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2020年2月28日金曜日

【ふけとしこ第5句集『眠たい羊』を読みたい】4 =きれいな額=  谷さやん

 ふけとしこさんは、私も所属する「船団の会」の船団賞の審査委員を務められている。何年前だったか、ご自身も選ばれていた候補作品の題名について苦言を呈していた記憶がある。密かにだが、私はこんなときに見せるふけさんの難しそうな表情が好きでしょうがない。

 梨を剝くむかし額をほめられし


 何かを剥くときは、額に意識が集中している気がする。私はきっと、難し気なときのその「ひたい」が好きなのだ、と今気付いた。前髪に垣間見える、知的な額が。
 題名にも砕心して『眠たい羊』は、何気なくして魅力的だ。そこで一応「眠たい」を国語辞典で引いてみると<「ねむい」のくだけた言い方。>とあり、その「眠い」の項に目をやると、<ねむりに引き込まれそうな感じだ。>と書いてある。
 「眠たい」とくだけて、それは「羊」でふわふわで、構えて句集を開こうとする人の肩の力を抜いてくれる。そのうち〈雪の日を眠たい羊眠い山羊〉という題名に因む句に出合うのだが。
 
 山の日の丸テーブルを三つ寄せ

 この句は、葉書による個人誌「蛍通信Ⅱ」2017・9《61》で覚えていた句。昨年2019・1《88》で終刊された。「めでたく八十八になったところで終わりにしたい」と、淡々と書かれていた。とても寂しかった。俳句六句とエッセイが書かれている通信が届くと、部屋にたどり着くまで我慢できずにエレベーターの壁にもたれて読んだ。俳句を犯しがちな古臭い表現を避けているようで、新鮮な言葉が必ずあった。「山の日」は新しい季語だし、難しい言葉を使わずに「山の日」と「丸テーブル」の二つの言葉を寄せて、賑やかな楽しい雰囲気を出している。ふけさんは、表に出ようとする言葉の意味の手綱を締めたり緩めたりする加減が、とても上手いのではないかと思う。
 そんなことに感心しながら、句集の次のような作品に惹かれている。
  
 早春を雲もタオルも飛びたがる

 早春の少し強い風に、空に留まっている雲も、この手に掴んでいるタオルも飛びたがっているに違いない。早春のただ中に立って、自分が一番飛んで行きたい気分なのだから。

 木の芽寒箸を入れれば濁るもの

 芽吹く頃の、ちょっとした憂鬱感が、普段はお構いなしなことに敏感になってしまうような。どんな食べ物も、箸を入れれば濁ってしまうのだという自明を突き付けられた気がした。「木の芽冷」ではなく「木の芽寒」が箸の先を際立たせているのだと思う。
   
 針伏せて寝るヤマアラシ花の昼

 桜咲く午後には、ヤマアラシも針を休ませて寝ている。ここでは「眠る」ではない。「寝る」は針そのものの様子でもあるだろう。花の昼には、ヤマアラシがこんなにも柔らかい。名句<まるまるとゆさゆさといて毛虫かな>を思い出した。

 水鉄砲ぐらぐらの歯を見せにくる

 水鉄砲していた子が、にたにた笑いながらやって来た。ぐらぐらになった歯は、子どもの自慢なのだ。大人になった今では、何でそんなに嬉しかったのか忘れてしまったが、誰もがきっと一度は見たあるいは見せた光景が懐かしくも楽しい。

 しまなみ海道レモンゼリーへ寄り道す

 四国に住んでいる者としては、しまなみ海道へのとても素敵な挨拶句に思えた。生口島だろうか。黄色い「レモンゼリー」の中に、長いしまなみ海道が揺れる。

 春の近づく馬鈴薯の芽のまはり

 私の眼の周りを触られている気分になった。こんなふうに見据えられたら、馬鈴薯もタジタジになっていそう。

 そして、次の句には笑ってしまった。ふけさんの大好きな額を思い出したのだ。

 今何をせむと立ちしか小鳥くる


 「今何をせむと立ちしか」という大仰な言い回しが可笑しい。でも、季語「小鳥くる」が一気に、こわばった心身をほぐしてくれる。

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