【俳句新空間参加の皆様への告知】

【ピックアップ】

2023年6月30日金曜日

第206号

          次回更新 7/14


豈65号 発売中! 》刊行案内

(告知)井口時男氏、現代俳句協会賞受賞! 》読む

(告知)大関博美著『極限状況を刻む俳句――ソ連抑留者・満州引揚げ者の証言に学ぶ』 》読む

救仁郷由美子追悼⑩  筑紫磐井 》読む

(広告)五七五 第11号[宗田安正追悼] 》読む


■令和俳句帖(毎金曜日更新) 》読む

令和五年春興帖
第一(6/9)仙田洋子・大井恒行
第二(6/16)杉山久子・小野裕三・神谷 波・ふけとしこ
第三(6/30)山本敏倖・小林かんな・浜脇不如帰・仲寒蟬

令和五年歳旦帖
第一(3/31)仙田洋子・仲寒蟬・杉山久子
第二(4/7)神谷波・竹岡一郎・堀本吟
第三(4/14)辻村麻乃・松下カロ
第四(4/21)山本敏倖・大井恒行・田中葉月・なつはづき
第五(4/28)中村猛虎・浅沼 璞・曾根 毅・望月士郎
第六(5/12)木村オサム
第七(5/19)ふけとしこ・岸本尚毅・渡邉美保・青木百舌鳥・眞矢ひろみ
第八(5/26)林雅樹・水岩 瞳・下坂速穂・岬光世
第九(6/3)依光正樹・依光陽子・佐藤りえ
補遺(6/16)筑紫磐井・鷲津誠次


令和四年冬興帖
第一(3/24)仙田洋子・仲寒蟬・杉山久子
第二(3/31)神谷波・竹岡一郎・堀本吟・渕上信子
第三(4/7)辻村麻乃・松下カロ・前北かおる・男波弘志
第四(4/14)山本敏倖・大井恒行・田中葉月・小林かんな・なつはづき・中村猛虎
第五(4/21)浅沼 璞・曾根 毅・家登みろく・望月士郎
第六(4/28)木村オサム
第七(5/12)ふけとしこ・岸本尚毅・渡邉美保・青木百舌鳥・眞矢ひろみ・林雅樹
第八(5/19)水岩 瞳・下坂速穂・岬光世・依光正樹・依光陽子・佐藤りえ
補遺(5/26)筑紫磐井(6/9)五島高資・小野裕三・鷲津誠次


■ 俳句評論講座  》目次を読む

■ 第35回皐月句会(4月)[速報] 》読む

■大井恒行の日々彼是 随時更新中!※URL変更 》読む

俳句新空間第17号 発行※NEW!  》お求めは実業公報社まで 

■連載

【渡部有紀子句集『山羊の乳』を読みたい】⑥ 「凛と」  今泉礼奈 》読む

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(35) ふけとしこ 》読む

【抜粋】〈俳句四季5月号〉俳壇観測244 この2か月で心ざわめくこと――蒋草馬・齋藤慎爾・黒田杏子について

筑紫磐井 》読む

英国Haiku便り[in Japan](38) 小野裕三 》読む

【豊里友行句集『母よ』を読みたい】② 豊里友行句集『母よ』書評 石原昌光 》読む

北川美美俳句全集32 》読む

句集歌集逍遙 秦夕美句集『雲』/佐藤りえ 》読む

澤田和弥論集成(第16回) 》読む



■Recent entries

中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい インデックス

篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい インデックス

中西夕紀第四句集『くれなゐ』を読みたい インデックス

渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい インデックス

なつはづき第一句集『ぴったりの箱』を読みたい インデックス

ふけとしこ第5句集『眠たい羊』を読みたい インデックス

加藤知子第三句集『たかざれき』を読みたい

眞矢ひろみ第一句集『箱庭の夜』を読みたい インデックス

葉月第一句集『子音』を読みたい インデックス

佐藤りえ句集『景色』を読みたい インデックス

眠兎第1句集『御意』を読みたい インデックス

麒麟第2句集『鴨』を読みたい インデックス

麻乃第二句集『るん』を読みたい インデックス

前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井 インデックス

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉜ のどか 》読む

およそ日刊俳句新空間 》読む
…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
5月の執筆者(渡邉美保)

俳句新空間を読む 》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子




筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊/2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。 

井口時男氏、現代俳句協会賞受賞!

 ◎第78回現代俳句協会賞 

井口 時男(いぐち・ときお)・句集『その前夜』(深夜叢書社 発行)


◎受賞者のプロフィールは次のとおりです。


◇井口 時男(いぐち ときお)

 1953(昭和28)年2月3日、新潟県生まれ、70歳。

  

◇文芸歴・俳句歴

1983年(昭和58年)「群像」新人文学賞評論部門を受賞し、文芸批評活動開始。著書多数。

1994年(平成6年)『悪文の初志』で第22回平林たい子文学賞。

1997年(平成9年)『柳田国男と近代文学』で第8回伊藤整文学賞。

2012(平成24年)から「隠遁」し、俳句を作り始める。

2020年(令和2年)『蓮田善明 戦争と文学』で第70回芸術選奨文部科学大臣賞(評論等部門)。


◇現在

 文芸批評家&俳人。現代俳句協会会員。「豈」、「鬣」、「鹿首」の各同人。


◇句集

『天來の獨樂』(2015年)『をどり字』(2018年)『その前夜』(2022年)


◇『その前夜』より自選5句

 怪獣はみな孤独だつたな夏日星  

 その前夜(いまも前夜か)雪しきる  

 君逝きて電子文字降る枯野かな  

 蝶落ちて鱗粉の街メイド服  

 草藤や水の家族を母が呼ぶ


○選考委員氏名(五十音順)

恩田侑布子、塩野谷 仁、高岡 修、照井 翠、前川弘明、渡辺誠一郎。

 

○表彰式

令和5年11月3日(土)午後1時より「東天紅・上野店」にて開催の第60回現代俳句全国大会席上にて。


【筑紫注】

井口氏は「豈」「鬣」同人。「兜太TOTA」編集委員。俳句評論集に『金子兜太―-俳句を生きた表現者』(2021年藤原書店刊)。


『その前夜』(2022年8月深夜叢書社刊)

定価2500円+税

その前夜(いまも前夜か)雪しきる

世界やはらげよ雨の花あやめ

微かに聞こえるエコーを掬い、共振しつつ紡がれた十七音―-

〈俳句と自句自解によって織りなす作家論〉という活気のスタイルで、

室井光弘、河林満という二人の作家を見事に描出したエッセイも収載、

俳句実現の新たな可能性を拓く第三句集        深夜叢書社

    

