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2020年9月11日金曜日

〔新連載〕【眞矢ひろみ第一句集『箱庭の夜』を読みたい】1 「平成の微光」―眞矢ひろみ論―   松本龍子

  眞矢氏の第一句集『箱庭の夜』は令和二年三月にふらんす堂から発行されている。収録内容の内訳は第一章〈認知〉六十八句、第二章〈決意〉七十六句、第三章〈追求〉八十六句、第四章〈賛美〉七十句、三百句が入っている。この四章の題名はジョン・コルトレーンのアルバム『至上の愛』を参考に制作年順を解体してタイトルごとに再構成して収録している。
では各章の作品を任意に抽出しながら『箱庭の夜』を見ていくことにしよう。

 まず、第一章で〈認知〉を象徴している句の観賞をしてみようか。

 鋭角に昏きをくぐる初燕
 菜の花や汽笛は遠くぼうと鳴る
 もう合はぬデニムの陰干し修司の忌
 父ひとりリビングにゐる五月闇
 秋空につづく白線引きにけり


 秋空へつづく白線引きにけり
 一読、「詩情」を感じる。秋の澄み切った空までつづく白線を引いているという句意。甲子園の試合前の準備のために、係員が白線を引いている光景か。それとも運動会の準備のために先生が徒競走の白線を引いているのかもしれない。作者は先生の視線に同化して一緒に雲の上まで舞い上がり、裸足で白線の上を駆け抜けている。

 次に、第二章で〈決意〉を象徴している句の観賞をしてみよう。

 浅春のオムライスの天破れゐる
 花透くや母胎の中のうすあかり
 太古より石楠花揺らす虚なるもの
 青のない色鉛筆や原爆忌
 浮き沈む豆腐のかけら冬銀河


 花透くや母胎の中のうすあかり
一読、「静謐な囁き」が聞こえてくる。遠い記憶の母胎の中の薄明かりのように、桜の花が透き通って美しいという句意。三島由紀夫が『仮面の告白』で子宮に居た記憶を書いていたが、これもそんなデフォルメされた「記憶」なのだろう。〈母胎の中の〉が淡いトーンを想起させる。

 さらに、第三章で〈追求〉を象徴している句の観賞をしてみよう。

 春の月墜ちるものみな縁取らる
 父の日や灯を背にすれば父の影
 在ることのはかなき重さ遠花火
 迎火に翳まだ人のかたちして
 補助線を跨ぎこれより枯野人


 迎火に翳まだ人のかたちして
 一読、祈りの「浮立」を感じる。〈迎火に〉は陰暦七月十三日。盆に入る夕方、先祖の精霊を迎えるために門前で焚く火のこと。その迎火にまだ〈人のかたち〉をしている〈翳〉が出ているという句意。生者が死者の魂をいかに思い出すかによって、〈翳〉となり光となって輝くのだろう。死者を忘れないとうことは自分の原点を忘れないということである。

 最後に、第四章で〈賛美〉を象徴している句の観賞をしてみよう。

 薄化粧の兄引きこもる修司の忌
 道をしへ死んでゐることをしへられ
 大いなる余白を晒す無月なり
 月守にならぬかといふオムライス
 水音の言葉となりぬ初寝覚


 道をしへ死んでゐることをしへられ 
 一読、「声なき声」が聞こえてくる。個人的にはこの句集の中で一番好きな句である。〈道をしへ〉は山道にいて、人が近づくと飛び立ち、先へ先へと飛んでいくのでこの名がついた昆虫。〈死んでゐること〉は死について自分の意識の中で見届けられない状況を表している。実は既に亡くなって子孫たちの「守護神」として良い道を教えていると解釈できる。東日本大震災で亡くなった人たちにはこういう「霊魂」が多いのではなかろうか。
 第一句集には作家の全てが入っていると良く言われる。眞矢氏自身の言葉によると「平成における私的記録そのものであり、私にとって備忘録とも言えるものである」と平成という日本の「衰退の時代」を生き抜いた〈魂の変遷〉が収められている。
では、平成の〈私的記録〉ならばそれを象徴する「キーワード」が盛り込まれた句を拾ってみようか。

 父と子とコンビニ弁当初茜(認知)
 摘み草や時給換算するJK(決意)
 逆張りのミセスワタナベ明易し(決意)
 夕月夜アイフォンシックス解体す(決意)
 外灘にかげろふブラックスワンかな(追求)
 立夏たりユニクロに立つ父の霊(追求)
 あえかなるテロの予感や百舌鳥の舌(追求)
 スマホみな閉じゆく音といふ淑気(追求)
 愛国を語るJK夢違え(追求)
 春の宵おひねりが飛ぶ空爆も(賛美)
 ガン病棟へ寒一灯の力寄す(賛美)

 掲句を味わってみるとモチーフの鮮度、鋭い社会批評、大衆分析を感じる。作者の「時代の気分」を見届けようとする「新しみ」への挑戦と「風雅の誠」を高く評価したい。しかし試行錯誤のために、任意で抽出した平明な佳句に比べると「開放性」に欠けるきらいがある。レトリックを使用する場合、「キーワード」に字数を取られ「矛盾・誇張」に無理が生じることで、形式の構造的な問題に直面している。俳句が〈日常詩〉ならば、「時代の季語」の発見という方向もあったかもしれない。

 最後に、作者の顔が見える「前書き」のある句を拾ってみよう。

    悼 金子兜太
 「やあ失敬」と朧月夜を後にせり(認知)
    石槌山、愛媛
 天に打つ峰雲はるか石の槌(認知)
    高野山、和歌山
 大人小人御霊ひとしく御意のまま(認知)
    戦艦大和、四月七日出撃
 菊水を舷に涼月添ひにけり(決意)
    ドナウ川、ハンガリー
  爽やかに血肉流る筑前煮(決意)
    上海、中国
 外灘にかげろふブラックスワンかな(追求)
    戦艦大和、豊後水道通過
 左舷より菊の御紋にわたくし風(追求)
    悼 澤田和弥
 かげろふの無方無縁の海に翔ぶ(追求)
    戦艦大和 鹿児島沖轟沈
 水底の黄泉平坂月を待つ(追求)
    退職挨拶状
 月守にならむ産土に還るまで(賛美)
    ボカラ、ネパール
 闇汁の闇の内なる神々よ(賛美)

 
 これらの句を眞矢氏の「人生の景色」として眺めると朦朧としたフィルターをどう読みとればよいのか。〈魂の季節〉とでも呼ぶべき謎の秀句が並ぶ。特に異様な光を放っているのは〈戦艦大和〉の出撃から轟沈までの句である。
 眞矢氏の言葉では「川崎展宏の〈「大和」よりヨモツヒラサカスミレサク〉を「本歌取り」として連作のモチーフにした」ようである。この句と攝津幸彦の〈南国に死して御恩のみなみかぜ〉を触媒にして「付け句」を施したところに秘密がありそうである。
 作者も私も昭和の高度成長の中で学生時代を送り、企業人としてバブル、二度の大きな震災を経験した。何とかこの時代を駆け抜けてきた印象は平成に入って日本人は「余裕」を失い、日本自体が「縮小」してしまった。その意味で〈戦艦大和〉は象徴としての一個の日本人の「魂の形」と言えないだろうか。
 句集『箱庭の夜』は「縮小」した平成の日常空間を離脱した「灯火」とも言える。心理学的には「潜在意識」から反射する「いのちの微光」なのだろう。私の眼には『箱庭の夜』から立ち昇る雲気の中に作者の「昭和の心象風景」、つまり「生の原郷」が透けて見えてくる。

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