【俳句新空間参加の皆様への告知】

【ピックアップ】

2016年11月25日金曜日

第55号 

被災地の一日も早い復興を、お祈り申し上げます。
*****
●更新スケジュール(12月9日・23日


平成二十八年 俳句帖毎金00:00更新予定) 
》読む

(12/2更新)合併夏・秋興帖 第十三 椿屋実梛・田中葉月
加藤知子・小沢麻結


(11/25更新) 第十二  中西夕紀・陽 美保子・渕上信子・水岩 瞳
(11/18更新)第十一  松下カロ・もてきまり・内村恭子・坂間恒子
(11/11更新) 第十…下坂速穂・岬光世・依光正樹・依光陽子 
(11/4更新) 第九 堀本 吟
(10/28更新)第八 ふけとしこ・山本敏倖・林雅樹・望月士郎
(10/21更新) 第七 岡田一実・中村猛虎・佐藤りえ・前北かおる
(10/14更新) 第六 飯田冬眞・仲 寒蟬・渡辺美保・早瀬恵子
(10/7更新) 第五下坂速穂・岬光世・依光正樹・依光陽子
(9/30更新) 第四木村オサム・青木百舌鳥・関根誠子・小野裕三
(9/23更新) 第三石童庵・仙田洋子・小林かんな・神谷波
(9/16更新)第二杉山久子・浅沼璞・田代夏緒・曾根毅
(9/9更新) 第一網野月を・小林苑を・池田澄子・夏木久

【抜粋】 

座談会からの発言記録>
「Es」第29号<光の繭>「特集・ジャンルを超えて」

震災後の言葉の行方~詩・俳句・短歌における表現の可能性をめぐって」(2) …筑紫磐井  》読む

震災後の言葉の行方~詩・俳句・短歌における表現の可能性をめぐって」(1) …筑紫磐井  》読む






<「俳句四季」>


<「俳句四季」12月号>俳壇観測連載167
ノーベル文学賞が俳句に考えさせること――浅沼璞と山本敏倖の思索   …筑紫磐井  》読む

  • 「俳誌要覧2016」「俳句四季」 の抜粋記事  》見てみる





    <抜粋「WEP俳句通信」>








    およそ日刊俳句空間  》読む
      …(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々 … 
      • 11月の執筆者 (柳本々々 ) 

        俳句空間」を読む  》読む   
        ・・・(主な執筆者) 小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子
         好評‼大井恒行の日々彼是  》読む 


        【鑑賞・時評・エッセイ】


        【短詩時評31会場目】文学フリマに行こう、家から出ないで 
        -第二十三回文学フリマ東京Webカタログを読む-
         … 柳本々々   》読む

        【短詩時評30回(※個人の感想です)】 
        〈感想〉としての文学―兵頭全郎と斉藤斎藤―  
        … 柳本々々  》読む 

        【短詩時評 name28.5】 名前の演習-タイトルから考える短歌と文化-
        … 柳本々々  》読む 


        俳句時評 赤ン坊(アカングワ)のために 豊里友行句集~
        (びーぐる32号より転載) 
        …竹岡一郎  》読む 





          【アーカイブコーナー】
          • 西村麒麟第一句集『鶉』を読む  》読む



              あとがき   》読む


              【PR】
              第3回攝津幸彦記念賞 受賞作品収録
              攝津幸彦賞(関悦史選)  生駒大祐「甍」
              筑紫磐井奨励賞   生駒大祐「甍」
              大井恒行奨励賞  夏木久「呟き(Twitter)クロニクル」
              各賞発表プレスリリース
              招待作家 金原まさ子・川嶋健佑・冨田拓也・堀下翔

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              冊子「俳句新空間」第6号 2016.09 発行‼


              俳誌要覧2016「豈」




              特集:「金子兜太という表現者」
              執筆:安西篤、池田澄子、岸本直毅、田中亜美、筑紫磐井
              、対馬康子、冨田拓也、西池冬扇、坊城俊樹、柳生正名、
              連載:三橋敏雄 「眞神」考 北川美美


              特集:「突撃する<ナニコレ俳句>の旗手」
              執筆:岸本尚毅、奥坂まや、筑紫磐井、大井恒行、坊城俊樹、宮崎斗士
                


              特集:筑紫磐井著-戦後俳句の探求-<辞の詩学と詞の詩学>」を読んで」
              執筆:関悦史、田中亜美、井上康明、仁平勝、高柳克弘

              筑紫磐井著!-戦後俳句の探求
              <辞の詩学と詞の詩学>

              お求めは(株)ウエップ あるいはAmazonにて。

              【短詩時評31会場目】文学フリマに行こう、家から出ないで-第二十三回文学フリマ東京Webカタログを読む-  柳本々々


              今年はたぶんひとりでの時評はこれが最後になるはずなんですが、少し変わったことをしてみようと思い、《フリマWebカタログを読む》ということをしてみようかと思うんです。

              2016年11月23日の祝日に平和島の流通センターで第二十三回文学フリマ東京が開催されました。

              行こうかどうしようか迷っていたわたしは、前日におなかが痛くなりおなかをおさえて、うーんうーんと言いながら部屋のまんなかに熊のように倒れこんでいたのですが、




              行ってみました。

              そこで私はOさんに初めてお会いすることができご挨拶させていただいたのですが、Oさんが《文学フリマというのはツイッターと連動していて、ツイッターをみていないでここにくるのと、ツイッターの情報を持ち合わせてここにくるのとではぜんぜんみえている風景が違うのではないか》というような趣旨のお話をされていて、そのお話がとても印象に残ったんですね。


              で、そのお話が興味深かったのはそのOさんのお話を裏返してこんなことも言えるんじゃないかとおもったからなんです。《文学フリマにもしなんらかの都合で〈行けなかった〉としてもたとえば〈Webカタログを読む〉ことによって〈ただ単に何も知らないで行ったひと〉よりも逆に〈参加〉しちゃうことになっちゃう場合があるんじゃないか》と。


              なんでそんなことを思ったかというと、文フリに行く予定だったので前日に文フリのWebカタログを読んでいたんですね。これは文フリのサイトで無料で公開(https://c.bunfree.net)されているので誰でも読めるんです。

              そのカタログのうちの「俳句・短歌・川柳」の欄を読んでいたんですが、そこには各出店者(サークル)のツイッターアカウントと紹介文がついている。それらがとても面白かったんですね。

              たとえば「RTs」は辻聡之さんと龍翔さんの短歌ユニット=出店者ですが「めがねで短歌なふたり、三度目。」と出店者の紹介文が書いてある。ここでは端的に「めがね」「短歌な」というユニットのキャラクター付けや「三度目」という履歴が「ふたり(2)」「三度(3)」と詩的に対になりながら紹介されています。そのことによってこのユニットのキャラクター性のようなものがわかる仕組みになっています。

              実際、文フリに行ってみるとわかるのですが、かなり間近に出店者の方たちとわたしたちは接することになります。しかも出店者の方は腰をおろされている(うつむいている方もおられる)ためわたしたちは出店者の方々をみおろす形でそのブースで販売されている冊子をみることになります。

              そのときわたしたちはまず日常的にはあまりありえないパーソナルスペースの侵食を経験した上でその場に立たなければなりません。これはたとえば小心者のわたしにはなかなか難易度の高い行為です。ですから、冊子を手にとっても頭に入らないことがある。がくがく手や足がふるえ、なにか荒行(あらぎょう)という言葉も思い出したりする場合も、ある。

              でもこのカタログを読んでいけばそのブースのキャラクター・カラーが一目でわかります。そこは変な話ですがある意味でひとつのコミュニケーション・スペースになっている。というか、このカタログを読んでいないと逆にぜんぜんわからないこともある。《当日会場に足を運んでいるのに》です。よくわからないまま熱気に負けて帰っちゃうこともありうるでしょう。

