まないので、最初は気づかなかったが、そのことに気づいた時は思わず目頭が熱くなったことを記憶している。

痙攣の指を零れる秋の砂

遺骨より白き骨壷冬の星

葬りし人の布団を今日も敷く

早逝の残像として熱帯魚」

鏡台にウィッグ遺る暮の秋

月射して影絵の狼妻を喰らう

亡き人の香水廃番となりぬ


 改めて衷心より哀悼を捧げたい。

 話は変わるが、彼は平成十七年地元姫路において句会「亜流里」を立ち上げ、活発に俳句と取り組む中で、松尾芭蕉が「おくの細道」で使ったとされる蓑と笠が残されているのを知り、奉納されていたという「風羅堂」の再建運動を始めたのである。そのことは新聞などにも掲載され話題となった。ともあれ彼の作品は恐らく初心の頃から優れていたような気がする。次に若干紹介したい。


順々に草起きて蛇運びゆく

この空の蒼さはどうだ原爆忌

どこまでが花野どこからが父親

部屋中に僕の指紋のある寒さ

僕たちは三月十一日の水である

ポケットに妻の骨あり春の虹


 余りにも淡々としているゆえに却って哀切さが迫って来る思いがするのである。彼の作品は実に多様でかつ諧謔味に溢れている。きっと最愛の妻の死を乗り越えられ有望な俳人として今後を大いに期待されるところであり、末長い交誼を願うところ大である。

【篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい】13 『火の貌』小評  北杜 青

  篠崎央子さんとは、毎月一回、土曜の夜の句会をご一緒させていただいています。いつもご主人の冬眞さんとあわただしく入ってこられ、おにぎりを頬張りながら、夢中で出句されています。大変お忙しく、本当に句会が好きな方です。

 筑波嶺の夏蚕ほのかに海の色

私が土曜の句会に参加させていただくようになって間もなくの頃の句です。大変美しい句ですが、同時に古代の神々とつながる山岳信仰の地であり、農蚕発祥の神話も残る筑波という土地の古層から連綿と繋がる人の営みに対する思いを感じます。

央子さんの句は、人事を詠んでも自然を詠んでも単なる写生に終わらない、自然と一体になった人の営みに対する濃密な愛着を感じます。人と隔絶された、眺めるだけの自然ではなく、人々の生活の場としての自然、古くから時に激しく、時にやさしく私たちと対峙してきた自然の中に央子さんの俳句があるのだと感じています。

 秋彼岸きまぐれに伸ぶ波の舌

非常に眼の効いた写生句ですが、同時に波の舌と表現したこと、季語が秋彼岸であることで、何か向こう岸(涅槃)から波の舌が伸びてきているような不思議な感覚が生まれています。

 浅利汁星の触れ合ふ音立てて

生活者としての日常から繊細な感覚で詩情を掬い取った句です。浅利という言葉の姿や音が何故か天空の星々と切っても切れない関係で結ばれていることを納得させられる句です。

 柵を這ふ月のこぼせる捨蚕かな

中七が何とも切なくて、捨蚕をここまで美しく詠んだ句を他に知りません。ここでも自然と人との悠久の営みが詠まれていますが、「月のこぼせる」は、自然ととことん寄り添ってこそ生まれた措辞だと感じます。

『火の貌』は、様々な表情を持った句集ですが、この句に代表される自然と人の営みを詠んだ句から、白洲正子の紀行文集『かくれ里』の世界を感じました。白洲正子は、かくれ里について、「秘境と呼ぶほど人里離れた山奥ではなく、ほんのちょっと街道筋からそれた所に、ひっそりとした真空地帯があり、そういう所を歩くのが、私は好きなのである。」と書いています。央子さんには、まさにこの「ひっそりとした真空地帯」の雰囲気を色濃く宿している句があります。央子さんは、よく自ら吟行を企画されて、ご一緒させていただくことがありますが、同じところを歩いても、出てくる句が纏う雰囲気が他の方とは全く異なります。飯田龍太が言う旅館の裏側ではなく、白洲正子のこの「ほんのちょっと街道筋からそれたひっそりとした真空地帯」の雰囲気がぴったりです。

 指先より魚となりゆく踊かな

 踊りのなかで一番大切なのは手の動きですが、その指先から魚になってゆく、繊細でしなやかな動きが描かれています。また、「の」ではなく「より」であることでやがて踊子の身体が魚になることを予感させ、娯楽としての現代の盆踊の雰囲気を軽々と超え、空也や一遍の念仏踊、さらにそれ以前の郷土信仰のなかの動作としての舞や踊りの雰囲気を纏った句です。

 触れてゐて遠き芒の銀河かな

 満天の星空のもと、作者は、今、たしかに月白に輝く芒に触れていますが、触れることによって限りなく遠いことを感じています。触れることでしか感じられない芒原の遥かさが描かれています。

 火の貌のにはとりの鳴く淑気かな

 読み終わるのを惜しみつつ開いた最終頁に置かれたこの句は、一集を締めくくるに相応しい一句です。限りなく澄んだ写生の眼によって生み出された上五の表現は、淑気という季語の本意に新たな感覚を加えるものだと感じます。初春の早朝、張り詰めた空気を貫く一番鶏の声は、天の岩屋戸から天照大神を呼び出す常世長鳴鳥の声であり、新たな年を照らす太陽を呼び出す、激しくも厳かな鶏の貌が見えてきます。央子さんの自然に寄り添った写生の先にある表現の自在が遺憾なく発揮された句だと感じました。

 俳人協会新人賞を受賞した央子さんの句集『火の貌』の感想を書かせていただき、大変光栄でした。ありがとうございました。

【新連載・俳句の新展開】第12回皐月句会(4月)[速報]

