【俳句新空間参加の皆様への告知】

【ピックアップ】

2019年1月25日金曜日

第106号

※次回更新 2/8

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特集・大本義幸追悼「俳句新空間全句集」

筑紫磐井編        》読む

【100号記念】特集『俳句帖五句選』

その1(飯田冬眞・浅沼璞・内村恭子)》読む
その2(神谷波・五島高資・小沢麻結)》読む
その3(坂間恒子・岸本尚毅・加藤知子)》読む
その4(木村オサム・近江文代・曾根毅)》読む
その5(田中葉月・北川美美)》読む
その6(小野裕三・ 西村麒麟・ 田中葉月・ 渕上信子)》読む
その7(五島高資・ 水岩瞳・ 仙田洋子・ 松下カロ)》読む
その8(青木百舌鳥・花尻万博・椿屋実梛・真矢ひろみ)》読む
その9(下坂速穂・岬光世・依光正樹・依光陽子)》読む

■平成俳句帖(毎金曜日更新)  》読む

冬興帖
第一(1/11)池田澄子・曾根 毅・山本敏倖・仙田洋子
第二(1/18)岸本尚毅・神谷波・松下カロ・飯田冬眞
第三(1/25)加藤知子・林雅樹・北川美美・杉山久子・夏木久

■連載

【抜粋】〈「俳句四季」2月号〉
俳壇観測193  高齢は俳句でこそ生きる/筑紫磐井  》読む

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~④ のどか  》読む

麻乃第2句集『るん』を読みたい
インデックスページ    》読む
8 「ルンルン♡」ではなくて/近恵  》読む

葉月第1句集『子音』を読みたい 
3 軽やかな感性に寄せて/長谷川隆子  》読む

佐藤りえ第1句集『景色』を読みたい 
2 言葉の屈折としての旧仮名———佐藤りえ『景色』を読む/小野裕三  》読む

大井恒行の日々彼是 随時更新中!  》読む

句集歌集逍遙  『兜太 TOTA』vol.1/佐藤りえ  》読む


■Recent entries

「兜太と未来俳句のための研究フォーラム」アルバム

※壇上全体・会場風景写真を追加しました(12/28)


第5回 詩歌トライアスロン募集について

眠兎第1句集『御意』を読みたい
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麒麟第2句集『鴨』を読みたい
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10.『鴨』――その付合的注釈   浅沼 璞  》読む

前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井
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「WEP俳句通信」 抜粋記事  》見てみる

およそ日刊俳句新空間  》読む
…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
1月の執筆者 (渡邉美保

俳句新空間を読む  》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子





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【麻乃第2句集『るん』を読みたい】8 「ルンルン♡」ではなくて  近恵

 辻村麻乃さんの第二句集『るん』はオレンジがかったピンクがきらきらしている華やかな色使いで、以前麻乃さんを見かけた時に着られていた着物の色と似ている。最初『るん』と聞いたとき、林真理子のデビュー作にしてベストセラーとなったエッセイ集『ルンルンを買っておうちに帰ろう』が真っ先に頭に浮かんできてどこか軽い感じがしてしまったのだが、どうもこの句集『るん』は「ルンルン♡」の「るん」ではなく、チベット仏教の概念による「ルン(rlung、風)」の事らしい。
 第一句集上梓の後の12年間に詠まれた句から選び出したであろう『るん』は春・夏・秋・冬・新年の五章立てで、同じ季語や同じシチュエーションで詠まれたと思われる句が纏まって並んでいたりする割にどこかとりとめのない感じがするのは、年代順ではないであろうが為、作者の過ごしてきた時間の経過や変化を読み取りにくいからかもしれない。そして、句集の見た目のような華やかさに反し、母親や父親、家族の句を中心に、吟行句、そして時々生の感情が見える句が紛れ込んでいるという句集だった。特に春に母や家族が多く読まれている。このあたりから季節を追ってこの句集をひも解いてみようと思う。

 るん春は全部で73句、うち母や父、家を詠んだと思われる、あるいは情が表出している句は16句。また、雛の句が7句、桜の句が8句と多いのも特徴的だ。
冒頭の2句は桜である。特に2句目の句
  出会ふ度翳を濃くする桜かな
 桜の美しさより、そこに潜む翳りをクローズアップしている。この句に象徴されるように、春の句はどことなく翳りのあるような雰囲気がある。
  花篝向かうの街で母が泣く
  言ひ返す夫の居なくて万愚節

 雛と母は、自らも娘を持つ母であるところから切り離せないモチーフなのであろう。3句目は母も娘も登場しないが、2句目と並んで掲載されることによって聞こえてくる歌声は胸の内の母の歌声のように思えてくる。
  雛のなき母の机にあられ菓子
  母留守の納戸に雛の眠りをり
  何処からか歌声聞こゆ雛納め

 そんな中、雛の句で気になる一句がある。
  雛の目の片方だけが抉れゐて
 雛人形の片目だけが抉れているというのだ。作者の屈折のようなものを感じずにはおれない。また同じように屈折を感じる句として以下の句も掲げておく。
  鞦韆をいくつ漕いだら生き返る
  砂利石に骨も混じれる春麗


 るん夏は全部で85句。父母家族の句は春程の頻度ではないが10句程登場する。春と同様、同じモチーフの句がいくつかある。また、動物園吟行らしき句が11句と多いのも特徴だ。
  母留守の家に麦茶を作り置く
  短夜やワオキツネザル子を隠す
  階上の夫の寝息や髪洗ふ

 春に比べると翳りよりももう少し濃い闇を見せる俳句が見受けられるようになる。
  夏シャツや背中に父の憑いてくる
  大夕焼ここは私の要らぬ場所

 作者の心の奥が生で聞こえてくるような俳句も見えてくる。
  肯定を会話に求めゐては朱夏
  生きようと思へば窓にカーネーション
  帰巣せよ虹立つ街を後にして 

 
 るん秋は全部で68句、父母や家族の句は6句くらいで、春のその割合に比べると随分と少なくなっている。
  病床の母の断ち切る桃ゼリー
  娘てふ添ひ難きもの鳥渡る

 また、はっきりとした感情や意思が生の言葉で書かれた句が目立ってくる。
  爽やかや腹立つ人が隣の座
 また、はっきりとした感情や意思が生の言葉で書かれた句が目立ってくる。
  爽やかや腹立つ人が隣の座
  鰯雲何も赦されてはをらぬ
 一方写生の目の効いた句も。
  鮭割りし中の赤さを鮭知らず
  重たげに動く秒針小鳥来る


 るん冬・新年は合わせて96句、全体の中で一番ボリュームが多い。母の句よりも家族や家族の中にある自分の存在を示す句が目に付く。また、父の句は、亡き父への深い思い入れに囚われているのを感じる。
  おお麻乃と言ふ父探す冬の駅
 一方母や家族への思いは一歩引いて客観視されているように感じる。
  小春日や陶器の家の灯りたる
  病床の王女の如きショールかな
  夫の持つ脈の期限や帰り花

 そんな中、強い言葉が目に付いた句をいくつか。
  愛しさと寂しさは対ゆきうさぎ
  我々が我になる時冬花火
  反芻し吐き出してゐる冬の海
  秩父町爆破するごと冬花火


  句集『るん』は、季節が移るごとに母の事から家族の事へと関心事が移っていっているように現れている。すなわち作者が娘である自分から妻であり母である家庭の一員としての自分へと変化していく過程を読み手は句集を通して俯瞰してみる事ができる。それは辻村麻乃という作家の自分だけの言葉の世界から、作者と読者の共通言語としての俳句の世界へと変化していく過程とどこか重なっているようにも見えた。

【「BLOG俳句新空間」100号記念】特集『俳句帖5句選』その9


下坂速穂(「クンツァイト」「秀」)
恋人にするには若き白地かな
日向ぼこ昨日と同じかほ撫でて
目明しの老いて灯下に親しめる
足跡に遠く鳥ゐる秋の潮
湯気立てて死も長生も楽しからむ