              つまりです。ふつうはですよ、実際に身体で現場を経験したほうが経験値が多いはずなのに、文フリにおいては、もしかしたらWeb上の経験値(どれだけ象徴的に家にいたか)の方が現場の身体的経験より価値として上回る場合があるのではないかということなんです。その経験値の逆転のようなものが文フリには〈感覚〉としてあらわれている。

              そういう独特の経験値の構図が逆転したものが文フリなのではないかと思ったんです。


              文フリはそういう空間のねじれのようなものを考える場所としてもおもしろい場所なのではないかと思います。ぜひ現場に行ってみて文フリに行ってみたり、家のなかで文フリに行ってみたりしてみてください。


              最後に辻さんと龍翔さんのブースで無料配布されていた「RT」からおふたりの俳句。「今回はなぜか俳句を作ってみました」と説明書きがあります。出店者と参加者にこの「なぜか」が突発的に創出されてしまうのが文フリのもしかしたら最大のおもしろさかもしれませんね。「なぜか」のクリエイティビティ。

                時雨るるや肩を容易く組みてをり  龍翔

                秋深し何を諦めたらいいの  辻聡之

              【抜粋】<「俳句四季」12月号> 俳壇観測連載167 /ノーベル文学賞が俳句に考えさせること――浅沼璞と山本敏倖の思索 筑紫磐井


              この数日間の文学関係者の衝撃はボブ・ディランのノーベル文学賞受賞であろう(現時点で、ボブ・ディラン側の態度は未確定)。小説や詩ではなく、彼の音楽活動によって受賞したものだからだ。しかし、彼の楽曲から音楽要素を除いた歌詞自身が高い文学性を持つなら否定はできない。むしろ面白かったのはこの問題を通じて、二十世紀的「文学」観の変質・崩壊が垣間見えたことの方である。

              似たことはかつて俳句でもあった。俳句において文学可否論争といえば戦後の岩波書店の「世界」に載った桑原武夫の「第二芸術」を思い出す。俳句を第一芸術ではない、第二芸術だと断言したのだが、批判された俳句は変わらないものの、芸術は今日桑原が定義したものより大幅に拡大している。アフリカ諸国の芸術、ボーダー的な芸術、日本のアニメなどはもはや芸術でないと排斥することはできないだろう。そもそも桑原の「第二芸術」そのものにしてからが、俳句と対比する芸術として、ハンフリーボガードの「カサブランカ」を例にあげたりしているのだから相当おかしいものであった。「カサブランカ」がいけないというわけではない、それを一流とし、俳句を二流とする基準がおかしかったのだ。

              こんなことを考えているうちに、俳句の内側・外側を考えさせる本を見つけた。

              ●浅沼璞『俳句・連句REMIX』(二〇一六年四月東京四季出版刊)

               浅沼はすでに、『可能性としての連句』『超連句入門』『中層連句宣言』を刊行し、本書で晴れて詩歌句大賞を受賞した。現代的連句論ということが評価されたのだ、慶賀に耐えない。浅沼は連句研究者(実作者でもあるが)であるから、本書は連句論らしい序・破・急の構成をとり、序は「俳句的連句入門」、破は「現代的連句鑑賞」、急は「連句的西鶴論」となっている。基本的には連句講座なのであるが、その間に、「俳クリティーク」Ⅰ~Ⅲを配し、俳句関係の著書や話題を論じている。連句に関心のある人はその序・破・急に従って読むことにより、連句の初級・中級・上級の階梯を踏むことができるが、一方で本誌の読者のようなもっぱら俳句に関心を持つ人には、「俳クリティーク」の俳句の話題から始まり、連句へとさかのぼる読み方が有益であろう。なぜそれが大事かと言えば、子規以後の俳句も、芭蕉以来の俳諧(連句と発句)、さらに宗鑑・守武の誹諧連歌へと遡らざるを得ないからである。俳句で使っている一言一句が、俳諧・誹諧連歌に典拠を持っているからである。未来の俳句を考えるにもこの根源性を無視できないのである。

              本誌の読者向けに「俳クリティーク」から紹介すれば、滑稽と写実、現代に生きる俳文学の伝統、林扶美子の侘び、無心所著(滑稽の一種と考えてよいであろう)、談林(これは西鶴に代表される)と並べれば、近代以後の西洋的な文学性と相対するものが俳句にはなお残っており、それが現在と未来へのアリバイとなっているということができるのである。

              ここでぜひ読んでほしいのは、「発句の位/平句の位」である。俳人は忘れっぽいので「水中花論争」という類想句論争があったことを近頃語らない。浅沼はこの論争を、類想がいけないという倫理的問題ではなく、読みの多様性として吟味する。二つの句を比較して二重性があるかどうか、様々な論者の表現を借りれば、①まっすぐに読める・作者の意見がある、②ひとへ(平句)・ふたへ(発句)、③連作的制作の有無、と深堀りを進め、それが俳句・川柳それぞれにある潜在的表現意欲に由来するのだという。そこから俳句の本質を、川柳とは違う〈滑稽義〉と〈写実義〉の共存にあるとするのである。

              ここまで読めば、「俳クリティーク」で取り上げた多くの問題が、この一点に集約することが分かるであろう。連歌・連句の持つ連衆の多様な個性を合体させるシステムは、世界にまれな独自の文学を作り上げているのだ。



              【部分転載】座談会 「震災後の言葉の行方~詩・俳句・短歌における表現の可能性をめぐって」(2) 筑紫磐井



              [まえがき2]

              この座談会の中でもっとも大事だと感じたのは広瀬大志氏のこんな発言であった。

               「話は飛びますけれども、今から書かなければならない詩というのは、実は次の厄災に向けて対峙し得る詩を運でいかなければならないのかなと思います。よく引き合いに出されるアドルノのアウシュビッツの譬えがありますよね。「アウシュビッツ以降は詩を書くことは野蛮だ」という文言。それはそもそも文明・文化というものが精神的な止揚によって作られているものであるのに拘わらず、その効率性を追求した結果としてアウシュビッツが起こってしまったという、文化・文明の宿命を負っているんですね。その歴史的事実のあとで、どうやって書いていくかというところにぼくたちは常に力点を置くべきである、文化・文明が更新される限りは。「沈黙せよ」と五十嵐さんはおっしゃるかもしれないんですけども、また新たな厄災は起こります。次の体験のためにいかに強度にぼくたちの自我を鍛えるかというのがひとつの道かなと、ぼくは思っています。」

              筑紫:・・・「沈黙せよ」が結論じゃなくて、「沈黙せよ」と「声を上げよ」がセットになって。・・・

              (広瀬:そうです、セットなんですよね、まさに。)

              筑紫:そこが本当にポイントだと思うんですよね。

              【事実と真実――表現の問題】

              筑紫:わたくしの場合、俳句を三十年、四十年ぐらいやっていると、やはり何か自動的にある思考回路ができてくるんです。それで俳句というのは、詩や短歌とはちょっと違うのかなというふうに思いますね。思想が言葉を作り、操作するんじゃなくて、言葉が思想を作る。はみ出ちゃった言葉が後からいわば新しい思想になるとかね、もちろん詩や短歌でもそういうことものあると思うんですけど。俳句は題詠でスタートするわけですからよほどそれが強烈です。題詠で何かの思想の下に俳句を詠んで、碌なものができる筈がない。高浜虚子が花鳥諷詠が思想だと言っているのは、思想を排除しないだけでなく言葉が思想となっている、蓋を開けてみると、その言葉がとんでもない思想を作っているのではないかなと思うのです。そういう訓練を受けてくると、感じていることが幾つかあるんです。俳句の場合はテクニックの観点から見ても言語空間が極めて小さいなと思う。テクニックがはだいたい見当がつくことが多くて、そうするとやっぱり新しい思想のためにはとんでもない課題設定をするしかないのかなあという気が致します。

