【俳句新空間参加の皆様への告知】

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2019年8月30日金曜日

第120号

※次回更新 9/13

  【予告!】怒涛の切れ特集!
  令和の秋は、切字・切れの大論争開始か!
  歴史的な切れ論終焉の秋(とき)か!


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令和花鳥篇
第一(8/23)神谷 波・曾根 毅・松下カロ
第二(8/30)杉山久子・渕上信子・夏木久



令和春興帖
第一(5/24)仙田洋子・松下カロ・曾根 毅・夏木久
第二(5/31)杉山久子・辻村麻乃・乾草川・池田澄子
第三(6/7)田中葉月・大井恒行・岸本尚毅・ふけとしこ
第四(6/14)前北かおる・坂間恒子
第五(6/21)浅沼 璞・網野月を・堀本 吟・川嶋健佑
第六(6/28)内橋可奈子・福田将矢・とこうわらび・工藤惠
第七(7/3)木村オサム・真矢ひろみ・水岩瞳・家登みろく
第八(7/12)内村恭子・林雅樹・神谷 波・北川美美・中村猛虎
第九(7/19)羽村美和子・小野裕三・山本敏倖・仲寒蟬・飯田冬眞
第十(7/26)渕上信子・望月士郎・井口時男・青木百舌鳥・花尻万博
第十一(8/2)西村麒麟・下坂速穂・岬光世・依光正樹
第十二(8/9)依光陽子・小沢麻結・近江文代・佐藤りえ
第十三(8/16)筑紫磐井


■連載

【抜粋】〈俳句四季9月号〉俳壇観測200
湘子と登四郎――「鷹」と「沖」の分岐点は何か
筑紫磐井》読む

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~⑱ のどか  》読む

麻乃第2句集『るん』を読みたい
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15 「るん」の風/木村リュウジ  》読む

渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい 
6 『櫛買ひに』を読む/山田すずめ 》読む

句集歌集逍遙 木下龍也・岡野大嗣『玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ』/佐藤りえ  》読む

佐藤りえ句集『景色』を読みたい 
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7 佐藤りえ句集『景色』/西村麒麟  》読む

葉月第1句集『子音』を読みたい 
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7 生真面目なファンタジー 俳人田中葉月のいま、未来/足立 攝  》読む

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■Recent entries

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【100号記念】特集『俳句帖五句選』


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およそ日刊俳句新空間  》読む
…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
5月の執筆者 (渡邉美保

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…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子






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筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。

【抜粋】〈俳句四季9月号〉俳壇観測200 湘子と登四郎――「鷹」と「沖」の分岐点は何か 筑紫磐井

●「鷹」は何故馬酔木から離脱したか
 山地春眠子の『「鷹」と名付けて――草創期クロニクル』(邑書林令和元年七月)が出た。
(略)