内容

一 句帖から

  2018・2019・2020・2021・2022

二 連作から      

三 旅の句帖から

エッセイ

 追悼句による室井光弘論の為のエスキース

 十四年をへだてて河林満に贈るこの世の四季の十句


【渡部有紀子句集「山羊の乳」を読みたい】⑥ 「凛と」  今泉礼奈

  「山羊の乳」を読み、まず、渡部有紀子さんはなんと隙のない人だろうと思った。


人日の赤子に手相らしきもの


 そもそも赤ちゃんの手相を見ることはできない。赤ちゃんは基本的に手を丸めていることが多く、大人のように手をしっかりと開いてくれることはないからだ。ただ、作者は我が子の手相を確認しようとして、「手相らしきもの」があるような気がした。その措辞からは、生まれたばかりの我が子の行く末をまだ知りたいわけではないという、親の感情も見えてくるようだ。ただ、何より驚くのは「人日」という季語の的確さである。


 句集の二句目に置かれたこの句をはじめとして、子どもを句材とした俳句、傍らに子どもの存在を感じる俳句は多く見られる。「子ども俳句は甘くなる」と一般的に言われているが、有紀子さんの俳句は子ども俳句でも冷静さを忘れない。


歩き初む児について来る春の月


 喜びを爆発させてしまいそうな状況だが、平然と可笑しなこと言っている。冷静な詠みぶりなのも逆に楽しい。


木苺の花自転車で来る教師


 家庭訪問だろうか。自転車に乗る先生の珍しい姿に、子どもは少し嬉しくなる。「木苺の花」から、そんな子どもの幼さを感じさせる。


月蝕を蜜柑二つで説明す


 親は両手に蜜柑を持っている。説明する親も、それを聞く子も真剣な顔をしているのだろう。ユーモラスな句だ。


渡り鳥折り紙にある山と谷


 山折りと谷折り、そして折り紙を折る子供を前に、親は「渡り鳥」のことを思う。「渡り鳥」の季語の選択に隙がない。


霧深し手をからめてもからめても


 手を絡めれば絡めるほど、霧が深くなっていくような。男女の句とも読めるが、この句集においては親子の句として読んだ方がしぜんで、かつベタベタにならないのが良い。


 私も子育ての真っ只中だが、子どもと毎日生活していると、子どもを詠もうと思わなくても、どうしても句材が子どもに寄ってしまう。子育ては楽しく嬉しいことばかりではない。辛く大変なこともある。私はいつもその感情をどう季語に乗せるか、どう託すかと思案しているが、有紀子さんの句にはそういった作為が全く見えないのだ。季語がしぜんで、的確で、凛と存在している。


 最後に特筆しておきたいのは、最終章の「王の木乃伊」では、それまでの章と雰囲気の異なる句が多く見られたことだ。


滝凍てて大魚の背骨あるごとく

落椿丸ごと朽ちてゆく時間

黄金虫落ち一粒の夜がある


 これまでの的確さや冷静さに加えて、大胆さがプラスされたように思う。あとがきに「本句集は概ね編年体で構成した」とあるので、この大胆さがどう変化、飛躍していくのか。第一句集をまとめたばかりの方に掛ける言葉としては大変失礼だとは思うが、読み終えて、まず第二句集が楽しみになる第一句集だと思う。


----

今泉礼奈(いまいずみ・れな)
平成六年、愛媛県松山市生まれ。東京都在住。「南風」同人。村上鞆彦、津川絵理子に師事。


ほたる通信 Ⅲ(35)  ふけとしこ

       姫女苑

訃報あり水木は白く花広げ

谷卯木咲く水音の高くなる

雨粒を呼び込むやうに枝蛙

夏空の色に咲き出て丁字草

兜蟹見ての帰るさ姫女苑


・・・

 「昔むかしその昔倉敷地方は海でした。阿知の干潟と言いました。阿知の干潟の阿知最中……」というコマーシャルがローカルテレビでよく流れていた。菓子屋の名前も流れていたはずだが、記憶にない。調子のいいところだけが頭に残っていたのだ。昭和も30年代の頃だっただろうか。

 先月、笠岡市のカブトガニ博物館へ行こうと思い立った。新幹線の岡山駅で下車、山陽本線に乗り換えた。笠岡は岡山県南西部、瀬戸内海に沿う町である。同じ岡山県内とはいえ、私は備中高梁出身、帰郷の時には伯備線に乗ることが多い。だから山陽本線は駅名からしてあまり馴染みが無い。

 倉敷の前か後か、西阿知という駅名のアナウンスがあった。そこでふっとこの「むかしむかし~」のフレーズを思い出したのであった。懐かしくなって阿知最中を検索してみたが、ヒット無し。それこそ昔々のことだから、絶えてしまったとしても無理はない。コマーシャルですっかり馴染んでいたが、買ったこともなければ食べたこともない。

 最中という菓子、餡子好きの私としては決して嫌いではないけれど、あの皮はちょっと苦手。口蓋などにぺたっと貼り付くとどうにも不快なものだから。

 で、この日は最中ではなく「カブトガニ饅頭」なるものを買った。その週に友人を訪ねる予定があり、お土産にと思ったのである。やや大きめの饅頭で、餡がずっしり……。

 雑談に脱線ばかりの小句会をしながら、皆でお腹が重くなりそう~と言いつつ食べたのであった。

 カブトガニ博物館というのは、実にこじんまりとした博物館だった。面白かったのはタクシーで研究者に間違われたこととトイレ。ここのトイレの入口は赤と青に塗り分けて、白抜きのカブトガニがデザインされていた。赤い方は女性用でリボンをつけたカブトガニのイラスト。青い方は男性用、こちらは帽子を被せてあった。

 本当はカブトガニのことをもっと書きたい。

 けれど、「俳壇」8月号にこの蟹のことを掲載予定なので今は止めておく。またいつか詳しく書いてみたい。

(2023・6)


(告知)大関博美著『極限状況を刻む俳句――ソ連抑留者・満州引揚げ者の証言に学ぶ』

 【帯】

果たして現代は戦後であるのか?

――氷河期で言えば、間氷期に過ぎないのではないか?