               今おっしゃられたような観点からいくと、何かもっと俳句も短歌も、詩も(長いものもありますけども)、非常にコンパクトなことをしているわけですから。もともと言葉の選択感から誤解を受けやすいという特徴を持っているわけです、それならばそれが何か世の中を変えるようなものでないといけない。今度の福島の原発もそうですし、湾岸もそうでしたけど、(散文が語るような)普通の倫理であってはいけないと思うんです。例えば子どものために良い思いをさせたいとか、医療を受けさせたいとか、それが積もり積もって原発で色々なエネルギー源としての電力が欲しいとか。人間存在というよりは、子どもを愛すること、妻を愛すること、親を愛することは当然良いことなんだと、でもどっか一カ所でそれは悪に繋がっているというような、これはちょっと言い過ぎのところもありますけれどね。そういうのを片隅にもっていないといけない、無条件に良いことだと言っていると多分アメリカが全世界を制覇するような楽天的アメリカンスタンダードの人間が世界を覆っていくことになる。私はネガティブなところがありどちらかというと、人間が存在することが悪なんだとか、生きていくことは本当は他人に対して悪なんだとか、そういう反省的なところがどこか必要な気がしている。


              筑紫:子どもを愛し、妻を愛し、親を愛するというのは、実はその思いが国家を作っている。国家の悪を皆がやっぱり加担してはいると思うんですよね。

              (司会:じゃ、どうなんですか。免罪符としての表現をしないためには、何が必要なんでしょうね?)


              筑紫:・・・別に免罪符にするつもりはないんだけれど何か次のメッセージ、メッセージと言っていいかは分かりませんけれど、人を動かすようなものを作るためには、今みたいなもの(意識していない悪)をベースにして言わないといけないのかなという気がしますね。

              【言葉から生まれる思想①――共苦とは何か】

              筑紫:・・・最悪の予言というところで、手っ取り早くアニメを例に採らせていただくと。わたしにとって代表的なアニメは、「鉄腕アトム」と「攻殻機動隊」。ただ時代の違いが如実に表れていて、鉄腕アトム[の前提としているの]はエネルギーなんですね、あそこでイメージしている最先端科学[というものは]。

              筑紫:これに対して「攻殻機動隊」は生命科学と情報が最先端科学です、多分わたしは今の原発よりもっと大きな災害が起きるとしたら、これだけあまねく進んでいる生命科学、例えば全人類の遺伝子が損傷を受けるような事態、それから情報なんていうのはもっと巨大な被害が起きるかもしれない。科学の影響はそういうごくありきたりのフィクションの中で少しずつ浮かび上がってきているような気がする。そこでの責任の問われ方という場合に、まだ生命科学とか情報とかっていうのは、何が起きているか実際よく分からない。原子力で言うと、あれが起こったのはそう複雑ではないかなという気もします。・・・それらを含めてまだもっと知の責任みたいなものが本来はあるんじゃないかなと思うんです。権力が悪いと言っちゃったら、それ止まりなんだけど。その権力を支えているいろんな知の構造が全体を作ることになるという、そういう中で、やっぱりある種の責任の回避が積もり積もってこういう事態になっているんじゃないかなあと思います。だから次の生命科学と情報で大災害が起こるとしたら、例えば生命科学は沢山のお医者さんとか大学の研究者とか、あるいはわれわれ医学のメリットを受ける者の知に対する無関心・無責任から生まれてゆく。さっきの子どもが大事、親が大事という話と、そんなところで繋がってくるんです。そういう意識を少しずつでも各人が持っていない限り、もっと大きな災害禍というのは起こりかねないんじゃないかなという気がしますね。


              【言葉から生まれる思想②――詠む以上は作者として傷つくべきだ】

              桜井:そのときにさっき傷を負った、傷つくべきだということを筑紫さんは[いう]、詠んだ人間は作者として、詠む以上は作者として傷つくべきだ[という]。

              筑紫A:少なくとも、まず評価されようとすること自身がおかしいんじゃないか。表現した以上絶対こういう批判は起こることは分かっているんだからそれは覚悟の上でやって、そこを経たのち初めて会話が成り立つと思うんですね。傷つくことによってどんな世界が広がるかは分からないけれど、よい作品を作ることが目的じゃなくて、傷つくことが目的のほうが震災俳句は真っ当じゃないかなと思うんですね。やっぱりわたしだって、詠めば詠むほど叩かれますよね。特に被害者でなければ告発は許されないのかといったら、本当にもう声は出ない筈なんだけれど。五十嵐さんが言うのはやっぱり声を上げろと、何のために上げるのかと考えると、そこに落ちていくのかなと思いますね。

              筑紫B:さっき社会性俳句を例で挙げたけど、なんで失敗したのかと言うと、〈個〉が連帯して社会化しようとしていたせいではないかと思うんですよ。要するに手段化してしまうというのかな、社会性俳句という一派は。だけど社会化の方途はまだあるんで、先ほどの分類でいえば第1番目にあたるのが相馬遷子というあまりメジャーでない作家で、自分だけ長野県の地域医療に悩んで俳句をひたすら作っていく。これは誰も相談しないで自分自身に攻めて行く。確かに狭い、狭隘な俳句ではありましたけれど、個の社会化というものの一つの回答でもあると思うんです。また「社会性俳句」が生まれる前にも沢山の社会性を素材にした俳句は生まれたのであって、弾圧されましたから、そんな俳句は詠まないんですけれど、そのかわりに戦争に召集された人たちは、兵士は何もすることがないからやたらと俳句がはやったんですよね。何とか連隊の句会というのがね。そういうところで俳句ができると九十九%は花鳥諷詠でしょうけど。目の前で人が死んだり、手足が吹き飛んだり、結構驚くようなリアリズム俳句もが花鳥諷詠派から出るんですね。もちろん戦争で負けてしまったから皆内地に引き上げるんですが、そういうのが下地にあったからこそ戦後、社会性俳句というのは生まれたと思っているんです。そうじゃないと戦後になったからって、いきなり原爆の俳句が作れるのかというと詠むべき必然性がないわけです、従軍俳句はリアリズムという点でいうと相当熾烈です。

              (司会:俳句として、それはあるんですね。)

              筑紫C:あるんですね。だから高柳重信系の人たちが評価するのは、富沢赤黄男とか特定の人たちだけですけど、むしろ無名の俳人たちで捕虜を殺したとか少年兵を拉致したとか、そういう句が時折混じっています。やっぱり人間はそういう環境に投げ込まれてしまうと、そういう俳句も作らざるを得なくなる。余儀なく作らされる。まさに今日と比較すると、余儀なく長谷川櫂のように震災俳句を詠んだということは悪いことかというと決してわたしは悪いことではないんじゃないかなという気がこの頃はしているんですけどね。

              筑紫D:わたしが感じたのは、詩だから何行の詩で、短歌だから三十一文字、俳句は十七文字でという固定観念から入らないで、何を訴えるべきかを問うべきです。わたしが思うのに、「五・七・五」、「五・七・五・七・七」、「詩」、いろいろあるかもしれないけども、もうちょっと本質的な哲学的なものが何かを知る――それによってコアを捕まえる努力というのが、それぞれの持ち味で異なるだろうという気がします。俳句は俳句に向いている仕方が、短歌は短歌であるし、詩は詩であるのだと思う。いくら事実をコピーしてもそれだけで世の中、特に詩人・歌人・俳人以外に訴えるというのは極めて難しい。やっぱり普遍性を得るような哲学みたいなものを引きずり出すために、たまたま俳句という、短歌という、詩という形式(もの)があるのかなという気がしているんですがね。