●「沖」は何故馬酔木に残留できたか
 私は、藤田湘子と比較して能村登四郎を思い出さずにはいられない。まさに、山地のクロニクルの終わった翌年の昭和四五年に、首都圏の市川で登四郎の主宰誌「沖」は創刊されたからだ。私は、山地と違い四七年に沖に入会しているから、リアルタイムで資料を見ることも出来たし、登四郎から話を聞く機会があったのでここで少し語っておこう。
 「沖」創刊に当たっては、登四郎は直前の湘子の失敗を充分に踏まえて慎重に準備を進めたという。創刊に当たって馬酔木の同人には原則声をかけなかった。例外は林翔であるが、翔は登四郎と学生時代以来刎頸の友の間柄で知られむしろ秋桜子の方から雑誌の編集長にせよと切り出したという。もう一人は鹿児島の学校から登四郎に憧れて上京してきた福永耕二で、教頭の登四郎が世話して自分の学校に勤務させていたからこれも秋桜子に異存はなかった。「鷹」と違って、登四郎の特別の縁故者以外いなかったのだ。こうした秋桜子と「沖」の慎重な蜜月関係は、湘子なきあと自ら馬酔木編集で忙殺されていた秋桜子が、自分の後継編集長として耕二を指名することによって万全の信頼関係となったと考える。
 では、何故湘子は失敗したのであろうか。これは、湘子の若き日の成功体験がむしろ禍したのではないかと思っている。
     *
 昭和二三年に若い人材を求めていた秋桜子の前に、魅力的な人材の藤田湘子が登場した。早速湘子を中心として「馬酔木新人会」が結成された。メンバーは大島民郎、少し遅れてきた能村登四郎、林翔らであった。やがてこの新人会は、新人育成の雑誌「新樹」を創刊する(「新樹」は秋桜子の句集名)。昭和二四年二月を創刊号とし、私の手元には二五年一月の通巻九号まで残っている。この雑誌の編集長が藤田良久(湘子)であった。貧しい若手たちが何故長期にわたりこんな雑誌が出せたかと言えば、間違いなく水原秋桜子の資金援助が入っていたためと思われる。
 また戦後馬酔木の若手指導は戦前からの篠田悌二郎(「野火」主宰)が行っていたが、この二三年突然に石田波郷が馬酔木に復帰、馬酔木編集長に就任し、若手たちは波郷になだれるように傾斜して行く。このためであろうか、篠田は馬酔木から離れて行く。一方で波郷は「新樹」の編集ぶりから、自らの編集長後継者に湘子を考えたのである。
 余談になるが、波郷はこの時二人の若手のうち、内政を湘子に任せる一方外政を登四郎に委ねたのではないか。登四郎に現代俳句協会の会員、幹事となる便宜を与え、最終的には金子兜太と現代俳句協会賞の共同受賞を果たせさせている(湘子には現代俳句協会への便宜は余り図っていないようだ)。
 言いたいのは「新人会」での秋桜子や波郷の湘子への信頼は、昭和二〇年代の特殊な状況から生まれ抜擢されたものだったと言うことである。例えばホトトギスでも、この時期、虚子によって次代のため清崎敏郎、深見けん二らの「新人会」が設立されている。
 しかし三〇年代は知らないうちに状況が変化してきている。その代表例が三七年の現代俳句協会からの俳人協会の独立問題である。戦前の人間探求派・新興俳句派が、金子兜太に代表される戦後派に警戒心を抱きだしたと言うことを忘れてはならない。
 優秀ではあっても湘子の無警戒な雑誌創刊の態度――特に遷子、星眠はその後の経緯から言っても、馬酔木の保守本流であった――を囲い込むことは軽率であると言わねばならなかった。湘子のために悔やまれるのである。
 もちろん、外政に向った登四郎も、一足先に現代俳句協会の分裂により多くの友人と断交することとなり、登四郎言うところの「冬の時代」を迎えるのであるが。


※詳しくは「俳句四季」9月号をお読み下さい。

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~⑱ のどか

 第2章‐シベリア抑留俳句を読む
Ⅴ 高木一郎(たかぎ いちろう)さんの場合(2)


【】の表題は、『ボルガ虜愁』で高木さん自身のつけた表題である。
以下*は、『続・シベリヤ俘虜記』『ボルガ虜愁』の随筆をもとにした筆者文。 
 また、作品中の「シベリヤ」の表記はそのままにした。

【短日の貨車シベリヤを西へ西へ】
  短日の貨車シベリヤを西へ西へ (ボルガ虜愁)
添え書き:シベリヤを過ぎウラルを越え、欧露ラーダまで貨車にのること27日間シラミが北を向くことを知って、しらみ磁石とした。

*ウラジオ・ストクから日本へダモイと称し貨車に乗せられた。旅の途中で虱が北へ向くことを発見し、ダモイと言いながら貨車はウラジオ・ストクとは反対の西へ向かっていることに気づいた。綏芬河のトンネルを出たらソ連領であり、貨車はシベリヤを過ぎウラルを越えて27日間、欧露ラーダに着いた。

  水筒の凍てふくらみし貨車の朝 (ボルガ虜愁)

*筆者の父は、抑留の記憶を「寒さが激しくなるに従い水筒の水が凍り膨張して破裂した」と話したことがあった。高木さんたちの貨車は秋に出発し、欧露を目指すある朝には、水筒が凍るほど寒くなっていた。

  オムスクの長き停車の寒かりき(続・シベリヤ俘虜記)(ボルガ虜愁)

添え書き:停車すれば線路の両側にならんでところかまわず脱糞するのが俘虜である。大便の上に鮮血がかかっているのが多い。「ぢ」疾患の多いことを、はじめてこの目でみた。
※オムスクはシベリアの一番西にあるノヴォシビルスクに次ぐ都市である。

*捕虜を満載した貨車は、シベリアの西にあるオムスクにて長く停車した。抑留体験談で登場した中島さんも貨車が止まるたびに外で脱糞をしたと語られていたが、車両の中には小便をする樽は置かれてあるが、大便をする設備は無いのである。何日も我慢してする便なのである。肛門が切れて出血もし、便秘や下痢や寒さで本当に皆困ったであろう。この事実は添え書きなくしては理解できない。停車時間には扉が開け放たれるのか、朔風は身に沁みるのである。