岬光世(「クンツァイト」「翡翠」)
寒稽古見えぬ巌の胸を突く
遠き世の遠きへ帰る朴の花
巾着を青酸漿に濡らしけり
秋湿りライナーノーツ読み返し
葱を買ふ二人の仲をいつはらず

依光正樹(「クンツァイト」主宰)
大寺や水輪と見れば春の雪
高きまで鈴を鳴らして春岬
探梅やきらりきらりと胸の内
鬼灯や子守女が吹くかの音も
近づいて木立に鳥や水遊び

依光陽子(「クンツァイト」)
獅子殿の獅子をくぐれば芒原
物と物触れ合はずある淑気かな
眼涼し羽ばたくものを捉へては
それぞれの手の生む文字や冬めきぬ
ひろびろとかなしき虫の原に佇つ
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【葉月第1句集『子音』を読みたい】3 軽やかな感性に寄せて 長谷川隆子


 『子音』の上梓おめでとうございます。瑞々しい感覚でとてもさわやか、素晴らしいです。俳句の鑑賞は門外漢ですが、集中、特に好きな句をあげてみます。

  もう一度抱つこしてパパ桜貝
 春あられレゴブロックの街に住み
 かけてこい浜の春雷かけてこい


 懐かしい優しい句です。幼い日への憧憬、田中さんはお父さんっこでいらしたのでしょうか。レゴブロックの句、私も以前「ひとつかみの積み木寄り合うわが街」と詠ってみたことがあります。カラフルで無機的は言い過ぎだけれど、昔のなつかしい風情とは違う新しい街、そんな感覚が表されているように思います。春雷の句、浜辺の散歩でしょうか。春の雷はどこか季節の喜びと重なって暗くない。「かけてこい」と呼び掛けている対象は春雷、そして浜辺の子どもたち等と想像しました。

 白れんや空の付箋を剥すがしつつ
 鞦韆やうしろの余白したがへて
 啓蟄やゆるり起き出す兵馬俑
 冬の虹からめてとりぬ牛の舌


 木蓮の花びらはぽっかりと白く、ゴッホのアーモンドの花の絵など想起するのですが、蒼穹をバックにくっきりと白い。鮮やかなイメージがあります。「付箋を剥す」とは巧くいい得ていると感動しました。そしてブランコ、「うしろの余白」がいいです。ブランコを漕ぐとうしろの空間も一緒に動く気配、それが「余白」という固い語句で表現されてちょっと知的な感じがして、とてもいい。特別に好きな一句です。
 ずらりと並ぶ兵馬俑も、いつか動き出しそうで、面白い。これを短歌にするとやはり新鮮な感覚がうすれそうです。やはり俳句の世界ですね。「牛の舌がからめて」が如何にもという感じです。

 遠足のメザシぞくぞくやつて来る
 春光をあつめて片足フラミンゴ
 竿竹の光長閑し筑後川


 子供たちはざわめきと一緒に繋がってやってきます。端的な表現で、ずばり言い得ています。動物園のフラミンゴ、あの桃色の片足立ちの姿はなかなか印象的です。そして筑後川の一句。いかにものどかです。
 筑後川そのままののどかな風景が目前に広がります。「光」があることで、作者のこの情景への愛情が偲ばれます。
 
 朧月ちよこと高きが好きな猫
 花茣蓙のうたた寝跡のピタゴラス
 風薫る男は凡そ直列で
 冷ざうこ全裸の卵ならびをり


 塀の上の猫、群れない猫、ひょっとしたら作者も「ちよこと高い」ところがお好きなのかも。心地いい場所をよく知っている猫が捉えられていて面白い。面白いと言えば昼寝後の頬っぺたに三角形が…でしょうか。それから男たちが直列というのも面白い。女は連れ立って歩きますよね。冷蔵庫の卵が裸と言われればなるほどと思ってしまいます。着眼の独創性が生きています。「全裸」を生かすために冷蔵庫がひらがなになったのですね。

 虹生まるわが体内の自由席
 娘の去りし今年の天井高くなる
 風花す銀紙ほどのやさしさに


 「わが体内の自由席」はどんなにか豊かに広がってゆくのでしょう。これからの句作がもっと楽しみになってきます。田中さんの独自の感覚が捉える世界を味わうことが出来ました。
 お嬢さんが嫁がれて、家が広くなったような寂しさを「天井が高く」なったという表現は巧い。
 平凡な主婦という括り方があるけれど、それぞれの世界をもっているわけで、舞う雪を「銀紙ほどのやさしさ」と言えるのは田中さんだけ。素晴らしいことだと思います。
 感覚が若くって、ユーモアがあって、葉月ワールドのフアンになりました。ことばが光っています。私も短歌を細々詠んではいますが、理屈っぽくて説明癖があってわれながらつまんない、うんざりと思うこの頃、とても刺激になりました。

 ありふれた時間でありぬ蝉の穴
 万緑や消した未来の立つてをり


 新鮮な個性的な感覚に感動していましたら、ちょっと思索的、哲学的な句も。蝉の儚い命に人間の一生が重ねられて。「消した未来」とは選ばなかった未来のことでしょうか。そういえばあの鞦韆の句の余白も哲学ぽいかもと思いました。
 
 いい句集を読ませて頂き心より感謝申し上げます。これからもご健詠を。楽しみに致しております。

【抜粋】〈「俳句四季」2月号〉俳壇観測193 高齢は俳句でこそ生きる 筑紫磐井


●百歳の伊丹三樹彦
 昨年金子兜太がなくなり、この一年間は兜太に明け暮れた気がする。もともと昨年九月の誕生日で白寿(満年齢)を迎えたら、主宰誌「海程」を終刊し、自由な活動を始めると言っていたのだが、その前の二月二〇日に九八歳で亡くなってしまった。その後六月二二日にお別れ会があり、藤原書店から雑誌「兜太TOTA」を創刊、九月二五日に朝日ホールで雑誌創刊シンポジウム、一一月一七日に中堅・若手を中心としたフォーラムが開かれるなど盛大なイベントが続いたのである。今年も続くであろう。
 しかし、実はすでに昨年の二月白寿(数え年齢)を祝っている前衛俳人がいる。伊丹三樹彦である。私がこの文書を書いている最中に手紙を頂いたが、特徴ある元気な筆跡である。今年二月三日には、満年齢で九九歳、数えで一〇〇歳を迎えるのである。
 伊丹は関西中心で活躍するからあまり関東では交際の機会が少ないが、新興俳句の祖というべき日野草城に師事し、戦前から活躍していた。草城門下の楠本憲吉、桂信子らと親交し、競い合い、草城の没後「青玄」を継承した。同誌で坪内稔典、松本恭子を育てる。
 伊丹の劇的変化は平成一七年である。脳梗塞となり再起不能と言われ「青玄」も終刊した。しかし驚くべきはそこからリハビリで立ち直り、その一環として膨大な俳句を制作し始めたことである。毎日二〇句のリハビリ俳句通信が手書きで書かれ知友に送られている。当時私も頂いている。やがてそれは二万句に達し、句集『知見』等四句集が編まれた。それぞれが二~三〇〇〇句を収録している壮大な句集である。これらをまとめた『続伊丹三樹彦全句集』(平成二五年刊)も刊行されている(ちなみに『伊丹三樹彦全句集』は平成四年刊一六句集収録)し、その後も『存命』『当為』と句集が出ているおり不屈の闘志である。黒田杏子は、兜太は幸せな老後を送った、「現役大往生だ」と言うが、伊丹も同様幸せな老後なのではないかと思う。
 伊丹は、戦前の新興俳句、仏像俳句からやがて写真と合体した写俳、海外俳句と進み、常に新しい展開を示した。