              2016年11月11日金曜日

              第54号

              被災地の一日も早い復興を、お祈り申し上げます。
              *****
              ●更新スケジュール(11月11日/11月25日


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              (11/18更新)合併夏・秋興帖 第十一  松下カロ・もてきまり
              内村恭子・坂間恒子



              (11/11更新) 第十…下坂速穂・岬光世・依光正樹・依光陽子 
              (11/4更新) 第九 堀本 吟
              (10/28更新)第八 ふけとしこ・山本敏倖・林雅樹・望月士郎
              (10/21更新) 第七 岡田一実・中村猛虎・佐藤りえ・前北かおる
              (10/14更新) 第六 飯田冬眞・仲 寒蟬・渡辺美保・早瀬恵子
              (10/7更新) 第五下坂速穂・岬光世・依光正樹・依光陽子
              (9/30更新) 第四木村オサム・青木百舌鳥・関根誠子・小野裕三
              (9/23更新) 第三石童庵・仙田洋子・小林かんな・神谷波
              (9/16更新)第二杉山久子・浅沼璞・田代夏緒・曾根毅
              (9/9更新) 第一網野月を・小林苑を・池田澄子・夏木久

              【抜粋】 

              座談会からの発言記録>
              「Es」第29号<光の繭>「特集・ジャンルを超えて」

              震災後の言葉の行方~詩・俳句・短歌における表現の可能性をめぐって」(1) …筑紫磐井  》読む



              <「俳句四季」>

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                  …(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々 … 
                  • 11月の執筆者 (柳本々々 ) 

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                    ・・・(主な執筆者) 小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子
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                    【短詩時評 name28.5】 名前の演習-タイトルから考える短歌と文化-
                    … 柳本々々  》読む 
                    【短詩時評 name28.0】 前の練習~蛇、ながすぎる~
                    … 柳本々々    》読む

                    俳句時評 赤ン坊(アカングワ)のために 豊里友行句集~
                    (びーぐる32号より転載) 
                    …竹岡一郎  》読む 





                      【アーカイブコーナー】
                      • 西村麒麟第一句集『鶉』を読む  》読む



                          あとがき   》読む


                          【PR】

                          -豈創刊35周年記念-  第3回攝津幸彦記念賞
                          攝津幸彦賞(関悦史選)  生駒大祐「甍」
                          筑紫磐井奨励賞   生駒大祐「甍」
                          大井恒行奨励賞  夏木久「呟き(Twitter)クロニクル」
                          ※受賞作品及び佳作は、「豈」第59号に、作品及び選評を含め発表予定


                          冊子「俳句新空間」第6号 2016.09 発行‼


                          俳誌要覧2016「豈」




                          特集:「金子兜太という表現者」
                          執筆:安西篤、池田澄子、岸本直毅、田中亜美、筑紫磐井
                          、対馬康子、冨田拓也、西池冬扇、坊城俊樹、柳生正名、
                          連載:三橋敏雄 「眞神」考 北川美美


                          特集:「突撃する<ナニコレ俳句>の旗手」
                          執筆:岸本尚毅、奥坂まや、筑紫磐井、大井恒行、坊城俊樹、宮崎斗士
                            


                          特集:筑紫磐井著-戦後俳句の探求-<辞の詩学と詞の詩学>」を読んで」
                          執筆:関悦史、田中亜美、井上康明、仁平勝、高柳克弘

                          筑紫磐井著!-戦後俳句の探求
                          <辞の詩学と詞の詩学>

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                          【部分転載】座談会 「震災後の言葉の行方~詩・俳句・短歌における表現の可能性をめぐって」(1) 筑紫磐井


                          [まえがき1]

                          3・11以後の詩歌の表現をめぐって、詩人の広瀬大志氏、歌人の加藤英彦・松野志保・桜井健司氏、司会江田浩司氏と行った座談会がある(「Es」第29号<光の繭>「特集・ジャンルを超えて」2015年5月)。1年余り経つが、余り反響もないので備忘のためにここで私の発言部分を掲載しておきたい。わりと長文の発言が多いし、詩人・歌人に対し俳句の特性を意識しながら発言する機会はあまりないので、言い過ぎのところもあるが逆に私の考え方を自分で再発見したところもあった。 
                          座談会から部分的な発言を引いても十分ではないかもしれないが、他の発言者の発言についてはそれぞれの著作権もあるので省かせていただく(質疑の都合で若干引用させていただいたところもある)。

                          【以前と以後――何が問題か】

                          筑紫:・・・わたしの場合は俳句という花鳥諷詠に近い、そういう世界が身近に迫っているものですから、随分詩や短歌の世界の方々とは違う感じを持っています。でも、できるだけ詩や短歌の方々との相関を感じ取りたいなということで、今日はこの場に参加させていただいたということです。

                          来るにあたって悩ましかったのは、わたしも震災詠らしきものは詠んだりはしていますけれども、俳句でいうと一周年、三周年は震災大特集がありましたけど、四周年は何も行われていません。法事と同じで、都合よい数字しかマスコミというのは取り上げないものだろうと思っています。

                          現実の問題は、一周年であろうが四周年であろうが六周年であろうが、変わらずにやるものではないか。そうした連続した中で考えてみると、地震が起きた瞬間と、今現在、あるいは十年後とでは少し違うのかなという気がしております。地震直後の瞬間は当然、存在するものは地震の被害で、その状況を詠んでいるわけですけれども。今の時点ではわれわれの周りに膨大な震災作品ができてしまっていて、いったいこれをどう評価するかというところで必ずしも軸が揃っていない。

                          詠んだから良い、上手い俳句だから良いとか、そういうことだけで単純に言えるのかどうか、それを考えてみたいと思います。

                           昨年[2014年]暮れに五十嵐進さんという方が出された『雪を耕す~フクシマを生きる』という句文集ですが、わたし自身は非常に考えさせられたというか、問題提起があるなと思ったので、この問題を冒頭で紹介させていただきたいと思っております。

                          いろいろ論じられていることの当・不当あるかと思いますけれども、五十嵐さんの考え方は一見矛盾はしているけれども、設定した軸というのはそんな間違っていないと思う。

                          一つは、いま五十嵐さんは福島に住んで農業をやっている、まさにセシウムとかに囲まれたなかで農作業をやっている。問題設定が非常に大事だと思うのは、彼は「その現場に、はだしで立った者にしか告発は許されない」(石原吉郎)というのです。

                          たくさんの作品と批評や反論があったけれど、多分そのうちの九十九パーセントは、彼のこの軸で「意味がない」と一旦はなってしまうのではないかなという気がわたしはします。わたしが作った俳句なんて全然現場に裸足で立っていませんから、非難されてもしょうがないというところがあります。

                          つまり、これは五十嵐さんの評価基準で言えば沈黙を強いる、苦しみを負っていない者は詠んじゃいけない。じつはわたしも、例えば角川の「俳句」で「震災俳句を三十句作って下さい」というのが流行しているのにはやや批判的なもので、そういう一種の忘恩のような、もう恩義を忘れるような作品はいかがなものかなというのを書いたんですけど。しかしそんなことを言いながら石原と違うのは、五十嵐さんは、今度はそれを採り挙げて、時間の中でどんどん風化してしまうから、忘恩の作品になっても声を上げることは大事であると、逆のことをいうのです。


                           要するに「沈黙せよ」と「発声せよ」という二つを、相矛盾した要請として提示しているんです。これは、震災後詠まれてしまった俳句を考えていくにあたり大事な基準かなと思いました。

                          この二つの軸を据えれば、あまり滅茶苦茶に対立することもないかと思います。詠んだ以上、先ほど言ったように、現場福島で放射能に囲まれながら農作業をしている人たちに批判されてしかるべき俳句になるべきなのかと思います。だから、ある意味では詠んだ作者も傷つく。傷つかない作品、それで世の中で何か賞を獲ったりする、そんな俳句はどうもおかしいんじゃないかということです。逆に、その人が作者として傷つく以上、どれだけ見当ちがいな作品を詠んでも、それがその人にとって大事だと思うなら、作者としての必然性はあるんだろうなと思います。

