【俳句新空間参加の皆様への告知】

【ピックアップ】

2019年5月24日金曜日

第114号

※次回更新 6/14

特集・大本義幸追悼「俳句新空間全句集」

筑紫磐井編        》読む

■平成俳句帖(毎金曜日更新)  》読む

令和春興帖
第一(5/24)仙田洋子・松下カロ・曾根 毅・夏木久


歳旦帖
第一(3/15)山本敏倖・曾根 毅・松下カロ・小野裕三
第二(3/22)仙田洋子・神谷 波・岸本尚毅・堀本 吟
第三(3/29)飯田冬眞・辻村麻乃・夏木久・杉山久子
第四(4/5)小沢麻結・真矢ひろみ・浅沼 璞・渡邉美保
第五(4/12)坂間恒子・田中葉月・木村オサム・乾 草川
第六(4/19)下坂速穂・岬光世・依光正樹・依光陽子
第七(4/26)ふけとしこ・井口時男・前北かおる・水岩瞳
第八(5/3)望月士郎・青木百舌鳥・大井恒行・花尻万博
第九(5/10)近江文代・網野月を・北川美美・小野裕三
第十(5/17)仲寒蟬・佐藤りえ・筑紫磐井

■連載

【抜粋】〈俳句四季6月号〉俳壇観測197
「令和俳句」に期待すること――平成俳句の反省を踏まえて
筑紫磐井》読む

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~⑫ のどか  》読む

渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい 
4 「櫛」はかの世に売っているか/西田唯士 》読む

【抜粋】〈WEP俳句年鑑〉
兜太・なかはられいこ・「オルガン」———社会性を再び考える時を迎えて
筑紫磐井》読む

麻乃第2句集『るん』を読みたい
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13  『るん』句集を読んで/歌代美遥  》読む

佐藤りえ句集『景色』を読みたい 
7 佐藤りえ句集『景色』/西村麒麟  》読む

葉月第1句集『子音』を読みたい 
7 生真面目なファンタジー 俳人田中葉月のいま、未来/足立 攝  》読む

大井恒行の日々彼是 随時更新中!  》読む

句集歌集逍遙  山田耕司『不純』高山れおな『冬の旅、夏の夢』/佐藤りえ  》読む


■Recent entries

「兜太と未来俳句のための研究フォーラム」アルバム

※壇上全体・会場風景写真を追加しました(12/28)

【100号記念】特集『俳句帖五句選』


眠兎第1句集『御意』を読みたい
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麒麟第2句集『鴨』を読みたい
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前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井
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「WEP俳句通信」 抜粋記事  》見てみる

およそ日刊俳句新空間  》読む
…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
5月の執筆者 (渡邉美保

俳句新空間を読む  》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子





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「兜太 TOTA」第2号
Amazon藤原書店などで好評発売中

筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)



新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。

【抜粋】〈俳句四季6月号〉俳壇観測197 「令和俳句」に期待すること――平成俳句の反省を踏まえて 筑紫磐井

 平成最後の期間であるだけに今年前半は平成俳句の回顧が多くの雑誌で続いた。平成の次の元号も四月に決まり新しい時代が動き出した感じもする。しかし、新しい俳句は古い俳句を乗り越えて生まれるものであろう。昨年「未来俳句のためのフォーラム」(十一月十七日津田塾大学千駄ヶ谷キャンパス)が開催されたが、その時パネラーで一番若い福田若之(平成三年生まれ)が「俳句甲子園・芝不器男新人賞・新撰21はすでに前世代の成果」と洩らしていたのが印象的であった。
 さて古い話になるが、平成が始まる直前に、中村草田男(昭和五八年)と山本健吉(六三年)が亡くなっていたことを思いだす。この二人を乗り越えて平成が始まったと言うことになるだろうか。そこで私は平成を代表する二つの事件を掲げてみたいと思う。

「結社の時代」(俳句上達法)の登場
(中略)

