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2020年2月28日金曜日

英国Haiku便り(5) 小野裕三


俳人ジャック・ケルアック

 英語で書かれた俳句にずっと関心はあったものの、あまり心に響いたものはこれまでなかった。そんな中で、米国の作家ジャック・ケルアックが『Book of Haikus』なる句集を書いていることを知lり、取り寄せてみた。そしてその素晴らしさに驚いた。
 ケルアックと言えば、小説『路上にて』で名高い、いわゆる「ビート・ジェネレーション」の小説家・詩人だが、まさか句集を出していたとは知らなかった。そして日本語以外の言語でここまで優れた俳句が書かれうることを実感して、嬉しくもなった。試しに、いくつかの句を僕の翻訳で引用してみる。

 列車のトンネルが暗すぎて書けない「男どもは無知だ」と
 鳥たちは北に向かい栗鼠たちはどこに? ほらボストン行きの飛行機が飛ぶ
 湿っぽくてマッチも擦れないまるで水槽に住んでるみたい
 一千マイルもヒッチハイクして君にワインを運んだよ


 俳句作品だけでなく、感心したのは彼の俳句観だ。正直に言うと僕は、英語のHaikuが五七五に縛られることにはほとんど意味がない、とずっと思っていた。そもそもの単位となる、日本語の「一音」と英語の「一音節」は似て非なるものだ。また、日本語の持つ肉体風景に五七五が与える郷愁めいた余韻を、英語という言語はおそらく共有していない。
 ケルアックも同様に考えたようだ。つまり、西洋の言語はそもそも日本語の音韻構造とは馴染まず、したがってそこには日本の俳句とは違う形の「西洋流俳句(Western Haiku)」があるべきだとする。それは定型には縛られず、ただ単に短い三節で構成される「シンプルで自由な詩」というわけだ。別の本で彼が語る「直接に、純粋に、抽象も説明もなく、物事を掴み出す」俳句の本質こそが形よりもむしろ大切、と考えたのだろう。
 彼は、生涯を通じて熱心に俳句を作ったようで、「(詩や小説よりも)俳句が一番作り直したり手を入れたりしたんだ」とも語っているらしい。さらに興味深いのは、日本の俳人にも時に見られるように、俳句の伝統に対する愛着と反発が彼の生涯の中で何度も揺れ動いたようなのだ。そんな中で、「俳句をポップと呼ぼうと決心した」との発言も残るが、それはあたかも俳句革新への意志表明とも見える。
 ともあれ、生半可な日本の俳人よりよっぼど誠実かつ冒険的に俳句に向き合い続けた彼にとって、俳句は単なる異国趣味の余技などではなく、もっと本質的な何かだったはずだ。今後、僕が「目標とする俳人は?」と訊ねられたら、「ジャック・ケルアックです」と答えてみるのもいいかもと思った。それほどに、この俳人のひたむきな生き方は素敵だ。
(『海原』2019年5月号より転載)

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