眼を閉ぢて少年捕虜のみな秀眉
沙羅仰ぐ口端 自ずと 花白の語
一の夢 二のゆめ 三の夢にも 沙羅
モスク 片蔭 問わぬ 語らぬ 三老爺


 私の関心があるのが、伊丹が独自に「わかちがき」という表記法を採用していることだ。昨今保守的な若い作家たちの間では「切れ」が盛んに重視されている。切れの無い俳句は許されないと言うのだが、形式にこだわり過ぎた妙な意見だと思う。評論集の準備をしている高山れおなから、時々これに対し挑発的な電話やメールが来て私も同調している。確かに、それ程切れが大事なら高柳重信の多行形式や伊丹のわかちがきに倣ったらどうかと思う。これほどはっきり「切れ」の分る俳句はないからだ。ことほど左様に伊丹は現代俳句にとって常に刺激を放出している。この元気な超高齢者からは学ぶことがまだまだありそうである。
 最新の俳句年鑑から、近作を選んでみよう。一人住まい(平成二六年に生涯の伴侶伊丹公子を失っている)のマンションでの九九歳の生活には鬼気迫るものがある。

筆紙に黴 俳句生活 半世紀
ペンを執る 夜闇を忘れた街空で
短夜の 思いの募る 十七文字
句作での 不眠の町空 明け鴉


 ※詳しくは「俳句四季」2月号をお読み下さい。

【佐藤りえ句集『景色』を読みたい】2 言葉の屈折としての旧仮名———佐藤りえ『景色』を読む  小野裕三

 彼女の俳句における旧仮名は、これほどに美しい旧仮名の使われ方は他に見たことがないのではないか、と思わせるくらい、印象的だ。

   みづうみにきれいなはうを置いていく
   雲を飼ふやうにコップを伏せてみる
   中華飯店おとがとほつていくからだ

 「みづうみ」や「はう」をわざわざ漢字でなく平仮名で書いているのは、まさにその文字使いの美しさのゆえだろうし、まるで己れの美しさを知る者が望んで裸体を披露しているといったふうで、いかにも自信に満ちた気品を感じる。旧仮名が元来持つ柔らかさや繊細さがここでは最大限に引き出され、彼女の俳句の本質的な何かを体現するかのように際立つ。
 しかしながら興味深いのは、これらの旧仮名が日本の詩歌の古層へとまっすぐに根を下ろしているようには決して思えないことだ。彼女の俳句はどちらかと言えば、欧州の都市や町を包む重たい夜を思わせる。

   またバスに乗る透明な火を抱いて
   パリの地図ひろげておとなしい孔雀
   一本に警官ひとり夜の新樹
   開かれるまでアルバムは夜の仕事
   恋人が針呑むやうに静かな夜

 少なくとも、これらの句の背景にある「夜」は、日本の古層的な文脈からは離れたものだろうし、むしろここに描かれた「夜」は、圧倒的な想像力を孕みながら西洋の詩を支えてきた「夜」に近いもののように感じられる。それが彼女の俳句に現れたのもそれほど不可解なことではなく、その「夜」は西洋詩の翻訳を通じて日本の近代詩にも間接的に多大の影響を与えたはずのものでもあり、彼女もまた一人の日本の詩人としてその余波の中に住む。
 そんな「夜」を孕むことで、ここでの句はいかにもひりひりとしている。脆さや危うさに似たものを抱えているようにも見えるが、それもつまりは圧倒的な「夜」の力ゆえのものかも知れない。
 理屈だけで考えるならば、日本の文化である旧仮名とそのような西洋詩的な夜とはどこか矛盾したものとも思える。だが、彼女の句の中ではそのような二つの要素が違和感なく統合され調和している。
 と言うのも、ここでの旧仮名は日本文化の古層に繋がるというよりはむしろ、圧倒的な「夜」の力が言葉の表面にもたらした屈折のように思えるのだ。ちょうど、水面に広がっていくさざ波のようで、想像力がもたらす力の余韻が言葉の表面に当たって屈折し、旧仮名としてそこに浮かび上がる。そんなふうに思えるのだ。
 このような余韻としての屈折は、旧仮名だけでなく彼女の俳句の中でさまざまな形をとる。例えば、彼女の句は時に白昼夢のような様相を見せる。

   いくたびも池の頭に飛び込めり
   醒めるたび函開けてゐる春の夢
   生きてきてバケツに蟻をあふれしむ

 これらの句に共通する反復性に注目したい。これらの反復もどこかさざ波めいていて、何かをひたすら繰り返すことによってその果てに白昼夢めいたものが立ち現れる。圧倒的な闇の余韻が人間らの営む非力な昼へとたどり着いた時に、さざ波のように幾重にも屈折したイメージとして結晶する。そんなふうにも思える。
 あるいは、時に彼女の句は俳諧味にも通じるユーモアを見せることもある。

   眠かつた世界史(ロマノフ朝の転機)
   踊れない方に加はるクリスマス
   厚着して紙を配つてゐる仕事

 だがこれらのユーモアも、単なる可笑しみといったことに留まらず、どこかプリズムのように屈折した光景を結んでいる。
 いずれにせよ、「夜」の想像力を基盤として、その圧倒的な力の流れを言葉でそのまま受け止めることで、むしろ言葉の脆さゆえの多様な屈折を描き出す。それが、彼女の句の特徴と言える。そんなふうに彼女の句には、強さと脆さの光が屈折し合いながら魔法のように共存しており、そしてそれゆえに独特の美しさを放つ。

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~④  のどか


Ⅲ シベリア抑留語り部の体験談(2)

(2)武装解除

 2017年(平成29年)10月29日中島裕(ゆたか)さんは、足を少し引きずりながら、平和記念史料館の壇上に立った。 92歳の中島さんは、年齢を思わせない若さと優しい人柄のにじみ出るとても謙虚な印象の方である。足は、抑留中の伐採作業時の怪我によると言う。
後日、中島さんからは、「戦場体験放映保存の会」主催の“戦場体験者と出会える茶話会”(浅草公会堂)での体験談と著書「我が青春の軌跡 絵画集」を併せて参考にすることの許可を頂いたので、ここからは中島さんの体験を基に、話を進める。
太平洋戦争が進み加藤隼(はやぶさ)戦闘隊にあこがれ、先輩たちも皆兵隊になろうとしていた時代、中島さんも1943年(昭和18年)暮れに、陸軍特別幹部候補生の学校に入学した。初年兵の基本教育を経て、中島さんは満州に出征した。
1945年(昭和20年)8月9日のソ連の侵攻を受け、中島さん達は、兵舎や飛行機を燃やし、旧満州(現在の中国東北部)の東京(とんきん)城(じょう)から8月13日に脱出、8月17日にトラックを捨てて山中を歩いた。
疲れて眠った時にソ連兵に取り囲まれ、ソ連軍の隊長と思しき将校が戦車の天蓋から姿を現し、2日前に日本軍は敗戦となり連合軍に、無条件降伏をしたことを告げられ直ちに武装解除され、敦化(とんか)の沙河沿(サガエン)まで歩いた。
ソ連兵は、71連発連射できるマンドリンという銃を持っているのに対し、日本兵は三八式歩兵銃(装弾数5発)である。(三八式歩兵銃は、明治41年から昭和20年まで日本陸軍に配備された。)