「切れ」の発見
 結社の時代――俳句上達法の時代――の後、復本一郎の『俳句と川柳』(平成十一年講談社)が大きな話題となった。復本は俳句と川柳を論じながらその差異の一つを「切れ」だと述べる。俳句には切れがあり、川柳にはないのだとする。ずいぶん乱暴な発言で、川柳人からはかなりの反発を受けたが、逆に俳人による切れの過大評価が始まるようになる。
 もともと切字は発句(五七五)と脇句(七七)を切断するための辞であるが、式目の発達する中で十八種の切字などが提唱されるようになり、一種の職人世界の伝承秘技となって行く。実際近代俳句となってからは、実作者としての子規も虚子も切字を無視している。
 ところが、俳句上達法が盛大に行われて行く中で、この発句と脇句の関係を定めた「切字」が尊重され、さらに一句(五七五)の中にも「切れ」が必要だという主張が始まるようになる。これは上述の復本の著作の大きな功績と言えるだろう。いまや、多くの専門俳人にとって「切れ」はトラウマとなっており、総合誌でも毎年一回は「切れ」の特集が組まれている。近いところでは「俳句」三十年七月号でシンポジウム「現代の俳句にとって切れ字・切れは必要か」(宇多喜代子・長谷川櫂・大串章・黛まどか(司会)復本一郎)を掲載している。この顔ぶれと発言を見れば、現代俳句の切れの所在がわかるはずである。
 ただ私には「切れ」の尊重・絶対視には、結社の時代・俳句上達法に通じるやや退嬰した文学の傾向があるような気がしてならない。芭蕉も草田男も論じていない「切れ」に果たして文学の大問題が横たわっているのだろうか。どこに「文学」上達法や「文章」の切れ方が論じられている世界があるだろうか。復本はその後『三省堂名歌名句辞典』(平成十六年)で古今の名句すべてに季語・切字と併せて「切れ」を示す壮大な実験を行おうとしたが挫折した。それ程切れには統一的な規定が困難だったのだ。
 朝日俳壇の新選者となった高山れおなは、いろいろな会合で評論集『切字と切れ』の近刊予告をしている。高山はかつて「なぜ二〇〇〇年代の今、切れ論議がこんなに盛り上がるのか誰も答えてくれていない」(「豈―weekly―」)というやや悪意ある発言をしていたが、今回は自らその答を出してくれるに違いない。期待するとともに、益もないものであれば早々に終末宣言をして欲しいものと思う(「花鳥諷詠」のように作家の断固たる信念として主張する分には構わないが、善良な初心者に、俳句とはこういうものだという誤解を与えるのはよろしくないと思う)。
   *     *
 さて、冒頭に戻り、「令和の俳句」があるとしたら、それは「平成の俳句」の反省――結社の時代・俳句上達法に懐疑を持つこと、誰にも見えない「切れ」などではなく目に見える理念にして議論・批評することではないかと思う。新表現とは屍を乗り越えて生まれるものだが、草田男と健吉が懐かしくなるのは、果たして二人が乗り越えられたかどうか疑問だからである。昭和俳句に対するノスタルジーばかりではないのである。

※詳しくは「俳句四季」6月号をお読み下さい。

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~⑫ のどか

第2章‐シベリア抑留俳句を読む
Ⅱ石丸信義(いしまる のぶよし)さんの場合(1)


 石丸信義 明治43年2月13日愛知県越智郡桜井町に生まれる。昭和5年善通寺輜重隊入隊。2か月教育後帰休、輜重兵(特務兵)。昭和12年召集により中国上海上陸、蘇州まで進む。南京陥落後台湾高尾へ引揚、13年帰還。16年召集第11師団輜重隊入隊、満州城6416部隊編成後渡満、佳木斯(ジャムス)に駐屯、終戦。
 入ソ、ハバロフスクに近いビロビジャン捕虜収容所に入る。終始伐採事業に従事。昭和22年5月ナホトカより舞鶴に帰還(興安丸)。
   (『シベリヤ俘虜記 抑留俳句選集』小田保 編 昭和60年4月1日 双弓舎)