戦争の実相はまだ明らかでない。

極限まで圧縮された俳句と言う表現に描かれる極限の敗戦下の状況

――我々はここから考え始めたい。(俳人・評論家 筑紫磐井)


著者:大関 博美/略歴:千葉県袖ケ浦市生まれ。俳人。俳句結社「春燈」所属。俳人協会会員。看護師。

価格 ¥2,200(本体¥2,000)

コールサック社(2023/07発売)

発売日 ‏ : ‎ 2023/6/13

〈〈〈hontoで見る〉〉〉

〈〈〈コールサック社のページ〉〉〉

【内容】

 2018~2020年にのどかの筆名でBLOG「俳句新空間」に連載した「寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む」を新たに書き改めた著書。ソ連(シベリア)抑留、満州引揚げについて知ることができる体験談や俳句作品を紹介。その背景にある1984年の日清戦争から1945年の満州国崩壊までの歴史も概説する。ウクライナ侵攻を進めるソ連の動向に関心のある現代の人々にも見過ごすことのできない本だ。

 次の句を本書に捧げたい。

『シベリアに逝きし46300名を刻む』書物  救仁郷由美子


【目次】

序章 父の語り得ぬソ連(シベリア)抑留体験

第1章 日清・日露戦争からアジア・太平洋戦争の歴史を踏まえて

第2章 ソ連(シベリア)抑留者の体験談

   ―――山田治男・中島裕

第3章 ソ連(シベリア)抑留俳句を読む

   ―――小田保・石丸信義・黒谷星音・庄司真青海・高木一郎・長谷川宇一・川島炬士・鎌田翆山

第4章 戦後70年を経てのソ連(シベリア)抑留俳句

   ―――百瀬石涛子

第5章 満蒙引揚げの俳句を読む

   ―――井筒紀久枝・天川悦子

全章のまとめとして


解説 鈴木比佐雄

救仁郷由美子追悼⑩  筑紫磐井

 ●LOTUS13号(2009年4月)

  緑星はるかにⅢ

書くと句書き書かぬと句書きヨウ泥鯰(どろなまず)

伝えたきこと無き春は伝えがたき日

紅葉(もみじ)手形ふるえる背中発熱す

歩行より想える空のあけぼのや

ダダダダッダ眠気に寒気影叫び

蓮の実や父置き去りし母の家

紅椿触れぬ母の白き手の動線

ヨタヨタと爪先立ちで交差路や

八百(よろず)神奇人となりしも御燈明

旅反旅困難一字と鳥追い人

変化(へんげ)記憶ふぬけはぬけて湯めぐりや

鳥追いて黒クッキーの家の灯よ

進むべき苦あり蓮華あり世は(すえ)未満

音はずれ半音さがすは死の床か

シャツ・カバー裏返した夜記憶組む

眠りへとまぶたのうらの洗水盤

捨て子だった五つ又辻岐路消えし

さざんかの見知らぬ笑顔祝祭や


●LOTUS14号(2009年9月)

  風の宿(やどり)

台風一過畳十枚一家あり

春月やまどろむ身体静止せり

蓮池の端の泥にて芽ぶく青

病身のいたどり噛みき少年期

せり洗う泪の記憶洗う池

さざんか道捨て子恐き道咲き巡る

ひとりまた「青物」へ走る端境期

歩く夜やひとりのふたり風の宿り

日輪や首と手首とひまわりと

眼底の黒色混濁光の粒子

永遠や生死の境夜鷹燃ゆ

彼岸へと渡る橋板の下人柱

陽降る世や黄泉路の小石も温かき

今は昔吾子喰らう山婆よ

枯蓮やあるはずもない愛しみ金輪際

奥の屋双(おくそう)の鏡も現われき


●LOTUS15号(2009年12月)

  物狂い

神話食う紙魚いっぴき蛇の尾へと

無なしの森の物語(はなし)など夏なつかしき

萩野原さまよう老婆よ翁面

夏萩や殺しそこねた日神我が子

青野走る殺しかけても児は走る

旅立つ日の黒白混濁光の粒よ

窓枠の光の帝国黒き樹々

背に触れたホラ父の骨忙しき冬

枯野原しゃがむ背後の岩鏡

虐待の光の国の聖母踏む

紅ほんのり髪つややかになじる母

アーフラよ愛などあげぬ山あざみ

詩人の名は北の根に眠る詩の明り

雪野原ナロード根っこへひた走る

『シベリアに逝きし46300名を刻む』書物

眼底や波紋となりし落つ涙

添い寝るは汚れ書物と天道虫

死の灰の赤きカンナも色音色

黒泥に飢餓やさしき男よろめく目

自殺などありやなしやと麦畑


(広告)五七五 第11号[宗田安正追悼]

 [宗田安正追悼]

筑紫磐井 宗田安正氏の業績――龍太と修司の最大の理解者

宗田安正 寺山修司句集の構造――なぜ〈青春俳句〉でなくてはならなかったか

高橋修宏 私神話のトポスーー宗田安正私論(抄)

宗田安正十句撰


編集後記:(2023年5月20日発行)  高橋修宏

 今号では、2021年2月に亡くなられた宗田安正氏の追悼小特集を、ささやかながら組んでみた。宗田氏の業績については、今号の筑紫磐井氏が実に的確にまとめておられる。また、小生も、本誌8号の「日々余滴」に記したので、ここでは生前のエピソードを二、三紹介するにとどめることとしたい。

 そのひとつは、何かのたびに宗田氏が「表現するって、本来恥しいもんだから」と、呟かれていたことだ。むろん、その言葉は自らの俳句や批評にも向けられていたが、いま思い返すと、それに止まらない彼の表現をめぐる自他への倫理であったのではないか。

 ある時期、宗田氏の主宰誌などという話が持ち上がたこともあったようだが、ついに創刊することはなかった。一度だけ、このことに話が及ぶと「何か、恥しくてね」とだけ応えたのも、なにより宗田氏らしい。

 また、ある賞で寺山修司の俳句をめぐる論策が発表されたときも、「あれは、僕のパクリだね」と言った霧、黙ってしまわれた。その後、宗田氏から寺山論(今号掲載)のコピーが送られてきたが、それ以上は、お互いに語ることはなかった。

 ただ、幼いころの生地、浅草を語るときだけは、いつまでも愉しそうに語られていたことを思い出す。そして最後には、「みんな、空襲で焼けちゃったけどね」と言いながら。どこか、淋しげに、恥しそうに――。


第36回皐月句会(4月)[速報]

投句〆切 4/11 (火) 

選句〆切 4/21 (金) 


(5点句以上)

9点句

乱れとぶ蝶よその先墓ばかり(飯田冬眞)

【評】 無垢な蝶と静寂の墓原の取り合せが見事です。行く先を暗示しているようにも感じられ、大人ははしゃぐものじゃないと記した文章をふと思い起こしました。──小沢麻結