投句〆切4/11 (日) 

選句〆切4/21 (水) 


(5点句以上)

10点句

花ふぶき気づけば地図の外にをり(渕上信子)

【評】 折からの風に一瞬目を覆うような花ふぶき。気づけば自身の魂は現世の地図を離れ、その外に。まさに花の巻き起こす妖しの世界。──山本敏倖

【評】 自然公園を漫ろ歩きするうち、手持ちの地図に記されていない場所にいま立っているらしいな。浮かれ歩きの挙句に異界へ踏み込んだような、桃源郷の趣があります。思い返せば花吹雪のために一瞬視界を奪われたのがその越境の折であったか、そうかも知れませんね。〈地図の外〉と縮約した云い表しように感服いたします。──平野山斗士

【評】 地図の外がいつの間にか知らない道に、くらいの意味なのか、それとも異界に来てしまったということなのか。花吹雪の中にいるとこのような気分になる。──仲寒蟬


9点句

だんだんに耳だけになる春炬燵(依光陽子)


7点句

春の泥掻いて馬の目静かなり(小林かんな)

【評】 「目は心の窓」という。〈馬の目〉に焦点を当て〈静かなり〉と言い切ったところが良い。「馬が何を考えてるかは前脚と鼻息でわかる」とは馬を飼っていた北海道の爺ちゃんのことば。〈春の泥〉を掻く馬の躍動感が伝わる。──飯田冬眞

戻り来て雨の匂ひの恋の猫(内村恭子)


6点句

春暁や夢のうねりを象わたる(真矢ひろみ)


5点句

朝桜この制服に袖とほし(前北かおる)

春の途中で転校生となりぬ(近江文代)

【評】 普通は学期当初に転校してくるものだがこの子は半端な時期にくる。こういう子は得てして、途中で転校してゆくものだ。風の又三郎のように。穏やかな春の日でなく、春疾風が吹いているといい。──筑紫磐井

三月十一日借景は決めてある(山本敏倖)

【評】 私が決めているその日の借景と、貴方のそれはきっと同じでしょう。──堀本吟

ゆったりと昼をかなしむ袋角(堀本吟)


(選評若干)

花遠し電車かぎろひつつ来たる 2点 岸本尚毅

【評】 花の頃のかぎろいながら入ってくる電車の感じがすーっと入ってきた。──依光正樹


青楓考える人立ち上がる 3点 田中葉月

【評】 ロダンの彫刻『考える人』が立ちあがるというパロディでしょうか。それとも、考える人へのエールかなとも。今の世の中、本当に考えている人の言葉が聞きたいし、そういう人にこそ立ち上がってほしいと思っています。そして、それは自分へのエールかも。──水岩瞳


まず顔の熱くなる酒春の蟬 3点 中山奈々

【評】 実際に春の蝉を見たことがあっただろうか?ないのかもしれない。ないのに鳴いているのを蝉だとするのは酔いの様にこの句に惹かれたもののその理由を説明し難く、──妹尾健太郎


シート全部倒して春の潮を聞く 4点 小林かんな

【評】 春の潮の心地よさ。贅沢な一人きりの時間──中村猛虎


パーに勝つグー早蕨が地を割いて 1点 仲寒蟬

【評】 春の力強さ。「パー」が地面、それを突き破ってグーっと「早蕨」が出てくる感じ。──渕上信子


海女が来て深層水を口うつす 2点 妹尾健太郎

【評】 海女は海神の娘に相違あるまい 深層水とは蓬莱の水であろう ありがたや、老化した命を再生せむと…──真矢ひろみ


鷹化せし鳩の首振りかくも下手 2点 仲寒蟬

【評】 そういえば、怪しげな鳩がいますね。実は鷹だったと知り納得。──渕上信子


揚雲雀みな青かりき若かりき 3点 渕上信子

【評】  「みな」と思える仲間が、当時は「揚雲雀」の行方を目で追うように、方向性を共有していたのでしょう。美しい「あの頃」を懐かしむ気持ちを清々しく思いました。


花の枝に大跨りの頭陀袋 3点 平野山斗士

【評】 なんとなく面白い写生句。──渕上信子


鴨残る酔ひ覚まし程度に残る 2点 中山奈々

【評】 心の酔いを覚まそうとする時、ふわふわと何かが抜けてゆく。だけれどもまだ酔っている。池の鴨も気が付けば数は減ってはいるが、まだ騒いでいる。酔い覚ましの微妙な淋しさに惹かれた。──篠崎央子


伸びてゐる爪の不揃ひ放哉忌 4点 近江文代

【評】 うまい!の一言に尽きます。──仙田洋子


落し穴シロツメクサをもて隠す 4点 松下カロ

【評】 春のいけない悪巧みですね。──佐藤りえ


水芭蕉見るための椅子朽ちてをり 4点 西村麒麟

【評】 雨ざらしの椅子は朽ちているのですが、枯れ色の中に透明な水の流れと花の純白が浮かび、より清浄な空気感を生んでいると思います。湿原を歩きたくなりました。──小沢麻結


母は名を忘れ菜の花蝶と化す 4点 飯田冬眞

【評】 「A」音の連続と2回の「HANA」に慰められるようだが、やはり切なく寂しい・・・──夏木久

【評】 かなしいのに光が溢れていて、救いすら感じられる。季題が全体を包んで一句を昇華させている。──依光陽子


告げられぬ理由と根拠残り鴨 1点 水岩瞳

【評】 結論のみがあり、眼前には残り鴨がいる。──青木百舌鳥