以下*は、『シベリヤ俘虜記』の作者の随筆を参考にした筆者文。
 
 『シベリヤ俘虜記』(虜囚の詩)から
夕焼けや曠野につづく捕虜の列
 *1945(昭和20)年8月9日ソビエト軍の侵攻を受け、終戦と決まった同年8月15日は、大夕焼けに佳木斯(満州北部)の町は真っ赤に燃えていた。圧倒的な武力の差に屈し、南下移動し始めて、4~5日目武装解除を受け丸腰となった。
 異国の大自然の中で、捕虜となってしまったという思いと日本軍の無力をひときわ感じさせた。夕焼けに染まる広野を歩く捕虜の列は、果てしなく続いていく。自動小銃を持ったソ連兵に監視されながら、ただ歩くのである。               
 『シベリヤ俘虜記』P.18を要約して紹介すると、満州を出て1か月間、汽車に乗っても、歩いても。宿営しても、自動小銃を持ったソ連兵の監視の目にさらされ、今は捕虜であることを自らに言い聞かせながら、ハバロフスクに近いビロビジャンの町の奥にある俘虜収容所に着いたとある。

流星や生きて虜囚の辱め 
 *よく耳にする東条英機陸軍大臣の「戦陣訓」~生きて虜囚の辱めを受けず死して罪過の辱めを受けず。~により、戦地の日本軍は降伏することができない窮状にあった。このことについての天皇陛下は、「陸海軍人ニ賜リタル降伏ニ関スル勅語」を発した。しかし、戦地にあって「陸海軍人ニ賜リタル降伏ニ関スル勅語」を知る由もない兵士たちには、「戦陣訓」が重くのしかかったのであろうし、知ったとしても今まで信じてきた観念をすぐに変えられるわけでもない。 流星を観、秋の近づく気配の北満の地に、捕虜となった身のみじめさを感じるのである。
 「陸海軍人ニ賜リタル降伏ニ関スル勅語」の解釈について、『シベリア抑留未完の悲劇』P.25~26を参照すると以下のとおりである。

 ソ連が参戦し、このまま戦争を続けたら帝国存立の基盤が失われてしまうかもしれない。お前たち軍人の闘志が衰えていないことは分かっているが、国体を維持するため米英ソ、国民党政府との和平を決めた。私の気持ちを十分に理解し、降伏するように。
(『シベリア抑留~未完の悲劇』~栗原俊雄著 岩波新書 2016年2月5日)

罵らるパン盗人やペチカ消ゆ
 *配給のたった一切れの黒パンが盗まれてしまう。気が付くとたちまちパンを盗んだものが罵られている。「ペチカ消ゆ」のが場面の暗転の効果をだしその後の展開を予測させる。

死馬の肉盗み来て食ぶ焚火かな
 *死んだ馬の肉を盗んで来て焚火で焼いて食べた。食べられると思ったものは何でも口にした。
  
一冬の奥地伐採よりラーゲルに帰る
堪へ堪へし命いとしや閑古鳥
 *句からは、一冬の奥地伐採作業を終えて、ラーゲリに戻った安堵感が伝わる。結氷期を耐えに耐えて生き延びた命がいとおしい。季節は初夏となり、あたりには郭公の声が響いている。

 『シベリヤ俘虜記』P.19を要約すると、結氷期が近づき奥地伐採の二十人のグループに加わり、収容所から五キロばかり離れた箱のような小屋をねぐらに作業をするようになったとある。
 このころの句作について、自然に自分の体力を考えながら物を見ることになり、単なる客観ではなく、己の内面を投影することにつながり、句心をかきたてたとある。
極寒の奥地で食事もままならない伐採作業により、追い込まれたぎりぎり の石丸さんを俳句は支えていたのだと筆者は思う。