(3)ダワイトウキョウ(東京へ行こう)
 中島さん達日本兵は、9月1日に沙河沿(さがえん)飛行場の一角に収容され、10月12日までテント生活をした。
敦化(とんか)、沙河沿(サガエン)から「ダワイトウキョウ(東京へ行こう)」と騙され牡丹江(ぼたんこう)まで250㎞を5日かけて歩くように言われたが、5日では到着できなかった。
移動の途中開拓団の老人や婦人、子どもたちの一団に出会った。「兵隊さん、助けてください。」と言われても、武器を持たず、マンドリンを持った兵士に監視され、何もしてあげることができず本当に無力だと思った。
 満州からの邦人避難民は、飛行場格納庫に収容され厳しく監視をされ、ソ連兵は、自由に格納庫に出入りし、婦女子の強姦や輪姦を重ねていた。
当時ソ連の第一戦にいた兵士たちの中には、恩赦を受けた犯罪者も多くいたと言う。
 牡丹江郊外の掖河(えきが)の戦場跡。小高い草原は、激戦の跡が生々しく、腐敗した日本兵の遺体があちらこちらに散乱し裸の部分は、白骨化して被服に覆われた部分は、大量の蛆が蠢いていた。
 戦車に蹂躙され野犬や狐やカラス等に食われてまともな遺体は、一つも無かった。
中島さん達は、牡丹江掖河(えきが)で10月18日から11月3日まで、帰国命令が出ないまま野営生活を続けることになる。
連日、ソ連軍の指示で貨物列車に物資を乗せる仕事に駆り出された。
在満部隊や在留日本人家庭からとりたてた物資を貨物列車に積む仕事である。中島さん達日本兵が帰国してから復興に役立つ物ばかりだと巧みに騙された。

(4) シベリアへ
 シベリア抑留地と言っても、ある一定の地域の名称では無く、東はカムチャッカ半島から沿海州、西は黒海沿岸部からモスクワ、北は北極圏から南はモンゴルまで及んだ。
 昭和20年11月3日。掖河(えきが)の貨物駅を50両編成の列車が出発した。(中島さん達日本兵50大隊1,000名は、各車40名ずつ25両、他にソ連軍将校車、監視兵の乗った車両、炊事車25両。)
ダワイトウキョウと騙され乗り込んだ貨車で、16日間に及ぶ日数をかけ、シベリアの奥地まで運ばれることとなる。
有蓋貨車内は、ドアの幅だけ空間はあるが、薪を積みストーブを置き、トイレ用の樽を置くと殆ど隙間が無かった。発車後5日目初めて外で用を足すことがゆるされた。
貨車は、バイカル湖を通過した。湖面は既に見渡す限り凍結し、荷物を満載したトラックが走っていた。
とある駅で、カーシャ(粥)の配給があり、食事当番だった中島さんは、戦友と食缶をさげて受け取りに向かった。
長いこと待たされて、中島さんはあまりの寒さに失神してしまい、仲間に貨車内に運んでもらい事なきを得たという。
こうして、タイシェット46キロ地点の第五収容所に到着した。

(5)収容所(ラーゲリ)
 敷地の中には、宿舎、医務室、炊事場、食堂などがあった。中島さん達は、自分たちを閉じ込める鉄条網を張り巡らし、監視塔も作らねばならなかった。
敷地の四隅には監視塔があり、昼夜ソ連兵がマンドリンを持ち見張ってをり
、日本人捕虜が塀に近づけば容赦無く発砲された。
宿舎はログ式テント(ドイツ兵の使っていた二重張り)酷寒期のマイナス60度では、ストーブを焚いても温まらない。
翌朝には、服から鼻の穴まで煤で真っ黒になった。
床について10から15分で、無数の南京虫に襲われる。たいまつの火を近づけるといなくなる。一晩中、南京虫との闘いで寝られなかったと言う。

参考文献
『我が青春の軌跡 絵画集』中島裕著(戦場体験放映保存の会収蔵)

2019年1月11日金曜日

第105号

※次回更新 1/25

特集・大本義幸追悼「俳句新空間全句集」

筑紫磐井編        》読む

【100号記念】特集『俳句帖五句選』

その1(飯田冬眞・浅沼璞・内村恭子)》読む
その2(神谷波・五島高資・小沢麻結)》読む
その3(坂間恒子・岸本尚毅・加藤知子)》読む
その4(木村オサム・近江文代・曾根毅)》読む
その5(田中葉月・北川美美)》読む
その6(小野裕三・ 西村麒麟・ 田中葉月・ 渕上信子)》読む
その7(五島高資・ 水岩瞳・ 仙田洋子・ 松下カロ)》読む
その8(青木百舌鳥・花尻万博・椿屋実梛・真矢ひろみ)》読む

■平成俳句帖(毎金曜日更新)  》読む

冬興帖
第一(1/11)池田澄子・曾根 毅・山本敏倖・仙田洋子

秋興帖
第八(12/14)依光正樹・依光陽子・浅沼 璞・佐藤りえ
第九(12/21)小沢麻結・西村麒麟・大関のどか・水岩瞳
第十(12/28)五島高資・青木百舌鳥・池田澄子・真矢ひろみ・井口時男・筑紫磐井

■連載

【新連載】佐藤りえ第1句集『景色』を読みたい 
1 「大丈夫」ということ/宮崎斗士  》読む

葉月第1句集『子音』を読みたい 
2 「魔女の途中」 田中葉月を考える/森さかえ  》読む

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~③ のどか  》読む

麻乃第2句集『るん』を読みたい
インデックスページ    》読む
7 識と無意識と/川越歌澄  》読む

大井恒行の日々彼是 随時更新中!  》読む

句集歌集逍遙  『兜太 TOTA』vol.1/佐藤りえ  》読む


■Recent entries

「兜太と未来俳句のための研究フォーラム」アルバム

※壇上全体・会場風景写真を追加しました(12/28)


たとえ僕らの骨が諸刃の刃だとしても ~竹岡一郎句集「けものの苗」を読んで~
豊里友行  》読む
【抜粋】〈「WEP俳句通信」105号〉
朝日俳壇新選者――高山れおな(人物紹介) 筑紫磐井  》読む

第5回 詩歌トライアスロン募集について

眠兎第1句集『御意』を読みたい
インデックスページ    》読む

麒麟第2句集『鴨』を読みたい
インデックスページ    》読む
10.『鴨』――その付合的注釈   浅沼 璞  》読む

前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井
インデックスページ    》読む

「WEP俳句通信」 抜粋記事  》見てみる

およそ日刊俳句新空間  》読む
…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
1月の執筆者 (渡邉美保

俳句新空間を読む  》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子





豈61号 発売中!購入は邑書林まで

—筑紫磐井最新編著—
虚子は戦後俳句をどう読んだか
埋もれていた「玉藻」研究座談会
深夜叢書社刊
ISBN 978-4-88032-447-0 ¥2700
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「兜太 TOTA」創刊号
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特集・大本義幸追悼「俳句新空間全句集」                       筑紫磐井編


 「豈」創刊同人であり、「俳句新空間」にも毎回参加されていた大本氏が昨年10月18日に亡くなった。実は「豈」創刊前に、「黄金海岸」という同人雑誌を創刊しており、この同人に攝津幸彦や坪内稔典らがいたから、いわゆる現代派と呼ばれる戦後生まれ作家の兄貴分にあたる作家であったのである。「黄金海岸」以後は、攝津幸彦の「豈」に一貫して作品を発表した。句集に『硝子器に春の影みち』がある。
 いずれ「豈」においても特集が組まれる予定であるが、BLOG「俳句新空間」においてもそれに先立ち「俳句新空間」に発表された全句集をもって追悼特集を組むこととしたい。『硝子器に春の影みち』以後の作品集を構成するものである。題名はすべて「老人と犬の国」。これは何を意味したものだろうか。