入学式ちりめんじゃこの中に蛸(望月士郎)

【評】 厳密い言えば季重なりだがちりめんじゃこの方はイメージだから主たる季語は「入学式」。子供の頃ちりめんじゃこの中からゾエアや蛸、海老の子供を見つけるのが楽しみだった。入学式のガキどもを見ていて一人蛸がいるじゃん、と思ったのだ。──仲寒蟬

【評】 ひときわ体格のいい生徒か、異彩を放っていたのか。──佐藤りえ

【評】 蛸に注目、爆笑 ある詩人が詩の定義として「時折本物のカエルが中にいる想像の庭」(不正確かも)としたのを思い出しました──真矢ひろみ


発声のはじまり蝌蚪の池に泡(近江文代)

【評】 科学的に言えばそんなことはなかろうが、この捉え方はユニークで面白い。──仲寒蟬

【評】 言い得て妙。──堀本吟

【評】 この泡は「あ」だと思う。──依光陽子


6点句

利き耳を水平にする竹の秋(山本敏倖)

【評】 水平が効いていて面白い。竹林はどうやっても広がっていくので、その存在感も感じることができる。──辻村麻乃


春眠の浜まで着けてくれる舟(妹尾健太郎)

【評】夢といわずにうつらうつらしている状況を表していて好感。──依光正樹


5点句

花ふぶく柩の舟がつぎつぎに(依光陽子)


(選評若干)

妻だけが味方で手下啄木忌 2点 水岩瞳

【評】 「手下」が効いていますね。作者はこれで救われている。──渕上信子


最初から花びら枕詞はダダ 2点 山本敏倖

【評】 前衛中の前衛はダダではないかと思う。そのほかのアバンギャルドは偽前衛かもしれない。平畑静塔は、季語は雪月花があればよいと言っていたが、これは不徹底だ。詩歌には花があればよい。花びらとダダ、日本詩歌全集など不要である。──筑紫磐井


亀鳴くや大絶滅のいくたびも 3点 仙田洋子

【評】 君はもう絶滅している!(ケンシロウ)──筑紫磐井


背表紙の照り朧夜の稀覯本  2点 堀本吟

【評】 朧夜なんだけれども背表紙が光って見える。この朧夜なんだけれども背表紙が光って見える。この稀覯本は金箔などをふんだんに使ってあるのだろうか。──仲寒蟬


3分の春宵ラーメンと一曲の旅 1点 夏木久

【評】 カップ麺ができるまでの3分は長い。ちょうど一曲分の長さ。春宵を眺めながら聞いたのでしょう。旅先の春宵を味わうことのできた貴重な3分間だったのだと思います。──篠崎央子


息継ぎのできぬ少年花菜畑 1点 中村猛虎

【評】 山室暮鳥の詩のような「いちめんのなのはな」に溺れそうな少年の頭が見える。──仲寒蟬


瓦礫とかシベリヤとかも暖かい 2点 堀本吟

【評】 俳句の社会性に改めて思いを馳せました──真矢ひろみ


地を這つて哀しき竜や涅槃寺 4点 西村麒麟

【評】 この涅槃寺は何処其処にある固有の寺名ではなく涅槃会を行っている遍く寺だろう。──妹尾健太郎

【評】 イモリヤモリトカゲの季語性を避けるための表現かしらん、と邪推するにしてもその結果として、味わいが出ています。涅槃図に猫が描かれないように爬虫類も描かれないでしょう。──平野山斗士


食ふ?と聞く花見の団子食ふと言ふ 3点 岸本尚毅

【評】 ごく自然な二人の関係が伺えて好きな句です。──渕上信子

【評】 人を食った句だ。虚子の「初蝶来」のように会話を取り入れながらこちらはずっと砕けて、かつ内容がない。この阿呆らしさがいい。──仲寒蟬


春眠や涎たふとし老僧の 2点 仲寒蟬

【評】 こういうのが大好き!「の」止めなんていうのはゾクゾクする。──筑紫磐井


子を産めばやがて大きく春の月 3点 依光正樹

【評】 この季節の月は大きく見える。(あまりきちんと確認したことは無いが)、この句の場合は、産まれた後に「春の月」が大きくなっている。出産のことを「月満ちて」ということと、子供の成長をかぶせているのかも知れないし、無事母となってやっと平常心が戻り、産褥から眺めた「月」、今までになく身に替えて大きく感じたのかもしれない。産むという大事業と「春の月」の取り合わせ方が、ユニークで巧みだ。──堀本吟


涅槃西風ちょっと隣に行ってきます 1点 田中葉月

【評】 隣がいろいろにイメージされ、一句に物語性を呼び込む。ちょっとの気安さが、逆に季語涅槃西風を際立たせ、この隣はこの世の隣かも知れない。──山本敏倖

2023年6月9日金曜日

第205号

         次回更新 6/30


豈65号 発売中! 》刊行案内

救仁郷由美子追悼⑨  筑紫磐井 》読む

【報告】第8回攝津幸彦記念賞 選考委員決まる  》読む

オノ・ヨーコで思い出すこと  筑紫磐井 》読む

■令和俳句帖(毎金曜日更新) 》読む

令和五年春興帖
第一(6/9)仙田洋子・大井恒行

令和五年歳旦帖
第一(3/31)仙田洋子・仲寒蟬・杉山久子
第二(4/7)神谷波・竹岡一郎・堀本吟
第三(4/14)辻村麻乃・松下カロ
第四(4/21)山本敏倖・大井恒行・田中葉月・なつはづき
第五(4/28)中村猛虎・浅沼 璞・曾根 毅・望月士郎
第六(5/12)木村オサム
第七(5/19)ふけとしこ・岸本尚毅・渡邉美保・青木百舌鳥・眞矢ひろみ
第八(5/26)林雅樹・水岩 瞳・下坂速穂・岬光世
第九(6/3)依光正樹・依光陽子・佐藤りえ

令和四年冬興帖
第一(3/24)仙田洋子・仲寒蟬・杉山久子
第二(3/31)神谷波・竹岡一郎・堀本吟・渕上信子
第三(4/7)辻村麻乃・松下カロ・前北かおる・男波弘志
第四(4/14)山本敏倖・大井恒行・田中葉月・小林かんな・なつはづき・中村猛虎
第五(4/21)浅沼 璞・曾根 毅・家登みろく・望月士郎
第六(4/28)木村オサム
第七(5/12)ふけとしこ・岸本尚毅・渡邉美保・青木百舌鳥・眞矢ひろみ・林雅樹
第八(5/19)水岩 瞳・下坂速穂・岬光世・依光正樹・依光陽子・佐藤りえ
補遺(5/26)筑紫磐井(6/9)五島高資・小野裕三・鷲津誠次