   雪解けやどれも傾き捕虜の墓
 *石丸さんは、2年をシベリアで過ごしている。厳しい寒さを耐えに耐えてようやく待ちわびた雪解けの季節。凍土を掘った僅かな土と雪で埋め戻し、白樺の木を立てただけの墓は、どれも傾いている。
(つづく)

参考文献
『シベリヤ俘虜記~抑留俳句選集~』小田保編 双弓舎 昭和60年4月1日
『シベリア抑留~未完の悲劇~』栗原俊雄著 岩波新書 2016年2月5日


【渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい】④「櫛」はかの世に売っているか  西田唯士


   烏瓜灯しかの世へ櫛買ひに     渡邉美保

 渡邉さんから句集を戴き、何回も精読した。どれも完成度の高い、勉強させてもらえる二九一句であった。その中から感銘の一句を選ぶとすれば、作者自身が句集名とされている掲句となった。作者もあとがきに此の句に対する思い入れに触れておられるので、僕の鑑賞とは相容れないかもしれないけれど、そこは読者に与えられた解釈の自由と勝手に決めて楽しませて頂いた。
 「櫛・笄・簪」等は、昔の女性の結った髪と共に、「女の命」としてあった。親しい人、好きな男性からの贈り物とされたり、何かの身の証として映画の小道具に登場したりすることも常套である。この句、現在にはちょっとそぐわないことを作者も心得た上での作ではないか?調髪にしか使わない櫛は、かの世に売っているか、また、それを買いに行くか。
 僕はこの句を読んだとき、すぐに、夏目漱石の小説「夢十夜」を思い出した。あれは人の思いの不安を助長し、誰にでもある魔性の一部をかき立てながら、どん底までは落とさない恐怖心を抱かせる連続小説であったように思う。
 人は時に「解らない」事を解らないままに受け入れざるを得ない、因果な時間の経過を強いられる。それを是認した上での、夢の世界、死の世界へのあこがれとしてこの句を読みたいものである。
 「かの世」から此の世を見れば、さてどのようなことになっているのか。烏瓜を灯すという上五から、そんな思いも立ち上がってくる。目の前で売られている「櫛」は、あるいは残してきた大事な何かの象徴であるかも知れない。色々な思いが錯綜してくる、不思議な一句である。

2019年5月10日金曜日

第113号

※次回更新 5/24

特集・大本義幸追悼「俳句新空間全句集」

筑紫磐井編        》読む

■平成俳句帖(毎金曜日更新)  》読む

歳旦帖
第一(3/15)山本敏倖・曾根 毅・松下カロ・小野裕三
第二(3/22)仙田洋子・神谷 波・岸本尚毅・堀本 吟
第三(3/29)飯田冬眞・辻村麻乃・夏木久・杉山久子
第四(4/5)小沢麻結・真矢ひろみ・浅沼 璞・渡邉美保
第五(4/12)坂間恒子・田中葉月・木村オサム・乾 草川
第六(4/19)下坂速穂・岬光世・依光正樹・依光陽子
第七(4/26)ふけとしこ・井口時男・前北かおる・水岩瞳
第八(5/3)望月士郎・青木百舌鳥・大井恒行・花尻万博
第九(5/10)近江文代・網野月を・北川美美・小野裕三

■連載

渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい 
3 句集『櫛買ひに』を読む/石井 冴 》読む

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兜太・なかはられいこ・「オルガン」———社会性を再び考える時を迎えて
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麻乃第2句集『るん』を読みたい
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佐藤りえ句集『景色』を読みたい 
7 佐藤りえ句集『景色』/西村麒麟  》読む

葉月第1句集『子音』を読みたい 
7 生真面目なファンタジー 俳人田中葉月のいま、未来/足立 攝  》読む

大井恒行の日々彼是 随時更新中!  》読む

句集歌集逍遙  山田耕司『不純』高山れおな『冬の旅、夏の夢』/佐藤りえ  》読む


■Recent entries

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10.『鴨』――その付合的注釈   浅沼 璞  》読む

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…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
4月の執筆者 (渡邉美保