 【耳袋してラッパ吹くドイツ兵】ラーダ収容所
  月光に橇あと岐れ幾すぢも(続・シベリヤ俘虜記)(ボルガ虜愁)
添え書き:鉄条網の外側。月明かり雪明り。映画「白き処女地」を思い出す。

  橇曳ける灰色の瞳の婦かな(ボルガ虜愁)

添え書き:少量の生活物資をのせた小さな橇。現在の日本主婦の買い物袋にあたるのであろうか。

*11月30日ラーダ収容所に入った。ある月明かりの中に橇の跡が幾筋も残っているのが見える。あたり一面雪の世界に、生活物資を乗せて歩く婦人の姿を
見ている作者には、此処にも人の生業があることを知り、一時の安らぎを得たのではないだろうか。
  
  短日や写真袋を縫ひあげし(ボルガ虜愁)
添え書き:6×6板の家族の写真を入れる袋

  裘きて写り居る妻と子と (ボルガ虜愁)

*これも鑑賞を要しない句である。
 
  初夢は吾子の深爪また切りし (ボルガ虜愁)


*抑留して初めての正月。子どもの夢をみた、夢の中でも子どもの爪を深く切ってしまったところで目が覚めた。家族への思いは募るのである。

  耳袋してラッパ吹くドイツ兵(続・シベリヤ俘虜記)(ボルガ虜愁)

添え書き:独ソ戦の俘虜。有名な楽団員であったこのドイツ兵のトランペットの音色は素晴らしいものであった。点呼ラッパである。

*ラーダ収容所にはすでにドイツ、ハンガリー等、欧州軍の俘虜がいたと『続・シベリヤ俘虜記』のP.112にはある。シベリヤ抑留では、将校などの上位の階級の軍人は欧露へ抑留され、一般の兵士は主にシベリア・樺太などの酷寒の地での強制労働に従事した人々に分かれる。

  木の匙のかたち出来ゆくペチカの火(続・シベリヤ俘虜記)(ボルガ慮愁)

*夜の寒さをしのぐため、ペチカ当番は眠らず火の番をする。その時間の飢えを紛らせながら白樺の木で匙を削る。だんだん匙が姿を現す。僅かな粥を残さず掬い取るための命を繋ぐ匙である。
  
  笑い居る吾子の写真や榾の火に (ボルガ慮愁)


*厳冬の長い夜に、高木さんは子どもたちの写真の笑顔に心慰めるのである。

  一トンの凍芋の皮むかさるる(続・シベリヤ俘虜記)(ボルガ慮愁)


*句は「芋」とあるが添え書きには馬鈴薯の皮むき作業とある。泥付きのまま
凍った馬鈴薯の泥と皮を剥くのである。国営農場の作業であろうか、

  手のひらの野蒜は真珠の玉の如し(続・シベリヤ俘虜記)(ボルガ慮愁)
*野蒜は筆者も子どもの頃に祖母と良くとった。緑のところを短気に毟ってしまうと、野蒜の球根は土の中に残ってしまう。じっくりと指で掘り上げた球根は、真珠の玉のようである。
 
  春泥の壁新聞に顔ならぶ (ボルガ慮愁)

添え書き:俳句、短歌等を主にした初期の壁新聞。紙が無いので白樺の板に書き、白樺にぶら下げた。

*『続・シベリヤ俘虜記』P.112に司令部の高島直一が文化活動として呼びかた俳句の会があったと書かれている。すべての活字を奪われた俘虜たちは白樺の木に煤を溶かして書かれ掲示された壁新聞の俳句や短歌に心癒されたのである。(つづく)

『続・シベリヤ俘虜記~抑留俳句選集~』小田保編 双弓舎 平成元年8月15日
『ボルガ虜愁』 高木一郎著 (株)システム・プランニング 昭和53年9月1日発行

【麻乃第2句集『るん』を読みたい】15 「るん」の風 木村リュウジ


   Ⅰ

辻村麻乃『るん』(俳句アトラス 2018年)は『プールの底』(角川書店 2006年)に次ぐ作者の第2句集である。まずは各章から印象的だった句を引いてみたい。

1 「るん春」より

  電線の多きこの町蝶生まる (P25) 

 作者は詩人・岡田隆彦を父に、俳人・岡田史乃を母に産まれた。そのことから、突飛な発想かも知れないが、私はこの句を境涯句だと思って読んだ。両親から詩歌の才能を受け継いだ作者は、やがて自分も俳句の道を志し、蝶のように言葉の世界を飛んでみたいと思うようになる。しかし、作者のもとに待っていたのは掲句の「電線」が隠喩しているような、言葉の難しさであり、俳句の難しさといった困難だったろう。しかし、そうした「電線」を一つずつかいくぐり作者は自身の作品世界を完成させる。その作品世界については後述するが、掲句からは生まれたばかりの蝶が電線を見上げながら思う期待や不安に、そうした作者の境涯が重なった。