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【抜粋】〈俳句四季5月号〉俳壇観測244 この2か月で心ざわめくこと――蒋草馬・齋藤慎爾・黒田杏子について

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【渡部有紀子句集『山羊の乳』を読みたい】⑤ 雪よりも白く 吉田林檎 》読む

英国Haiku便り[in Japan](38) 小野裕三 》読む

【豊里友行句集『母よ』を読みたい】② 豊里友行句集『母よ』書評 石原昌光 》読む

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(34) ふけとしこ 》読む

北川美美俳句全集32 》読む

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5月の執筆者(渡邉美保)

俳句新空間を読む 》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子




筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊/2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。 

【抜粋】〈俳句四季5月号〉俳壇観測244 この2か月で心ざわめくこと――蒋草馬・齋藤慎爾・黒田杏子について  筑紫磐井

 二,三月は華やかな季節である。俳人協会、現代俳句協会の二つの協会関係で俳句関係の受賞が一斉に行われている。俳人協会の俳人協会賞、俳人協会新人賞、現代俳句協会の兜太現代俳句新人賞、現代俳句大賞である(このほかの、現代俳句協会賞、年度賞は後日発表される)。今年は話題になりそうな受賞が多かった。特に4月の新年度を迎えて新人登用の受賞はほほえましくてよいのではないか。


○第62回俳人協会賞

  森賀まり『しみづあたたかをふくむ』

○第46回俳人協会新人賞

  相子智恵『呼応』

  高柳克弘『涼しき無』

○第23回現代俳句大賞

  齋藤慎爾

○第40回兜太現代俳句新人賞

  正賞 土井探花「こころの孤島」

  佳作 内野義悠「息づかひ」

  佳作 加藤絵理子「神無月」

  佳作 蒋草馬「たらの話」

  佳作 楠本奇蹄「長き弔ひ」

         (中略)

 受賞に関して、何と言っても関心が深いのは全く新しい俳人が新しい俳句を提示してくれることである。兜太現代俳句新人賞では、惜しくも佳作となった(得点的には受賞作と僅差の次席に評価されていた)が、16歳の高校生俳人(海城高校文芸部)がとんでもない作品を示してくれた。

  たらの話

                       蒋草馬

花の名の薬局ばかり更衣

戦車の重さなら蒲公英が知つてゐる

たとえばいつか東京が白詰草で埋もれたらの話


 表題「たらの話」のたらが、一般俳人のよく使う鱈か楤かと思ったが、助詞のたらであったわけだ。16歳の仕掛けに冒頭からまんまとは嵌ってしまう。16歳で俳句雑誌「牧羊神」を創刊した青森高校の寺山修司の再来と言ってもよいかもしれない。

        *

齋藤慎爾

 16歳に比較すると高齢の齋藤慎爾が受賞した現代俳句大賞は加藤楸邨、永田耕衣、高屋窓秋、金子兜太、鈴木六林男も受賞した由緒ある賞である。伝統、前衛にわけ隔てない広い視野で選考されている。また俳句の賞としては珍しく、俳句作品、評論以外に、日本文学研究などで功績のあった研究者なども含まれている。齋藤慎爾は、もちろん俳句実作、評論での評価も高かったが、今回の受賞に当たっては俳句関係の出版に寄与したことも大きな理由に挙げられている。現代俳句大賞のスコープをさらに広げた受賞となったのだ。代表的なものでは、「アサヒグラフ」増刊号の7回にわたる俳句特集、朝日文庫「現代俳句の世界」16巻、三一書房の「俳句の現在」16巻、ビクターの「映像による現代俳句の世界」がある。昭和後期に俳句を始めた青年たちに衝撃を与えた企画は多く齋藤氏が関与していたのである。最近の例で言えば、『20世紀名句手帳』(河出書房新社)全8巻があり、明治の子規以来現在までの一万六千句を精選した壮大な叢書である。

 言っておくが、齋藤慎爾は深夜叢書社の社主である。しかしここに掲げた本は何れも深夜叢書社とは関係のない、別の大手出版社の企画ばかりであり、齋藤慎爾はこうした大手出版社の厚い信頼をもとに俳壇の新たな展望を与えていたのである。いずれにしろ、現代俳句大賞が出版人まで含めて一段と広い対象を含めてくれることは励みになる。

     *

 さて黒田杏子が20年前に戦後俳人13人にインタビューをした『証言・昭和の俳句』を20年ぶりにコールサック社から『増補新装版 証言・昭和の俳句』として刊行したが、全体のしめくくりで齋藤慎爾に「散策」と題した総括を依頼した。締めくくりにふさわしい力作であるが、あまりに興が乗りすぎて許容枚数の倍を超える原稿となってしまい、泣く泣く削ることとなったと黒田杏子が嬉しそうに語っていた。齋藤慎爾と黒田杏子はその世代から言ってもこうした歴史観を共感できる作家たちであったのだ。

 その証拠が令和元年二月に「件」の会で、「八〇代の可能性」と題して宮坂静生・高橋睦郎・齋藤慎爾・黒田杏子の四人の八〇代が未来を語っているのである。黒田杏子は、兜太、寂聴、ドナルド・キーン以上に最近齋藤慎爾と仕事をする機会が増えていた。例えば寂聴を俳句に導きいれ、句集を上梓させたのは二人の尽力によるところが大きい。

 実は、こんな思い出話を書くのも、その当事者の黒田杏子が3月13日に急逝したからだ。驚きである。

 そしてさらに驚きは、そんな斎藤慎爾が3月27日に黒田の後を追うようになくなってしまったことだ。現代俳壇の名プロデューサーが一斉に消えてしまったのだ。

 桜の咲く春は、華やかであるとともに物悲しい季節である。

 ※詳しくは俳句四季5月号をご覧下さい

【渡部有紀子句集『山羊の乳』を読みたい】⑤ 雪よりも白く  吉田林檎

 俳人協会の若手句会。質問の時間がくると渡部有紀子さん(以下敬称略)は必ず手を挙げた。返答をもらうとさらに畳みかける。それはちょっと聞いてみようという態度ではない。心底自分の中で解決していないゆえの質問であることが見てとれた。