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…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子





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筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)



新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。

【渡邉美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい】③ 句集『櫛買ひに』を読む  石井 冴

 渡邉美保さんと句会や吟行を共にするようになってまだ二年である。いや、もう二年になるというべきか。今回、第一句集『櫛買ひに』を上梓されて、一気に美保さんとの距離が近くなった気がする。ふだんの美保さんは大勢の中に紛れて自分からは前に出ない控えめなひとだが、句会での発言は正確な言葉を選んで的確な鑑賞をされる。自選された二九一句を読み込んでいくと、物静かな美保さんの雰囲気と少し違い、俳句の中に美保さん独自のしなやかな精神の動きを感じる事が出来た。私はその都度、共感の動機をおぼえる。

   列を抜けきつねのぼたん摘んで来る
   がまずみの落葉に美しき虫の穴
   蚊母樹のすさびやすくてみそさざい


 吟行でめずらしい植物に出会うと〈野の草にはちゃんと名前がある〉と生真面目な表情でやさしく解説してくれる。眼に止った景色をていねいに過不足なく描写する力は見事である。

   鰭多き化石の魚や冴返る
   みどりさすアンモナイトの眠る壁
   青嵐ひとり遊びの双眼鏡
   たいくつなものに日時計秋高し
   骨貝の棘美しく九月来る


 美保さんと同年代の私もこれらの句群に同じ興味を持つ。たとえば、この日時計は現役で時を刻んでいるのだろうか、私には廃墟に残された動かない時計のような気がしてくる。時間の概念を理解するのは難しい。哲学や物理学はともかく俳句ではこのように時の経過を表現できる。

   ほがらかに枯れはじめたる箒草
   薪積む十一月の明るさに


 集中に〈明るい〉の措辞が何度かでてくる。冷静沈着な美保さんであるが、きっと本質は明朗快活なんだろうと気付かされた。帚木紅葉は時期が来ると、ある日突然に現われ明るい気持ちにさせる。冬に備えて薪が積まれてある景にはなるほど十一月の明るさと匂いが漂ってくる。

   ぽつぺんやちちははの海凪わたる
   一陽来復阿蘇より届く晩白柚


 略歴によると熊本県天草市うまれとのこと。ぽっぺんや晩白柚とモノの力を借りて故郷の情緒を程よく抑制している。因みに晩白柚はザボン位の大きさで味もザボンに似た柑橘類だと美保さんに教えてもらった。

   すかんぽの中のすつぱき空気かな
   寄居虫の殻を出たがる脚ばかり
   みすゞの碑落葉溜りで日溜りで
   冬ざるるもの青鷺の飾り羽
   さくらんぼもの言ふ口を見てをりぬ


 これらの表現方法は短詩型十七音の言葉をさらに削ぎ落して、感じ取った核の部分だけで成立させている。それは焦点を鮮明にして切り取っているからで、逆に言えば一句を読むとそこから沈んでいた情景がわっと広がりを持ち始める。そして寄居虫、すかんぽに見る穏やかで新鮮な諧謔、さくらんぼの句における主語を読み手に委ねる自在さなどが光る。

   きのふ鷺けふ少年の立つ水辺
   烏瓜灯しかの世へ櫛買ひに
   仰ぐ樹の百年後をゆきばんば
   サーカス一行箱庭に到着す


 香天に参加後は虚実の虚の世界に目を向ける俳句が多く目に止まり、時空間を往来する物語に読み手を心地よく誘ってくれる。

   秋出水鴨横向きに流さるる
   コップから真直ぐ伸びて葱の青


 何でもない風物に深化の目を養い、渡邉美保さんは美保ワールドを展開していかれることでしょう。

寒極光・虜囚の詠〜シベリア抑留体験者の俳句を読む〜⑪ のどか

第2章‐シベリア抑留俳句を読む
Ⅱ小田 保さんの場合(3)