  春昼や徒歩十分に母のゐて (P31)

 「徒歩十分」という日常的な言葉により、却って作者と「母」との互いの愛情を強く感じる。またその愛情と「春昼」というあたたかな季語とがよく合っていると思う。集中、他の句を読むと母が入院していることが分かる。(母入院「メロン」と書きしメモ一つ P82、病床の母の断ち切る桃ゼリー P107)そのことを考えると、この「徒歩十分」というのは、作者の自宅から母の入院している病院までの時間、距離なのかも知れない。しかし、そうだとしてもやはり「徒歩十分」の措辞からは互いの愛情を感じ、見舞いが暗く映らない。

2 「るん夏」より


   象の鼻一つは夏の星を指し (P57)

  考えてみれば、私たちが普段動物園で目にしている象は、みんな海外から渡ってきたものだ。アフリカゾウはアフリカから、インドゾウはインドから・・・。そして、それまでの広々とした草原から、ゾウにとっては小さすぎるくらいの檻に入れられてしまう。勿論、飼育員がエサを食べさせたりしてくれるとは言え、このように考えると、やはりゾウのさびしさを感じる。掲句は、そんなゾウの一瞬のさびしさを詠んだものだろう。ゾウが指している夏の星は、アフリカでは、或いはインドでは、日本よりずっと大きく見えるのかも知れない。そして、そんな星を目にしているゾウはたとえ言葉にはあらわれなくとも望郷の思いを強く感じていることだろう。

   路地裏で怖き神輿を見てしまふ (P66)

 いつも通っているはずの道でも、脇道に一歩逸れると、途端に何処の道か分からなくなることがある。なんとなく子どもの体験という印象が強いが、大人になっても不安になる瞬間だ。
 掲句はそんな「路地裏」で「怖い神輿」を見てしまったという。掲句には切れ字もなく、措辞も簡潔である。しかし、その簡潔さが却って様々な想像を読者にはたらかせる。どんな風に怖かったのか、いまでも使われている神輿なのか。しかし、それらはすべて俳句の短さというヴェールに隠されて答えを知ることは出来ない。そして、そんな想像をはたらかせているうちに、遠い日に自分が見た「怖き神輿」の記憶がありありと迫ってくるような気すらする。

3 「るん秋」より

   秋気立ち脂の匂ふ能舞台 (P105)

 掲句の上五「秋気立ち」がとても良い。例えば「秋立ちて」等だと、暦の上では秋だが、やはり暑さをまだ強く感じる。また「秋深む」等だと、掲句の場合なんとなく凡庸な印象を受ける。つまり、「秋気立つ」の「気」と「匂ふ」という措辞が非常に合っているのだ。私は能には疎いが、掲句からはこけら落とし公演を想像した。脂を塗ったばかりの真新しい舞台に満ちる心地よい緊張感が「秋気」という言葉から伝わってくる。

   鬼一人泣きに来てゐる曼珠沙華 (P115)

 「るん夏」で感想を書いた「路地裏で怖き神輿を見てしまふ」にも共通するが、『るん』には日常のふとした瞬間を詠んでいる句の一方で、掲句のように異世界を覗き込むような句も見受けられる。(走り梅雨何処かで妖狐に呼ばれたり P67、寒牡丹百五十人の座禅かな P146)掲句もそうした句の一つ。「鬼」とは、鬼ごっこで負けてしまった子という解釈も出来るかも知れないが、そんな子が曼珠沙華まで泣きに来るだろうか。掲句は、曼珠沙華の咲くなかに文字通りの鬼が泣きに来ている様子を想像したほうが楽しく読めると思う。曼珠沙華のなかから聞こえてくる、人ともつかぬ声・・・。秋の夕暮れ時の不思議な光景である。

 4 「るん冬」より

  柏手の響く社や実南天 (P139)

 「実南天」の真っ赤な色や、冬の神社の境内の澄み切った空気が伝わる。「柏手」を打つ人物がどんな人なのかは全く分からないが、南天の言い伝えに「難を転ずる」というものがあることからも明るい表情をしていることは間違いない。晴れた冬空の先に、明るい将来が待っていることを想像させる句である。

   初冠雪二円切手の見つからぬ (P160)