 土のこと水のこと聞き苗を買ふ


 若手句会の席で熱心にメモをとる姿と重なる。ただ苗を買うだけではなく、その後どう育てればよく実るかまで飲み込む時間が作者には必要なのである。納得するまで諦めないその姿勢は作品においても一貫している。その実直さに色があるとするなら白。『山羊の乳』という句集名に始まり、白を基調とした世界がこの句集を貫いている。


 春寒し白磁の匙の朝の粥

 産着とす白のレースの花模様

 噴水の人魚の抱く白き貝

 はつなつの帆船白のほか知らず

 箱庭の白沙微かな熱を持つ


 寒さが戻ると暖をもとめて明るいものに目がいく。朝の粥で匙の色と質に着目する視点が細やかだ。冬の寒さなら白磁の冷たい質感は付きすぎである。二句目、レースであることから新生児が女の子であることが推測され、白の必然性が確かだ。三句目、噴水の人魚の抱く貝、人魚全体ではなく貝に焦点を絞ったことで噴水と対比するにふさわしい白さが浮き上がる。四句目、帆船はいつでも白だが、はつなつを季語としたことで空や海の青が思われ、色彩の印象は白が主役になる。最後の句、箱庭の砂が熱を持つことに不思議はないが、光を集める黒ではなく反射する白の中に熱を持っている点に小さな感動がある。砂浜では得られない感覚だ。

 いずれも他の色には置き換えがたい効果を発揮している。さらに有紀子句が描く白の特徴として、白だけではなく「真白」としている点がある。


 真白なる藁を敷入れ降誕祭

 真白なる湯気を豊かに雑煮かな

 初御空胸に真白き矢を抱く

 月涼し仮面真白き古代劇

 八月の折紙の裏みな真白


 いずれも「真白」を「白し」などに置き換えれば価値が半減する仕立てだ。一句目、降誕祭の句はキリスト生誕の場面をあらわしたクリッペを詠んだと考えると腑に落ちる。そうなると藁の色のリアリティは不要で、真白であるからこそドラマとしての感動があるのだ。二句目、雑煮の湯気が白いというだけならそこに詩はないが、真白とまで述べたことで映像は力強さを獲得した。新年を迎えた溢れるほどの生命力を色に託して語っているのだ。初御空の句は第4回新鋭俳句賞受賞作品の冒頭に配置された。この時既に白の世界を追求しはじめていたのだ。その後の輝くばかりの活躍を見るにつけ、この句はその後の作者の姿を先取りしており、「真白き矢」とはその志の形だったと思わされる。月涼しの句は、「白き仮面」ではなく「仮面真白き」としているので仮面は白でなくても成立する。前者の表現であれば仮面の色についての事実を述べているが後者は作者が真白と感じていることになるからだ。「仮面真白き」からくる不気味な涼しさが月涼しに呼応する。最後の句は季語を八月としたことで真白が終戦日への思いにも立秋の心持ちにも重なる。白し、では八月とのバランスがとれない。

 ある場面に遭遇して心が動いた時、有紀子にはそれが白く輝いて見えるのだろう。通常であれば「白い」で見過ごしてしまうようなことに心がとまり、観察の目を研ぎ澄ませているうちに真白に昇華するのだ。


 惜春の粉糖すこし食みこぼす

 大いなるニケの翼や涼新た

 降誕祭十指を立てて麵麭を割る


 白の字を使っていなくてもそう感じさせる句もある。一句目、惜春に形を与えた時の一つの正解がこぼれるほどの粉糖であると思わされる。掴みどころのない粉糖のありようが惜春と響きあう。二句目、ルーブル美術館所蔵のサモトラケのニケの翼は時代を感じさせる色ともとれるが、涼新たの心情を重ね合わせると真っ白な光をまとっているようだ。最後の句、麺麭こそ白とは限らないが、降誕祭に十指を立てて割る麺麭は白であるべきである。先出の<真白なる藁を敷入れ降誕祭>でもそうだったが、信仰に関わる句には白のイメージが伴うようである。

 白とは特定できないものまで白を読者に感じさせる詠みぶり。有紀子は眩しいものや光のあたるものから逃げることなく真正面から取り組んでいる。そうした修練があるからこそ成立する作風なのだ。

 

 本句集の序文では色を詠み込んだ句が多い点について触れられている。それは事実であり同感だが、筆者はそれも「白」がもたらす効果であると考える。『山羊の乳』とはどんな句集だろう、と読み進めると眩しいばかりの白の句群に出会う。白が通底する世界の中で色彩に出会うとその色はより際立って見える。キャンバスが白と読者の中で確定しているからこその効果だ。その中でも筆者は白に相対する存在としての「赤(紅)」に目がとまった。


 真紅てふ色恐ろしき水中花

 芍薬の散る一片のなほ真紅

 落書のラッカー真つ赤春疾風


 白に対する色を黒としないのが作者の個性。一句目、ただ真紅であることを「恐ろしき」とまで叙している。水中花の色としてはさほど珍しくないが作者はそこに不吉なものを感じたのだ。それも人工物である水中花ゆえ。二句目、芍薬の一片の真紅を「なほ」とまで感じ取っている。散ってなお発するその色に美しさの奥底の禍々しさを描いている。三句目、落書があるという事実や内容ではなくただ「真つ赤」と感じた点に焦点をしぼっている。春疾風は若い力として落書と響き合う。

 どの赤も美しさや前向きな意味での情熱を表していない。むしろ赤く染まることを恐れているようだ。真っ白なキャンバスに痛々しいまでの真紅が飛び散る。下地が白だからこその効果であり、作者の心中を象徴している。


 音韻についても触れておきたい。作者はピアノを習っていた経歴があり、現在もご令嬢のピアノレッスンに付き添われている。俳句以外の場所でも聴覚への感覚を日々磨いているのである。句会での見事な披講からは、受け手にどう響くかをも常に考えていることが見てとれる。


 待春やアンモナイトの奥の闇

 うららかや合掌朽ちし木端仏

 水鳥の身動ぎもせず弥撒の朝

 獅子を据ゑ四角涼しき大理石

 ガチャポンの怪獣補充炎天下


 待春の句、「ん」のリフレインが心地よく、アンモナイトの渦と響き合う。母音も[a]から[o]へと閉じていく過程は闇に近付く過程だ。春を待つ弾んだ心が音韻に表れている。二句目、促音を重ねた音韻は一度読み終えるともう一度音読したくなってしまう。うららかな日差しを浴びると木端仏は芽吹きのようである。三句目は「み」のリフレインが唇にも耳にも優しく、水鳥のもつ曲線に似つかわしい。四句目は17文字の中に[s]が7回使われている。[s]を発音するために口の中を通る風は涼しさそのもの。読んで涼める句だ。ガチャポンの句は、濁音と拗音が口の中に暑さを再現している。何度も音読したい句だが、特に濁音の続く中七は唱えることで童心に帰ることができる。