                          わたしの俳句を正当化するんじゃないんですけれど、傷つくためにそういう作品を作る、そう意図して作っている俳句なのかどうかというのが、「詠まれてしまった」俳句を「読む」ときに、照らし合わせるべき基準なんじゃないかという気がしていますね。

                          一般的な社会的大事件を詠む、それで後世に残る俳句ができるというのと、今回の東日本大震災はちょっと違った捉え方をすべきではないかなという気がしました。五年、十年経ったらまた変わってしまうかもしれないんですが、今の時点で「詠まれてしまった」俳句をどう「読む」かという基準ですね、この時点、この場所での基準というようなものを思っています。

                          【社会詠  当事者とは誰か1】

                          筑紫:戦後すぐに、昭和二十年代の末から社会性俳句というのが出てきました。

                          当時基地、講和条約とかいろいろ社会的な問題があって、社会性俳句というのが湧き上がったんだけど、駄目になったというのが通説なんですね。なぜ社会性俳句が起こり、なぜ駄目になり、どう変わったのかというのは、あんまり過去のものだから論じられていないんです。俳人というのは器用ですから、みんな次々に転進していってしまい、その痕跡が見えないんです。

                          そもそも、この社会性俳句というのはマスコミが作り出したもので、昭和二十八年ごろ角川書店の編集者が社会性俳句を特集し五年以上にわたって一斉に量産させました。しかしではその前にはなかったのかと思って見たら、じつは山ほどあるんですね。

                          それがマスコミで系列化されて「社会性俳句」といわれる括弧つきのものになる。たとえば戦後ただちに俳句を詠み始めた人の句は、配給とかストとか娼婦とか随分と社会性に溢れ返っていたわけで、それを系列化したのがマスコミだったというのがわたしの仮説なんですね。

                          面白いのは、なんで社会性俳句が流行ったかというと、これは素人がキーパーソンですね、素人が、素人の目でまず詠んだんです、配給米のこととか基地闘争とかで。それが、マスコミが社会性俳句という俳句の価値体系を作った途端に、プロである青年作家たちがそこに飛びついて、彼らがマスコミの監督の下に社会性俳句を詠み出した。

                          だから、今回の震災俳句がマスコミとの関係でどうなっているのかは非常に関心があるところです。末路を言いますとね、社会性俳句の展開は三種類あって、

                          ①終始一つのテーマを追求して行った人、
                          ②次から次へ社会性の新しいテーマへ飛びついて行った人、
                          ③抽象性や難解性を追求して前衛俳句になっていった人、です。

                          ①の人は意外に少なく、②の人はうまく伝統俳句に転身し、③の人が前衛俳句になっていった。

                          こうして五年ぐらい栄えたんですが、皆飽きが来てしまった。これがある程度の歴史的な法則だとすると、今われわれが詠んでいる機会詩なり、まさに東日本大震災ってどの道を辿っているのかというのは、何かデジャブのような感じがしなくもない。

                          (司会:そうすると、機会詩という名の下の一過性を超えることがやはりできないという、それは要するに表現の限界として考えてもいいのでしょうか。)


                          筑紫:戦後世代は知恵が出なかったので、第四の道というのを現在の新しい人たちが建てられるのかどうかでしょう。


                          【社会詠  当事者とは誰か2】

                          筑紫:・・・五十嵐さんの考え方については同じ被災者同士でも批判があって。たとえば距離や飛散の方式の違いで、福島よりも実は茨城の特定地域のほうがもっと悲惨だったという人もいます。

                          しかし江田さんが言うように、五十嵐さんの言葉の読み方は、むしろ自分自身に対してすべての人がこの言葉をも負い目とすべきだということなのかなと思います。要するに何キロ圏何キロ圏で基準ができていて沈黙の程度が違うというのではなくて、言葉を発出してしまう人間は「裸足で作っても、告発は許されない」ということかと思います。彼の言葉の中で、それに適合する人は本来いないんじゃないかなというふうに思いました、死者は別ですけれどね。

                          じゃこれから何をするのかという話になってきたときに、先ほどの題詠の話にもどして、もっと題詠が進んでいる(?)のが俳句です。俳諧・俳句とはもう江戸時代から題詠の塊のような文芸ジャンルであったわけです。九十九パーセントは題詠と言っていいと思うんです。そういう本音のところから遠いところにある文芸ジャンルというものが存在することは議論の前提として認めておいていただいたほうがいいのかなと思います。

                           例を挙げると、阪神大震災のときに友岡子郷さんという方が「倒・裂・破・崩・礫の街寒雀」という句で非常に評判になりました。これはこれで非常に分かるんですけれど。実はこの句が入ったのが『翌』という句集なんです。

                          ただ、もしこの句集に主題を設けると何なのかということですね。私が思うのは「阪神大震災の風化及び記憶喪失」、作家自身が地震が起こった瞬間は「倒・裂・破・崩・礫の街寒雀」と詠んだけれど、どんどんそれが稀薄化しているプロセスが、句集には如実に出てきます。

                          定型詩の機能のせいではなくて、句集・歌集というものの性格から、自己反省、あるいは次の何か自分が作り出していくようなものとは別に、ジャンル全体に引きずられていってしまう傾向があるということです。定型詩集の宿命みたいなものです。

                          例えば、歌集・句集という器のなかで、そうした緊張が最初からおしまいまで続くような歌集・句集、そういうものを作る方もいらっしゃるかもしれません。しかしやはり歌集・句集というのは十年間のその人の生涯が出てしまったときに、衝撃が一貫化していかない、感動・衝撃は一瞬でしかないと思います。それにもかかわらずガラッと作風が変わっていってしまうようなものがあれば、それこそが本当の震災俳句として価値があると思うんです。




                          【短詩時評30回(※個人の感想です)】〈感想〉としての文学―兵頭全郎と斉藤斎藤―  柳本々々


                          今回考えてみたいのが短詩文学における〈感想〉の導入というテーマです。誤解がないようにすぐに言い添えておきたいのは、川柳や短歌の感想文をどう書くかということではありません。むしろ、川柳や短歌の表現機制そのものに〈感想〉という言説構造をどう取り込んでいくのか。わたしが考えているのはそういった仕組みとしての〈感想〉です。


                          たとえば2016年に発刊された兵頭全郎さんの句集『n≠0』にこんな句があります。

                            おはようございます ※個人の感想です  兵頭全郎 

                             (『n≠0』私家本工房、2016年)

                          この句では「おはようございます」という絶対的にゆるぎない挨拶の発話が「※個人の感想です」と注釈されてしまうことにより、相対化されてしまいます。誰もが〈そもそも〉疑問も問いかけも意味の吟味ももたない挨拶としての「おはようございます」に対して、「おはようございます」とはひとつの〈感想〉に過ぎないんだというラインを導入することにより「おはようございます」そのものが浮き彫りにされるのです。

                          それによって起こるのは、「おはようございます」とはなんだろうという問い直し=再吟味です。

                          つまり、この全郎さんの句が教えてくれるのはこういうことです。〈感想〉とはよく知られているような読書〈感想〉文のような意味の付与なんかではない。そうではなくて、実は〈感想〉というのはそれそのものを「個人の感想」としてしまうことで、〈偏った見方〉であることを引き受け、そしてその〈あからさまな偏差〉によって再定義しようとするものだ、ということなのです。

                          この「※個人の感想です」がまったくおなじかたちで今年新刊の歌集にあらわれていました。斉藤斎藤さんの歌集『人の道、死ぬと町』です。「わたしが減ってゆく街で ~NORMAL RADIATION BACKGROUND 4 東京タワー」という「人口減少社会」を扱った連作は短歌と散文が組み合わされているのですが、こんな散文箇所があります。