    帰還
 黒海見た捕虜も同車しナホトカへ
*シベリアで3度目の厳寒を目前にして帰還が決まり、ロシアの首都モスクワの下に位置しソビエトとヨーロッパの間にある黒海の付近に抑留されていた捕虜もシベリア鉄道の列車に同車しナホトカに向かった。黒海を見た捕虜とは、国際条約に守られた将校の一団のことを指している。ここで、「黒海をみた捕虜」とあえて詠っているのは、以下のようなエピソードによるものである。以下、『シベリヤ俘虜記』P.37〜39から要約を紹介する。
 アルチョーム第12収容所、柵を一つ隔てて国際条約に守られて働かぬ将校の一団もいた。(略)23年10月、帰還船・信洋丸はナホトカ岸壁を離れた。その夕方である。「全員上甲板へ集合」日本海は暮れようとしている。正面には肩を怒らせた職業軍人の一群がいた。アルチョームで柵越しに見た顔である。(略)その中には佐官級の将校も多かった。まるで私たち下級将校を見下す態度である。「神崎、お前がその張本人だ。前へ出ろ」職業軍人の一人が、神崎旧中将を甲板に、張り倒し、こずきまわした。
「無事日本へ帰れると思っているのか。日本海に漬けてやる」
「そうだ、そうだ。魚の餌食にでもなれ」
 そのことの起こりは、乗船前のナホトカにあった。岸壁に坐らせられた旧将校の一団を囲んで、帰還業務を担当している民主グループの数名が、火のでるようにアジった。
「私たちは旧日本軍の亡霊に会った。あなた達の半数は、いまだにピカピカの襟章をつけている。日本はいまアメリカ帝国主義の占領下にあるが、そんな襟章をつけたあなた達をアメリカ軍は歓迎してくれるでしょうか。シベリヤ・デモクラシーも実りつつあるが、あなた達は冷たく蔑視した。地球は確実に回転し、民主日本の再建は進んでいる。あなた達は浦島太郎だ。いまからでも新しい時代の夜明けに目覚め、猛反省していただきたい。」
このアジに呼応して、まず神崎が立ち上がり、彼ら顔負けの賛成をぶった。つづいて数名が立ち上がった。(略)
職業軍人の狼たちは、抑留生活の鬱憤を神崎を餌食に爆発させた。(略)
「お前も前にでろ。お前は週1回の特別休暇を、返上したというではないか。そんなにしてまでソ連に忠誠を尽くしたいのか」指は私に向いていた。一瞬?然としたが、「私は部下の窮状を見かねて、作業指揮を嘆願した形で作業大隊にでた。が、実際はソ連軍に狩り出だされて、みんなと苦労を共にしてきた。そんな私がアルチョームに来て、いまさら将校の特権として特別休暇をもらうなんて、これまで一緒に苦労してきた人達にすまない。ただそれだけの気持からだ。あなた達は収容所にいて働かないですんだ。働かされた私たちに、ご苦労さんというべきではないか。文句をつけられる理由は何もない」
彼らは言葉につまり、振り上げた拳のやり場に困った。
(『シベリヤ俘虜記〜抑留俳句選集〜』小田保編 双弓舎 昭和60年4月1日)
※左官級とは、軍隊の階級で、元帥・将官に次ぎ左官(代将>上級大佐>大佐>上佐>中佐>少佐>尉官)である。

 日本人打つ日本人暗し日本海
*政治教育により、シベリヤ・デモクラシーを信じた「アクチブ」とアクチブにより「ロシア語の通訳をしていたから、いい思いをしたに違いない。」という偏見から、仮想敵としての下級将校に対する妬みによりつるし上げを受け「反動」とされた者、アクチブたちからアジられた将校たちがいがみ合い、帰還船でのトラブルにより日本海の藻屑と消えた人たちがいた。