■俳句新空間第9号(30年4月30日)
―新春帖―老人と犬の国⑧ 大本義幸


朝だおきろ蝌蚪螻蛄蚯蚓そして毛虫たち
夜と朝の区別などない闇が捲れてゆく
三月の草木清楚で強いひかりを秘めて
此の坂もことしはダメか義足では
坂を上ると三月櫻がちらほらと咲き
沼に語りかける私には声がない
最後の常夜灯が消えて陽がのぼる
冷たさを秘めた鏃のような朝の陽
豆腐屋に霊が集まりひそひそと
梅雨晴れ間癌緩和センターに男たち
霜たける癌緩和センターの男たち
癌もコワイが副作用はもっと怖い
物言わぬわれを昼月が追ってくる
水音に誘われて咲くさくらかな
痛恨の如く朝日ののぼりくる
葉桜はまだか疵の如く葉が擦れ
血止め草午後の乾きを誘う草
銀河の尾はオーロラではない
ああ夕陽疲労にまみれ真赤です
骨の軋むような常闇がくる

■第8号(29年12月10日)
●世界名勝俳句選集
大本義幸

  四万十川
河とその名きれいに曲がる朝の邦
穀雨かな四万十川の虹二重
※若き日、松山に住んでいた頃高知のたむらちせい氏を訪うた。
  淀川
寵池事件淀川支流しずり雪
又の世は豆腐になって生まれたし
※今年の二月、肺癌再発の再検査で入院した。淀川に降る雪をみていた。
  千曲川
真直ぐに生きたしと思えば迷い雲
半鐘の鳴る村にうまれた夭き雲
※バーの店主に、上品な釣りだよ、と、鮎の友釣りを教わった。
  猪名川
猪名リバー胸抉るその逆白波
※猪名川畔で夜勤の多い印刷工を十年やった。心底疲れ切った。

―日盛帖―老人と犬の国⑦ 大本義幸

今、霊魂が躯を出てゆくところ
それを見ている幽霊には声がない
見果てぬ夢のかけらそれが霊
幽霊はふらふらと、霊魂は垂直に
声をもたない私は幽霊なのか、な
どんなものにも重さと形はあるが、
霊には重さも形もないが圧力はある
誰にでもある記憶の濃淡それが。
風の渦巻き、記憶の捩れ、もしかして
来しかたを刺す石の鏃それが霊かも

○肺癌の認定方法
関西医大枚方に入院したのは今年の二月六日~二月二五日までの二十日間。月曜に入院し、月曜は撮りためていたCT画像で、三年前の放射線治療の跡のすぐそばに新生の癌ができたかもしれない、と、いう説明。いわゆる再発だが、三年前は、七ミリで発見した。五ミリの白い影が少し大きくなるのを十四か月待つた。癌かもしれない、で、検査入院した。
七ミリの扁平表皮癌が検出された。パソコンで調べて松下記念病院に三泊四日の放射線治療のため入院した。この七ミリの放射線治療をした近くに出来ているかもしれない新生癌は、さしずめ四ミリ以下であるだろう。小さすぎて検査にも出せない大きさだ。関西医大では検査をして癌だと認定できなければいかなる処置も出来ないことになっているらしい今回は十一月二十八日に撮った松下記念病院でのPET画像が癌の確定に寄与している。
入院二日目から抗癌剤投与が始まった。二月のハッピーな入院生活を終え、片道二時限の癌緩和センターへの週一回の通院がはじまった。六月十三日まで五か月間、十五回の癌剤投与をやった。その副作用が足と手にでた。足はふらふらで歩けなくなり、今は義足を装着してやっとあるいている。手は文字がうまく書けない。PET画像は、ブドウ糖液が癌に付着しやすいという習性を利用しているわけだが、付着したから癌とはかぎらない。早期の癌の発見にも、それなりに、問題はある。

■第7号(29年3月25日)
―新春帖―老人と犬の国⑥ 大本義幸


わが声は喃語以下とかこの冬は
缶をあける音こそ喃語と湊圭史
擦れ揉まれくしゃくしゃ神が紙か
どんなものでも觜は冷たく硬い
紙をこすり生存を抱えもつ
荒木経惟は片目で世界を撮る
輪はふしぎなにもないけどのぞきみる
天体を鏡(きょう)とせり古代の舟は
風が刺す来し方これでいいのだ
赤ちゃんの発声練習が喃語です
ハングルはカタカナよりも困るなあ
おおかみのいない世界と思うかな
なんであれ釜山の売春少女像
光あれ河口の町の薄氷
本名を俳号とする不思議かな
骨組の目立たぬ人と冬に入る
一月の不思議な川は月に就き
天蓋の匂いに似たる金木犀
あっ、今年闇に匂わず金木犀
声なし味覚なし匂いなしこの軀

■第6号(28年9月15日)
●21世紀俳句選集
大本義幸

硝子器に風は充ちてよこの国に死なむ
ごめんねノートに遺す鰯雲
たんぽぽが死にたいと云う夕暮れだ
星きれい餓死という選択もある
三月の風よ集まれ釘に疵
夕暮れがきて貧困を措いてゆく
年収200万風が愛した鉄の町
風が喰(は)む硝子の歯ぎしりブラザー軒
長崎軍艦島に潜入タモリ一行
音声機能喪失わたしには声がない

―日盛帖―老人と犬の国⑤ 大本義幸

夕暮れのキリンの首を知らず踏む
シャッター街神の仕業かもしれぬ
葉桜はやさしき嘘にそまりつつ
やさしき雨わたくしは死をみていた
水音にさそわれている野望とか
梅雨晴れ間今の気持ちは知足かな
痛恨や真夏の蚊をまだ打たず
大きさの周りにいつも鯨いる
汗引いて戦争のことふと思う
鶏の鶏冠の赤はテロの赤
わが影にさしたる濃淡なかりけり
人間におおきな影のついてくる
月は欠け昨夜美し山河かな
合歓ひらく今生の生とじながら
五六人穴のまわりに影たてり
その日よりわが影に憑く昼の月
ぬけがらの幽霊いつも豆腐屋に
蹠(あしうら)の痒くなる日や十三夜
眠る波地球はまるいと水平線
豆腐屋に死人集まり幽霊は

■第5号(28年2月25日)
―新春帖―老人と犬の国④ 大本義幸


蹠(あしのうら) ひろげて夏蝉死んでいる
餌やるなドバトーカピパラ・猫寒いね
静かに螻蛄・毛虫地球はまだ眠っている
燃えないゴミ分別厳守の日
角野稔さんが死んだこれで五人目だ
われわれ七名は越前河岸に同宿したことがある
シリアからの難民三十万人ドイツを目指す
かつては天竺川にカピパラが居た
あれなんだ私に聞くな答える声がない
東京から出張中の轡田さんがまず逝った
酒好きな植村、和気さんがつづいた
今年一月村井さん逝く。次の句を贈る
寒い朝吐く息がみな霊に似て
セイタカアワダチソウは難民に似て、風が。
今年は世界中が難民に寛容だ
霜の夜精神が肉体を連れてくる
日本は北朝鮮の難民を受け入れるだろうか
たまたまなのか五人が死んだキモイ
凡庸に生きて六度の癌を賜る
シヤッター街神の仕業か霜を楷き

■第4号(27年8月20日)
―日盛帖―老人と犬の国 3 大本義幸


早朝の天竺川畔散歩が日課だ
初春でも朝四時はまだ暗い
あっ、桜に蕾が。!(びっくりまーく)だ
夜と朝のすきまにもぐりこんで歩く
水中に泥亀がいる動かない
生きていると云ってみ泥亀よ
三月の風よ集まれ釘に疵
櫻三月死者たちは裸足で歩く
ふりむくなら生きていると云ってくれ亀
音声機能喪失わたしには声がない
ブラタモリ」をユウチュウブで観る
長崎も寒いねと雪の中を歩いている
魚に骨坂の途中に造船所
長崎県軍艦島に潜入タモリー行
最盛期に五〇〇〇人が生活していた街だ
整備工いつも白服坂の町
わたしには声がない世界がみえない
櫻蘂われに声なし夏が来た
軍国時代の島と云うより街だ
軍艦島世界遺産反対と韓国政府