 「初冠雪」と聞くと、やはり私は山の頂上辺りに雪が降り積もっている大きな光景を想像する。掲句からは、その大きな光景と「二円切手」を失くしてしまったという小さな光景とのギャップに惹かれた。また、二円切手の絵柄と言えばエゾユキウサギが有名だが、切手のなかのウサギが山へ行ってしまったのではないかという空想(或いは妄想)もしてしまった。そうした何処かメルヘンチックな句である。

 5 「るん新年」より

  秒針の音近付きて去年今年 (P181)

 掲句の「近付きて」という措辞には、「年の明ける瞬間が近付いてくる」と、「自分の耳に秒針の音が近づいてくるように大きく聞こえる」という2つの意味が込められていると思う。大晦日の夜の、他の364日とは明らかに違う清らかな空気が率直に詠まれていて好きな句だ。

  人とゐて人と進みて初詣 (P183)

 「人とゐて」、「人と進みて」、率直に言えば初詣の風景としては当たり前だが、掲句のようにその風景を丁寧に詠まれると、初詣に集う人々の表情や服装まで想像出来る。 「と」という助詞も非常に効果的だ。季節は違うが、与謝野晶子の「清水へ祇園をよぎる桜月夜今宵逢ふ人みなうつくしき」にあるやさしさと通底する世界観があると思う。人々の新しい年に向けての希望が感じられる句である。

   Ⅱ

 以上が『るん』の各章から私が特に印象的だった句である。
全体的な作品世界について述べる前に、集名の由来になった

  鳩吹きて柞の森にるんの吹く (P108)

 について述べたい。掲句は「るん秋」に収録されているが、正直に言えば私は最初に読んだときにこの「るん」の意味がいまいちつかめなかった。しかし、「あとがき」を読んでそれが分かった。

 句集名の「るん」とはルンという言葉の概念に依る。
 
  プラーナ(梵:प्राण、prāṇa)は、サンスクリット語で息吹などを意味する言葉である。日本語では気息と訳されることが多い。チベット仏教の瑜伽行では、この概念は「ルン」(rlung、風)と呼ばれる。(Wikipediaより)

 私は『るん』という集名を最初に見たとき、その「るん」の音がとても楽しげに感じた。
 しかし、「あとがき」を読んで「るん」の音に対する認識が少し変わった。上手に言えないが、「るん」とは動物や植物、或いは言葉が特別な姿になるとき風が吹くようなものなのではないか。楽しいというよりも背筋が伸びる感じがする。掲句に照らし合わせれば、鳩吹きの音が柞の森にそうした「るん」の風を与える光景とも言おうか。
 また、この「るん」の風は、冒頭に述べた全体的な作品世界とも通じると思った。
 私は『るん』の全体的な作品世界を「日常が非日常に変わる世界」と言いたい。例えば、「るん夏」の「路地裏で怖き神輿を見てしまふ」はいつもの道から少し逸れたところにある「怖き神輿」の非日常性を感じるし、同じ章の「象の鼻一つは夏の星を指し」も、動物園という日常から、一頭の象をきっかけに遠くに光る星という非日常なイメージにつながる。
 そして、このような非日常が最も向けられているのはやはり作者の母に対してである。この場合、非日常という言葉はマイナスイメージが強いだろうから発見と言い換えるべきだろう。例えば、先に書いたように「るん春」の「春昼や徒歩十分に母のゐて」は、「徒歩十分」という日常的な言葉により、却って作者と「母」との互いの愛情の発見がある。
掲句の「徒歩十分」が象徴する日常が、非日常或いは発見に変わる。そうした句が『るん』にはいくつも収録されている。
 その日常が非日常に変わるとき、「るん」の風が吹くのだ。サンスクリット語やチベット仏教と聞くと我々には縁遠いものに感じるが、そうではないと思う。例え路地裏の神輿にも、動物園の象にも、そして作者の母にも「るん」の風は吹く。
 『るん』の句は写生を根底に置きながら、これまで述べてきたように日常が非日常に変わる瞬間を切り取っている。その瞬間のあざやかさに於いて『るん』は稀有な句集であり、またそうした句を詠める辻村麻乃は稀有な俳人である。
 改めて今回『るん』の感想を書くことが出来た幸運に感謝しつつ、筆を擱く。(文中敬称略)
 

2019年8月16日金曜日

第119号

※次回更新 8/30

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【予告】怒涛の切れ特集

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◆高山れおな 第1評論集『切字と切れ』

57年ぶりに登場した総合的切字論である本書は、平安時代の前史から現在にいたる切字・切字説を通覧。「切れ」が俳句の本質でもなければ伝統でもなく、「切字説」というカオスから1970年代に生まれた概念であり、錬金術における「賢者の石」にも似た一種の虚妄であることをあきらかにする。平成中後期俳壇を覆った強迫観念を打破する画期的論考!

