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2019年5月24日金曜日

【渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい】④「櫛」はかの世に売っているか  西田唯士


   烏瓜灯しかの世へ櫛買ひに     渡邉美保

 渡邉さんから句集を戴き、何回も精読した。どれも完成度の高い、勉強させてもらえる二九一句であった。その中から感銘の一句を選ぶとすれば、作者自身が句集名とされている掲句となった。作者もあとがきに此の句に対する思い入れに触れておられるので、僕の鑑賞とは相容れないかもしれないけれど、そこは読者に与えられた解釈の自由と勝手に決めて楽しませて頂いた。
 「櫛・笄・簪」等は、昔の女性の結った髪と共に、「女の命」としてあった。親しい人、好きな男性からの贈り物とされたり、何かの身の証として映画の小道具に登場したりすることも常套である。この句、現在にはちょっとそぐわないことを作者も心得た上での作ではないか?調髪にしか使わない櫛は、かの世に売っているか、また、それを買いに行くか。
 僕はこの句を読んだとき、すぐに、夏目漱石の小説「夢十夜」を思い出した。あれは人の思いの不安を助長し、誰にでもある魔性の一部をかき立てながら、どん底までは落とさない恐怖心を抱かせる連続小説であったように思う。
 人は時に「解らない」事を解らないままに受け入れざるを得ない、因果な時間の経過を強いられる。それを是認した上での、夢の世界、死の世界へのあこがれとしてこの句を読みたいものである。
 「かの世」から此の世を見れば、さてどのようなことになっているのか。烏瓜を灯すという上五から、そんな思いも立ち上がってくる。目の前で売られている「櫛」は、あるいは残してきた大事な何かの象徴であるかも知れない。色々な思いが錯綜してくる、不思議な一句である。

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