■第3号(27年2月20日)
―新春帖―老人と犬の国 2 大本義幸


わが生も風花ほどの重さにて
ブルーテントブルースああ雨だ
風死して星生まれくる泥土かな
東京難民大阪難民ここはどこ
天使など連れてくるなよ霊魂よ
年収200万風が愛した鉄の町
夕暮れがきて貧困を拑いてゆく
ところてん静かに沈み夕暮れだ
右手から闇に消えゆく路地の奥
ノンアルコールビールだねこの町
もしかして吐く息はみな霊に似て
災難はほら、輝く星とくるきっと
天災と朝顔ポストは右へと曲がる
白南風後期高齢者医療被保険者証
ほ、ほ、っ君は螢ホスピタル
死者はみな君の記憶を徒渉(かちわたる)
美しき星は泥土を浴す秋祭り
やわらかき右脳路地裏の猫よ
口開けて何も語らず轡田くん
つまり、死に行くものは語らず

■第2号(26年8月30日)
―夏行帖―老人と犬の国 大本義幸


風が喰(は)む硝子の歯ぎしりブラザー軒
風が煽る貧困歩いてくる影
高田渡的貧しい月がでる
ほざくなタンポポ死にたいなんて
眠れ、眠れ、ないのです。硝子が軋み
泡立ち草死にたくはないのだ俺も
死んでみたいとたんぽぽがほざく夕暮だ
歩き、歩き疲れて。草に埋もれて
貧困が歩いてくるL字病棟から
あの陰影死者をはこぶエレベーター
病院で死ぬということいぬふぐり
風が煽っている貧困をすこし
死体を隠すによい河口の町だね
老犬がひく老人暮れてゆく
つねに老婆は貧困に遭遇する
あばあさん僕より年上のおばあさん
生きるってつらいねそこのミミズ君
踏まれ、踏まれて。繊細になる指と釘の頭
わっせわせ肋(あばら)よ踊れ肺癌だ
さらば地球われら雫(いずく)す春の水

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~③ のどか

Ⅲ. シベリア抑留語り部の体験談

(1)ソ連軍の侵攻
 筆者は、2017年(平成29年)10月29日、新宿にある平和祈念資料館で、語り部の山田治男さんの体験談を伺った。
 山田さんは、92歳とは思えないほど姿勢が良く矍鑠とした風貌であった。 
 今回は、「ソ連軍の侵攻」について山田さんの体験談から紹介させていただくこととする。
 山田さんの所属した軍は、中国東北地方(旧満州の最北部とロシアの国境)を流れる黒竜江(アムール河)を挟んでロシア領ブラゴベシチェンスクの対岸の愛(あい)輝(ぐん)という町の関東軍独立混成第135旅団であった。
 愛琿陣地のある愛輝地区には、一般人も住み、日本人街ができていた。
 1945年(昭和20年)8月9日、ソ連軍が日ソ不可侵条約を一方的に破棄し、侵攻してきた。
 そのころ太平洋戦争の戦況悪化により、関東軍は南方戦線に兵器を運んでいた。
 山田さんの軍も、南方戦線へ兵器を送るために段取りをし、駅に運んでいたので武器がなかったと言う。 
 竹竿の中に手留弾を5個詰めたものを持ち、蛸壺と呼ばれる壕に潜み敵の戦車を撃破する肉薄戦により防衛を図った。こちら側の作戦に気づいたソ連軍は、壕を大きく迂回して行った。
 邦人保護や祖国を守るため、武力の乏しい中攻撃に耐え、8月9日から8月18日まで交戦、10日間の戦闘で6万人の兵士が亡くなったと山田さんは語った。
 その粘り強い防御戦と対戦車肉薄攻撃は、ソ連軍を驚愕させ、「アイグンスキー」と畏敬の念をこめて呼ばせたと言う。
 山田さんは、その時の戦力の差について触れていたが、筆者の記録が明確でないため富田武氏の『シベリア抑留‐スターリン独裁下、「収容所群島」の実像』から日ソ戦の戦力の差について紹介する。

 極東ソ連軍と日本軍(本土防衛軍を除く関東軍、朝鮮軍、南樺太・千島駐屯軍)の兵力を比較すると、兵員数では、約175万8千対約118万人(3対2)であり、大砲・戦車、航空機の保有量ではさらに大きかった。
 表2-1「極東ソ連軍と日本軍の兵力」では、大砲・迫撃砲は、29,835対6,640(4.5対1)、戦車・装甲車は5,250対1,215(4.4対1)、戦闘機は5,171対1,907(2.7対1)と示されている。(『シベリア抑留‐スターリン独裁下、「収容所群島」の実像』富田武著 中央新書 2016)

 山田さんは、終戦を知らせに日本の将校が来たが、上官が「日本が負けるはずはない。」とその将校を射殺してしまい、その後皇族が終戦を告げに来たと言う。
孫(そん)吾(ご)で武装解除を受けソ連領ブラゴチェンスクへ、満州からの戦利品を運ぶ船に食料などを乗せる仕事をさせられた。
 それから、ダモイと騙されシベリアに連れて行かれ、強制労働をさせられ、厳しい環境に適応できず沢山の人がバタバタと死んで行ったこと、極寒・重労働・飢えに加えて捕虜を苦しめたのは、社会主義の思想教育を受けた仲間からの吊し上げによる日本人同士のいがみ合いであったと話した。
 山田さんは。シベリアで3年6か月の歳月を過ごし、昭和23年6月ナホトカ港より信濃丸で舞鶴に帰還した。
 体験談の中で山田さんは、1945年(昭和20年)8月23日のソ連の国家防衛決議第9898㏄に触れ、捕虜に対する強制労働は明らかに国際法違反だと述べている。
筆者は、山田さんの意見を理解するため、以下のことを調べたので紹介する。
 国家防衛決議第9898㏄を全て引用するのは、無理があるので要約する。
 国家国防委員会は、極東シベリアという環境での労働に身体的に敵した日本人捕虜の中から50万人を選び出し、バイカル湖アムール鉄道の建設、シベリア各地での石炭労働や鉄道労働、石油精製所の労働、森林伐採、などに充てることを定めている。(『戦後強制労働史第7巻強制抑留史編』国家防衛委員会決議No9898cc 平和記念事業特別基金:2005.3)
また、強制労働の違法性については、1995年(終戦50周年)の「国際法か
らみた日本人捕虜のシベリア抑留」東海大学平和戦略国際研究所教授 白井久也氏の論文にこう述べられている。

 日本が降伏に先立って受諾したポッタム宣言第9項には、「日本国軍隊は、完全に武装を解除されたる後、各自の家庭に復帰し、平和的かつ生産的な生活を営む機会を得しめられるべし」と規定されている。ソ連は、ポツダム宣言第9項を無視、さらに一部の民間人も含め、計60数万人を軍事捕虜としてシベリアなどへ連行、強制労働を課したのであった。(「国際法からみた日本人捕虜のシベリア抑留」東海大学平和戦略国際研究所教授 白井久也著 1995年)※「ポッタム宣言第9項」は、原文のまま。

    参考資料
    ポツダム宣言
第9条 日本国軍隊ハ完全ニ武装ヲ解除セラレタル後各自の家庭二復帰シ平和的且生産的ノ生活ヲ営ムノ機械ヲ得シメラシヘシ
(出典:外務省編『日本外交年表並主要文書』下巻 1966年刊)

《お詫び》
 12月28日掲載分のⅡシベリア抑留への歴史の中で、一部出典の不明瞭な
引用がございましたのでお詫びし、ここに記載します。
 
「横浜貿易新報」1918年(大正7年)の引用箇所:(与謝野晶子の『何故の出兵か』 岩波書店岩波文庫 青空文庫)

