【俳句新空間参加の皆様への告知】

【ピックアップ】

2015年8月7日金曜日

 【時壇】 登頂回望その七十五/ 網野 月を


(朝日俳壇平成27年7月12日から)

◆広島忌その二日後も爆撃す (福山市)高橋波瑠美

長谷川櫂の選である。評には「一席。福山は八日の空襲で焼かれた。八月は一日一日が墓標。」と記されている。戦況が決定づけられた後にまで爆撃は繰り返された。地方都市が標的にされて、一般市民が巻き込まれた。その中で長崎への原爆の投下が繰り返されたものと考えられる。ポツダム宣言を受諾するということの返事の督促として執拗なまでに繰り返されたのである。

戦勝国の指導者は、一般市民を犠牲にしてもその是非を問われない。戦争責任は敗戦国側だけに科せられるものである。ヨーロッパ中世のような騎士道の世界では、決闘における勝者は神の加護を得たのだとする考え方があるだろう。がしかし、近代戦において、一般市民を巻き添えにした仕方には戦勝国と言えども責任の所在ははっきりさせたい。せめて一般市民を犠牲にしたことへの反省と改悟が敗者と勝者の両者に必要である。

◆夏至の夜の待ちくたびれし星一つ (札幌市)岩本京子

大串章と稲畑汀子の共選である。稲畑汀子の評には「一句目。ようやく一番星が輝いた。なかなか暮れない夏至を星に語らせた。」と記されている。切れが無くて読めば、評のように一番星がやっと輝く時刻になったということである。中七座五の間で切って読めば、もちろん一番星の景はかわらないのだろうが、作者が「待ちくたびれ」たことにならないだろうか?一番星を待つのは擬人法の星でなくて、作者の方がいいのではないかと考える。

◆妻ふつと見えなくなりぬ蛍狩 (稲沢市)杉山一三

金子兜太の選である。ご両人で蛍狩の最中に奥様を見失ったということだろう。蛍を追って小径に紛れ込んだのかも知れない。「ふつと」であるので、蛍の流れるような帯光の影になって見失ったものだろうか。

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