 音韻と季語との相性が言葉を選ぶ上での重要な基準となっていることがみてとれる句群である。こうした音韻感覚はピアノとの関わりが深い時間を過ごしてきたからこそ獲得したものといえよう。


 さて、今回筆者にこの句集評の機会をいただいたからには触れておかねばならない一句がある。


 蓮ひらくモノクロームの世界より


 これは作者と筆者の二人である取り組みをしていたことで出来た句である。その取り組みとは、毎週1曲BTSのミュージックビデオ(MV)を鑑賞して作句するというものだ。その話をいただいた時にはせいぜい毎週1句だろうと思っていたのだが、続けていくうちに2人とも毎週3句出来上がるようになってきた。映像から閃くもの、甦る記憶、季語の発見。コロナ禍に俳句を作る新しいアプローチを獲得した。

 掲句は「Make It Right」という曲のオフィシャルMV (Vertical ver.)が課題だった週に作句されたものである。モノクロまでは容易に辿りつくが、魂を振り絞って観ることがなければ「蓮ひらく」に到ることはない。

 一人では継続が難しいこの取り組みを通して映像から句を詠むことも不可能ではないことを作者に教えてもらった。そしてそれには相当な集中力が必要であることも。

 句集を読み進めるうち、作者がこうした取り組みに費やしてきた月日を知った。


 メドゥーサの憤怒のごとく髪洗ふ

 茨の芽イコンの聖母イエス見ず

 箱庭の道は羅馬へクォ・ヴァディス


 ギリシャ神話の世界に入り込み、メドゥーサの頭髪にうねる蛇を見てきたかのようである。髪洗ふが動かない。二句目、イコンを見て作った句のようだが、聖母が何を見ているのかにまで思いが到るにはそのイコンの世界に入り込むことが必要である。茨の芽がその後のイエスの生涯を語っている。三句目の下五は新約聖書の言葉で「(主よ)いずこへ行き給うぞ」という意味。小説や映画・絵画にもなっているが掲句は聖書からとったと考えるべきであろう。そのような背景を持つ言葉を箱庭の規模で考えることにおかしみがある。いずれもイメージの世界に全力で入り込むことで句として結実した作品である。MVから俳句を作ることも今後開いていくべき道として記しておきたい。


 優れた聴覚で、対象に入り込んで真っ白のキャンバスに描くように作るのが有紀子句の世界であり、心のありようだとすると、作者は世界の陰の部分をどのように呑み込んでいるのだろうか。拒絶だけでは生きて来ることが出来なかったはずである。その手がかりとなるのが、師の追悼句である。


 集ひきてここに師のなき椅子寒し

 聖樹の灯受け空つぽのたなごころ


 「寒し」「空っぽ」と気持ちを率直に言葉にしている。有紀子は悲しみにも目を背けることなく真正面から向き合っているのだ。そして雪を降らせたように白に染めてしまう。他の色に染まることを恐れるように。

雪よりも白いその表現はこれからどのように年輪を重ねていくのであろうか。陰を許さず輝きを磨き続けるのか、有紀子の白い世界の中で陰を獲得していくのか。箱入り娘を見守っているような心境なのである。 (「天為」令和5年6月号より転載・一部加筆修正)


【執筆者プロフィール】
吉田林檎(よしだりんご)1971年東京都出身。『知音』同人。
第3回星野立子新人賞/第5回青炎賞(知音新人賞)/第16回日本詩歌句随筆評論大賞 俳句部門 奨励賞
俳人協会会員/句集『スカラ座』

英国Haiku便り [in Japan] (38)  小野裕三


ジョンとヨーコのhaiku

 ジョン・レノンが俳句に強く影響を受けたのは、有名な逸話のようだ。「俳句は今まで僕が読んだ中でも最も美しい詩だと思う。僕も自分の詞を俳句みたいにシンプルにしていきたいね」と語った彼は、一九七一年の来日時に、東京の湯島の骨董店で芭蕉の古池の句の短冊を買ったという記録も残る。

 このような傾向はおそらく彼に限らないことで、異なる芸術ジャンルの西洋人が俳句に深い関心を示すのは僕自身も幾度となく体験してきた。例えば、ロンドン滞在時に僕は、パフォーマンス・アートで著名なイギリス人女性のスタジオをグループで訪問した。写真や絵画・彫刻などいろいろな領域の人がいたにも関わらず、「今日はね、haikuの詩人も来ててね」と僕が紹介されると、その彼女は眼を輝かせて僕にばかり矢継ぎ早に質問してきた。つい最近はオンラインで、東欧出身でイギリス在住の著名な絵本作家とグループで会話した。やはり彼も「今日はhaikuの詩人も来てくれて嬉しい。haikuは物事を凝縮するすばらしい技術だ」と眼を輝かせた。そこには異国趣味の神秘化もいくらか混ざってはいるだろう。だが、俳句が西洋の様々な芸術領域から強い関心で見られがちなのも頷けなくもない。

 というのは、必ずしも制作のテクニックを重視せず、その背後にある文脈や思考を重視する現代アートは、シンプルな外見にもなりやすく、結果としてその佇まいはhaikuのシンプルさとどこか似通う。また、芸術を社会から隔絶したものとせず、現実社会や日常生活に開こうとする姿勢も現代アートにはあるが、それもどこかhaikuの大衆性に通じる。そう思えば、haiku的な何かは、特に現代アートには重要なヒントになるのかも知れない。

 そんなことを考えさせられるもう一人のアーティストが、ジョン・レノンの妻でもあるオノ・ヨーコだ。彼女自身も詩を書く。それはhaikuではないが、例えば彼女が一九六四年に出版した有名な詩集『グレープフルーツ』は、しばしば「haikuみたい」な詩として西洋では紹介される。

 バケツで水に映る月を盗みなさい

 水面から

 月が見えなくなるまでそれを続けて

 彼女は決してhaikuと無縁でもなく、二〇〇九年にロンドンで、鉄道駅の利用者がTwitterを使って投稿するというユニークなhaikuコンテストが開催され、オノ・ヨーコはその審査員を務めた。