 満州開拓政策の隠された狙い(小川津根子:元帝京大学教授):平成19年(2007)1月20日、東京高等裁判所第十六民事部あて提出「中国在留邦人訴訟陳述意見書」第二 残留婦人を生んだ歴史的背景」、「1 農業移民の軍事的・政治的役割」の「(ロ)移民に課せられた任務」

〈新連載〉佐藤りえ第一句集『景色』を読みたい1 「大丈夫」ということ  宮崎斗士


中空に浮いたままでも大丈夫

佐藤りえ句集『景色』。一冊を読み終えたあと、ふとこの句に注目。これは一体何が大丈夫なのか?としばし考え込んでしまった。
「常にどこか所在なく、浮草のような現身を扱いかねながら、偶々此の世に端居しつつ、気づけば手になにか書くものを握り、日々紙を汚している。(中略)またぼんやりと浮世を漂いながら、ペンを握っている。(以上「あとがき」より)」――この浮遊感があらためて胸に沁みてくる。
作者ならではの浮遊感を湛えた作品群。たとえば、

つぎの世へ何を連絡する係
まるめろや主義があるんだかないんだか
生存に許可が要る気がする五月
蓮見てもいいし舟漕いでもいいし
うるはしき地球忘れてしまひけり

露霜や此の世はよその家ばかり


「よその家ばかり」とざくっと言い切る、その姿勢にまずは圧倒される。此岸での居場所の無さ、所在無さ。そして、

さうでない家のお菓子を食べてゐる

「さうでない家」という措辞に滋味あり。この「さうでない」から、型通りのお仕着せの「ホーム」という概念への作者の違和感が汲み取れる。しかし違和感ばかりではなく、そんな現実とあえて戯れている様相も見えてくる。「お菓子を食べてゐる」の巧。

加えて、身体感覚の独特な捉え方、描き方に唸らされた作品群。

酔ひ酔ひて椎茸になるかもしれぬ
満身の鱗剥落人となる
しはぶいてあたまの穴のひろがりぬ
雪のおとつらぬけば耳研がれるよ
ひとしきり泣いて氷柱となるまで立つ
首か椿か持てない方を置いて行く

テンピュール枕に猫のゐる暮らし


テンピュール枕のあの感触、そして猫と共にある日常。ただ単に「猫のような感触」というのではなく、下五「暮らし」とまで言って、ひとしきり印象深い一句となった。猫関連の句では、「茹で卵剥くとき猫の貌になる」にもいたく共鳴。猫のじっと睨んでくるあの目が浮かんでくる。感触を活かすといえば、

アストロノート蒟蒻を食ふ訓練

この句も、無重力状態を「蒟蒻」の食感に喩えて、際立つ一句に。

秋晴れやひたひに眼あきさうな

秋晴れ、天高しの爽やかさを、もっと受け止めたい、目に焼き付けたいという心身からの欲求だろうか。中七下五の措辞、大胆にしてすこぶる説得力あり。

盆の窪押されて春のこゑがでる

上五「盆の窪」が見事に決まった。ふと盆の窪を押されることで思わず「春のこゑ」が出る‥‥春の訪れを認識する。ユーモラスでありながら、作者の境涯感も滲む一景。

そして特に印象的だった作品群。問題句も交えて。

文字書いてないところだけさはりなよ 

一読「耳なし芳一」かと思った。刺激的な一句ではある。心身のうちの理でない部分、ロジックで防御していない部分のみを「さはりなよ」と挑発。スリリングな関係性がどこか心地よい。でも、こう言われると、逆に全身くまなく触りたくなるものだが‥‥。

乾電池銜へたやうな油照り

情景を思い浮かべ、そのトボケ味につい爆笑してしまったが、炎天下において身体がまるで一つのオブジェになったような感覚、十分に共鳴できる。

人工を恥ぢて人工知能泣く

この句集には「存在の哀しみ」を詠った句が幾度も出てくるが、この句はその一つの極北かも知れない。「人工を恥ぢて」、何とも鮮烈な、そして哀切極まる視点。「冬山に人工知能凍ててをる」もまた同様の視点か。

パリの地図ひろげておとなしい孔雀

図らずも時事俳句となってしまったか‥‥。作者の意図としては、お洒落で華やかなパリに気後れしている孔雀を描きたかったかのも知れない。ここ最近のパリの騒乱と「おとなしい孔雀」とが絶妙なコントラスト。

開かれるまでアルバムは夜の仕事

アルバムの内容の賑やかさ、溢れる懐かしさと対比する形で、閉じたままのアルバムの有りようをいかに表現するか――。下五「夜の仕事」、この「夜」の意図をどう捉えるかで句の解釈はいかようにも違ってくる。たとえば「開かれるまでアルバムは闇のよう」とすれば幾分かは明快になるが、作者の望むところではもちろんないだろう。筆者としては、「(アルバムが)開かれるべき明日に備えて、待機、準備している」というふうに解釈。アルバムというものの内実を的確に捉えた一句と思った。

生きてきてバケツに蟻をあふれしむ

一読、中七下五の映像のインパクトに息を呑まされた。自分という存在を持て余しているようで、どこかその蠢きを強く肯定している作者像が伝わる。

雲を飼ふやうにコップを伏せてみる

句集中の重要なポイントとなる一句と筆者は思う。「コップを伏せる」という何気ない所作による、一個人と大空――森羅万象との繋がり。コップの内側に浮かぶ作者の「雲」がしっかりと見えてくる。決して声高ではなく、自らの生、存在を訴える作者‥‥。作者の、この句集に込めた思いの丈、作者ならではの「大丈夫」のこころがじんわりと広がってくるようだ。

足首を摑んで投げる鳥雲に

これが句集『景色』最後の一句である。「鳥になりたい」という一般的、普遍的な願望。それに対し、「そんなに鳥になりたいのなら、こうしてあげる!」とばかりにその足首を摑んで雲の彼方へと投擲する。あっけらかんとした暴力性、闇雲なパワー‥‥。あるいは「足首を摑んで投げ」られるのは読者なのかも知れない。一冊の句集に圧倒され、翻弄され、魅せられたあげくの何とも快い幕切れである。

堪能した! このまま作者の隣で中空に漂っていたい、とさえ思う。

【葉月第1句集『子音』を読みたい】2「魔女の途中」 田中葉月を考える  森さかえ

   葱白し七つの大罪ほぼ犯し          田中 葉月

 七つの大罪というのは、キリスト教において、他のもろもろの罪の基になると考えられた「虚栄、貪欲、色欲、暴食、憤怒、嫉妬、怠惰」という七つの罪である。この七つの大罪をテーマにしたサイコサスペンス映画の「セブン」はブラッドピット主演でヒットした。その七つの大罪ほぼ犯したという、田中葉月というのは、いかなる俳人であろうか。
私は、少女の純真さと脳天気さを持ちながら、魔女の狡猾さと怖ろしさを合わせ持つ、そんな彼女の俳句が好きである。
 自分でも、句集「子音」のあとがきに「未だ定まらぬ句の傾向にもどかしさはあるものの、日常と非日常、実と虚を行ったり来たりできる自由な翼を持てる俳句が楽しい」と書いている。
 自分で言っているように、確かに句の傾向が定まらないところがある。

 もう一度抱つこしてパパ桜貝
 陽炎やふりかへらない君のゐて
 まあだだよ野遊びの背に父の声
 春光をあつめ片足フラミンゴ


 このへんの句は、悪い句ではないが、日常の実のまんまで飛び立てていない句ではないかと私には思えるのである。一読「はあそうですか」という感想で終わってしまうのだ。

  遠足のメザシぞくぞくやつて来る
  春の日をあつめて痒しマンホール
  あのときのあなたでしたかアネモネは
  短夜や心音独り歩きして
  風薫るをとこは凡そ直列で