                            一九九〇年、バブル崩壊。わたしは高校を卒業する。
                            一九九三年、就職氷河期突入。
                            一九九六年、就職活動もロクにしなかったわたしは、大学を卒業してフリーターになった。
                            高校生の私は、就職はできて当たり前。就活は、10人中8人が座れる椅子取りゲームと思っていた。
                            しかし大学生活を送るうち、みるみる椅子は減らされてゆき、卒業する頃には、10人に三つの椅子しか残されていなかった。*13
                            
                           
                           (「わたしが減ってゆく街で ~NORMAL RADIATION BACKGROUND 4 東京タワー」『人の道、死ぬと町』短歌研究社、2016年)

                          というふうに散文に「*13」と注がついているのですが、その注をみると、

                            *13 ※個人の感想です

                          と書かれているのです。一九九三年からの就職氷河期という社会・歴史のなかに投げ込まれている「私」ですが、そのなかに「10人に三つの椅子しか残されていなかった」という「個人の感想」が出てくることによって、大きな社会の歴史と小さなわたしの歴史が競りあい、そのどちらもが相対化されるようになっています。

                          この連作内ではアニメ史では有名な原恵一監督のアニメ映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ! オトナ帝国の逆襲』(2001)が引用されるのですが、考えてみればこのアニメもありえたはずの〈輝かしい未来〉が失われてしまったという社会の大きな歴史と私の小さな歴史の競合が物語の大きな軸をなしていました(この映画のキャッチコピーは「未来はオラが守るゾ」)。

                          この映画の主人公はしんのすけというよりは父親の野原ひろしになっています。なぜならありえたはずの失われた「20世紀」の未来を実感できるのは、かつてそれを夢みていた「こども」であり「大人」の野原ひろしだけだからです。

                          野原ひろしは〈ありえたはずの社会の大きな歴史〉も〈そうでしかありえなかった私の小さな歴史〉も同時に知っている人間です。しんのすけはまだ小さな私の歴史しか知りませんが、ひろしは大人として大きな歴史も知っています。あきらめ、も。

                          ですが、大人を子どもに戻し「古き良き昭和」を再現しようとする秘密結社「イエスタディ・ワンスモア」によるオトナ帝国化計画に、ひろしはどんどん惹き込まれていきます。ありえたはずの未来の懐かしさにとらわれていくのです、小さなわたしの歴史を忘れて。

                          つまり、〈大きなわたしの歴史〉というねじれた時間軸に閉じこもり、「大人」ではなく、現在の現実としての大きな・小さな歴史を忘れた「オトナ」になろうとするのです。ノスタルジーで世界を「20世紀の匂い」で日本を覆いつくそうとする敵の「イエスタディ・ワンスモア」という名前にはおそらくそういったねじれた懐かしさとしての大きな・小さな物語に閉じこもろうとする意味合いがうかがえます。《きょうから振り返る昨日をもう一度!》。野原ひろしは、やってはこなかったもうひとつの未来にひきこまれ、家族を捨てようとするのです。

                          ここで大事なのが、ひろしがどうやって現在の現実(小さなわたしの歴史)に帰ってきたか、ということです。イエスタディ・ワンスモアの思想の虜になり家族を捨てようとしたひろしはしんのすけから自分の靴の臭いをかがされて、はっとして正気にかえります。それは「イエスタディ・ワンスモア」の「20世紀の匂い」という大きな歴史の匂いに拮抗する、小さな個人の「靴の臭い」です。そこでひろしは気づくのです。ああ、どんなに普遍化された「匂い」も、「※個人の感想です」という小さな私の「臭い」に過ぎないのだと。

                          ひろしはあきらめた未来を受け入れ、現実の家族のもとに帰ってきます。このシーンは週刊家族ものアニメのシーンとしてもちょっとどきどきするシーンです。ひろしは家族を捨てて自分の未来のために生きようとしたんですから。もしかしたらはじめて週刊アニメものの類型化された家族が〈私〉のために家族を捨てようとしたものすごいシーンなのかもしれません(ちなみにこの映画ではしんのすけの出血シーンが描かれます。その意味でも脱キャラクター論的映画としてたいへん興味深い映画です)。

                          このクレヨンしんちゃんの映画のように斉藤さんの連作にもたえず「21世紀の匂い」と「私の臭い」の拮抗があります。これは冒頭に掲げた全郎さんの句もそうです。「おはようございます」という「大きな匂い」は「※個人の感想です」という「私の臭い」によって相対化されています。

                          つまり、〈感想〉の導入とは、大きな歴史と小さな歴史のあいだにひとつの係争点を提出することなのです。それが今回の結論です。ですから、感想文とは、感想を書くことではありません。大きな歴史と小さな歴史の接点をみいだすこと。そしてそれを〈あなた〉に問いかけること。それが〈感想文〉というジャンルです。歴史の匂いとわたしの臭いのなかで〈あなた〉に語りかけ、語りなおすこと。

                          あ、そうだ。「※個人の感想です」という言説自体はわたしたちは幼いころからずっとみてきているのです。通販番組です。通販番組では必ず「※個人の感想です」というテロップが出ます。なぜでしょう。

                          それは視聴者に絶対的な意見をもたせないためです。要は効果がでなくても「怒らないでね」ということです。「違う場合もあるからね」というのが相対性です。「こんなはずじゃなかった」が相対性です。そういった意見をもたせるのが「※個人の感想です」なのです。

                          だから、通販で素晴らしい商品を買っても効果は出ないかもしれません。身長も伸びないかもしれないし、彼女もできないかもしれないし、宝くじもあたらないかもしれません。ムダ毛もなくならないかもしれないし、ぽっこりおなかのまま生き続けることになるかもしれません。

                          だから「※個人の感想です」というのはある意味で、絶対性を引き受けるにはどうしたらいいかを考えるための場所(トポス)のようなものなのです。「まだ奥があるよ。でも続きはあなた自身で考えてね。あなたがいま立っているその場所であなた自身のもっているすべてでこれからのことを考えてみてね」。それが「※個人の感想です」なのです。

                          そしてここまで、〈感想としての文学〉について長々と語ってきましたが、もちろん今回の時評自体もまた「※個人の感想です」。

                            突き詰めて公式の例外になる  兵頭全郎


                          びーぐる32号俳句時評  竹岡一郎 




                          赤ン坊(アカングワ)のために


                          豊里友行の句集「地球の音符」(2015年12月刊、沖縄書房発行)を読む。沖縄は「沖縄歳時記」が別にあるくらい、風土の違う地域だが、本州の人間が沖縄の句集に言及しにくいのは、風土の違いというよりは、背負っている歴史の違いに因ると思う。はっきり言えば、沖縄の句に言及する事はためらわれるのだ。人によってその理由は様々で、米軍基地と日米安保の存在もあろう。沖縄に錯綜する様々なイデオロギーが手に余るのもあろう。調べるほどに考えるほどに、沖縄に対する罪悪感が湧き上がるせいもあろう。

                          今年の二月初め、作者からこの句集が送られてきた。書かねばならぬと思いつつ、半年間、腕を拱(こまね)いていたのは私の怯懦であり怠慢である。評論とは或る種の使命感を以って書くべきであり、そうでなければ私は評論を書く意味がない。だが、私が書く事は、沖縄の人から見れば浅薄かもしれぬ。作者はどうか御宥恕頂きたい。

