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2020年9月11日金曜日

【抜粋】〈俳句四季9月号〉俳壇観測212・宇多喜代子の歳時記論――『暦と暮らす・語り継ぎたい季語と知恵』が語るもの  筑紫磐井

宇多喜代子の究極の季語論
 宇多喜代子と季語の関係は深い。もともと、「草苑」「未定」に属し、「前衛的な作句に心掛けていた」(中上健次)宇多が季語や歳時記に関心を深めるようになったのは、第四句集『夏月集』(平成四年)以後、現代俳句協会の『現代俳句歳時記』の編集作業(平成五~一一年)からではなかったか。
 私自身、こうした時期に、季語を議論する場面で宇多喜代子としばしば会っている。『現代俳句歳時記』(平成一一年刊)の編集委員会や、「俳句」での座談会「いま歳時記を考える」(平成一八年)などであるし、いくつかの歳時記の執筆にも加わった。
 そうした宇多喜代子の代表的季語論・歳時記論は『角川俳句大歳時記』「歳時記へのおもい」(平成一八年)の大論文であろう。その後も多くの季語論・歳時記論を執筆したが、今般『暦と暮らす・語り継ぎたい季語と知恵』(令和二年四月)を刊行した。宇多喜代子の季語論・歳時記論の決定版といってよいであろう。では何が特徴的なのか。
      *
 俳句の歳時記についてはこの十年ほどの間に実は大きな変動が起こっているように思われる。最新の歳時記の考え方には二つの考え方が擡頭し、それを代表する論者により、体系的網羅的に独自の考え方を立てられているのである。
 一つは〈文芸派〉とでもいうべきものであり、俳句という文芸の規範であるとする考え方である。片山由美子が『季語を知る』で最近それを強く語っている。だから、我々が日常生活で見ている冬の星座オリオンも、独立の季語としては認めていない。ただこれは溯れば、高浜虚子(花鳥諷詠派)に近い考え方であり、季題を中心とした文芸運動派でもあった。
 もう一つは、〈生活派〉とでもいうべきものであり、宇多喜代子はここに含まれる。その歳時記や季語は規範以前に農事を中心とした民族の記憶であり、規範以前の遺伝子のようなものとする考え方である。宇多は、俳句のルーツである農業の始原を溯るために中国奥地にまで探検に出かけている。少し異なる方法論を採るのが宮坂静生であり、季語を地域の記憶と定義し「地貌季語」としてとらえ、日本中の地貌季語の実例と用例を含めて収集する。宮坂の主宰誌「岳」は全国の会員に呼びかけ膨大な事例を集積した。私は柳田国男が民俗学研究で行った「郷土研究」に重ね合わせてそれみている。いずれにしても、歳時記や季語に実体を見ている点が文芸派とはやや異なる。
 こうして見比べると、〈文芸派〉は俳人協会・日本伝統俳句協会の歳時記・季語の考え方に近く、〈生活派〉は現代俳句協会の考え方(無季派以外の)に近いようでなかなか興味深い。

三千年にわたる季語の歴史から
  (中略)
 このような歴史から見れば、「歳時記」とはまず天文気象の動向と農事を柱としたものであることが分かる。この天文気象の動向とは二十四節気と七十二候をいう。こうした伝統を踏まえ、二〇一六年にUNESCOは「二十四節気:太陽の年間活動の観測により開発された時間と実践に関する中国の知識」を世界遺産(無形文化遺産)に登録している。「中国の文化的アイデンティティと結束の重要な担い手である伝統的な中国の暦の一部」であり「中国社会の持続可能な農業発展と調和のとれた全体的な成長を保証する」ことが世界的にも認定されたのである。
 こうした例に倣えば、宇多喜代子の農事季語説は、東アジア三千年の歴史を踏まえた最も伝統的・正統的な考え方といえるであろう。
 さすがに俳壇で長老となった宇多は声高に現代批判をすることはないようだが、宇多のこの本が古い昭和の生活と農事をベースにしていることは、この本の挿入写真が、すべて武藤盈『写真で綴る昭和30年代農山村の暮らし 高度成長以前の日本の原風景』から取られていることからも明かであろう。「はじめに」に書かれた「暮らしの合理化、情報技術がいかに進んでも、日本に「春夏秋冬」のあるかぎり、これに拠って生きてきた先祖たちのなした生活にまつわる季語は、日本人の暮らし辞典として、生活文化の継承の標として、歳時記に留めておいてほしいというのが本心です」の言葉は、宇多の季語論の結論でもあろう。
  (下略)

※詳しくは「俳句四季」9月号をお読み下さい。

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