〔主要目次〕
第一部 切字の歴史
 第一章 切字の誕生
 第二章 芭蕉と切字
 第三章 「や」の進撃と俳諧の完成
 第四章 古池句精読

第二部 切字から切れへ
 第五章 「切字/切れ」の現在
 第六章 切字の近代
 第七章 国語学と切字
 第八章 切れという夢

発売元;邑書林

●川本皓嗣『俳諧の詩学』

芭蕉や子規の句を、世界文学の地平で読む!
発売元:岩波書店

●「豈」第62号・大特集「切字と切れ」(仮題)

高山れおな・川本皓嗣・仁平勝・筑紫磐井 執筆

●「俳句」10月号・大特集「名句の「切れ」に学ぶ作句法」

*総論・切れとは何か?・・・川西雅子
*名句の「切れ」に学ぶ
*読み手によって句の解釈が変わる「切れ」
*実作「切れすぎ」と推敲のポイント



【麻乃第2句集『るん』を読みたい 】14  「娘てふ」母と娘の距離感  なつはづき

 麻乃さんと初めてお会いしたのは、さる超結社句会での事だった。二次会のバーで隣になり、年も自分と近くぐんと親近感が沸いてきたのだった。それで母の結社を受け継いだ方だと聞いていたのに、迂闊にも「私の母も俳句やっているんですう」と酔った勢いで言ってしまった。何を馬鹿な事を言ったもんだと後から激しく後悔。そう、麻乃さんの場合は背負っているものが違う。麻乃さんとお話をした機会はあの夜一回きりだ。句集の中の世界で読み取るしかないのだが私なりに「母と娘」について考えてみたくなった。

 母入院「メロン」と書きしメモ一つ

  普通に考えればメモに書かれたこのメロンは母へ持っていくためのメロンであろう。しかしそう思えば思うほど何故メロンか、という思いが拭えない。お母様はメロンが大好物だったのかも知れないのだが、この句の中のメロンという存在はとても不安定だ。入院した母にメロンを持っていくのか?否、少なくとも私ならば持っていかない。実際に病室で食べることを想定した場合、メロンは実に不適切だから。そう思った時にこの「メロン」は実在のメロンではなく、何かの象徴のように思えてくる。メロンという他人行儀。見栄。母に対しての他人的な目。母と娘、というよりももっと違う距離感。

 母留守の家に麦茶を作り置く
 病床の王女の如きショールかな


 多忙が故、麦茶を作っている余裕がない。そんな母へのさりげない気遣い。「作っておいたから」とは言ってないだろう。何事もなかったかのように作っておく。母は気が付いたか付かないかは解らぬが恐らく何も言わなかったのではないか。(もしリアクションがあったら句にはしなかっただろうと思ったのだ)
 二句目、病室には似つかわしくない派手なショール。この句ではそれを使っている母を「女王」と言っている訳ではない。あくまでも焦点が当たっているのはショールだが、身に纏っている母はやっぱりただの母親ではなくあくまでも「女王」。結社の主宰の顔を崩さぬ母なのだ。

 娘てふ添ひ難きもの鳥渡る

 この句が一番ストレートだ。添い難き、とふっと溜息をつくも、母の方は娘にそっと寄り添おうとしているのかも知れぬ。

 帰りたいと繰り返す母冬夕焼

  母はすぐ横にいる。そして娘に駄々をこねる。そこにいるのは俳人でもなく、母という言い方ではまだ固いくらいのただの「お母さん」。娘はその我儘に答える事が出来ず冬の弱い夕焼けを見ている。母と娘の気持ちが淡く交わる時刻。
 句集は季節ごとに並べられていて、時間軸がそのまま句順とは思えないのだが、

 花篝向かうの街で母が泣く
 雛のなき母の机にあられ菓子
 鞦韆をいくつ漕いだら生き返る


  「生き返る」というのはお父様なのかは私には解らない。ただ、様々な感情が行きつ戻りつしているのは感じる事が出来る。生き返る、と言っているのは亡くなった人でもあり、葛藤している自分自身でもある。失った後でしか気が付けないものがある。次に行こうと足に力を込めて踏ん張っても、強い力ですうっと引き戻される哀しい浮遊感。
 句集の中での麻乃さんの感性の瑞々しさは強く私を惹きつけた。その魅力はどこか不安定で視線が現実を捉えたがらない「少女性」ときっちりと写生をしてくる「現実性」が程よく合わさっている所以であろう。