                          鈴虫が魚網の中で鳴いている
                           
                          月面の樹液を泳ぐ兜虫 
                          コオロギが虹の音色の断層だ
                          いずれも虫たちの有様を詠っているが、こういう捉え方はやはり沖縄独特の美しさであろう。「魚網の中で」とあるから、鈴虫の声は波の声と交錯し、協奏するのだ。兜虫は樹皮に染み出る樹液を泳いでいるのだが、月があまりにも明るく樹液を照らすので、樹皮そのものが月の表であるような錯覚にとらわれるのだ。高く低く響くコオロギの声が虹の七色の響きを持つように聞こえ、それはやがて巨大な虹を切ったときに見える断層が、音として聞こえるように思えてくるのである。この「コオロギ」の句は文法としては破綻しているが、その破綻が却って佳句の要因となっている。言葉では捉えられないものを表現しようとする意志が見えてくる。

                          米を研ぐ銀河の渦が冷たい


                          満天の星の下、米を研いでいるのだろうか。天には星が渦巻き、手元には米が渦巻いている。星を時折見上げつつ米を研いでいると、その米がやがて星と思えてくるのだ。だから、作者は米を研ぎ、米粒の水に擦れ合う音を聞いているのではない。星々を研ぎ、星々の擦れ合う響きを聞いているのだ。そのように日常の些細な動作が、宇宙的な広がりと重なり合う霊気が、沖縄にはあるのだろう。

                          轟音のフェンスの蝶化の耳鳴り 
                          強化する基地は恐竜の骨組み
                          一句目。空軍の轟音にフェンスがうなる様を、蛹が震え、割れ、蝶が這い出る様に重ねたのか。「耳鳴り」とあるから、生まれ出る蝶の翅のように震えるのは、作者の鼓膜かもしれない。先のコオロギの句と同じく、言葉で表現できないものを形にしようとしているのが感じられるが、この句において表現しがたく渦巻いているのは、実は作者の心情であろう。即ち、沖縄という実に困難な立ち位置であり、その立ち位置で苦闘する作者の魂である。だからこそ、魂の暗喩である「蝶」が用いられるのであり、ならば耳鳴りは戦闘機の轟音という外部の音によるだけではなく、その轟音に触発された作者自身の血の鬱屈であり滾りであるかもしれぬ。

                          二句目の恐竜は、史上最強の生物という意味だろうが、同時に必ず絶滅し、骨しか残らぬ生物という意味でもある。或いは遥か古代における人類の、恐怖の対象が甦りつつある意もあろうか。「基地」はそのまま「戦争」という語に置き換えられる。しかし、この句の眼目は、先の「蝶化」の句と同じく、まるで土地から発生した自然の生物のごとく基地が描かれているという点で、戦後の沖縄に生まれ育った作者にとっては、基地のある日常が、拒否権無き自然と化してしまっているのであり、その異常なる日常を、如何に、と突き付けているのだ。

                          ランドセル揺られて並ぶ原潜 
                          基地のうちそと縄跳びの子らは虹 
                          食卓にどっどっどっと並ぶオスプレイ 
                          オキナワの空に俎板痕がある
                          揺られて並ぶのは小学生の背にあるランドセルなのか、それとも(建前としては入港しない筈の)原潜なのか。日本では最も戦争から遠い筈のランドセルと、戦況を決定づける最終の兵器である原潜が等価に分かちがたく並んで揺れるという不条理。

                          虹を回すがごとく縄跳びをする子供達の姿が基地の内外にある。「うちそと」が眼目で、外にいるのは沖縄の子供達であろう。内にいるのも基地に働く沖縄人の子であろうか。或いは、米軍兵士の家族かもしれず、軍属の家族かもしれず、日本の自衛隊員の家族かもしれぬ。いずれにせよ、子供である。国籍や戦争には無関係な筈の子供達だ。

                          三句目は、「どっどっと並ぶ」と中七を定型に収める容易さを捨てて、敢えて更に「どっ」を加え、定型を壊した。そこに作者の思いがある。定型をはみ出して終わりなくオスプレイは並ぶ。庶民の食卓に容赦なく並ぶのだ。実際に食卓に降り立ち並ぶのは、オスプレイの発する騒音だろうが、もはやオスプレイが日常食らわざるを得ない料理の一品であるかのように感じられる。その状況を如何、と我々に問うているのだ。

                          四句目の「俎板痕」とは飛行機雲であろう。空という俎板に残される刃痕のごとく、飛行機雲が並ぶ。日々あまりにも軍用機は行き交うので、飛行機雲は空に痕となり、消えないように思われる。俎板に切られ、様々なイデオロギーや立場に切り分けられ、傷に塩を塗られるように、過去の記憶と歴史とに日々切り刻まれるのは、沖縄人の心であろう。ここでオキナワとカタカナで記されるのはヒロシマ、ナガサキと似ているようで微妙に異なっている。何故なら、沖縄において戦争は未だ終結していない。

                          終戦のない宿借りの沖縄よ 
                          捨石か要石かと蜥蜴鳴く 
                          生(なま)な表現過ぎて、余韻が無いと言えば無いが、そういう詩的表現を考慮する余地がないほどの実感がある。沖縄には終戦がない、戦争はずっと続いている、それは沖縄に生まれ育った者にしか言えぬ実感である。ヤドカリは貝がないと死んでしまう。しかし、その貝はヤドカリ本来のものではない。貝とは時に米軍基地であり、時に共産主義であり、痛ましいことに時に日本政府であったりもするのだ。沖縄人が納得し得る沖縄本来の宿とは一体何であろう。かつて侵攻された挙句、所属させられた薩摩藩であろう筈はない。琉球王国は、明治政府の琉球処分により失われた。これは本州で生まれ育った者には到底想像つかぬ無念であろう。かつての唯一の本土決戦である沖縄戦と、東アジアにおける軍事拠点としての米軍基地を考えるとき、「捨石」と「要石」の語は、沖縄の、歯を食いしばる口惜しさとして、沖縄の心に絶えずのしかかる石の重さとして伝わってくる。鳴くものが蜥蜴なのは意味があろう。蜥蜴は龍を思わせ、沖縄は龍神の島だからだ。そして霊的な観点から見たとき、沖縄の業(ごう)はそのまま日本国の業であり、沖縄の怨念は日本国の怨念である。沖縄が滅びるとき日本もまた滅び、逆に、沖縄が遂に救われるとき、日本もまた漸く救われるだろう。それを直感するとき、「要石」という語は重い。

                          無関心の刃なりバーコードの森 
                          狼が来る机の森の戦前

                          これらの句は警告だろう。「最大の悲劇は悪人の暴力ではなく、善人の沈黙である」とは、キング牧師の言葉だ。この「沈黙」を「無関心」と言い換えても良い。それは刃となり、犠牲者の胸を抉る。その刃がやがて狼の牙となって、戦前のごとき言論統制の形を取り、書物のうず高く積まれた知識人の机を噛み砕かぬと、どうして言えよう。

                          せんそうのもうもどれない蟬の穴 
                          蝌蚪あふれ沖縄戦の余白なし 
                          艦砲の雨は鶏頭あまた咲く

                          ここで口を開ける蟬の穴も、黒々とのたうち溢れる蝌蚪も、鶏頭の血肉のような赤さも、今見ている光景である。しかし、蟬の羽化し、蝌蚪の育ち、鶏頭の咲く沖縄に、かつて血まみれの戦災犠牲者が溢れ、艦砲射撃が余白なく降り注ぎ、砲弾は島中を穴だらけにしていったゆえに、作者が見る蟬の穴にも蝌蚪にも鶏頭にも、死者の無念と恐怖が重ならざるを得ない。沖縄に生息する数多の生物に、戦争の光景が重ね合わされる。

                          芒野は戦没者数量れるか 
                          鮮やかな原野遺骨に星のさざなみ 
                          たましいが還れず杭になる骨よ 
                          囀りが一家全滅の声になる