 田中葉月という俳人は、ある意味、現状に満足をしている生活者である。俳句も、現実のふとした日常から題材を取って、そこからあれこれ構成していくのだと思う。だから、ややもすると現実のまま、そのまんまの日常にからみとられた句を作ってしまいがちなのである。だが、そこに、魔女のささやきが入って、言葉がうまく飛んでくれると、実に面白い句が出来あがる。
 一句目、「遠足のメザシぞくぞくやつて来る」って、どういうこと?お弁当にメザシが入っているの?なんていう疑問を吹っ飛ばしてメザシはぞくぞくやって来るのだ。ちょっと怖い。
「春の日をあつめて痒し」は、なんとなくわかる気がするけど、「マンホール」って、なに?マンホールが痒いのか?と読者に色んな事を考えさせるのである。この意外な飛び方は面白い。
 三句目も、「あのときのあなたでしたか」で軽く切れているのだが、読みはストレートに「あのときのあなたでしたかアネモネは」と読んでしまう。で、「アネモネ」って誰?ということになる。
 独り歩きする心音、直列の男達、読者をあしらう魔女の部分である。乙女チックなポエジーから魔女的な詩が生まれてくるのである。
 「魔女の途中」という、勝手なタイトルも、田中葉月という俳人が、乙女チックな平凡な俳人から、したたかで狡猾な魔女的俳人への途中であるという意味合いである。

 父の日やそろそろ父の顔をぬぎ
 冷ざうこ裸の卵ならびをり
 栗名月ひらたいかほで正座して
 コスモスやもうにんげんにもどれない
 半音のかすかにずれる鰯雲


 一句目、家族の前では父だが、家庭を離れるとまったく別の顔を父は持つのである。父は父であって父ではないのだ。
 二句目は、「裸の卵」が発見である。言われてみれば、確かに卵は裸なのだろう。
 三句目、「ひらたいかほ」が、名月を見るにふさわしい顔のような気がしてくる。
 四句目、七つの大罪ほぼ犯すような人はたしかに「もうにんげんにもどれない」かもしれない。
 五句目、歌を歌うのか、楽器を弾くのか、そんな日常の中での半音のかすかなずれである。取合せの「鰯雲」もきいている。

 マスクしてみな美しき手術台
 まづ一つボタン外して卵酒
 葱白し七つの大罪ほぼ犯し
 凍鶴やうざうむざうに脚あげて
 風花す銀紙ほどのやさしさに


 手術台というと、「手術台の上のミシンとこうもり傘の出逢いのように美しい」という、ロートレアモンの言葉を思い出してしまうのだが、作者はそんなこと関係ないのだ。「マスクしてみな美しき」というのは、実体験をもとにした言葉らしいのだが、現実を飛び越してしまう面白さがある。
 「まづ一つボタン外して」って、なんでボタンを外すの?と思ってしまう。ちょっとエロスの香りがして、男はコロリである。でも、「卵酒」は、動きそうな気がする。
 「凍鶴」の句は、さきのフラミンゴの句と比べれば、その面白さがよく分かる。片足あげた普通のフラミンゴにくらべると「うざうむざうに脚あげ」た凍鶴はイメージの世界へ勢いよく飛び立つのである。
 「風花す」の句は、「銀紙ほどのやさしさに」が決め手である。色んなやさしさがあるが、「銀紙ほどのやさしさ」が意表をついて面白い。イメージが出来そうでできないもどかしさも魅力である。

 田中葉月は発展途上である。と、私は勝手に思っている。日常の現実に安住してしまったり、安易な言葉の遊びに流れるようであれば、発展途上のまま終わりそうである。だが、そうはならないと思うのである。言葉のほうきに乗って、自在に俳句の空を飛びまわってほしいものである。

【麻乃第2句集『るん』を読みたい】7 識と無意識と  川越歌澄

 恋多きキリンの母よ夕立風

 一度ご一緒した動物園にはキリンがいた。数頭が暮らすその中で、生れてひと月ほどの赤ちゃんキリンと母親が別な区画に隔離されていた。梅雨の迫る湿った空気の中、静かに静かに草を食んでいた。掲句が実際のキリンを詠んだものかは分からない。「雌」ではなく「母」という語の斡旋は、子を産んだばかりのキリンにオスが寄って行ったさまを詠んだのか、もしくは人間を暗示しているという可能性も考えつつ、季節は違うがあの時の親子の姿を思い出した。
 野生のキリンは群れで暮らしている。繁殖期にオスが一頭のメスの周りに集まってくると、メスはおもむろに歩き出す。延々と歩く。オスたちはメスの後を追うが、徐々に一頭また一頭と脱落して数が減ってくる。最後までついて行った一頭が勝者だ。毅然とマイペースなキリンの姿が、ちょっと作者と重なった。

 麻乃さんは楽しくお喋りする人だが、いつもここではないどこかを見ているような気がする。

 鳩吹きて柞の森にるんの吹く

 チベット仏教における「ルン」は「光明としての心の乗り物となる微細なる風。生体エネルギーのようなもの(ダライ・ラマ法王HPより)」だそうだ。
 ぼーっという鳩吹きに呼応して柞の森で「ルン」が起こる。それは異界からの風のようでもあり、「気」の流れを思わせるものでもある。柞(=コナラ)の樹は実を落とし、葉の色を変え、森の刻が動いていく。作者は「こちら側」に身を置きながら、そうした深淵の気配を読み取ろうとしている。時間差と距離感が好い。
 句集『るん』に於いて、作者は自分の外部と内部、あるいは意識と無意識との間に流れる時間や空間の揺らぎを、包み隠さず見せているように思う。
 
 爽やかや腹立つ人が隣の座
 爽籟や神楽の撥の揃ひ出す


 上の二句が隣り合っているのを見て面白いと思った。
 
 枝垂梅驚く口の形して
 アネモネや姉妹同時に物を言ふ
 足遅き群衆にゐて春夕焼
 髭男ざらりと話す夜店かな
 蛇苺血の濃き順に並びをり
 生御霊見舞うて直ぐに叱られて
 赤坂は誰の街なる野分後
 病床の王女のごときショールかな
 狐火やここは何方の最期の地
 冬ざれや男に影がついてゆく


 上記のような句に惹かれた。「あっ」と思って一呼吸に出来たような句に、詩性を感じた。
 作者の眼を通すと、枝垂梅や蛇苺が急に笑い出したり、雑踏を歩いているうちにいつしか影が離反したりしそうだが、決してファンタジーに走ってはいない。第一句集『プールの底』からも受けた印象だが、たとえば家族のことなど、感情が激しく動かされるような事態に際しても、というかそんな時の方が、怖いほどに冷徹な作者の視線を感じる。勿論それは愛情が無いといっているのではなく、事象を受け止めて句に昇華させるという詩人の資質を、作者は持っているということなのだと思う。
 時に俳句としてはナマすぎるのではないかと思われる作品もあるが、ことばを飼い慣らす必要はない。独自の境地を、どんどん深めていかれることと思っている。

【「BLOG俳句新空間」100号記念】特集『俳句帖5句選』その8


青木百舌鳥

木の葉降る音や枝に打ち枝に打ち
川底を冬日の綾の遡りをり
釣堀の準備中なるもぢりかな
虻に生れ蠅に生れて並び居る
すくひたる手鉢の金魚かたよれり


花尻万博

蟻渡る光の川の小さい傷
繋がれて昼顔といふ確かさよ
仮の世の落とし処の雑煮餅
牛の声鬼の声草摘みにけり
美しき物の喩(たと)へを蛇苺


椿屋実梛

白秋の寝息しづかに愛のあと
秋暁のなかに横顔眠りをり
秋暁の街にその背を見送りぬ
淋しさが嵩増してゆく落葉期
思ひ出す職の遍歴十二月


真矢ひろみ

意味に飽く少年少女夏の果
聖夜かな球体関節軋みをり
ガン病棟へ寒一灯の力かな
県道にミミズのたうつ電波の日
逃げきって間のおきどころ夕端居