 電線の多きこの町蝶生まる
 たましひは鳩のかたちや花は葉に
 虞美人草いぢわるさうな花開き
 紙風船破いたやうにポピー咲く
 姫蛍祠に海の匂ひして
 求愛のゴリラのストレス熱帯夜
 肯定を会話に求めゐては朱夏
 大西日プラスティックの匂ひたる
 鰯雲何も赦されてはをらぬ


 「何も赦されてはをらぬ」と言いながら誰に何を、が絶対的に欠落している。ただ背負うものがある人間にとっては「赦されたい」と思う瞬間はあるし、赦されたいと願う資格もある。本当は誰も自分を責めていない。恐らく自分を苦しめているのは自分自身だ。
 解っていても誰か絶対的な存在の者から「赦す」と言われたい。具体的な「ソレ」ではなく漠然とした何かに。それは例えば自分の背中を見つめてくれているあの雲のようなものに。そして赦されたい、と思った瞬間、本当はすでに赦されているのだ。
 出来る限り沢山の共鳴句を挙げさせていただく。

 恋多きキリンの母よ夕立風
 日本地図能登を尖らせ秋麗
 夜学校「誰だ!」と壁に大きな字
 ポインセチア抱へ飛び込む終列車
 我々が我になる時遠花火
 夫の持つ脈の期限や帰り花


 他にも一杯あり書ききれない。この続きはまたあのバーでゆっくりと…。

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~⑰ のどか

第2章‐シベリア抑留俳句を読む
 Ⅴ 高木一郎(たかぎ いちろう)さんの場合(1)


 高木一郎さんは、大正7年1月31日、名古屋市に生まれる。昭和15年、日本歯科医学専門学校卒業。昭和16年、陸軍歯科医、満州陸軍病院。昭和20年、日本敗戦によりソ連に抑留、欧露のラーダ・エラブカ収容所。昭和22年11月17日函館を経て名古屋に帰還。著書に『ボルガ虜愁』がある。
 『ボルガ虜愁』は、満州で生別した妻子と名古屋で再会するまでの、2年間のシベリア収容所生活で書き留めた約250句の俳句が中心となっている。
 筆者は、2019年1月13日に名古屋にある高木歯科医院を訪ね、ご遺族である高木哲郎様より、作品の使用について許可を頂くことができた。

【】の表題は、『ボルガ虜愁』で高木さん自身のつけた表題である。
以下*は、『続・シベリヤ俘虜記』『ボルガ虜愁』の随筆を基にした筆者文

『続・シベリヤ俘虜記』『ボルガ虜愁』から

【ソ連対日宣戦布告(満州国境侵攻)】

秋雨にとどろく砲声官舎街(ボルガ虜愁)
   添え書き:8月11日牡丹江三句
    市中大混乱。騒然として不安、「5分以内に家族を牡丹江停車駅へ」の指示あり。


*牡丹江は満州の資源開発の拠点で工業都市として、日本人開拓団が多く入植し、またソ連赤軍の防衛拠点として関東軍が基地をおいた場所である。
 日本で有れば、立秋過ぎの雨の日、牡丹江の中心地である官庁街に砲弾の音が轟き市内は大混乱となった。「5分以内に家族を牡丹江停車駅へ」の指示があった。
 高木さんは、この時のことを「日ソ開戦の日」として『ボルガ虜愁』P.19にこう記している。
「日ソ戦の日」 20.8.9、ソ連軍が満州東部国境を侵攻の情報を聞いた時、(対日宣戦布告の事は知らなかった)これは「ノモンハン」や「張鼓峰」のような局地戦であって、牡丹江は何の心配もないと思った。 数日後には、牡丹江が危ないと判断すべきであったかもしれぬが、その時はそう思わなかった。無理もない、数え28歳、若かったのだ。

 ここで牡丹江市侵攻について、『関東軍壊滅す』P210~211を要約して紹介する。

 牡丹江市内およびその東方と北東方で、第一赤旗軍と第五軍の各部隊は大激戦を展開した。(略)8月14日から15日にかけて、第一赤軍第26狙撃兵団の先遣支隊は、牡丹江市の北東入口で激戦に入った。(略)8月15日日本軍は反撃によって同兵団先遣部隊を牡丹江から撃退し、わが軍は牡丹江東岸、愛河駅の北方5キロの地区に退却した。(略)第1赤軍の兵力の一部が牡丹江西岸に進出したため、第5軍と共同行動をとって、3方面から同時に打撃を加え、同市を占領することが可能となった。