                          沖縄戦の遺骨は今なお膨大な数が収集されず、供養されずに、原野に置き捨てられている。その遺骨らに「星のさざなみ」をせめて寄せようとする作者である。

                          写真家である作者の「辺野古」(増補改訂版、2015年5月、発行・沖縄書房、発売・榕樹書林)という写真集を見たとき、衝撃だったのは未だ晒されている遺骨であった。

                          四十四頁の「2008年、糸満市」と記された写真には、地の枯枝の間に髑髏が転がっている。四十七頁の「2012年、糸満市大里」と記された写真には洞(ガ)窟(マ)に水没して仰向いている髑髏が見える。

                          四十五頁は2010年、那覇市真嘉比の区画整理地で、遺骨収集ボランティア団体「ガマフヤー」代表・具志堅隆松氏が、遺骨を前に祈りを捧げる写真。氏の前に、六十数年どこにも還れずに杭のようになった数本の大腿骨が置かれている。四十六頁には2007年、糸満市田原陣地壕を探し出した国吉勇氏が、遺骨と共に写っている。ヘルメットをかぶった氏はカメラを真っ直ぐ見返し、手にした懐中電灯で遺骨を照らし出している。

                          いずれもこの十年以内の写真である。戦後六十年以上も経って、未だにこの惨状なのだ。死者達は国家の戦争による殉難者であり、遺骨は他国ではなく、日本の国土にある。素手によって収集可能なのだ。しかし、ここで遺骨収集を続ける両氏は、民間のボランティアである。政府の機関から来たのではない。

                          私は沖縄を訪れた時のことを思い出す。十一月だった。仕事で行ったので観光の暇はなかった。それでもひめゆりの塔と平和祈念公園だけは見た。国際通りから車に揺られて、やがて道の左右は唐黍畑ばかりとなる。所々に人が住んでいるのかどうかわからない家が点在する。戦争で一家全滅した後、遠い親戚が保存している家があるのだと聞いた。空は良く晴れているのに、風景は紗が掛かったように感じられる。それは未だ野ざらしの死者達の寂しさだ。ひめゆりの塔よりも、途中の野の風景の方が私は辛かった。そして、あの立派な「ひめゆり平和祈念資料館」も国立ではない。民間の機関だ。ひめゆりの生存者達が設立したのだ。資料館で何冊かの書籍を買った。その内の一冊、「墓碑銘」という青い表紙の本には、ひめゆりの戦没学生及び戦没教員の一人ずつの顔写真と名前、生前のプロフィールが記されている。死者達は、政府が累計した数字ではない。一人一人独自の顔を持ち、名を持ち、独自の性格と得意なもの好きなものを保持していた個人である。そのことが「墓碑銘」の一人一人の項目を読んでゆくと良くわかる。戦没したのは累計数字でも番号でも歯車でもない。喜怒哀楽を持つ個人が、個々の独自の苦痛の内に死んだのだ。
                          ここで私は、出来れば触れたくなかった句を、どうしても書かねばならぬ。触れたくなかったのは私の怯懦であり、この句にどう寄り添えば良いか、未だに逡巡している。

                          洞窟(ガマ)の首絞める赤ん坊(アカングワ)の螢

                          かつて沖縄では米兵よりも日本兵の方が怖かった、と私は聞いたことがある。沖縄戦の際、防空壕となった洞窟で、泣き止まない赤ん坊は日本兵の手で、或いは日本兵の強制によって絞殺された。泣き声によって米兵に場所を知られる、という理由だった。兵士が、守るべき国民の赤子を、既にその時点で、兵士と国家には、どんな大義も無い。私はインタビューを見たことがある。赤ん坊だった弟を、日本兵に殺された人の証言だった。未だに弟に服を買ってくるのだと、真新しい服を広げて、その人は言った。

                          この句において「絞める」の客体と主体は判然としない。主体、客体、共に洞窟とも赤ん坊とも螢とも、作者に象徴される生者とも見える。赤ん坊が洞窟というモノ、戦争という業(ごう)の首を絞めているとも取れる。一句の文法は破綻しているが、その破綻を以って、聖戦という大義など最早どこにも存在しなかった、沖縄戦末期の地獄に対抗するしかない。

                          木漏れ日に浮かぶ骨らの志
                          ここで「骨ら」と詠われているのは、死者達というだけではない。生者達でもあり、体内の血に死者達を脈々と巡らせる子孫達でもあろう。「志」という、受け継がれるものが主体だからだ。志は、この世の樹々と陽光に照らされて浮かぶからだ。

                          すいつくすかげもしずくもない炎天
                          この句においては幾つかの解釈が成り立つ。炎天は影と滴を吸い尽くすのであるが、もはや地上と天に、影も滴もない。或いは、何かを吸い尽くすのは影であり滴であるが、その影も滴もない炎天。または、影も滴もない炎天を作者自身が吸い尽くす。或いは、影と滴を、人間という血肉を持ち自我を持つ存在の暗喩として取ることも出来よう。眩い空(くう)である炎天と、影と、滴と、考える主体である作者との区別が、ここでは失われてゆくように見える。このように主体と客体とが判然としないことを欠点とする向きもあろうが、しかし現実に、追い詰められた記憶を持つ土地と、そこに生きる人間が、主体と客体の区別をつけられなくなることがある。かつて聞いた話だが、沖縄のような、空も海も花も、何もかも強烈な色彩を持つ地で、地獄の戦争が展開したとき、人間は、土地の美しさと眼前の地獄との激しい落差に、精神の均衡が保てなくなるというのだ。

                          三日月に魚骨の懺悔吊るしてく
                          魚骨を吊るしてゆくのは軒下であろうが、遥かな三日月にその骨が吊るされつつあるように見える。ここで眼目は「懺悔」であって、人間の原罪を魚骨に託しているのかもしれぬ。そして世界中、「魚骨の懺悔」という詩的な感興を抱き得る者ばかりなら、あのような戦争は起こりえなかったか。

                          こんこんと螢の海の母の咳
                          「こんこん」とは、咳の擬音語だろうが、同時に滾々とあふれる母なるものをも象徴している。母はまた霊的な存在の暗喩であり、龍神や彼の世と交流する沖縄の神人(カミンチュ)でもあり、更に深く潜れば琉球王国の霊的な柱である聞得(きこえの)大君(おおきみ)でもあろう。螢は死者の魂とも志とも取れよう。「こんこん」は、螢にも、母にも、海にも掛かるのだ。その擬音語は、「母」「海」「螢」と組み合わさっては、溢れるさまを表し、同時に「咳」と組み合わさって、病むさまをも表す。これは沖縄という土地の描写と読める。龍神の島であり、霊的な母なる者たちが輩出される島であり、かの世とも天上とも容易に繋がる島でありながら、同時に未だ戦争が癒えず、軍隊とイデオロギーに冒され病んでいる。ならば、沖縄こそが戦後日本の隠されてきた心臓といえよう。沖縄の業(ごう)は日本の業であり、沖縄の運命は日本の運命であると思う所以である。だから最後に、沖縄の可能性を掲げている句群を挙げよう。

                          琉球の国境線なら海蛇(イラブー)です 
                          まがたまの琉球が湧く蝸牛 
                          守宮透け琉球海路のアジアよ
                          ここに見られる沖縄の生物は、実に自在で明るい。現実に見ることの出来る生き物と、霊的な存在と、土地に根づきつつ世界を広げてゆく人々の未来が、渾然一体となって輝くように見える。海蛇は龍神の使いとして、平和にして自在なる国境を形作るのだ。蝸牛はその形を以って、日本の神器の力を宿し、琉球もまた日本の霊的源泉たる本来の形を取り戻す。肉ではなく霊から形作られているように透ける守宮は、まるで小さな龍のように琉球海路を、その果てに広がるアジアを見守るのである。ここに示される光景が、本来の沖縄であり、沖縄人が悪夢の鎖を断ち切るときの眼差しであろう。