【小田 保さんの作品を読んで】
シベリア抑留俳句の殆どが、終戦の報を受け武装解除されてからのことを詠んだ作品が多い中で、小田さんの作品では、ソ連軍の侵攻直後からを詠んでいるところが他の人の作品と異なる。
千島列島での戦いやハイラル・索倫(ソロン)・富錦(フキン)・桂木斯(ジャムス)・東寧(トウネイ)・牡丹江(ボタンコウ)では、激戦が行われたと『関東軍壊滅す』P.171にはある。

 声のなき絶唱のあと投降す
 自動小銃抱くソ連兵より露語盗む
小田さんの作品には無季俳句が多い。全体の84句中27句が無季俳句である。またこの考察の中では、無季俳句を多く取り上げてしまった。
戦闘という状況を即時に切り取る中で、季語の省略は記録性を高めるうえでむしろ効果的であったと思われる。
 敗戦にみな焼く万葉集だけ残し
この句からは、戦争にかかわる資料を焼いた中で、万葉集だけを残した。何度も繰り返えされる検閲や略奪をかいくぐって、小田さんの心の支えとなった万葉集。5・7・5の調べは日本人の心の歌である。
 万葉集持つことも反動スウチャンへ 
小田さんは、手帳や万葉集を持っているのを見とがめた仲間の密告により、反動分子として、ウラジオストックからさらに奥地のスウチャンへ送られる。シベリアにおいて奥地に送られることは死を意味する。ノートや万葉集を没収されてからは、今まで詠んだ俳句を暗記したという。このことから小田さんのシベリアでの生活を常に支えたのは俳句であった。
 日本人打つ日本人暗し日本海 
帰還船での日本人同士の仲間割れで消された人たちの無名の名簿を日本海名簿と言うそうである。シベリア抑留体験の語り部の体験でもあまり語られるケースの少ない、政治教育や吊し上げの体験を詠まれていることがシベリア抑留の「極寒・飢え・重労働」の三重苦に政治教育がのしかかった人の暗部を物語っている。
小田さんは、苦労して記憶して持ち帰った自らの抑留詠をまとめるのみならず、戦後40年を経た昭和60年に、シベリアで詠まれた俳句を集めて、「シベリヤ俘虜記」を平成元年には、欧露における俳句集団のアンソロジーもまとめ、「新・シベリヤ俘虜記」を刊行した。
平成元年からすでに31年を経過した現在、時間の経過と伴に、薄れてゆくシベリア抑留の記憶と亡くなっていく生き証人たち。このような事実においても、小田さんの仕事は貴重である。

参考文献
『シベリヤ俘虜記〜抑留俳句選集〜』小田保編 双弓舎 昭和60年4月1日
『続・シベリヤ俘虜記〜抑留俳句選集〜』小田保編 双弓舎 平成元年8月15日

【抜粋】〈WEP俳句年鑑〉兜太・なかはられいこ・「オルガン」———社会性を再び考える時を迎えて                筑紫磐井

評論(批評・批判)の現在
(前略)
 二〇一八年は後世から見て忘れられない年になるであろう。それは、金子兜太の亡くなった年だからである。別に党派性に基づいて言うのではない。客観的に見ても、子規の死、虚子の死に匹敵する時代の変わり目を兜太の死は示すのだ。兜太の評価はいろいろあると思うが、私は社会性俳句が兜太の死によって一挙に清算された年になったと思う。
 兜太は、前衛俳句以上に社会性俳句の中に育った。後年は、荒凡夫とか、ふたりごころとか、アニミズムとかのキャッチフレーズを振りまいたが、その最晩年において、再び兜太の社会性は蘇った。(自ら選んだ言葉ではないが)「アベ政治を許さない」の金子兜太の筆跡はここ数年日本列島中に溢れていた。フランスのルモンド紙は兜太の死を詳細に報じたが、その末尾には「アベ政治を許さない」《Nous ne tolérons pas la politique de Shinzo Abe.》をあげている。これまで俳句作家がルモンド紙に登場することなどあり得なかった。その意味で生涯社会的な俳句作家であったのである。
 さて、兜太が永年にわたって主宰した「海程」の終刊を決意し、これに変わって新たな活動として兜太が生前企画し、編集に途中まで参加した雑誌「兜太TOTA」がある。刊行は没後であるが、兜太の意志は編集者たちに継がれている。その創刊号で黒田杏子が選んだ巻頭言がある。発言した兜太も兜太だが、この言葉を見つけ出した黒田杏子の慧眼も大したものである。それは次のようなものであった。