ちちろ闇子の顔をみるマッチの灯(続・シベリヤ俘虜記)(ボルガ虜愁)
   添え書き:混乱状態の牡丹江停車場のブリッジにて


 *砲弾の音や銃声の合間に、こうろぎ(ちちろ虫)が盛んに鳴く闇の中、牡丹江停車場は避難民でごった返していた。電灯の点かない駅のブリッジで子どもたちの顔をマッチの灯で照らして見た。再会の約束のない別れである。
  
秋雨の貨車に妻子を逃すべく(ボルガ虜愁)
   添え書き:これが牡丹江最後という避難列車。
        駅前のヤマトホテルから持てるだけの食料をもらって家族に渡す。ホテルの支配人の名前もどうして知り合いになったのかも忘れた。


無蓋車に群るる同胞秋の雨(ボルガ虜愁) 
   添え書き:満州の8月は秋雨である。
        小雨の中をハルピンへ向けて発車。


秋雨に婦女子ひしめく無蓋貨車(続・シベリヤ俘虜記)(ボルガ虜愁) 
   添え書き:出発時、行く手を暗示する如くすでに難民の様相である。雨具は無く、幼児は泣き、ぎっしりとつめこんだ貨車。


 *秋雨の降る、牡丹江停車場から、避難民をのせた最後の列車(無蓋車:貨車)は、ウラジオ・ストックへの東清鉄道の出るハルピンを目指したのである。
 句に添え書きがあるので鑑賞はいらないが、『関東軍壊滅す』P.213から牡丹江市のことについて補足する。

 牡丹江市は、重要な日本軍の防衛中心地であった。同市はハルピン方面を東方から守る形にあった。それは鉄道、自動車道路の大分岐点であり、満州の政治・行政の中心地でそこから四方面へ(林口―密林へ、綏芬河へ、寧安およびハルピンへ)鉄道が伸びている。

花野行きトラックに火を放ち去る(ボルガ虜愁)
 添え書き:8・12 夕刻、作戦命令により鏡泊湖そばの爾站陣地へトラックで向かう。
      8・13 朝、寧安、昼、東京城、夜、砂蘭鎮
      8・14 より徒歩露営

行けど行けど野の続くなり女郎花(ボルガ虜愁)
    添え書き:8・15 昼爾站到着 
         8・17 日ソ停戦協定成立の噂を聞く

    ※爾站(アルチャン)
    
敦化(とんか)遠し桔梗に野宿重ねけり(ボルガ虜愁)
    添え書き:停戦協定により、敦化まで100キロ徒歩後退する。
         山の中で背中に一人両手に二人の子を連れ空腹で
         ハダシの日本女性(開拓団であろう)に合う。乾
         パン一袋渡し、敦化の方向を教える。


芒野の屍のゲートルわれがまく(続・シベリヤ俘虜記)(ボルガ虜愁)
    添え書き:10.18掖河到着
         門馬某(在仙台)掖河より脱出して奉天にたどりつき
         私の家族に連絡をつける。この事実を日本へ帰国後妻から聞く。


 この時の状況について『関東軍壊滅す』P.214には、すこしでも日本軍の決死隊が地雷を抱いて戦車に飛び込み抗戦を続けるが、16日17時には牡丹江市は陥落。日本軍は、西方及び南西方へ退却したとある。

 *退却の行軍で、トラックをすて徒歩で爾站に着くものの、停戦協定により敦化まで100キロを徒歩で後退した。女郎花・桔梗の花の季節に野宿を重ねた。あたりの芒野に打ち捨てられた兵士の屍からゲートル(西洋式脚絆)を貰い、自分の足に巻き、再び歩くのである。
 このことについて、『続・シベリヤ俘虜記』P.111からも以下に補足する。


 8月15日の敗戦を知らず満州東部鏡泊湖近くの山中で、日ソ停戦 協定のうわさを聞いたのが8月17日の暑い日であった。畳2畳分の白旗を立てたソ連軍のジープがきた。(略)まさか日本の降伏と、その折衝のソ連軍使であるとは、いささかも考えなかった。敦化飛行場で武装解除され、ソ連軍の捕虜となった。沙河沿から掖河まで300キロ、野宿6泊7日で1500人が歩かされた。夜の気温は零下に下がる。

(つづく)

『続・シベリヤ俘虜記~抑留俳句選集~』小田保編 双弓舎 平成元年8月15日
『ボルガ虜愁』高木一郎著 (株)システム・プランニング 昭和53年9月1日発行
『関東軍壊滅す~ソ連極東軍の戦略秘録~』ソ連邦元帥マリノフスキー著 石黒寛訳 徳間書店 昭和43年4月20日