 興味深いことに、彼女の詩の中には、彼女が手がけたパフォーマンス・アートのコンセプトをそのまま書いたような詩もある。彼女はいわば、詩(言葉)とアートの世界を行き来することで前衛アートの可能性を追究した。ひょっとするとhaiku的なものが持つ凝縮力がそこでは効果的だったのかも、とも思う。

(『海原』2022年10月号より転載)

救仁郷由美子追悼⑨  筑紫磐井

●LOTUS11号(2008年7月)


「緑星」遥かにI

朝焼けの光の直線発芽せよ

悲しみの萌える山河よ黄泉の樹々

雛共に写真立て置く眠り逝く

笑いつつ転ぶ風迫う梅林

幼児(おさなご)の月光青き花の木々

さくらちる雨滴はげしき泥の川

春霞ニーチエ枕の人類夢

まなざしとまなざしかわす海彼方

同行や愛しき指に(はちす)の実

恣意隠蔽平穏無事や四季の歌

殺傷や朝のお茶漬け終る頃

虐殺逃れ少女の飢餓よ日輪よ

瓦礫に木爆心地上蝉飛来

観作旧へ夜叉変化(へんげ)せり爆撃の村

すがめの君の自画像逆さもず鳴けり

日没の民反乱す新王や

地球自転敵後方に斜め横

裏切りの右肩疼く左翼(びと)

二十歳(はたち)の日暮中也悲しみ救済や

耕衣・浩司花野に笑う足裏かな


●LOTUS12号(2008年11月)

 緑星はるかにⅡ

明日となれ君は見上げる夏の空

無きがまま責なき責あり花いちもんめ

在るがまま責なき責負う寒満月

夢の世の泥に遊ぶやねぎぼうず

龍神の受胎告知か北の麦

泣き歩きはあーるのおがわは陽に遊ぶ

悲し声ぶなのこもれび楽し声

赤長靴雨雨降れ降れ母無き道

満月光赤目の子鬼出で翔けよ

百雷や生み出す力促す力

日と風と歩幅大きく夏大地

ひかりへと螺旋のぼりゆくいのちあり

老い肌の硬き爪立て老松硬し

彼方より明日開く本届きますか

暗闇夜光の粒へと鳴く鴉

しそしょうがとうふのかどの邪気の顔

夕やけや前方(まえ)跳びはねて和のリズム

光の渦へ夢追い追いてよだか星

永劫よ降りて晩夏の岩台地

青光の吸盤にて駆ける幼虫哉

虐殺は血に染められて地図一枚

黒林へ灰色樹林連なりし

日輪の民は逃げ逃げ夏萩原

黄泉の国逝く身の足元燈籠や

鬼子母詣り母となりえぬ産屋より

虫くいの蓮の花籠ささげましよう

れんこんや白骨となり切り落ちる

核の冬微毒毒々地球(テラ)点描

触れたから死の寝台の脚抱く

鷹ひとつ深山の淵より遊び

オノ・ヨーコで思い出すこと 筑紫磐井

   実はオノ・ヨーコの父・英輔は日本興業銀行総裁を務めた小野英二郎の三男、母・磯子は、「安田財閥の祖」安田善次郎の孫であるが、この小野一族は安田財閥の姻族として華麗な閨閥を持っていた。

 その中の一人に、ヨーコの伯父である動物学者の小野俊一(動物学者、ロシア文学翻訳家として知られる)がいる。俊一は東京帝国大学動物学科に入ったのちロシアのペトログラード大学自然科学科に留学した。そこで帝政ロシア貴族の血を引くアンナ・ブブノワ(本名:アンナ・ディミトリエヴナ・ブブノワ)と出会い恋に落ち、ロシア革命の混乱の中アンナを引き連れて帰国し結婚した(後年、アンナとの間の子が死去したのちアンナとの関係はうまくゆかず協議離婚したが同居は続けていたという)。

 しかしこのアンナが素晴らしかった。前述した通り、父親はロシア帝国官僚、母親は貴族出身であったが、ブブノワ3人姉妹(長姉マリヤ、次姉ワルワーラ)はみな芸術家となっていた。アンナははじめピアノを学ぶがヴァイオリンに転じ、ペテルブルク音楽院に入学し、卒業した。ペトログラードで同地の日本人留学生・小野俊一と出逢い、1918年革命下のロシアを離れ、東京に赴く。

 日本に亡命したのち、アンナはヴァイオリン教師として教鞭を執り、毎日音楽コンクール審査員も務めたという(しかし終戦直前は、軽井沢に強制疎開させられ厳しい時期を余儀なくさせられた)。

 戦後は武蔵野音楽大学教授に就任、桐朋学園にも務めた。特に、教師としてのアンナは早期英才教育の唱導者としても知られ、その著したヴァイオリン教本は、ヴァイオリン学習者に永く愛用されたという。

 アンナは「日本人女性ヴァイオリニスト」の生みの親とも呼ばれ、戦前には諏訪根自子や巖本真理、戦後は前橋汀子や潮田益子らを育てた(吉田内閣から放送弾圧を受けた「冗談音楽」主宰で知られる三木鶏郎も弟子であったというのは面白い)。これらの音楽教育貢献により勲四等瑞宝章受章している。

 晩年はソ連に戻り、音楽院にてヴァイオリン科教授に就任し、1979年5月8日、スフミにて永眠した。

     *

 小野氏の今回の連載記事を読み、同じ小野つながり(小野裕三、オノヨーコ、小野俊一、小野アンナ)でいろいろ思い出すことがあった。拙速な記事なので、私のメモとwikipediaを組み合わせたような珍妙な文章となってしまったが、私が関心を持った理由はわかってもらえると思う。革命と恋、芸術と教育、世界的な賞賛。オノヨーコと小野アンナは同じ運命を負っているように思える。少なくとも、ヨーコとアンナは間違いなく小野家の邸宅で会い、語り合っていたはずである。その後の二人の宿命など知ることもなく。


【報告】第8回攝津幸彦記念賞 選考委員決まる ――大井恒行・筑紫磐井・なつはづき・羽村美和子

第8回攝津幸彦記念賞

●内容

未発表作品30句(川柳・自由律・多行句も可)


●締め切り 令和5年5月末日(水) ※ーー〆切済 有難うございました


●書式  応募は郵便に限り、封筒に「攝津幸彦記念賞応募」と記し、原稿(A4原稿用紙)には氏名・年齢・住所・電話番号を明記してください(原稿は返却しません)。


●選考委員 大井恒行・筑紫磐井・なつはづき・羽村美和子


●発表 「豈」66号


●送付先  〒 183-0052 府中市新町 2−9− 40 大井恒行 宛