「なぜ戦争はなくならないのか。/一言で答えさせて下さい。「物欲」の逞しさです。あらゆる欲のうちで最低最強の「欲」ですが、それだけにもっとも制御不可能、且つ付和雷同を生みやすい欲と見ています。そこに人間の暮しが、武力依存を募らせる因もある。」(「短歌」二〇一七年八月号)

 私はかつて、正岡子規国際俳句大賞と言う賞の選考にかかわったことがある。予選委員として参加し、金子兜太が大賞に選ばれたときに主催者から授賞理由と代表十句の選定をその時現場で依頼された。授賞理由は名文だったので兜太も気に入ってくれたが、代表十句には〈彎曲し火傷し爆心地のマラソン〉を含めなかったことに兜太から異議申し立てを受けた。兜太の作品評価は、私も時々は変わっているが、社会性俳句であることは分かるが、この句はメッセージ性が強すぎて、伝統俳句側が「スローガン俳句」と呼ぶ批判はあながち間違っていないと思ったのである。俳句が思想性・社会性をどのように語るか、こと程さように難しいと思う。
 しかし、「兜太TOTA」巻頭に掲げた先の兜太の言葉は、六〇年を経過して、〈彎曲し〉の句から、はるかに進化し、深化しているように思う。戦争は戦争だけが悪とは言い切れない、戦争を生み出す大本にこそ悪を見出すべきだと言うことを兜太は言っている。 
 実は、九・一一テロや東日本の大震災と原発事故について詩人・歌人と語り合ったとき、詩歌の倫理は普通の倫理であってはいけないのではないかと疑問を呈したことがある。子供を愛し、妻を愛し、親を愛するというのは、実はその思いが国家を作っている。国家の悪に皆が加担しているのだ。少なくともそう自覚すべきだ。兜太の発言は私のこんな思いに直接繋がるような気がする。もちろん、だから妻子を愛するな、欲望を否定せよというのではない。言いたいのは、詩人はそういう奔放な(タブーを恐れない)想像力を唯一持っている存在者だと言うことなのである。
 兜太没後、雑誌「兜太TOTA」が創刊され、九月二五日に記念シンポジウムが開かれたが、パネラーの芳賀徹氏が兜太の「アベ政治を許さない」を批判し、アベ批判は分かるが、アベ以外に誰がいるかを示さないスローガンはナンセンスである、と澤地久枝氏(「アベ政治を許さない」の文案の発案者)や上野千鶴子氏を睨んで獅子吼していた。まことに刺激的で面白かった。
 しかし、兜太の巻頭言に従えば、「アベ政治を許さない」は、安倍首相個人を指しているだけではないだろう。もちろん、安倍晋三氏のなかにアベ氏はいるが、安部政権を批判している野党の中にもアベ氏が存在し、敵対するマスコミの中にもアベ氏がいる。国民一人一人———あなた方の中にもアベ氏がいるはずだ。兜太の中にさえアベ氏はいたはずである。だからこそ「なぜ戦争はなくならないのか。/「物欲」の逞しさです。」と答えているのである。いうなれば「物欲」とはアベ氏なのだ。兜太氏の親友であった芳賀徹氏の予想外の糾弾は兜太が亡くなったから急に出てきた発言ではなく、兜太の深化した思想の本質をついた忠告でもあったのである。
(以下略)

※詳しくは「WEP俳句年鑑」5月号をお読み下さい。